歴史、文化、環境から捕鯨を考える
毎日新聞(10/7)から
感情的な対立を招きがちな捕鯨の是非について、歴史、文化、環境など多様な側面から掘り下げようとする市民セミナー「捕鯨論争」がこのほど京都市内で開かれた。総合地球環境学研究所(地球研、京都市北区)の主催。『クジラとヒトの民族誌』などの著書があり、捕鯨肯定の立場に立つ秋道智弥・地球研副所長(生態人類学)と、国際環境保護団体のグリーンピース・ジャパンの事務局長で反対派の星川淳さんが議論を戦わせた。
秋道さんは、浜に漂着したクジラを食べたニュージーランドの先住民、マオリの人々が「クジラは『海の贈り物』で、食べることは文化、伝統だ」と話したことなどを紹介したうえで、「人が生きるための捕鯨(生存捕鯨)ならいいという考え方には差別感がある。食べなくても、先進国でのイルカショーなどはイルカ、クジラへのハラスメントだ。一方、食べることは消費だが、その行為は歴史や文化と深くかかわっている」と話した。
さらに、ソウル五輪(88年)開催時、町で営業していた犬肉料理店が閉鎖に追い込まれたことや、英国では犬を愛護する一方で食用のウサギが店頭にぶら下げられていることに触れ、「食用にすることの是非を問う裏に、大きな偏見が横たわっている」と締めくくった。
これに対して、星川さんは「グリーンピースは鯨肉を食べるなとは言っていない。南極海で日本政府がしている『調査捕鯨』は商業捕鯨に他ならず、日本国民の公益にはなっていないので、やめたほうがいいと言っている」と主張した。「自国の排他的経済水域内で合意をとり、やっていけばいい。ただし、日本はこれまで各地であまりにも無理なことをしてきたため、国際社会は信用していない。まず南極海での捕鯨をやめれば、国際社会は日本をもっと理解してくれるはずだ」と続けた。
その後、地球研の湯本貴和教授(生態学)の司会で、討論を展開した。「捕鯨の文化的な価値」に着目する会場からの質問を受け、星川さんは「伝統をどういうスパンで見るか。江戸時代まで遡れば伝統か、明治以降でも近代遺産ととらえられるのか。何を大事にして、将来に何を残すのかという選択の問題だ」と指摘。
これに対し、秋道さんは「食文化だけではなく、人間関係や信仰など、網の目のように張り巡らされたものが文化で、総合して守らなければならない」と反論した。
捕鯨問題だけでなく、人間と生物の関係を考える時には「線引き」が問題になる。象牙の利用は許されるか、動物を殺して食べる肉食はいいのか、三味線の製作に野良猫の皮を利用するのはどうか。簡単に答えは出せないが、相反する意見に耳を傾ける姿勢こそが第一に問われている。
《要は、動物の‘いのち’の問題だ。野良猫のいのちも、豚のいのちも、牛のいのちも同じ生き物のいのちだ。クジラがいけなくて豚や牛がいい理屈はない。また、クジラが知的生物だから殺してはいけない、というのもお笑いレベルの言いぐさだ。ただ、日本の行なっている調査捕鯨の実態がはっきりしない。星川氏が言うように、商業捕鯨と言われても仕方ない面もある。いっそ、商業捕鯨とはっきり言えば余程すっきりする。商業捕鯨として往年のような乱獲にならないように、国際監視のルールを作ればよい。
《私は、これまでも日本の捕鯨を是として来たが、食文化だからではない。それは生き物のいのちに軽重の差はないから、ただそれだけだ。》
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。


コメント