フリースクール 少女虐待
フリースクールとは読んで字のごとく『自由学校』のことだ。半世紀以上も前、1950年5月26日〜12月11日まで続いて連載された獅子文六の同名の小説があった。敗戦からまもなく、向うからやってきて与えられた「自由」に日本人は戸惑うばかりの時代だった。
それが家庭の中にやってきた時、どうしたらいいのかを軽妙に描いたもので、映画界もそのテーマに飛びついた。期せずして松竹と大映が同時に映画化して、同時に封切った。当時それぞれが社を背負っていた監督の渋谷実、吉村公三郎がメガホンを取った。
夫婦が一つ屋根の下で自由を確保しつつつきあうことができるかというテーマだった。怠惰に生きる夫、妻は勝ち気。勝ち気な妻に追い出された夫は、社会と家庭からの解放を求めてルンペン(浮浪者、今でいうホームレス)の群れに入った。サラリーマン上がりのその男は年齢40歳。初めて接した別な社会や人間に触れ、そこから新しい生き方を見い出して行くというものだった。
寡聞にして横文字のフリースクールなるものが何時の頃からできたのか全く知らなかった。数日前からの少女への虐待の報道は見知っていたが、何の話か、どこの学校の話しか朦朧として掴めなかった。頭の中は獅子文六の自由学校のイメージしかなかった。本日づけの読売の紙面で「施設」に入所中の少女への暴行とあることから、私がイメージする学校とは関わりのないスクール(?)らしいことがぼんやりと分かりかけてきた。そこで、何時ものようにパソコンでフリースクールとは何かを調べることになった。
フリースクール(Free School)の概念は極めて多義に亙ることが書いてある。
1)アメリカの授業料無償の公立小学校
2)アメリカのフリースクール協会(1805年設立)に加入する人道主義に基づく低所得者のための授業料無償の学校
3)イギリスのサマーヒル・スクールのような、デモクラティック・スクール*
4)英米のオープン・エデュケーションを行なっている学校
5)オルタナティブ教育**の理念に基づく学校(オルタナティブ・スクール)
6)不登校の子どもが通う非学校的な施設(日本)
などの意味で用いられ、1)、2)での「フリー(free)」は「自由」ではなく「無料」を意味する。外国では主に3)または5)の意味で用いられ、日本では主に6)の意味で用いられることが多い。
日本のフリースクールの特色は、A・S・ニイル流のデモクラティック・スクールをはじめ、フレネ学校、シュタイナー学校、デンマークの生涯学習の基盤となっているフォルケホイスコーレなど、ヨーロッパ新教育運動の流れを受け継ぐ学校が一部あるが、専ら、不登校の子どもの受け皿として、その学習権の保障や安心してすごせる居場所を提供する施設、さらに、通信制高校での学習をサポートするサポート校など、不登校の子どもを対象とした、既存の学校とは異なる機関、施設が、フリースクールと総称される。
こうしたフリースクールの規模や活動内容は極めて多様であって、民家やマンション、事務所ビルの一室を借り、スタッフや子どもを合わせても10人に満たないような小さなものから、在籍数が100人を超える大きなものまであり、一般の学習塾が不登校の子どもを受け入れてフリースクールと称している場合もある。(中略)
ほとんどのフリースクールは、学校教育法1条に定める学校の要件に該当せず、私立学校設立のハードルが極めて高いこともあって、正規の学校としての認可を受けていない。(中略)
フリースクールの対象年齢は、当初、小中学生の学齢期の子どもが中心であったが、次第に高校生以上の年齢にも拡大され、さらに、フリースクール精神による大学として、東京シューレを母体に20〜30代の若者たちが作るシューレ大学が1999年に設立された。(Wikipedia)より
* デモクラティック・スクール(Democratic School)--民主的教育を行なう学校
** オルタナティブ教育(Alternative education)--「非伝統的な教育」「教育選択肢」とも言い、主流、または伝統とは異なる教授・学習方法を意味する。
8月3日、京都のフリースクールに入所中の14歳の少女が暴行を受け、怪我を負った事件が起こっていた。
--- つづく
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コメント
フリースクールというのは、親などから虐待を
受けたり、学校などでいじめを受けて登校
できなくなってしまった子供達を、受け入れて
傷ついた心や体を癒しながら、いろんなことを
学ぶ学校だと思っていました。
殴ればイイってモンじゃなりません!
殴るにも、限度ってモンがあります!!
いろんな問題で学校に行けなくなった子供達は
たくさんいますが、
それでも、学校に行きたいと前向きになっているからこそ
フリースクールなら、なんとかがんばれるかも
と思って、子供達はやってくるのではないでしょうか?
殴るには、”愛情”が必要です。
子供にそれが伝わらない”殴る”は、躾では
ありません!!
殴る側の自分勝手な言い訳です!
卑怯なオトナの言い訳に過ぎません!
不登校の子供達にとって、フリースクール以外に
他に行き場がないのだとしたら、フリースクール
の存在は、とても重要です!
もっと、フリースクールの存在に社会は前向きに
目を向ける必要があるのではないかと思います。
なぜなら、認可されている普通の学校に通う
ことができない様々な事情をかかえた生徒が
何万といる現実があるのですから。
投稿: つぼね | 2008年9月11日 (木) 13時06分