地に堕ちたモラル 延滞増える奨学金 - 2 -
債権回収に詳しい銀行関係者は「民間なら延滞が6ヶ月に及んだ時点で手を打つ。時効を中断するには、支払い督促申し立てや提訴が必要だが、そうした処置を取らず、『時効管理』をして来なかったのだろう」と指摘する。
《当然の指摘だ。支援を受けながら学んでいることを忘れるほどバカではなかろう。借りたものは返す、小学生でも知っている鉄則だ。督促がないのをいいことに、「あわよくば」を決め込んでの踏み倒しをした上、督促が遅れると開き直る。一方、機構の方は自分の懐から出した金でないから返還されなくても、日常生活には何ら影響はなく、普通の生活を送ることが可能だ。》
機構が支払い督促申し立てなどに力をいれ始めたのは独立行政法人になってから。「以前の督促はずさんだった」と文科省学生支援課も認める。
《督促業務の無責任さは当然責められて然るべきだが、それ以前に、返還を怠っている側こそ責められるべきではないのか。》
「時効は、裁判で認められて初めて成立する。今後は時効にかからないよう回収に努めたい」と機構は話す。しかし、10年をこえる延滞債権は他にもあり、裁判で時効を主張されると貸し倒れになる恐れも孕んでいる。
《このように記事になり、文字化されることでますます時効を狙った悪予備軍が増えるだろう。このようなずる賢い模倣犯の犯罪は増え続けているからだ。》
貸与は増え続ける一方なのに、回収策は生ぬるい。そんな実態に最も苛立っているのは財務省だ。奨学金は給与所得が1300万円程度の世帯にも認められ、いまや全短大生・大学生の3割にあたる103万人が受給している。このため財務省は「ごく普通の満ち足りた家庭が、奨学金を得ている可能性がある。奨学金が学費でなく電話代や旅行費に充てられているとの調査もある」と指摘し、「貸し過ぎ」を非難する。
《貧しかった戦後の時代、大方の大学生は「苦学生」と呼ばれ、働きながら勉学するのは当たり前のことだった。そのために苦しい生活の学生の助けになればと生まれたのが「学割」という習慣だった。これは何時の間にか制度のようになり、通学定期をはじめ映画館の学割などが次々に生まれていった。今あるのはその賜物としての残滓だ。猫も杓子もブランドをぶら下げて歩く時代、豊饒の時代の現在、学生だからの温情などなくていい家庭が圧倒的に多い。苦しければ働けばいい、働きながら学べないのなら大学など行かなくいい。旅行や携帯も不要だろう。》
これに対し文科省は「高所得でも、子どもが多かったり病人がいたりすれば奨学金の必要がある」とし、需要があると強調する。大学入学者も増えると見込み、来年度は562億円の奨学金増額を要求している。一方で「回収にかける人員も予算も少なすぎる」と認め、5億円の回収費を10億円増やす予算要求もしている。
《文科省の言い分もおかしい。数少ない例外がすべてであるような言い逃れをする。それならば、膨らんだ延滞債権額2253億円のうち、文科省のいう例外に当たる人たちが占める債権額が幾らになるのか把握しているのか。急速に少子化に進む日本で、どんぶり勘定の交通量を算出し、いつまでも道路を作り続けようとする道路族と全く同じどんぶりスケールを使おうとしている。今は、雨後の筍の如く作って増え過ぎた大学は、淘汰を急がなければならない転換期に来ているのにだ。それよりは、『急がば廻れ』になるが、家庭教育で不足しているモラルの欠除を再教育、補習教育として、大学生にも「借りたものは返す」ことを幼児に教える如くに懇切丁寧に教えてやる必要がありそうだ。》
支援機構の「奨学金の返還促進に関する有識者会議」委員を務めた小林雅之・東京大教授は、督促の際には、返さない人と、返せない人の見極めが必要。収入がなく返還猶予にあたる人もいれば、開き直って払わない人もいる。現在の督促方法は機械的でメリハリがない。支援機構に欠けているのは、情報の蓄積と分析。今後は、コールセンターの対応などから延滞者のデータを分析して「返さない人」を特定、資力のある人に対して法的措置を進め、回収を徹底すべきだ、と語る。
《以上、支援を受けた側の人間を「返せる人」と「返せない人」の二通りにだけに分類し、金がとれるか取れないかで機構の責任を批難する。機構の督促業務は返さない人間がいることで発生する副次的なものに過ぎない。機構の主たる業務ではないはずだ。現状は、支援を受けながら返還しない人間がいることがそもそもの問題点だ。そのような人間がそれなりに高等教育を受けて白々しくも世に出てくる。嘆かわしいことだが教育界のモラルも地に堕ちたものだ。金よりも大事な教育と人間に関わる問題だ。折角の記事を書くのなら、物事の本質を取り違えないでほしいと願う。》
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