世界遺産
毎日新聞(7/29)から 《》内は私見
仏像発祥の地として知られるパキスタン・ガンダーラ地方最大の石仏(仏像本体の高さ約7メートル、3〜5世紀)の顔面が昨年、アフガニスタンの旧支配勢力タリバンに近い地元の武装組織に破壊されていたことが分かった。01年のタリバンによるアフガニスタン・バーミヤンの石仏破壊から7年。繰り返された石仏破壊は、急速に勢力を回復するタリバンの影響力が、パキスタン側にも浸透していることを物語る。武装組織は、爆破について「(偶像崇拝を禁じる)イスラムの教えに反する」と7年前のタリバンと同じ理由を挙げた。
現場は、ガンダーラ地方の北部に当たる、標高2000メートル級の岩峰群が連なるスワート渓谷。石仏は岩盤の崖の途中から掘り込まれ、地面から頭部までの高さは約13・5メートルに達する。
目撃者によると、武装組織は昨年9月にカラシニコフ銃で破壊を試みたが、銃弾が岩盤に跳ね返されて失敗。同11月に爆薬を使って爆破した。現場は武装組織が支配し立ち入りが困難だが、爆破直後の石仏を撮影した写真を入手、被害を確認した。
パキスタン考古局によると、ガンダーラでは紀元前3世紀ごろから8世紀ごろまで仏教が栄え、仏像や仏舎利塔などが現存している。仏教が衰退した後はヒンズー教、イスラム教へと代わったが、石仏を含む仏教遺跡は住民に守られ続けた。
スワートでは昨年夏に政府軍が武装勢力の掃討作戦を開始し、自爆テロや交戦が激化して治安は悪化している。遺跡の調査・保護運動はストップしている状態だ。
《戦いによる破壊は創世記より繰り返されてきたこと。いまさら、遺産だからといって特別に取り上げることもないだろう。日本でも近くは広島の原爆ドームがそうだ。壊された建築物を破壊されたままの姿で残し、人類の愚かな戦争の歴史を後世に伝える役目をもつ文化遺産になった。
日本でも歴史を振り返れば、全国で焼け落ちた城は数え切れない。寺は数え切れない。同じタリバンに破壊されたアフガニスタンの世界遺産を復元しようとの動きもあるのだが。》
読売新聞(7/29)から
アフガニスタン中部にある仏教の世界遺産(バーミヤン遺跡)の2体の大仏立像が2001年3月、旧支配勢力タリバンの手で破壊されたから7年が経過した。爆破で四散した破片の収集作業はほぼ完了。これを受け、同遺跡保存の国際専門家会議は6月、「大仏再建を巡る諮問委員会」の設置を決定した。大仏を再建するか、部分修復にとどめるのか、本格的な議論は来年草々にも始る。
破片の収集や爆破で傷んだ壁画などの修復は、03年7月から、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)を中心に日本、ドイツ、イタリアなどの専門家らにより行なわれてきた。遺跡は同年、世界遺産(危機遺産)にも登録された。
大仏再建の決定は、遺跡の当該国であるアフガニスタン政府が握る。関係者によると、政府は再建に前向きとみられるが、表向きは、「再建するかどうかはまだ白紙」(アブドル・アハド・アバシ歴史的記念物保存・修復局長)と態度を明確にしていない。
背景には、依然として国民の大半が貧困に喘ぐ中、大仏一体当たり3000万〜5000万ドル(一ドルは約107円)といわれる再建費用を、政府が人道支援に優先して国際社会に要請できるのかといった問題がある。遺跡のあるバーミヤン州は、国内最貧州の一つで、州都バーミヤンには公共の電力設備すらない。大仏跡近くの石窟で生活するアラフダッドさん(33)は、「まず生きている人間の生活向上を考えて欲しい。再建問題はそれからだ」と訴えた。また、同国の国民の約99%が偶像崇拝を禁じるイスラム教の信者であることも、大きな「足枷」となっている。
「大仏再建を巡る諮問委員会」の委員の一人、前田耕作・和光大名誉教授(アジア分化史)は「個人的見解」とした上で、「破壊後もそれなりの姿を残している38メートルの大仏跡は、破壊行為による『負の遺産』としてそのまま残し、55メートルの大仏立像は、収集した破片を最大限用いて再建を試みるべきだ。この方向で、意見を一致できると思う」と語った。
《第2次世界大戦終末期、1945年2月、13〜14日にかけて行なわれたドイツ東部の街ドレスデンは、アメリカ軍とイギリス軍による無差別爆撃により街の85%が壊滅的な破壊を味わった。第2次大戦中の空襲の中でも最大規模のものであった。ドレスデンのシンボルでもあった聖母教会も空襲と火災で一部の壁を残すのみで瓦礫のやまとなって東西ドイツの統一をみるまで無惨に放置されてあった。1989年暮、ベルリンの壁が崩壊した直後から始って今建つ教会の壁は、コンピューターによって元の位置(世界最大のパズルと謂われた)に嵌め込まれた、瓦礫の中の黒く焼け焦げた石が混じる姿で再建(2005、10、30)されているものだ。戦争の傷跡が刻み込まれた教会を再建することが市民の望みでもあった。復興したドレスデンの街ごと2006年世界遺産に登録された。
世界遺産に関しては、私の見解も前田氏と同じだ。建物と違って木っ端微塵に砕かれたバーミヤンの石仏の頭部(テレビで放映された無惨な姿)は、飛び散った岩石を集めても、とても元には戻らないことは明らかだ。》
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント