麻生太郎は早速、やっちゃいました
ミモザアカシアの種
昨年の失敗を参考に
数多く収穫できた種を準備。
下手な鉄砲撃ちよろしく
2群に分け、74℃、54℃のお湯に
15分浸けた後、すぐに
水に移し24時間放置。
市販の種まき用土に並べ
覆い土約5ミリで鉢に移す
発芽までおよそ10日前後が目安となる。
読売新聞(8/5)から 《》内は私見
自民党の麻生太郎幹事長は4日、就任挨拶やテレビ番組収録などに追われた。この中で、国会内で会談した江田五月参院議長に「民主党が政権を取るつもりなら、ちゃんと対応してもらわないといけない」と同党を批判した上で、「ナチスドイツも国民がいっぺん(政権運営を)やらせてみろということでああなった」と発言した。
《太郎が早速お得意の耳学問レベルのバカを曝けた。誰かから聞いた中途半端な歴史認識を引き合いにだし、言うに事欠いて民主党をナチス扱いにした。確かに太郎のいうように、ドイツ国民は選挙でナチスを選んだことは間違いない。だが、1933年代のドイツと現在の日本の政情との違いが理解できない認識不足から来る暴論であることに気がついていない。
1929年10月24日、ニューヨーク株式(ウォール街)で株価が大暴落したことに端を発した世界大恐慌の嵐が吹き荒れていた1930年代初頭。第1次世界大戦(1914〜1918)の敗戦国となったドイツは、戦勝国への賠償・戦債問題を抱えていたが、大恐慌のあおりを受けたドイツ経済は破綻する。1932年、ローザンヌ賠償会議で賠償金の帳消しを要求するドイツに対し、総額30億マルクの公債発効で合意(英、仏、伊、日、ベルギー)。事実上の支払い打きりとなった時代的背景があった。
1932年7月31日、ナチスはドイツ国会選挙で最大の得票を得たが、過半数には達しなかった。続く11月の選挙ではドイツ共産党が単独で第1党となる。この結果に脅威を感じた保守派と財界はこれ以後、ナチスへの協力姿勢を強めて行くことになる。
1933年1月30日、ヒトラーは第1党の党首として大統領ヒンデンブルクによって「合法的に」首相に任命される。この時点の新内閣の閣僚の中にはナチ党員はヒトラーの他には無任所相ゲーリングと内相の2人だけだった。副首相には元首相バーベンが就き、大統領とともにナチスの独走を押さえ込むことが可能とみていた。だがヒトラーは3月23日、全権授与法、政党新設禁止法などを矢継ぎ早に成立させ、ヒトラー独栽政権の一元化を図って行くことになる。》
麻生は4日夜、記者団に「(野党が多数の)参院で審議をしないとどうなるか。(ドイツが)昔、『(政権運営をナチスに)やらせてみたらどうか』といった結果どうなったか、という歴史があるので審議をするのが大事だという話をした」「国会での審議が大事なんじゃないかという話しをした」と釈明したという。
《麻生の言は、半世紀近く、国民無視の数をたのみの政治をやってきた政府与党にこそ突きつけるべき言葉ではないのか。江田参院議長や鳩山民主党幹事長の不快感は当然の反応だったろう。》
民主党出身の江田は「言葉を返すが民主党ではなく、国民が(自民党、民主党の)どっちを見ているかだ」と反論し、鳩山も4日夜、都内で記者団に、「民主党が暴虐極まりない政治を行なうかのような印象を与えかねない発言だ。例えとしても許される話ではない。撤回を求める」と不快感をあらわにした。
早速懸念された「舌禍」が始動初日に早くも飛び出した格好となった。麻生はこの後、彼の幹事長実現に動いた森元首相と国会近くのホテルで会談。森から「一生懸命、頑張れ」と声を掛けられたという。
就任挨拶に先立ち、党本部では民放番組の収録に臨み、首相への意欲を聞かれると「期待に応える義務と責任はある。自分なりに覚悟はしている」と強調。福田首相に関しては「これまで接点はほとんどなく、好きとか嫌いの対象ではなかった」と語ったという。
《おい、おい、本当に麻生を首相に、と望んでいるやつがいて、なるつもりでいるのか。漫画やアキバ感覚で政治はできないんだよ。間違って首相にでもなれば、口を開く度に世界の笑い者になるのがおちだ。そんな厚かましい望みは一刻も早く捨ててくれ。》
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コメント
麻生さんだからと言わずとも
ずっと笑いもの
のような気がするね。
投稿: ミルコ | 2008年9月 1日 (月) 01時23分