プロフィールサイトでも
効果的な対策が何一つ立てられないでいるうちに、一つの言葉がもとで殺人事件が起こった。
毎日新聞(7/24)から
群馬県桐生市の上毛電鉄西桐生駅近くで22日夕、みどり市大間々町大間々・私立高1年、星野智さん(15)が暴行され死亡した事件で、傷害致死容疑で逮捕された星野さんの元同級生で前橋市に住む無職の少年(15)が県警桐生署の調べに対し、「プロフ」と呼ばれるインターネットの自己紹介サイトに星野さんが「ギターをやっているやつにろくなやつはいない」などと書き込んだことに腹を立て暴行したと供述していることが分かった。
調べでは、少年は「自分もバンドをやっているので面白くなかった」と話しているという。司法解剖の結果、星野さんの死因はくも膜下出血だったことが分かった。
《プロフに書かれてあった「ろくなやつはいない」ことを身を持って裏付け証明したような事件だ。もちろん、ギターをやっているやつが皆、そうだったら大変なことだが、殺された少年の周りで彼の目に映ったギターをやっているやつらが、おそらくは乱暴と映る人間たちだったのだろう。
それを日ごろプロフを取り巻いて起こっている事件のことに配慮していれば、書き方の工夫もあるのだろうが、報道通りの表現であったとすれば、反感を抱くものが出ても不思議ではない。ようするに喧嘩を売ったようなものだ。血気多感な年頃だ、「この野郎」となるのもやむを得ないことだったろう。プロフの特定は簡単だ。ギター仲間を引き連れての話し合いになったのだろう。
昔の子どもたちのように喧嘩には慣れていない。外で遊ぶしかなかった昔の餓鬼ん子たちは、喧嘩をする度に仲良くなっていくのが普通だった。喧嘩を重ねながら自己と違う他人の人格を、或いは寛容というものを学んで行った。いわゆる「竹馬の友」が生まれる環境があった。殴られて始めて殴った友の痛みを知ることができた。
現在の子どもたちは叱られることにも慣れていない。第一、甘やかすだけで叱る親も滅多にいない。毎日のように親のビンタを受けて育った昔の暴れん坊たちは、他人に手を挙げるにしても手加減というものを学んでいた。今はそれが出来ないのだ。手加減と言うことを知らない。そしてなぜか世間の風調も、多くは被害者以上に加害者に同情する例は枚挙にいとまない。》
また、星野さんが通っていた高校は23日の記者会見で、暴行現場に同校の1、2年生4人が立ち会い、うち1、2人が星野さんを殴っていたとみられることを明らかにした。同署は4人からも事情を聴いている。
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コメント
本当に手加減を知らない人間が多くなったのかなあとは思いますが、数字的には少年犯罪は減っているといいますが、これは少子化・子供の絶対数が減っているからなんでしょうかね。
それにしてもこうべいさんのおっしゃるように自分で「ろくなやつはいない」って世間に知らしめたんでは世話ないですよね。全国のバンドマンは腹立っているでしょう。ホントしょうもないヤツです。
投稿: BEM | 2008年7月25日 (金) 16時07分
今度は女の辻斬りです。刃渡り3・5センチとか。7人の男を襲いました。浅はかな女の知恵か、まともに突いても人は殺せないのに、他人を道連れに死のうと思ったとは。
この騒動、当分の間続きそうです。
投稿: 小言こうべい | 2008年7月29日 (火) 23時23分