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2008年7月 1日 (火)

告げ口

速い速い、2008(平成20)年も後半スタートの初日だ。

先日も「たばこはなくならないのですか」の中で書いた。人の告げ口をするのは大嫌いだ、と。ところがこのところ、イタリアはフレンツェの大聖堂の落書きを、探偵の真似事よろしく探し出してはメディアに売り込む心卑しき輩が出ている。そしてネットや新聞投書では声を揃えて論(あげつら)う。

今度新しく魔女狩りの手に落ちたのは、水戸市のとある高校の硬式野球部の監督(30)だ。これから海外の有名な観光地を旅する日本人旅行者たちは、記念写真に同胞の落書きに向かってシャッターを切り、新聞社やテレビ局へ売り込む人間が増えるのだろう。

思い出すのは有名なキリストの言葉だ。法の違反現場を捕らえられた女性が、村人たちからリンチを受けそうになった時、キリストが発したと言われる「あなたがたの中で罪のない者が、先ずこの女に石を投げつけるがよい」(ヨハネ伝8-5)の一言だ。今、しきりに落書きを非難する人たち、落書きに限らないことだが、己を顧みて非とするものがないかどうか。ネットを覗いてみれば分かる。そこに飛び交っているのは落書きと変らない低レベルの誹謗中傷の花盛りだ。

上の野球部の監督は29日つきで解任されたそうだ。現在注目を浴びているのは他国の世界遺産への落書きだが、翻って国内を眺めた場合、それこそ告げ口しようとすれば紙面スペースがいくらあっても足りないほどの落書きが転がっている。例えば京都市の貴重な世界遺産の神社仏閣を、暇にあかせてカメラをぶら下げて探して回れば特ダネがいくらも見つかるだろう。それほど国内の落書きは多いのだ。海外の世界遺産への落書きで恥を曝すのは話にもならないが、海外の遺産だけが貴重なのではない。

海外の石の文化のようには木の文化は長持ちしないだろう。700年間も保ち続けてきた法隆寺の建築物もこれから何世紀いや何万年持ち堪えられるか分からない。生者必滅会者定離だ。告げ口するよりは、‘人の振り見て我が振り直せ’の方が日本人には似つかわしい。

【追記】(7/2)
 魔女狩りのような日本の落書き騒動に、イタリアが驚いている。
イタリアでは「わが国ではあり得ない厳罰」との記事が書かれた。当地の新聞各社は1日、1面でカラー写真などを使い一斉に報道。「集団責任を重んじる日本社会の『げんこつ』はあまりに硬く、若い学生も容赦しなかった」と報じた。
 フレンツェに限らずイタリアでは古代遺跡はスプレーにまみれ、アルプスの山々には石を組んだ文字が溢れる。その大半がイタリア人によるものだ。同紙は「日本のメディアによる騒ぎは過剰だ」と、日本人の措置の厳しさに疑問を投げかけた。コリエレ・デラ・セラ紙も「行為はひどいが、解任や停学はやり過ぎ」と論評した。

《国民性の違い、美意識の違いはあって当然、イタリア人がどう思おうと、日本人の厳しいモラルが廃れたとはいえ、今日までどうにか保たれてきたのも事実。しかし、告げ口をまともに取り上げ、次々に槍玉にあげるようなメディアのやり方には嫌悪を覚える。やはり、繰り返しになるが‘人の振り見てわが振り直せ’で自身を正せばよいことだ。》

参考 落書きだらけの地下鉄 (ローマ:テルミニ駅)
   ビルの谷間 (スイス:ルツェルン)

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