子供の小遣い - 2 -
参照 続々 躾け(家庭内教育)08/01/14
子供の小遣い 06/03/19
毎日新聞(7/7)から 《 》内は私見
《子どもへの小遣いの与え方について。親に対しては知る限り初めとも言うべきことだが、子どもに「労働の対価」を教えることの重要性を、付け足しのような取り上げ方だが指摘した内容の記事に接した。今までお金の使い方を、早くから学ばせることが大切と説いた人は数多くいたが、子どもにはその小遣いが、父や母の労働の対価から出たものであることを教えることの重要性を説いた人にはお目にかかったことがなかった。小遣いは使い方も大事だが、労働の対価であることを理解させてこそ、大切な金銭感覚は身につき、使い方だけでない1円の無駄も惜しむ心が生まれることになるのだ。》
記事<要約>
子どもにお菓子やおもちゃをねだられ、「小額ならば」とつい買い与える親も多い。しかし、それでは金銭感覚が身につかない恐れもある。専門家は「幼いうちから小遣制にして、その範囲内でやりくりすることを覚えさせることも大切」と指摘する。
《冒頭の二つのブログで取り上げたが、我が家は貧しく、父1人の収入と、それを支える母がいる大家族はいつも火の車だった。その父母の姿を見ていたきょうだい(兄姉弟妹)たちは、必要な学用品でさえ遠慮がちに相談していた。それでも両親の貧乏ゆえの諍いも見たことはないし,母の愚痴や泣き言はただの1度も聞いたことはなかった。きょうだいたちは皆、言葉は知らなくても父が働いて得たお金であること、所謂「労働の対価」であることを十分知っていた。周りもみな貧しい日本だったこともある。小遣いをねだったこともないし、小遣いなどという言葉すら知らなかった。飴玉一つなら苦しくてもたまには口にすることはできていた。》
《専門家のいう幼いうちから「小遣い制」にして、との幼い年齢は幾つ? 必要もない年齢の子どもに定期的な金銭を渡して何が身につくのだろうか。例に挙げている6歳の子が対象の話なのか。》
東京都の女性会社員(34)は休日、買い物に行くたびに長男(6)から「ガチャガチャ」をやりたいとせがまれる。お金を入れてハンドルを回すとおもちゃ入りのカプセルがでてくる。最初は1回ですんでいたが、欲しいものが出ずにがっかりしているとかわいそうになり、つい3、4回やらせてしまう。「最近は、気に入らないおもちゃだと、カプセルから出しもしない。これではいけないと思っているのですが」と話す。
《このような、叱って正してやることも出来ず、甘えさせることが愛情と勘違いしているような母親では何もできまい。「気に入らないおもちゃだと見もしない」、いけないと思っているのですが、とは完全な母親失格だ。いけないと思うのなら何故叱って諭さないのか。人に相談するまでもないことにどうして気がつかないのか。》
子どもの喜ぶ顔を見たいのは、親なら当然の気持ち。しかし、横浜国立大学教授の西村隆男(消費者教育)は「お金は親が一生懸命働いて得たもの。社会が豊かになり、子どもたちがお金のありがたみや大切さを感じる機会が減っている」と心配する。
《教授に似合わないことを言う。労働の対価と社会が豊かになったこととは、だからで結びつくには何の関係もない。子どもたちがお金のありがたみを感じないのは親の家庭教育がなっていないことが原因だ。子どもがぐずれば直ぐに親は折れて甘えさせる。叱り教える教育、いわゆる躾が全く出来ていないのだ。昨今のように長時間残業で親の顔も見ることもできない子どもなら、親がいかに苦労して働いているかは教えるのに良い教科書が目の前にあるのと同じことだ。前にも書いたが、昔、お年玉の他には小遣いなどなかった頃の子どもたち、大人になって金銭感覚の身についていない人間になったとでもいうのだろうか。》
そこで、西村が提案する方法の一つが、定期的に定額の小遣いを早い時期から与えることだ。個人差はあるが、だいたい数の概念ができ始めた4、5歳くらいから始めることは可能だという。まずは週単位で小額ずつ渡すとよい、という。
《全くばかげている。4、5歳の子どもに定期的な小遣いなどまるで必要ない。無駄遣いして、親が追加支出するのがおちだ。》
「お金の価値や使い方を教えるのに、早過ぎることはない」と西村はいう。金融広報中央委員会が行なった2007年の調査によると、未就学児の小遣いの平均は月668円、小学1・2年で759円、3・4年で1216円、5・6年で1436円だった。
《また疑問が起こる。蔓延している携帯電話。本体も自分の小遣いで購入し、たったこれだけの小遣いで、毎月の通信料を支払っているのだろうか。親から支出させ、金銭感覚など何も身にはついていないだろう。親もまた、何も教えてはいないだろう。まして労働の対価など親も子も考えもしていないだろう。》
東京都千代田区の女性会社員(42)は、6歳の長男に無駄遣いをさせないため、昨年から毎週200円の小遣いを与えている。おもちゃを欲しがるのは今も変らないが、「小遣いをためて買いなさい」と諭すと、「じゃあ、あと何回かもらうまで待つ」と渋々ながら納得することもできるようになったという。
東京文化短期大学准教授の内藤道子(生活経営学)は、幼児に小遣いを与えるポイントを二つあげる。
一つには、小遣いは家族の一員としての役割を果しているからもらえると教える。お金は労働の対価だと実感させるため、ふき掃除など家の仕事をさせることも必要だ。
二つには、欲しくても我慢することを覚えさせる。「小遣いという枠を作り、お金は無限に使えるものではないことを学ばせる。自分の思いどおりにはならないことがあると、早くから体験させることも大切」と話す。
《内藤がいう家の手伝いをさせることができれば良い。塾、それも掛け持ちしていれば親の方から手伝いはさせないだろう。一方、塾にかかる経費が労働の対価から支出していることを教えているか。金銭感覚は、未就学児や小学生の時から小遣いを与えなくても学ばせることはできる。自慢じゃないが私は、子だくさんの貧乏家庭で育った故に、高校生でいた間も親からの小遣いはビタ一文貰ったことはない。この辺りのことはブログでも何回か取り上げて書いた。しかし、金銭感覚が劣っているとは感じたことはないし、労働の対価については誰よりも身に沁みて学んできた。》
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コメント
いやー。おしゃるとおり。いつもながら頷くばかり。私も小遣いを貰わなかったしやらなかった。親も私も金がなかっただけだし、その金も労働の対価なんて考える余裕もなかった。今、働く子供達に「労働の対価」といっても、日々の仕事に追われて精一杯。そして現実社会の天空には座しながら金儲けのフアイナンシャルの千の風が吹きまくる。こんな社会にしたわれ等ジジイの責任は。なんて言われるに違いない。そこで、心の中で次に続く孫達に、スマン。といいながら、何とかせい!
投稿: hanasaka23 | 2008年7月10日 (木) 20時19分
hanasaka23さま コメントありがとうござます
敗戦の混乱の中目もくれず働いた結果が今の世。望んだ訳ではないのに大事なものを伝えることを疎かにしてたようです。
遅まきながらでも、昭和一桁、何かを言い続けていなければ生きてきた甲斐がない。
投稿: 小言こうべい | 2008年7月17日 (木) 10時48分