アイヌは先住民族
今月6日の衆参本会議は全会一致でアイヌ民族を「先住民族」と認めることを採択した。民族共生に向け、意義ある一歩である。これを受け、これまで態度を曖昧にしてきた政府も先住民族との認識を初めて表明した。この動きを歴史的なものとして評価したいと、毎日新聞は翌日の社説に書いた。
要約と《私見》
政府は近く設置する有識者懇談会を通じて先住権を具体化する手続きを速やかに進め、アイヌの人々との共存に必要な施策を実現すべきである。
決議はアイヌの人々を「日本列島北部周辺、とりわけ北海道」に先住し、文化の独自性を有する先住民族と認め、総合的な施策を確立するよう政府に促した。さらに「差別され、貧窮を余儀なくされた歴史的事実を厳粛に受け止めなければならない」と指摘した。
《青森県青森市に三内丸山遺跡がある。約5500〜4000年前の日本最大級の縄文集落跡だ。江戸時代から知られていたが、発掘調査が始ったのは1958(昭和28)年の慶応義塾大学によってだった。以降何度かの発掘調査が行なわれた後、1992(平成4)年の野球場建設に先立つ発掘調査で、巨大な集落跡や膨大な量の土器や石器、土偶などの祭祀遺物が出土した。
私はここ三内丸山の集落に住んでいた縄文人たちを、原日本人と見る立場をとっており、北海道を中心に広く現在の東北地方までを生活圏としていたと考えている。彼らは北から海を渡って日本に移住し、帰化した北方民族(モンゴリアン)の築いた中央集権によって北へ北へと追われる(蝦夷征討)ことになる。明治に入ると同化政策はより厳しさを増し、言語、宗教、習俗など次々に否定されていく。この蝦夷こそ私はアイヌ民族と見ている。》
アイヌの人々への施策では、97年にアイヌ文化振興法(アイヌ新法)が、民族差別的な「北海道旧土人保護法」に代わり制定され、「民族としての誇りの尊重」をうたった。その際、国会で「『先住性』は歴史的事実」とする付帯決議も可決された。しかし、政府は「古くから住んでいる」などの表現を用い、「先住民族」と明言してこなかった。土地補償問題などに波及することを警戒したためだ。
ところが、国連総会で昨年9月、先住民の権利宣言が日本政府も賛成し採択されたことが呼び水となった。アイヌ民族による権利団体「北海道ウタリ協会」が先住権に関する請願書を国会に提出。北海道洞爺湖サミット前の決議実現への動きが道選出の国会議員を中心に超党派で広がった。
政府が「先住民族」との認識を表明した以上、国内に加えて国際的にも先住民と認定する具体的な施策を怠ってはならない。アイヌの人々にどんな権利を考えていくかは確かに難しい問題だ。国連の宣言は、先住民に土地や資源に対する権利を認めている。ただ、道ウタリ協会も先住民族の認定と、具体的な権利要求をただちに結びつけてはいない。有識者懇談会のメンバーにアイヌの人々を加え、丹念に合意を目指すことが望ましい。
明治政府の同化政策で人口が急減したといわれるアイヌ民族は、北海道の06年調査で、道内に2万3782人が居住している。東京などに暮らす人も多い。生活情況を把握するため、研究機関との連携も重要だ。
また、決議では、アイヌの人々への過去の収奪や文化破壊などのくだりが自民党との調整過程で削除された。歴史認識をどう調整していくかも今後の重い課題である。
中曽根康弘首相(当時)が「日本は単一民族」と発言し物議をかもしたのは86年。また、2005年10月16日、九州国立博物館の開館記念式典の来賓祝辞で麻生太郎が「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」と無知な発言(直後の31日、外務大臣に就任)。中曽根から20年以上を経ての決議と政府見解は「多民族国家・日本」について考えるまたとない機会でもある。断じて北海道の地域問題ではない。国民全体に投げかけられたテーマだ。
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