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2008年6月 6日 (金)

平泉 — 浄土思想を基調とする文化的景観

 ○夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡
 ○五月雨の降のこしてや光堂
日本人なら誰でもこれらの句を諳(そら)んじることはできる。悲劇の武将としての義経にまつわる土地として、或いは藤原三代の栄耀(えいよう)の地を旅した俳人・芭蕉の奥の細道を通して。ただそこに、イコモスに指摘されるまでもなく、世界遺産として推す浄土思想的価値を見ることは、宗教人、専門家、研究者は別として、宗教と関わりなく生活している現代日本人にも不可能なことだろう。

その「平泉」が世界遺産登録延期となった。「『浄土思想』が世界に理解されなかったのか」。世界文化遺産を審査する国際記念物遺跡会議(イコモス:ICOMOS=Interenational Council on Monument and Sites)が「平泉 — 浄土思想を基調とする文化的景観」に対し「登録延期」を勧告したことに地元の岩手県では落胆の声が上がった。(毎日新聞 5/23)

しかし、昨年、同様の勧告で登録された石見銀山遺跡(島根県)の例もあり、23日記者会見した法貴敬・県教育長は「勧告に反論できないわけではない。7月のユネスコ世界遺産委員会で理解が得られるよう最大限の努力をしたい」と話した。

平泉の文化遺産は、奥州藤原氏の初代清衡が、11世紀に東北北部で起きた内乱、前九年・後三年の役の亡者の霊を慰め、浄土に導くために造営したとされる中尊寺一山や毛越寺、金鶏山など9資産を浄土思想に基づいてまとめたのが特徴となっている。欧米の専門家を含むイコモスが、浄土への往生を説く仏教思想を理解してくれるかが登録の鍵を握るといわれていた。

昨年8月のイコモスの現地調査で文化庁や県は、インドで生まれた仏教が京都や奈良を経て平泉にもたらされた経緯を説明した。自然景観を使って浄土を具現化した平泉建築の特徴を挙げ、インドや中国との違いも強調した。

一方でイコモスが勧告で示したように、奥州藤原氏とかかわる中尊寺などを除く資産と、浄土思想をどう関連づけるかが課題だった。現地調査では、個々の資産の価値や、遺産全体の価値を一般の人に分りやすく伝えることが重要との指摘を受けた。また、世界遺産委員会が新規登録を抑制していることも不安材料だった。

達増拓也知事は「平泉の価値が全く否定されたわけではない。対応を検討したい」とコメントを発表した。平泉町の高橋一男町長は「平和を願う浄土思想は世界に誇るべきもので、世界文化遺産にふさわしいと確信している」と硬い表情で述べたという。

(余談)
冒頭の五月雨の・・・の句。降るとも見えない五月雨の中に、そこだけ明るく光るように霞む光堂が浮かんでいる幽玄の光景を、ずっと長い間思い描いていた。しかし、芭蕉は実際には光堂を見て詠んだ句ではないようだ。芭蕉が訪れた時(元禄2)1689年5月13日にはすでに光堂は覆いの中にあって、外からは見えない条件下にあった。黄金の箔で輝く光堂は、1288(正応元年)に建造された鞘堂(覆堂とも)の中にあったものを、芭蕉がイメージして詠んだものと思われる。(因に現在の鞘堂は昭和43年に鉄筋コンクリートで作られたもの。)

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