携帯電話
昨日、電気自動車を取り上げて、日本の自動車は飽和状態に来ているのじゃないかと書いた。今日は携帯電話だ。日本国内の電話契約数は07年末で1億超が出回っている。この末端器機、疾うに電話とは呼べない代物(しろもの)になっているようだ。まさに『携帯は、電話としても使えます』、で軒をかして母屋を取られた状態だ。各社揃って夏モデルと銘打って、これ以上は必要はないと思われる機能をこれでもか、と付け加えてきた。
携帯で映画が見られて何が嬉しい。ひっそりと一人だけの世界に引きこもって、拡大鏡が必要となるような小さな四角いマスを眺めていては、ますます人とのつながりを失うことに役立つだけだ。KDDIの新発売12機種のうちの8機種が該当機種になるという。高橋誠常務は「これからは携帯で映画を持ち歩く時代だ」と訴えたという。対面しての会話も、意見交換もろくにできない若者が多い現実の上に、ますますコミュニケーション下手の人間を増やすことになるだけだ。
ドコモでは全8機種が新シリーズで発売される。こちらにもアニメーションなどの動画約7000本から好きな作品を電話機に取り込める機能がついた。
また、ソフトバンクは新発売のターゲットを女性に絞り、「風呂の中でもメールを楽しむ女性が増えている」傾向を考慮したとして、新発売の12機種のうち、防水機能を備えた8機種を出した。こうなればもう救いようのない病気の世界だ。そう、「メール・シンドローム」だ。医者が発言しないのが不思議なほどの病理現象だ。孫社長は「ファッション性で日本中の女性を虜にしたい」と意気込んでいるという。
盥から溢れそうになった水を引っ掻き回し、愚かなパイの取り合いをやているのが今の日本の携帯の市場だ。どこも代わり映えしないデザインに似たり寄ったりの詰め込めるだけ詰め込んだ下らない機能の集合体だ。各社どれだけ多機能多品種にしたところで、ユーザー個々人の好みを100%吸収することはまったく不可能なことだ。多品種少量生産では企業の採算ベースからはどんどん離れていく。
ここらで原点に立ち戻って提案だ。シンプル・イズ・ベストで電話機能だけの「携帯電話」を作ってみては。それでも私に携帯電話は必要の無いものだけれど。
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