20ドル携帯が登場
花言葉
精神的な美しさ
旅人のよろこび
4月10日にオープンした関東最大級の『三井アウトレットパーク入間』、東京ドーム二つ分の広さに204の店舗を擁し、6カ所の駐車場には計3000台の車が停められるという。ここ数日の連休中、その混雑ぶりは交通渋滞を呼んで2〜3時間並んでやっと駐車場にたどり着けるほどのようだ。世界のブランド品がアウトレット価格で購入できるとあってブランドものに目のない日本人がひきも切らないようだ。パークというだけあって家族連れも楽しめる公園やレストランなどがあり、どこも賑わっているとか。それにしても、生活は苦しい、ガソリンは再値上げだ、と言いながら、そんなことはどこ吹く風だ。ブランドものが安く買えるというだけでよくもこれだけ集まるものだ。現代の日本人と言うのはよほどノーテンキにできているようだ。
【閑話休題】
毎日新聞(5/4)東京大教授・坂村健「携帯 低価格の時代」から要約
海外の情報通信関係のビジネスの場で、いま大きな話題になっているのがこの極端な低価格端末の登場だという。20ドルといえば現在のレートで約2100円相当の低価格だ。
その特徴は割り切った仕様のようだ。日本の「ケータイ」のようなメガピクセルカメラ機能もないし、ネットもできない。その代わりの20ドルという低価格の設定になっている。最近までの「携帯電話0円」などという販売方式に慣れていた日本ではぴんとこないだろうが、日本で端末が安かったのは単なるカラクリに過ぎない。
ここで坂村教授は、日本の携帯が世界市場でビジネスできない惨状を明らかにしてくれる。実際の原価は数年前でも、10万円近いといわれていた。月々の通信代の中から端末代金を分割で回収するモデルにより、世界で最も高価といわれるその端末代金が表面に出ていなかっただけなのだという。これが可能だったのは、日本の端末を販売しているのが「キャリアー」といわれる通信サービス会社だったためだ。
しかし、この方式は世界的には普通ではない。キャリアーと携帯メーカーは独立。その結果、キャリアーは通信料金で、端末メーカーは端末価格で競争するしかないことになる。日本の携帯がここまで急速に進化したのは、このカラクリがあったお陰で、消費者が気軽に端末を最新モデルに乗り換えたからなのは確かだからだ。
その急速な進化によって「写真メール」など高付加価値機能のほとんどが日本で生まれ、世界に広がった。しかし、同時に日本のキャリアーや携帯メーカー(エリクソンと合併したソニーは別として)で、世界相手にビジネスできているところが一社もない原因も同じこのカラクリのせいだという。
キャリアーは、端末とこみで目新しい新規サービスを投入して契約者を確保し、それに比例して売上げが増えるという高付加価値サービス主導のモデルでずっとやってきた。だから、通信料金で熾烈な競争をしている海外キャリアーに太刀打ちできる体質にはない。また、日本国内で十分な収入があるから、苛酷な競争をしてまでサービスエリアを世界に広げる強い感情や行動を刺激することもない。
キャリアーが日本市場で新規契約者を増やすためだけに機能追加を追い求めた結果、その支配下の日本の携帯メーカーはどんどんおかしくなっていった。キャリアーの指示する高付加価値サービスのプランに従いどんどん端末を多機能にさえすれば、それでできたものはキャリアーが買い上げて「カラクリ価格」で売ってくれる。このような仕組みの中で、「現地のユーザーの望むものを、できる限りの高品質・低価格で」という、自動車などの分野で日本のメーカーが世界で成功した美点を完全に見失ってしまった。
だから、多機能高品質を売り物に、持って行ったものが世界ではまったく売れずに撤退するという恥ずかしいことになった。もちろん欧米のユーザーも「写真メール」をやりたくないわけではない。ただ、欲求に見合うまで価格が下がらないと売れなかっただけだった。欧米では今ちょうど日本で数年前に出たようなスペックのカメラ付き端末が値ごろ感で売れ始めているという。それらの端末はサムスンやノキアだったりするが、中は60〜70%は日本の部品が使われているとことになる。日本流の価格のカラクリが育てた日本の部品が世界の携帯を席巻したのだ。しかし、端末という最終商品のメーカーとしてはそのために衰退した。
日本のデジタル携帯電話の通信規格が特殊だったから、海外で失敗したとみる評論家もいて、そのため、第3世代携帯では、欧州勢と規格を統一したが、結果は変らなかった。それは当然のことで、技術ではなくビジネスモデルの違いにより、世界で競争できない企業体質になっていたのが、問題の本質だったからだ。そして、最近やっとビジネスモデルに目が向いて、取られた手の第一弾が販売奨励金の見直しで、これにより携帯端末の素の価格がやっと日本でも表面に出るようになってき始めている。
しかしもはや世界の携帯メーカーの主戦場は10億単位の潜在ユーザーのいる中国市場やインド市場やアフリカ市場になっている。そこでの戦略商品として「20ドルの携帯電話」が注目を集めることになったのだ。日本に比べ低価格の欧米の端末でさえ、従来ここまで安くはなかった。後進地域の市場ではそもそも固定電話すらなかった。だから彼らが買える価格で遠くの人と対話ができる端末が出るということの意味は、社会を大きく変えるほどの力を持っている。
善し悪しは別にして携帯電話の世界では — 自ら起した風にもかかわらず — 日本が「時代の風」に乗れていないことは事実なのである、と同教授は結んでいる。
《何だか自ら策士策に溺れた感があるが、余計な機能を盛り沢山に付加したことも世界市場に加わることができなかった原因になったとは、皮肉ともいえる。また、その盛り沢山の機能が国内的には携帯による犯罪の発火点ともなり、遼原の火のようにとどまるところを知らない現実をうんでいることも事実だ。「20ドルの携帯電話」という端末は、電話器の原点について再考することを提起しているようだ。今まで何度も繰り返し述べてきたが、小中高生に今さら携帯所持が禁止できないというのなら、それで万全な対策とはいえなくても、ぜめて現在所持の多機能端末は、20ドル携帯電話程度の機能のものへ強制的な切り替えをさせるべきだ。そして、したければインターネットはフィルタリングをかけて据え置きタイプのパソコンを利用させるようにすればよい。》
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