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2008年5月17日 (土)

舞鶴の高1少女殺人事件

Maiduru「若狭湾」福井県から京都府にかけて日本海に深く入り込んだ大規模なリアス式海岸。湾内には、東の越前岬側から敦賀湾、美浜湾、小浜湾、舞鶴湾、宮津湾と支湾が連なる。
舞鶴湾は中舞鶴を挟んで西舞鶴と東舞鶴(地図中赤丸印)を併せた舞鶴市に面している。事件の起きたのはその東舞鶴。東舞鶴は“岸壁の母”の歌で知られるようになった北方からの引き揚げ船が着岸した平桟橋のある町だ。

小学1年1学期の終了を待って姫路から、父の転勤先になった西舞鶴(1番深く入り込んだ位置)に移り住み、昭和29年秋に東京へ出るまでのほぼ16年間を過ごした。今回の事件の彼女(15歳・小杉美穂)が在籍していた東舞鶴高校浮島分校の「浮島」という名前には若い頃の想い出がある。

西舞鶴にも3館あったが、邦画の2館とアメリカ映画が多く上映されていた1館、そして1997年に閉館したと聞く「浮島劇場」という松竹系の洋画専門の映画館が東舞鶴の浮島にあった。『火の接吻』(フランス・1949)、シュニッツラーの『輪舞』(同1950)、ストリンドベリの『令嬢ジュリー』(スウェーデン・1951)など、そして、ヒラリーとテンジンが初めて登頂に成功した『エベレスト登頂』(英・1953)は上京の直前にこの映画館で観ていた。西舞鶴の自宅から東舞鶴の浮島の映画館までおよそ8キロあった。都会のロードショウが終わってから、山陰の町にも1月ほど遅れてやって来た。高校に映画同好会を立ち上げ、めぼしい映画を見るためにしばしばバスを乗り継いで出掛けたものだ。彼女が通っていた浮島分校はこの映画館の跡地近辺にできた高校のようだ。

引き揚げ船以来、メディアに舞鶴の名前が出て来ることはそうあることではない。今春、異常気象の際、30℃を超えた時、気象予報士がその名を口にした時くらいだ。それが事件のあった5月6日の翌日から、毎日毎日繰り返し繰り返し新聞には文字が踊り、テレビは舞鶴の名前を連呼する。いい加減五月蝿いことだ。一時でも住んだことのある町だ、両親の墓も九州から今はこの町にある。他県に誇れることで名前が知れるのは喜ばしいことだが、夜中にうろついて殺されるような女のことで名前が出るのはちっとも望まない。こんなことで舞鶴のことを書きたくなかった。

まるまる偏見で言うことになるが、彼女はやはり母親と二人だけの父親がいない家庭だった。中学校から不登校気味で、今年高校生になってからも学校にはろくに出席せず、過去にはしばしば家出人捜索願いが出されるような生活をしていた。6日も夕食を母親と済ませ、母親が寝静まるのを待って深夜になってこっそりと抜け出しているのだ。事件が発生してから10日以上が経過して、当夜のことも朧げながら分かってきた。彼女が呼び出したのか、男に呼び出されたのか、見知らぬ男と夜の町で知り合ったのかは不明だが、防犯カメラで本人と断定された彼女は、並んで歩くほどに男とは近づきになっていた様子がどうやら見えて来た。

事件現場では争っていたことが確認されているが、現場から回収された持ち物のカバンやサンダルは、果して、夜中に出歩く15歳の少女の持ちものに相応しいものだろうか。ピンサロのお姉ちゃんの持ち物と見紛うようなカバンにサンダルだ。この格好で深夜の町を出歩いていては男欲しさに見えてもおかしくはない。男が拾ってくれるのを待つ身のようだ。自ら狼の中に泳ぎ出たもおなじようなものだ。そして起こった事件は自業自得としか言いようがない結果になった。起こるべくして起こった事件だ。決して同情する気はない。

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