子ども部屋
麻生太郎風にいえば、日本に原子爆弾が落ちて戦争に負けたお陰で、アメリカから曲がりなりにも民主主義という名の生活様式があることを教えられ、学んだ。
アメリカ映画で見る家屋や家庭での暮らしぶりは、軍国少年で育ってきた身にはすべてがカルチャーショックだった。その頃までの日本の家屋といえば、空襲による火災の延焼を防ぐために取り壊した家は、家ごと綱を巻き、隣組み*の力を併せて‘よいしょ’と曳けば、簡単に曳き倒すことの可能な木と紙(障子・襖など)と泥(壁や塀)で拵えたものだった。
* 当時の地域共同体の最少単位の向う三軒両隣りが、幾つか集まって作る組織を言った。
参照 1940(昭和15)年 05/12/7
通常の暮らしの日本人の家屋には、今のようなリビングに当る部屋など設けられていなかった。家の中で比較的大きな部屋を利用して家族が揃って茶卓を囲み、食事をする場所が家庭の団欒の場になっていた。現在テレビや映画で見るように、部屋ごとの仕切りはその殆どは薄い紙の障子か襖(ふふま)だった。当時、日本の家族は兵役で留守の父親や兄ら男性はいず、老いた祖父母や、母親を中心にどこの家庭も子どもは3人から5人程度はいたが、みんな工夫してそれぞれ寝場所を確保していた。
それに比べ、アメリカ映画の中での彼らの家は、広く青々とした芝生の庭があり、子どもたちにはそれぞれ部屋が与えられ、夜になると両親にはお休みの挨拶にキスを交わして自分達の部屋に入って行くのを見た。子どもたちはそれぞれに自分達の部屋を与えられているんだ、との思いは驚きと同時に生活水準の違いをまざまざと知ることになった。だが、彼らの家族生活の中心がリビングにあることは、それまでの日本の家庭の茶卓の周りにあるものとそれほど違いのあるものではないことを徐々に知ることになるが、子供部屋がある生活は、その後の日本家屋の設計の柱ともなることになる。
その頃個人主義という言葉が魅力的に聞こえだしていた。「本来は国家や社会の権威に対して個人の権利と自由を尊重することを主張する立場だ。或いは共同体や国家、民族、家の重要性の根拠を個人の尊厳に求め、その権利と義務の発生原理を説く思想」(Wikipediaから)だが、現在の日本では勝手気侭に権利だけを主張し、義務を置き忘れた利己主義の世相に繋がる歪んだものになった。家々に設計されて置かれた子供部屋は、閉じられた場所になり、プライベートは過剰に切り離されたプライバシーを主張する空間となって家族間の断絶さえ生じさせるものに変質して行った。
我が家の長男にも専用の部屋を与えたが、鍵は設置しなかった。親の保護監督下にある間は何時でも親が自由に出入りできるようにした。仕事人間だった私が部屋への出入りは1度もなかったが、妻は「出入りご免」だったようだ。さて、前置きが長くなった。
【閑話休題】
毎日新聞(5/11)が子ども部屋について、どのように考えたらいいのかを取り上げている。(《》内は私見)
8、9割の家庭にある子ども部屋。しかし、どんな部屋を与えたらいいのか、そもそも必要なのか、と悩む親は多い。さて、どう考えたらいいのだろう。
埼玉県の涌井康江さん(37)の10歳になる長女の3階の部屋には扉をつけていない。さらに、子ども部屋とリビングを仕切る壁には長方形(0・6Χ1・7メートル)の窓もある。位置が高いので中は見えないようにしているが、足音や机を片付ける物音は聞こえる。何をしているか大まかに見当がつく仕組みだ。
「自分で責任を持てるよう、専用の部屋は与えたい」「中で何をしているか全く分からないのは困る」。相反する二つの気持ちから生まれたものだ。設計した建築士の岡部千里は「子どもを監視はしないが、気配は感じられるようにした」と説明する。
文部科学省の02年調査では、子ども部屋のある家庭はきょうだいの共有も含め、小4で8割、中2では9割超。だが、子どもが個室に引きこもることなどを心配する親は多い。
既婚女性392人を対象にした、住宅メーカーのフィアスホームカンパニーのアンケート(07年)で、子どもを部屋にこもらせないために「工夫している」「今後工夫したい」と答えた女性は合わせて80%に上った。
かつて、子ども部屋の評価は高かった。幼稚園や保育園の設計も手掛け、子ども部屋事情に詳しい手塚山大学の北浦かほる教授によると、日本で子ども用の個室が一般的になったのは戦後。《前置きですでに触れた。》「良い子になる」などと好意的に受け止められ、狭くても部屋を確保する家庭が多かったという。《すべてアメリカの上辺の物真似であったこと、効果や理由は後からついてきたものだ。》
意識の変化は70年代後半。家庭内暴力や非行が目立つようになり、子ども部屋を原因の一つと看做し、「子ども部屋は非行の巣」などの指摘も聞かれた。この頃から、リビングに子ども部屋に通じる階段をつけるなど、コミュニケーションを取る機会を意識する家づくりが提案され始めた。子ども用の個室を作らず、寝室スペースだけにするプランなども登場している。
《最初から分かっていたことを、日本人が上面だけの真似をして導入しただけだ。アメリカの家族の生活の中心がリビングにあることの生活面をリサーチしないままに、子ども部屋を作ることが日本の建築の流行になってしまったのだ。時は恰(あたか)も豊かな日本は好景気に沸いていた頃だ。中流への向上意識も手伝って子ども部屋はステータスでもあったのだ。》
同じ調査では、子ども部屋の使い方について「テレビを置かない」「机を置かず勉強はリビングでさせる」「個室を快適な空間にしないよう狭くする」などの意見も聞かれた。
《テレビを置かなくて、子どもたちには痛くも痒くもない。籠ったまま遠慮なく使える携帯があるじゃないか。小中学生に携帯を持たせている間は、部屋をどうこうしようとして解決する問題ではない。》
北浦教授らの06年の調査(小学生と高校生の親子計800組対象)で、小学生の場合、親と一緒に物事をすることで親子の理解が深まることが分かった。高校生は、場や行為の共有よりも、会話が重要との結果だったという。北浦教授は「大切なのは、親子の信頼関係。それを築くための一つの道具として、部屋を利用するといい」と話している。
《私も妻も、子どもの頃は、独立した子ども部屋など想像すら不可能なことだった。というよりは、子ども部屋などあってもなくてもよかった。小さな借家の家の中には常に10人を超す家族が生活していた。弟や妹がいた。上のものの務めで下の子の面倒は見るのが当たり前だった。読み書きはミカン箱や石炭箱(いずれも木で作られており)の底を上に裏返せば茶碗の2つ3つが置ける茶卓にも本とノートがやっと広げられる大きさの机にもなった。昔の日本の偉人たちの多くは、そのような赤貧の生活から生まれているのだ。そして、なにより大事なことは、家族は皆、一つになって良いこと悪いことを語り合った。小さな集団の家族から、社会へ出るための準備をしていたのだ。家族とは、親子とはそういうものであるはずだ。》
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