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2008年3月28日 (金)

ただ「道理」が通っただけのこと-「沖縄ノート」訴訟

昭和一桁に生まれ、その時代を生きたものとして、沖縄戦における日本軍の関与についてはどうしても書かねばならないこととして、何度もブログに載せてきた。男と生まれたからには死して国のため、天皇陛下のために忠節を尽くすこと(尽忠報国)を本分とする旨、年端も行かない子どものころから叩き込まれた。そして、「男とは死ぬことと見つけたり」を覚悟して皆は軍国少年として成長した。

しかし、華々しく緒戦を飾った第二次世界大戦も、開戦僅か3年と8カ月で原子爆弾2発が落ち、全土を焼け野原にして日本は戦争に敗れ、外国軍隊の占領下に置かれることになった。敗戦の真際、戦場となって住人を巻き込んだ陸上戦が行なわれたのが沖縄の地だった。追いつめられた日本軍は、最後には島民たちが、米軍の捕虜となって軍事機密が漏洩するのを恐れ*、軍は島民各人に手榴弾を配布したのだ。

 * 昭和16年、陸軍大臣東条英機の戦陣訓。17年から『軍隊手牒』に印刷し、軍人の必携となる。「生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ」は日本兵に対する死の強制の役割を果たすものであった。それは捕虜は軍人最大の屈辱であるとするものであったが、日本軍は沖縄の人たちに、軍人と同じことを求めたことになるのだ。

【閑話休題】
毎日新聞(3/28)から要約
ノーベル賞作家・大江健三郎(73)の著作「沖縄ノート」などで、第二次世界大戦の沖縄戦で集団自決を命令したとの虚偽の記述をされる名誉を傷つけられたとして、旧日本軍の戦隊長らが大江と出版元の岩波書店に対し、出版差し止めと慰謝料2000万円の支払いを求めた訴訟の判決で、大阪地裁(深見敏正裁判長)は28日、請求を棄却した。深見裁判長は、隊長の自決命令の有無について「認定には躊躇せざるを得ない」と明確な判断は避けたが、当時の状況などから「集団自決には旧日本軍が深く係わった」とした。

つづいて、名誉毀損にあたるかどうかに関しては「隊長の関与は十分に推認される。(記述には)真実と信じるに足る相当な理由があり、名誉毀損は成立しない」と判断した。

原告は、沖縄・座間味島にいた海上挺身隊第1戦隊長の梅沢裕(91)と渡嘉敷島の同第3戦隊長だった故赤松嘉次の弟秀一(75)。沖縄県平和記念資料館によると、座間味島では171人、渡嘉敷島では329人が集団自決したとされる。

隊長らは05年8月、いずれも岩波書店が出版した「沖縄ノート」と故・家永三郎の「太平洋戦争」での記述を巡って提訴した。「隊長命令の有無」と「名誉毀損の成否」が争点となった。

深見裁判長は軍の関与について、手榴弾が自決用として交付されたこと、日本軍が駐屯しない島では集団自決が発生しなかったことなどを根拠に「(軍が)深く係わった」と認定した。両島では、軍が「隊長を頂点とする上意下達の組織」であり、隊長の関与も「十分に推認できる」とした。直接的な命令の有無については「命令の伝達経路が判然としない」とし、判断を避けた。

先に上げた「軍隊手牒」の中には「軍人勅諭」も印刷されており、その中には日本の軍隊の成り立ちから、天皇統帥権にも触れていた。“朕は汝等軍人の大元帥なるぞ”として5カ条の規律が示された。その中の1、2を挙げると、
 1つ軍人は忠節を尽くすを本分とすべし。として(抜粋)『只ただ一途に己が本分の忠節を守り、義は山岳よりも重く、死は鴻毛(こうもう)よりも軽しと覚悟せよ』
 1つ軍人は礼儀を正しくすべし。として上は元帥から下は1兵卒まで、階級があり、同列といえども新旧がある。新任の者は旧任の者に服従すべきことを説き、(抜粋)『下級の者は上官の命を承ること、実は直ちに朕が命を承る義なりと心得よ』普通には(上官の命は直ちに朕が命と心得よ)といわれる文言がある。

このことから、深見裁判長が直接的な命令の有無についてその「伝達経路が判然としない」としたのは理解できる。命令があったと認めることは、軍人勅諭で言う『上官の命則ち天皇の命』があったということになり、それはそのまま天皇の戦争責任問題としてタブーのようなものに触れることに繋がるからだ。深見裁判長の言う「上意下達の組織の中で、関与していたことが明白である、とすることで十分だろう。本当は逃げてはならないことだが、究極、天皇の責任問題に触れるようなことになれば、長崎市長や、昨今はやりのキチガイによる刃傷沙汰を招きかねない。

このことが理解できていない秦邦彦・元日本大教授(日本近現代史)は「集団自決に関与していたことは隊長たち自身も認めており、争点は、どう関与していたかだった。集団自決の命令があったという証言の一方で、隊長等が『自決するな』と言うのを聞いたという証言もあった。しかし、判決は、そのどちらが正しいかを判断していない。法的判断を放棄した、はっきりしない、逃げの判決だ」と話す。

いずれにしても、歴史認識を巡る論争にも発展した訴訟だった。大江は「裁判の背景には政治的な大きな動きがあった。その一つが03年の有事法制の立法化だった。」と指摘する。「戦争をできるようにする制度を、倫理的に拒むため、これからも沖縄ノートで書いたことを主張し続けたい」と語った。

一方原告側代理人の徳永信一弁護士は「不当な裁判だ。直ちに控訴する。軍の関与が推認できるということをもって、隊長命令があったという表現の正当性を認めたのは論理の飛躍」と唇を震わせた。

奇しくも大阪地裁で判決が言い渡された28日は、沖縄県渡嘉敷島で集団自決があってから64年目の当日であった。

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コメント

毎回拝読しております。知識と見識と識別と批判の深さ。いやなによりもこれだけの内容の文面を毎日のように寄稿する継続の力に敬服しております。
私も昭和一桁、綴られた文面を熟読。頷きつつ共感しておりました。
「軍隊手牒」の文字。初めて知りました。さすがです。

投稿: hanasaka23 | 2008年3月29日 (土) 19時32分

コメントありがとうございました。お久しぶりです。

「沖縄ノート」の発表が1970年、家永の「太平洋戦争」はそれより早く1968年です。

何故、著作が発表されて40〜38年も過ぎた2005年になって、梅沢や赤松(弟)が提訴したのでしょう。命令していなかったのなら、発表された当時、いち早く反論し、提訴するのが普通のことでしょう。

それには小泉や安倍の総理就任、靖国参拝、A級戦犯の合祀、分祀問題がが大きく拘わっていたのだと思います。梅沢たちは、敗戦後60年も経ったことで、確たる生き証人もいないこと、証拠もないことを見通して、言い訳のできる世の中が来た、とでも勘違いしたのでしょう。

投稿: 小言こうべい | 2008年4月 1日 (火) 21時40分

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