「ロートレック展」で
久し振りに都心まで出かけ、ロートレック展(防衛庁跡、東京ミッドタウン内:サントリー美術館)を観てきた。若い頃から大好きで、何枚も模写をして筆の運びを学んでいたロートレックの絵をたっぷりと堪能してきた、と書きたいところだが、とても絵を鑑賞する気にはなれなかった。電車(約1時間強)に乗る度に、恒例のように書くことになるマナーの悪さを見た気分を引きずったままで展覧会場に入ったが、その会場での入場者のマナーの悪さは、展覧会場に入ってから出るまでの間、電車の中以上に尋常でない。(昨年のミュシャ展は差ほどでもなかったのに。)
20年前まで毎日通っていた青山から六本木、さま変わりした様子にただただお上りさん気分で地下鉄六本木駅から美術館まで歩いた。六本木交差点角にあった友人の兄が経営していたはずの書店は姿を消し、別の佇まいになっていたり、ギリシャ語を学んでいた頃友人たちと飛び込んだギリシャ料理の店‘バッカス’は3年前に店じまいしていた。直ぐ近い西麻布の通いなれた富士写真フィルムの本社ビルには、イメージング事業とメディカルシステム事業を残して、ロートレック展を見に向かった美術館のあるミッドタウンのガレリアビルに隣接して、二つ目の東京本社ビル(富士写真フィルム、ゼロックス)を創っていた。
気がついたことだが、この防衛庁跡に出来上がった幾つかのビル群、どうも安っぽくていけない。気を衒ったような外観で、特に富士写真フィルムのビルは貧相なものだ。西麻布の本社ビルがどっしりとした建築物であるのに比べ、弱々しい外観は扁平で、見窄らしい。他のビルも同じだ、デザイン画では良かったのだろうが、針金細工の寄せ集めのような物体が不揃いに並んでいる。最近のビルはコンクリートを使用しないのが流行なのだろうか。外観は金属とガラスで出来上がっていて見るからに弱々しいものになっている。
さて、肝心の展覧会に話を移さなければ。土曜日でもあることで、ある程度は覚悟して臨んだが、予想以上に人が集まっていた。美術館の会場が大きい方ではなかったから、混雑に輪をかけた格好だ。1フロアが狭いため、階段を使って会場を移動することになる。会場から階段まですべて床は木が敷き詰められている。展覧会に慣れた人ならすぐにピンと来るだろうか。そう、床を蹴って歩く靴音の響くこと。階段を降りてくる音は凄まじいとしか言い様がない。例外はない、耳に入り目にした限りでは、100パーセント女性が足を運ぶ度に響かせる音だ。連れ立って来た知り合いがいると、靴音にお喋り、笑い声が加わる。会場に足を踏み入れた途端に、床に木が敷かれていれば、己の靴を考えれば歩き方にはおのずと神経が行くのが普通の人間だろう。街なかの雑踏を歩くのではない。場所を考えない歩き方は、どこででも見る現在の女性たちに一番欠けている他人への配慮だ。
会場は、多くの展覧会がそうであるように、ロープや柵を張り巡らして対象に近付けないようにはしていなかっただけに、流れが悪く、人ごみができ、その間をかき分けて移動する人、思いきり人の目の前に頭を突き出す人。また、絵に近づいた不作法な人間が、絵を手で触って監視員から注意を受ける姿も散見できた(これは必ずしも入場者だけの問題ではなく、会場設営側の問題点でもある)。2メートル程もある絵をくっついていては何も分からないが、隣には一辺が30センチ程の小さい絵が並んでいる。絵は理想的にはキャンバスの対角線の長さ離れた位置で見るのが理想だが、今日の人ごみでは全く無理だ。総じて、余りにも展覧会を見にくるには値しない失格者が多いことに驚いた。ぱんぱんに膨らませたカバンを肩からぶら下げていたり、同じように膨らんだリュックを背中にしょっていたり、自分の身体以外に付属物でふくらむ範囲の想定ができず、周りに迷惑をかけることに全く無頓着は、電車の中でも幾らでも目にする風景だが、まさか展覧会場でその姿を目にするとは思いもよらなかった。
イライラしながら見終わり、記念に何か買いたい、という妻に誘われて、並んでい順番が来た時だった。若い女性が割り込んで先にレジに商品を突き出した。「並んでるんだ!」声を荒げて嗜めた。続いて私の目の前を、私が半歩下がらなければ痴漢と間違われそうな窮屈な隙間をすり抜けるように縫って中年の女性が横切った。「おい、女!」声を出したが無視して去った。「何、あの女」は様子を見ていた妻の声だ。最後の最後まで気分の悪いロートレック展だった。
家路につき、乗り物を降りて外へ出た瞬間、春一番に見舞われた。砂埃が顔に当って痛い。散々な一日で終わった。
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