(旧暦正月7日)今年は2月13日夜〜14日明け方まで開かれる、岩手県奥州市の黒石寺蘇民祭のために作成されたポスターを、JR東日本が「胸毛がセクハラ」として掲示を拒否し、東北の奇祭が一躍有名になった。
祭は説話に基づくもので、その謂われについては次のようなものと伝えられている。昔、旅人が一夜の宿を求めたところ、裕福な弟は断わったが、貧乏な兄の蘇民将来は喜んで引き受けた。旅人は恩義を感じて蘇民将来と子孫に疫病よけをもたらした。中国からの伝承とされ、各地に伝わるという。土地ごとに旅人は異なり、黒石寺では薬師如来だ。
下帯姿の男たちが奪い合う蘇民袋には「蘇民将来子孫門戸也☆」と書かれた小間木と呼ばれる数百の木片が入っている。小間木と袋は、蘇民将来の子孫を証明する護符なのだ。下帯姿*の男たちが奪い合うのがこの袋だ。
*《下帯なんてけったいな名前を付けたものだ。あれは帯じゃない。なぜ、‘ふんどし’姿と言わないのだろう、‘六尺’でもよい。晒し木綿の六尺(約1・8メートル)を、きりりと巻いた姿は勇壮そのものなのに。昔、小学高学年になり、虚弱児ながらふんどしを巻いていっぱしの大人気分に浸って皆と泳いだのを思い出す。》
薬師如来の加護を受けるには、身に穢(けが)れがあってはならない。男たちは一週間前から肉や魚、卵、乳製品、にら、にんにくなどを断つ。肉や魚を料理した火で湧かしたお茶すら飲めず、コンビニ弁当も食べられない。
当日、午後10時に裸参りをした男たちは、雪解け水が流れる境内の瑠璃壷川で身を浄める。続いて2メートル以上に積み上げた井桁に火を付け、男たちは火の粉を浴び、気勢を上げる。争奪戦は翌朝午前5時ごろから始まり、蘇民袋を最後まで離さなかった男が取主(とりぬし)と呼ばれる勝者となり、同7時ごろ決着がつく。ポスターのモデルになったのが04年、取主になった同県花巻市の会社員、佐藤真治さん(37)だ。「怖い? 気持ち悪い? ええそうでしょうよ」「肉も魚も食べず水責め火責めにあい、身も心も限界に近い状態がポスターの写真。普段の穏やかな姿と違いますから」と鷹揚に受け止めているという。
セクハラ騒動で市役所の電話は鳴り続け、普段は1日50件程度の寺のホームページのアクセスが報道された当日にはⅠ万件に達した。「PRになった」と市役所はホクホク顔だが、同寺の女性住職、藤波洋香さん(55)は、騒動に腹立ちを隠せないでいる。「胸毛の何が悪いんですか。何も知らない都会の娘に『けがらわしい』だの『気持ち悪い』だの言われる筋合いはありません」と。
《騒ぎのあった日、テレビが早速そのポスターを大写しして見せてくれた。一瞬、汚らしく鬱陶しかったのは事実だ。ポスターのおよそ半分の面積に裸で顎髭ぼうぼうの男の大写しだ。私には問題になった胸毛には全く違和感はなかった。ひ弱になった都会の娘っ子やなよなよした男どもには嫌われるようだが、醜く見えるものではないし、逆に現在、こじき頭のようなボサボサの頭髪とともに、これがもてはやされる顎髭の、強調されたカメラアングルの方に鬱陶しさと汚らしさを感じる。私はイチローの髭面にも薄汚れた印象しか抱いたことがない。また、胸毛はあるが、最近話題のメタボに近い体格の佐藤さん、この人がもっと筋肉質の肉体なら、また違った印象を受けたかも知れない。
背景に写っているふんどし姿の男性たちが、背を丸め、寒そうにしていることが気になる。男同士が裸でぶつかりあう勇壮な祭からは想像できない寒々としたスナップだ。全体的に、ポスターとしての画面構成に奇祭と謳い、護符を奪い合う勇壮な祭のイメージが不足している。
それはさておき、この胸毛がセクハラなら、1年6場所の大相撲、胸毛のあるお相撲さんは何人もいる。この取り組みは全国ネットでは放送されてはならないことになるが、どうだろう。この1番はセクハラになりますから放送禁止です、ご家庭のテレビでは見せられません、となるのだろうか。或いはプロレスだってそうだ。また、胸毛と言えばプロ野球の長嶋茂雄の現役時代は有名だ。「男らしい!」と若い女性ファンも騒いだものだ。
そして、これはどうだ。女子高生たちの尻まで見えそうな短いスカート、へその見える腹、そう、へそと言えばゴルファーで見せたがる女がいるが、尻の半分見えそうな若い女たちのスラックス(今はパンツというのだろうか)。もっと酷いガングロなる化け物などはセクハラではないのか。ポスターの胸毛がセクハラなら、こちらの方が余ほどセクハラだと思うのだが。
写真の撮影とポスターの構成、どのような人が携わったのか発表がないので解らないが、総体的には美的センスが不足していると見る。ただ、今の世の中、何ごとによらず女性からのものの見方だけが真っ当で、女性から何か言われるとオドオドする風潮があるが、世の中、女性だけで廻っているのではない。男性ももっと肝っ玉を据えて対応することを期待したい。
【追記】2/9
奇祭の奇祭たる行事があるようだ。
蘇民袋を奪い合う男衆の中に飛び込んで、その袋を小刀で切り裂く役の男のいでたちガ、全裸で現れるのだそうだ。袋の奪い合いは寺本堂で始まる。袋を切り裂く世話人は寺本堂の格子によじ登り、近くに袋が来た瞬間、口に小刀を咥えて男衆の上に飛び降りる。そして四方を睨み袋を切り裂くと、中から護符の小間木がこぼれ落ち、争奪戦は絶頂を迎える。この役の世話人は素っ裸だ。
昨年まで伝統通り全裸だったが、岩手県警水沢署が今年初めて「公然猥褻に該当し、警察として措置する」と事前警告した。1月に、同署からは全裸への警告が数回行なわれていた。しかし、祭を運営する世話人の中には「仮に逮捕されても伝統は守る」と逆に意気込む人もいる。
荒川文則副署長は「『神事だから黙認と思われていたかもしれないが法律に抵触する行為があればしかるべく措置するスタンスは不変。昨年までも警告制止してきた」と説明している。ただ、「措置の中身はケース・バイ・ケース」と話し、逮捕するかどうかは明らかにしていない。
《誰に対して気兼ねして取り締るのか。ポスターの胸毛に文句をつけた女たちにか。明るい日中の人通りの多い街なかや、競技場の衆人観衆の中を人目憚らず全裸で走り回ったバカな男や女と同列に論じるべきではない。まして争奪戦が行なわれるのは未だ明けやらぬ午前5時〜7時ごろには終わるということだ。当日は学校のある少年少女の目に触れる状況ではない。少なくとも観衆は大人の男と女と判断してい良い。まして、それらの沢山の目がすべて全裸の男を追いかけて興味本位で見ていると想像する警察の方が卑猥だ。
本文で書いた女子高生の短いスカートや、へそ、尻の見え隠れやガングロなどの方が余ほど猥褻に近い。
また、海外でも年に1度行なわれる同じような例もある(間違いでなければアメリカのどこかの大学に伝わる行事)。暗くなった街の通りへ全裸の男女が集団で駈けて廻る記念行事と聞く。テレビでも面白く下半身をぼかして報道するのは毎年のように見る。日本の場合は年に1度の神にまつわる伝統の行事だ。一人が猥褻なら全員が全裸ならいいのか。それなら警察はどのように取り締るつもりか。昔から神事では男性器は豊饒のシンボルとされている。全員が全裸でもいいくらいだ。だが、決して取締りの対象ではない。目のやり場に困る卑猥で猥褻なものは、いくらでも町中を歩いている。
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