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2008年1月26日 (土)

ドラマ「だいすき!!」

「知的障害」(TBS)を売りにしているような宣伝が気になって ドラマの2回目を見てみた。寄ってたかって主人公の女性を障害者に祭り上げる。同情せよ、同情せよ、と、つまらないだけだ。それに主題歌を歌っている女性歌手が最低だ。歌の根本になる呼吸法を全く学んでいないから、自分勝手で、吸う息は断末魔の喉のように鳴り、日本語の流れを無視した場所で、はー、はー、と音高く息を吸う。聞くこちらが息苦しくなる。

2週目、すでに知的障害を持つ、と設定された女に子づくりだけ終えた男は死んだ後で、残された女は女児の育児を始めていた。(何となくできちゃっただけなのか、初回を見ていないので分らないし、私生児なのか、嫡出子なのかも分らない)。何故知的障害者を妊娠させることになったのか、その女性が出産するまでの生活感が全く理解できないままに、ドラマはどんどん主人公を同情させる設定へと進む。

知的障害のある人との触れ合いがない私には、主人公をどのように見ていのか分らないが、このドラマの女性には障害があるとはとても思えない。あらゆる状況下での会話の反応も、行動も、街なかのそこら中にいる若者たちとの差は感じられず、周りを取り巻く正常人と設定された人間たちが、無理矢理に主人公の女性を障害者として、ドラマを見る人間から同情が寄せられるように作り上げるのに躍起になっているようだ。このような環境下に置かれれば、まともな人間でも徐々に知的障害者に作り変えられそうな恐怖さえ覚えた。

女児を保育園にあずけるため面接にでかけるシーンがあるが、母親の知的障害であることを理由に断わられる。ドラマとしてはこちらの方にこそ問題を持たせるべきではないだろうか。ドラマはすぐにそれに変る‘良い人’の園長が出現して見事保育園に入園が叶う。放送回数未定のようだが、この先は良い人だらけの可哀相、可哀相で進められるのだろうか。人情話で纏まるようでは吸引力は薄らぎ、すぐにも飽きられると思うのだが。

また、もっと大事にして欲しいのは、このドラマに限らないけれど、NHKの朝のドラマを取り上げた時にも書いた。タイトルバックにしろ、挿入歌にしろ、歌い手を登用するのなら、歌い手をもっと厳選してほしい。日本語の発音とは聞こえないものになったり、言葉をずたずたに切り刻んだり、今回の歌い手のように歌唱力がなく、まるで息づかいのできない苦しそうな歌い手(現在のほとんどの歌手のつもりの歌い手はそうだが)を使用するのは止めてほしいものだ。私のように、誰が演じていようが、誰が歌っていようが無関心なこと。内容を理解しようとし、挿入されるのならそれに相応しい歌を聞かせてもらえればそれで良いと思う人間も多くいるのだから。

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