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2008年1月25日 (金)

藤倉修一・江藤俊哉死去

厚生労働省の「平成18年簡易生命表」によると、日本人男性の寿命は79・00歳。人間わずか50年、と言われた時代からは想像もできない長寿になった。

23日の報道で、2人の死を知った。1人は藤倉修一、もう1人は江藤俊哉。藤倉は93歳、江藤は80歳。どちらも天寿を全うした先輩たちだ。

藤倉修一を知ったのは、私にとっては、今ではもう見る値打ちもなくなった1951年の大晦日の「紅白歌合戦」の初代と2回目の司会者として、続く53年のイギリス女王エリザベスの戴冠式の中継だった。他にも今もなお語り継がれるクイズ番組の草分け「二十の扉」では柔らかい語り口で回答者との問答や、ユーモアたっぷりで進行するアナウンサーだった。

1953年、私が関西から東京に来て最初に住むことになったのが池上線(五反田〜蒲田)沿線、大田区洗足池。駅から歩いて約10分の山の手に建つ精々10世帯の木造アパートであった。その途中、雪谷方向に下の道を5、6分歩くと右手に藤倉修一の家があった。途中、緩やかな坂の上の道を行くと曲り角には高橋豊子(女優)の家があり、アパートに程近いところに、ピアノの音がしょっちゅう聞こえた淡谷のり子が庭付きのこじんまりとした平家建てに住んでいた。駅の名前の由来でもあった洗足池端には、戦後の俳優で主だった女優との共演を多くしたシャルル・ボワイエ似の男優、若原雅夫の自宅があった。振返ってちょっと調べてみたが彼の出演した作品は全部で92本あった。大田区とはそのような今で言うタレントの集まっている地域であった。

このような住宅地に、貧乏生活覚悟で出て来た人間でも住める安アパートも混在していた。時々ブログで取り上げるクジラのベーコンを摘まみ、一個5円のコロッケを喰らい、おかずのない時は、食いつなぐ米に醤油をかけるだけの粗末な食事で飢えを凌いだ。散髪にも碌に行けず、髪を持ち上げて自分で鋏を使ってバサバサ切っていた。現在と違ってアパートに風呂の設備などなく、これ幸いのように稀にしか行く金も持ち合わせなかった。浅草渋谷間の地下鉄以外に路線の拡張が進められる時代で、学生のアルバイトで高額の一番手の一つだった。と、こんな話を思い出した。この地には25歳まで住んでいた。

もう1人、江藤俊哉。名前を耳にしたのはまだ関西の片田舎にいた子どものころになる。大人顔負けのとってもヴァイオリンのうまい天才少年がいて、コンクール(現日本音楽コンクール)で一番(弦楽部門)になった、というニュースだった。その時の彼が12歳というから私は9歳の時の話だ。同じ頃になるが、私もヴァイオリンを手にしていた。なぜか教師から両親に話があったことは覚えているのだが、苦しい家計から出費してもらっていた。教師の見込み違いか、才能がなかったのが本当だが途中で放り出す羽目になった。それならば、と心変わりして絵描きを目指して上京し芸大油を狙った。井の中の蛙(かわず)だった。自分はマルチだと思っていた。ところがこれも挫折した。

江藤は順調に東京音楽学校(現東京芸術大学)に進む。在学中、いまはサイトウキネンオーケストラと名前が冠されている斎藤秀雄(チェロ)らと弦楽四重奏団を結成(1944年)。卒業後渡米、カーティス音楽学院に留学、ジンバリストに学ぶ。1951年カーネギーホール(当時はクラシックの殿堂と評されていた)でデビュー。1961年日本に帰国するまでアメリカ各地で演奏活動を行なう。

帰国後は日本各地で演奏活動をしながら、安永徹、千住真理子、諏訪内晶子ら後進を指導。桐朋学園大学学長なども務めた。安永(毎日音楽コンクールで一位)は海外での活動が多いため、日本国内では名前を知る人は少ないが、1983年以来24年間、世界屈指のオーケストラ、ベルリンフィルのコンサートマスター(第1ヴァイオリン)の位置に座り続けている逸材だ。第1ヴァイオリンといえばオーケストラ指揮者に1番近いところでオーケストラ全体の要となる地位だ。また、弦楽部門の第1、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスに限らず、オーケストラ全体のリーダーでもある。楽団員の投票で選ばれ、楽団員は、指揮者以上にコンサートマスターの表情や動きを見逃しては纏まりあるハーモニーは生み出せない。それほどオケの中心の立場にある人だ、あのベルリンフィルで。彼を教えたのが江藤。江藤の教え方は、1967〜78年に亙ってNHKの「ヴァイオリンのおけいこ」に出演して子どもたちを教えた時の柔和で優しい姿が忘れられない。

71年にはモービル音楽賞を受賞。ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールなど、国内外のコンクール審査員にもなった。

    生者必滅会者定離。お2人に合掌。

米民間人口研究所マウンテンビュー・リサーチ社によると、日本人の平均寿命は2050年には90歳を超えるという。先進7ヵ国の過去50年間の死亡率の推移からはじき出した数字だと。それまでは生きない私は、最新データでの平均寿命でいくと、残るいのちはあと3年ということになる。1日も無駄にはできない。

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