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2008年1月14日 (月)

続々 躾け(家庭内教育)

05年5月にブログを立ち上げて間もない6月に「正」を、07年10月に「続」を書いた。それ以前にもそれ以後にも世の親たちの無責任な子育て振りを繰り返し飽きるほど書いてきた。年端も行かない娘が1晩2晩帰宅しないでネオン街をふらついていても、電話連絡がある(大概は嘘も方便の連絡)だけで放任状態。事件が発生してから騒いでも後の祭りの事件はしばしば発生している。

♦昨年暮にタレント同士が結婚することを明らかにした。31歳になるオダギリジョーと20歳の香椎由宇が27日、揃って東京都内で会見し、年明けには婚姻届を出す予定、と話した。

私は常々タレントに限らず、誰が誰とくっつこうと、離れようととんと興味はない方だ。そんなことに一喜一憂するほど閑人じゃない。ただ、上の2人の会見をテレビで見ていた東京都にお住まいの、45歳の女性の投書が目に入り、同感の意を持って取り上げたい衝動に駆られた。

投書には「近ごろ、若い女性の間でも門限という言葉をあまり聞かなくなった。(中略)娘さんを持つ親御さんも門限についてあまり干渉しなくなった。大人になって、自分の行動に対して自己責任を果たせば親はとやかく言わないという傾向になりつつあるようだ。今や若い女性にとって門限は死語になりつつある」と。

《ご婦人の言う『行動に対して自己責任をはたせば』は幻想だ。第一、親が自己責任の何たるかを教えていないからだ。“自由”にするとは“責任”を取るの同義語であることを自覚させていなければ、自己責任など取れる訳がない。夜の街をぶらついて、何があっても(最悪、誘拐や強姦、殺人)自分で責任を取る覚悟を持っているかどうか。取れる訳はない。責任転嫁のうえ社会が悪い、となるのは目に見えている。》

続いて「香椎由宇さんは記者会見で、オダギリさんとの交際を父親に話した際、父親が門限の午後10時を守らなければ交際は認めないという条件を出し、その後も結婚を報告するまで約束を守り続けたと語っていた」と。

《香椎に母親が居るか居ないかは知らないが、交際を始める前は未成年であったはずだ。話しにくい父親に打ち明けられる親子関係は見事だ。また、それを守った大人のオダギリにも近ごろ感心する。子どもを腹に仕込んで結婚式を挙げることが流行のような若い男女の交際の蔓延する中、よく躾がなされた家庭の温かさが見て取れる。》

投書の女性も、「凶悪な事件が増える中、深夜まで外を出歩く若い女性を見るにつけ、年ごろの娘を持つ親として門限を守るルールを親子で話し合う必要性を感じた。子どもを犯罪に巻き込まれたり、非行に走らせない意味でも、家族で門限についてお互い自覚することの大切さを2人の会見で思った。」と書いておられる。

《前に書いたが、我が家は男の子だったが、幼い幼稚園児の頃から高校を卒業するまで、門限は厳しく定めて来た。友人宅で寝泊まりすることなど以ての他であった。中学生の時、公文の教室を望んだので通わせたが、その日以外事前の了解がない限りは門限は我慢強く守り抜いた。昔気質の父親でかた苦しかったようだが、今では厳しく育てられたことに不満は抱いていない。》

♦もう一つ投書から。(北九州市の43歳の女性)
「我が娘、ただ今10歳。小遣いはあげていない。「お小遣いほしいな。もらっている友達もいるよ」と言い出した。『じゃあ、廃品回収の時、廃品を(回収場所へ)持って行ったら100円上げる』と言ったら、『うん、いいよ』と快諾。町内の外掃除の日、新聞、雑誌,段ボールなどを団地の3階から3往復する作業を毎月1回やっている。娘に100円の重みを知ってほしいとの願いがあった。(中略)汗水垂らして得たお金は、たやすく使えるものではないし、そのお金で買えた喜びは一生忘れることはない。お金や物を大切にすることが、人への思いやりへとつなあがって行くと思う。祖父母からの『お年玉』に喜んでいる娘。この大切の意味を学んでいってくれているだろう、と信じている。」とある。

《何度も書く。お金の使い方ばかりが大事なことのように語る、お偉い先生方、この母親の爪の垢でも煎じて飲め、と言いたくなる。労働の対価を教えれば、この母親の言うように、何が大切かを自然に学んで行く。お金の使い方はその一手段に過ぎない。今はパソコンに座っていれば、苦労しないで金儲けが出来る世の中になったが、そのような泡銭(あぶくぜに)を掴んでどれだけの悪行が横行していることか。

ブログ内には幾つも子どもに小遣いをやることはない、と書いて来た。同じように私の子には労働の対価が自分の身体で理解できない幼児の頃から高校生でいた間、私からは1円の小遣いもやっていない(見かねた母親からこっそりもらっていたことが後に分かったが)。学業に必要な物は不自由させないように気を配った。今の親たちが甘やかす携帯電話はない時代ではあったが、あっても不要な物は持たせなかっただろう。他人(ひと)は他人(ひと),我は我だから。

投書のお二人のように、心ある親は家庭内で子どもの教育をし、躾をしっかりと身につけさせているようだ。一人でも見習う親が続いてくれれば遠い道のりだろうけれど、少しは日本も良くなる方に動くと思うが。》

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