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2008年1月20日 (日)

もう一度食べたい -2-

       アネモネ
AnemoneAnemone2




 <ギリシャ神話にいう>女神アフロディテ(ローマ神話ではヴィーナス)の愛した美男のアドニスが森の中で狩りをしている時、危険な野獣の野猪に襲われて死んだ。アフロディテはアドニスの死を悲しむあまり、彼が死んだ時流した血の中から、血のように赤いアネモネの花を咲かせた。しかし、この花は余りにも華奢なので落ちやすく、その名前のもとになった風(アネモス)に散らされてしまう、と。

さて、『昔のホウレンソウ』。現在スーパーに並んでいるホウレンソウと呼ばれている菜っ葉、どう見ても、野の草か雑草にしか見えない。ひょろひょろと痩せ細って青さばかりが目につく。昔のホウレンソウは株が太くて根っこの部分の赤みが多く、その部分に甘味がたっぷりと蓄えられたとっても美味しい野菜だった。ゆでると強い灰汁(あく)のせいで、茹で汁が黒くなった。今のホウレンソウは根っこの赤みも殆どなくなり、茹で汁に灰汁も出ない。栽培が楽な品種改良がなされたせいで、やはり季節感を失って、いかにも弱い現代っ子と同じような、姿形もひ弱な食べ物になった。食べても昔味わったホウレンソウの味は全くしない。料理番組では栄養のことが話題になるが、今のホウレンソウは昔のホレンソウの半分も栄養分がなくなった。美味しいわけがない。しかし、近年になって改良品なのか、「ちじみほうれん草」が出回り、少しは甘味のあるホウレンソウらしい味だと思うが、品薄でスーパーに並んでも数は少ない。

昨日取り上げたトマトとおなじだが、『昔のにんじん』には強いにんじん独特の臭いがあった。かと言っていかにも西洋野菜のセロリのような吐き気を催させる臭みではない。逆に西洋人に言わせれば、日本人が多く好んで食べるナットウは日本人のセロリのようなものだろうが。食文化だから仕方ないが、にんじんに臭いがなくなったのはどう考えても納得がいかない。昔のにんじんは、子どものころは嫌う人間が多かったが、長じるに従って普通に食べるようになっていた。我が家の妻も同じで少女時代は「食べられなかった」と言うが、大人になってからは好きな野菜の一つになったのに、最近の臭いの失せたにんじんには食欲を失うという。40歳にちかくなった長男の子どものころには、まだ臭いの強いにんじんがあった。わたしに似たのか幼児の頃から強い臭いのにんじんを好み、鍋の中を選ってでも口に入れるほど好きだった。現在の料理に使われるにんじは、ただ彩りを添えるだけに使用されているようなもので、食べて味や香りを楽しむ食べ物ではなくなった。京にんじんの強い赤色と香りも今はない。

続いて『昔のきゅうり』。畑の中に潜り込み、蔓にぶら下がっている中から美味しそうなものを選び、もぎ取ってかぶりつく。これも暑い夏にしかない野菜の一つだった。初夏の食べ物だったイチゴを真冬に食べるのが不自然ではなくなった今という時代、クリスマスが近づくとスーパーやデパートの食品売り場に甘い香りが流れる。栽培技術は自然に逆らってまでどこまでも進んでいる。きゅうりの話にもどろう。昔のきゅうりは手に握るととげとげで手に怪我をするほどの外皮を持っていた。今、スーパーに並ぶきゅうりにはその痛いほどのとげとげがない。つるつるしていて皆おなじように真直ぐで、大きさまで揃っている。

味の善し悪しの分らなくなった今の消費者たちは、消費期限と賞味期限だけが選別の基準になり、野菜は姿形で品物を選んで気が済むようだ。曲がったものは嫌われ、はじかれる。ところが、えてしてこの曲がったものの中にこそしっかりととげとげを備えた味の良いきゅうりが混じっていることが多い。品種改良は形にこだわり、味を二の次にしてしまった。昔のきゅうりにはあった種子の部分が殆どなくなり、ただ肉を厚くして固いだけのものにした。種子の部分こそ野菜としてのきゅうりの味が味わえる部位だったのに。きのう取り上げた「まくわ瓜」と同じだ。種子のとろとろしたところにこそ瓜(メロン)の本当の美味しさがあるのに。メロンほどではなかったが、きゅうりからもそれを取り除いてしまった。難しいのは購入する時だ。何人もの人の手でいじり回されたものは買う気がしない。洗えば済むものでもやはり買えない。ポリ袋の上からとげとげの強いものを選んでカートに入れる。稀に昔風(あくまでも、ふうの)のものに出会うことがあると、たかがきゅうりだけれど口の中でじっくりとその美味しさを噛みしめる。

結婚してそろそろ40年になる。肉を殆ど食べない。魚と野菜が主な食べ物の我が家では、美味しく食べられる野菜は絶対に必要なことだ。だから野菜は特に味わって食べる。最近の不味い野菜は滋養として取らなければならないものだけに余計に気になる。取り敢えずは気になるものだけを書いてきたが、科学の進歩は見た目だけを気にし、生野菜をどんどん美味しくないものにして行くようだ。

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