おかあちゃん
今朝、長い間目を楽しませてくれたヘヴンリーブルー(朝顔の名前)も、寒さに凍り付き、つけた蕾も開ききれず、凍える姿が可哀相で、一生を終えたと判断して刈り込むことにした。手入れを終えていつもの癖でアクセス解析を眺めていたら、私がブログを立ち上げる切っ掛けになり、最初に書いた一文に目を通して下さった方がいらっしゃった。2005年5月16日付けの「おかあさん」だ。世代がら、アメリカかぶれの「ママ」に馴染めず(未だに耳にすると背筋が凍る思いだが)おかあさんの響きを懐かしむ内容になった。
妻の育った大阪が取り上げられてから毎朝の習慣のように、おつき合いで見る羽目になったNHKの連蔵ドラマ。今回の「ちりとてちん」はその地に縁戚がいるからとてまたまたおつき合いさされ眺めている。‘とてちりちん’は意味も分らない子どものころから口を突いて出ていた語呂の良い響きのものであったが、現在放映中の語呂はむつかしい。と思っていたら、妻は落語の話のネタであることを知っていて、教えてくれた。
最初にブログを立ち上げる切っ掛けの話をしたが、「ちりとてちん」のドラマは日本海に面した福井県小浜から始まった。《NHKらしい、と言えばここ小浜は五木ひろしの出身地だ。案の定、高校を卒業して主人公の女性が故郷を離れ、大阪に出る別離のシーンに、彼の持ち歌「ふるさと」が挿入される逸話がつくられた》。ドラマの彼女の家では老いも若きも、誰も彼も「おかあちゃん、おかあちゃん」父親は「おとうちゃん」で会話が飛び交う。子どもが母親を呼ぶのにおかあちゃんは普通だが、高校生の娘を持つ50代の父親が、妻におかあちゃん、となる。
無性に懐かしさを覚える。そういう私の家庭も瀬戸内海に面した姫路から、父の仕事につれて私が小学一年の一学期を終えるのを待ち、日本海に面した当時は軍港の町、舞鶴に移り住んでいた。私も5番目に産まれ落ち(上に2人の姉が死産している)たが、最初に発するのはおかあちゃん、おとうちゃんであったし、後に産まれた4人の弟や妹もおかあちゃん、おとうちゃんで育った。それにドラマでもそうだが、両親同士もおとうちゃん、おかあちゃんであった。これもまたドラマと同じだが、私が家庭を持ち、父親になってからも、両親が生きていた間は会えば60歳近い私の口からはやはり、おかあちゃん、おとうちゃんであった。どうしても05年のブログで取り上げた女の子のように「おかあさん」「おとうさん」とは他人行儀に思えて呼べなかった。
もちろん、学者を父に持つ妻の家庭では、「おかあさん」に「おとうさん」だった。その妻からは、その年になっておかあちゃん、おとうちゃんはおかしい、止めた方がいい、と言われたが、やはり最後までそう呼んだ。私たちにも男児が産まれた。妻とも合意で子どもには「おとうさん、おかあさん」で呼ばせた。周りご近所は洩れなくパパに、ママだ。子どもはどこのグループに混じって遊んでいても、間違わずにおかあさん、おとうさんでちゃんと話すことができた。嬉しいことに今までただの一度もパパ、ママとよんだことはない。この子も、もうそろそろ40歳になる。
12月3日、東京都は初乗り710円に、など幾つかの他県でも今日からタクシーの値上げがスタートした。大いに結構だ。元々タクシーは公共の乗り物ではない。乗れなければ乗らないでよい乗り物だ。東京には地下も含めて公共の交通網は縦横無尽に走っている。自家用車も備品として多く行き渡っている。大学と同じでタクシー会社は多すぎる。過当競争の結果が招いたことだが交通網の発達や自家用の増加や人口減は自然にタクシー利用者の数を減らしてきた。今回の値上げは現時点ではタクシー運転手の労働・生活改善が狙いだが、予算不足の度に国の税率上げと同じような対策の、運賃値上げをするだけでは、これから先いつまでも吸収できるものではない。業会全体で対応を講じなければいずれは破綻するところも出るだろう。
おかあちゃんと、おとうちゃんが生前、揃って上京したことがあった。今は亡い姉の、初孫を祝いに上京してきた。母は鹿児島から父の元に嫁入りしてから一度も東京を知らなかった。親不孝を重ねてきた私が姉から一日両親を借り受けて、精一杯の親孝行をしたのが日光への案内だった。私はまだ独身だった。いろは坂をタクシーに乗せた。乗り物酔いの激しい母だった。途中何度か坂の途中にタクシーを止めてもらっては気分を和らげながら社寺を案内し、一日遊んでもらった。
いくら投資しても、タクシーは必要な時、必要な人が利用すればよい乗り物だと言う考えは今も変わらない。
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