ローマ法王 おかんむり
街はクリスマス一色だ。夜も昼も目に入るもの、耳に届くもの、レストランに、菓子など口に入れるもの、はてはバカップルが街に溢れ、待ちに待ったホテルが呼んでいる。これみんな、キリストさまと関係のあることなんだろうか。日本人はキリスト(聖書を読んだ人は10人に1人もいないだろう)を知らない人が殆どだろう。おそらく「飲めるぞ飲めるぞ酒が飲めるぞ!」の日であり、子供達にはケーキにプレゼントが楽しみな、そして、若者にはホテルの一夜が楽しみの日であるだけだろう。
毎日新聞(12/21)発信箱から
ローマ法王ベネディクト16世が最近、クリスマスの商業化を批判した、と海外の通信社が伝えている、という。一昨年も「現代の消費社会では、歳末のこの時期になるとクリスマスの真の精神を脅かす、商業主義の汚染に曝されている」と訴えた。
汚染の心配は尤もなことだ。
クリスマスプレゼントの日本国内での経済効果は1兆円を超える(第一生命経済研究所)という。米国はもっとすごく、22、23両日だけで小売売上高が150億ドル(約1兆7000億円)を上回ると推計され、その増減が他国の景気をも左右する。
世界経済に組み込まれた歯車の回転を止めることは最早難しいが、それから来ることの歪みも小さくない。それを示す問題が米国で起きた。ある上院議員が「人権団体の調査によると、クリスマスツリーの飾りなどの多くは中国製で、12歳の子どもを含む労働者に対する搾取と人権侵害が行なわれている」と指摘し、「商品は店頭から排除すべきだ」と訴えたのだ。
調査によると、時給26セント(約29円)という低賃金や週100時間の長時間労働のケースもあり、労働環境も安全性を考慮しない劣悪さだという。もちろん、クリスマスの賑わいや贈り物、ご馳走とは無縁の生活に違いなかろう。
前ローマ法王のヨハネ・パウロ2世も晩年、商業主義による変質を嘆き、クリスマス本来の意味を改めて説いて、次のように語った。「貧しい人々、困っている者に思いをいたし、連帯する機会を持ち、祈ろう」クリスマスを迎える時、せめて、そのくらいの想像力は持ちたいと思う。以上、若い男性記者の筆になる1文だ。
同じ日の他の頁には、カラー写真で夜の東京駅近辺の無駄なライトアップが写っている。タイトルは「ブルーにロマンチック東京」だと。バカじゃないのか、どれくらいの予算を投じたのか不明だが、能無しのデザイナーたちが、最近は光は青ければいい、とでも考えているのか、42メートルの高層ビルの最上階を日本一高い蝋燭に見立てた青の電飾だ。説明がなければビルが蝋燭には間違っても見えない。これが東京駅をロマンチックに演出する狙いだとか、恐れ入る。また、日比谷公園のテントのツリーが青、赤、緑色に輝く。
しかし、クリスマスにこんなに浮かれていていいのか、07年の債務残高を対GDP(国内総生産)で比較すると、日本は177・6%で、ワーストのイタリアの121・0%とも大きな開きがある。国民の生活を豊かにするための国の借金だが、積もり積もってその金額は過去最大の832兆円にもなっているのだ。(因にG7のその他の国は、英国がトップで49・0%、ドイツが69・9%、フランスが74・6%、カナダが66・3%、米国が61・8%となっている。)
一方、日本の昔からのお正月は、年々廃れ、クリスマスに費やした労力の100分の1にも足りないほどにしか見えない。申しわけ程度に企業が門前に門松を寂しく飾ることくらいだ。或いは判で捺したように、顔が隠れるほどの襟巻きを巻いて、和服の初出勤姿を見かけるだけだ。
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コメント
商業主義がはびこるほどクリスマスも正月も季節感がなくなっていく気がします。
折込みチラシを一読するだけで、クリスマスはどういう行事なんだ?プレゼントをやりとりするためのもの?子供にはおもちゃ、若者はアクセサリー、大人同士もなんだか無理やりクリスマスだからって何かをしなきゃという脅迫観念があるかもしれない。
ツリーとケーキで質素に(これも別にしなくていいけれど)家族で楽しむ程度でいいのに、街中飾り付けて、25日の夜には撤去して正月の飾り付けに変更する看板屋さんの姿をみるとなんてバカバカしいと思っています。
投稿: BEM | 2007年12月22日 (土) 14時55分
年々歳々数が減る年賀状。今年も投函を終えました。
賑々しかったクリスマスももう僅かな時間で終わります。
今年は初めて子どものいない(まだ独身なので、私たち夫婦は孫もいない年寄りです)年越しになりそうです。元日でないと帰郷できないとの連絡を受けました。
BEMさんちの子どもさん、羨ましい限りです。
投稿: 小言こうべい | 2007年12月25日 (火) 23時34分