「集団自決」教科書検定審
毎日新聞(12/7)夕刊。他の記事に混じって見落としそうになるような小さいタイトルの記事が載った。「集団自決の背景は多様」と、教科書検定審議会の意向である、と。
明日は今からきっちり66年前、無謀にもハワイの真珠湾攻撃を行ない、アメリカの大平洋艦隊へ打撃を与え、太平洋戦争の戦端を開いた日だ。それからたった4年後(正確には3年と8ヵ月)、物量に優るアメリカの反撃にあい、遂には日本全国を焦土とし、無条件降伏をすることになった日本だ。その間、メディアは情報統制の下にあったとは言え、現在と変わらぬ政府・軍部の発表だけを国民に流し、翼賛政策に乗っかって、権力におもねては真実を報道することを忘れて過ごした。敗戦後、これらメディアの責任は全く総括されることもなく、今もなお、権力には弱い姿勢を貫いている。
ある新聞を、アカだアカだとの書き込みを多く目にする社もあるが、なんのことはない、それこそ一旦ことが起れば先頭に立ってピンク色さえ残さず消すだろう。今回も、審議会の玉虫色の意見をそのまま発表するだけで、たった1人の元指揮官(梅沢裕・少佐90歳)の言説で、軍隊の関与はなかったとしながら、今回は沖縄住民の意見は棚上げにするような見解をただ伝えるだけだ。
確かに歴史の解釈は一つではあり得ない。そんなことは常識だ。あらゆる可能性を考えるのが当然だ。ただその歴史の渦中にあって真実を見てきた人が梅沢の他に、幸いにも未だ多く存命なのだ。先のブログにも書いた通り、梅沢は、大江の書物が出版されて35年も見過ごしてきておいて、何を思ったのか急に反論に出ている。生証人の数が減るのを待っていたのかも知れない、とさえ勘ぐりたくなる。
沖縄戦の集団自決をめぐる高校の教科書検定問題で、文部科学相の諮問機関・教科用図書検定調査審議会が複数の教科書会社に対し、「集団自決は多様な背景、要因がある」という検定審議会の考え方を伝えていることが6日、関係者の話で分かった。
教科書会社側は同趣旨の記述をすることが必要と認めており、一部では訂正内容の記述を見直す会社も出ているという。関係者によると、検定審議会は文科省を通し、教科書会社に記述の根拠や趣旨の確認作業を行っており、その際、検定審議会の考え方も口頭で伝えたという。
教科書は、最終的には集団自決は軍の命令であったかも知れないし、なかったかも知れない。今となっては62年も前のことだし、それには色んな要因も混じっていたことだろうから、今は分からなくてもいずれ将来研究が進むことで明らかになるでしょう、とでも書くつもりだろうか。
敗戦後、原子爆弾のことは夏がくれば新聞各社ともに紙面を飾るが、開戦の12月8日には、大戦を振り返っての反省や論評などは殆ど触れられたことがなかった。大戦を通し、日本勝った、また勝ったで紙面作りをして来たマスメディアには、自らを省みての責任を問う姿勢などなかったと言っていい。そのため、沖縄戦にしても、歴史を振り返って軍の責任を問うこともできないまま戦後62年を無為に過ごして来たといっていい。
繰り返し言おう、自決に使用した手榴弾等は、軍の支給がない限り一般国民には入手不可能なものであった。与えられたものは、それが何を意味するものかを誰もが承知していた。その時点で書類がなくても命令であった。戦場での命令には一々書類など発行されない。これが後々、梅沢のような人間の、都合の良い、言った言わないの問答になる原因となったとも考えられる。一体、教科書にはどのような表現で多様な要因を記述することになるのだろうか。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
みんな の プロフィールは、アクセスアップをお手伝いするサイトです。
http://blog.livedoor.jp/mipurofi/
より多くのひとに貴方のブログを見てもらえます。
投稿: みんな の プロフィール | 2007年12月 8日 (土) 19時43分