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2007年12月11日 (火)

「死」を哲学する 書評を読んで

くらい渾沌とした中を浮遊しながら体はどんどん小さくなって奈落に向かって落ちて行く。そのうち寒くなって小さくなった体をぶるぶる震わせながらもっと小さく丸め始める。しっかりと目を瞑り拳を握りしめ胸に抱くように猶も小さくなって小刻みに震え続ける。固く噛みしめたつもりの奥歯がガタガタと音を立て続けて鳴り止まない。震えてさえいなければ、おそらく母の胎内にいるような姿に似ていたろう。

無限の時間のようでもあり、瞬間のようでもある。ぼんやりと目が開く。額から喉元、全身汗びっしょりになっていながら寒気だつ悪寒に襲われて体はまだ震えている。奥歯は噛み合わずガタガタと鳴ったままだ。握り絞めたままの拳を口に当ててそれまで味わったこともない恐怖を感じていた。時は、昭和18(1943)年、5月29日、華々しい戦果に酔って始まった(昭和16年12月8日)戦争も、忽ち反撃に合い、開戦後日ならずしてアリューシャン列島のアッツ島守備隊*がアメリカ艦隊による猛攻撃を受け、玉砕した後のことだ。“男とは死ぬことと見つけたり”を教えられる軍国少年とはいえ、戦争と死とがはっきりと結びついていることを理解し、真正面から直接「死」を考える11歳と7、8ヵ月の年齢になっていた。

*『アッツ島守備隊長、山崎陸軍大佐、最後の電文
 敵陸海空ノ猛攻ヲ受ケ、第1線両大体ハ殆ド潰滅。辛ウジテ本1日ヲ支フルニ至レリ。野戦病院ニ収容中ノ傷病者ハソノ場ニ於イテ、軽傷者ハ自ラ処理セシメ、重傷者ハ軍医ヲシテ処理セシム。(中略)トモニ生キテ虜囚ノ辱メヲ受ケザルヨウ覚悟セシメタリ。他ニ策ナキニアラザルモ、武人ノ最後ヲ汚サンコトヲ恐ル。英魂トトモニ突撃セン。そして、それから5時間後、最後の最後に短く「機密書類全部焼却、コレニテ無線機破壊処分ス」』

と打電して玉砕した。入院中のものは足手まといになるからその場で射殺、自分でピストルが撃てるものは自殺或いは自爆させ、重病人は軍医が毒殺あるいは射殺した。思い起こしてほしい。沖縄戦での、したかしなかったかの自決命令。そんな書類があったとしても、敗戦が決定的と見えた瞬間には、軍は機密書類を全部焼却処分したことは明らかだ。

この夢は、その後何度も何度も、繰り替えし繰り返し見ては震え、歯をガタガタ鳴らしながら目を覚ました。死ぬことは「無」であることを考えるようになっていた。しかし、2歳上の姉は「無ではない」と言ったことが頭に残り、死と無がそれからいつまでも、冷たくなった体で目覚めさせる誘因となって、一層私の睡眠を苦しい時間に替えていた。敗戦となり、戦争で死ぬことはないことがはっきりとしてからも何年も何年も続いた。考えては疲れ、また考えては疲れの堂々めぐりをし、70と有余年を過ごしてきた。

思考力の足りない私には、それ以上深く哲学することは不可能なテーマとなったが、そろそろ平均寿命に近づいている。悩んだ末の私なりの浅薄な結論は、やはり死は無だということと、魂や霊などは信じられない確信を持ったことぐらいだ。だから葬式は無用!、墓も無用!。

以上は書評に目を通しながら、頭をよぎった幼い頃の幻のような思い出だ。取り上げられているのは中島義道著《「死」を哲学する》。これを大岡玲(あきら)が評したものだ。抜粋してみる。毎日新聞(12/2)から
「道を歩いているときも、横断歩道で信号機を待っていても『もうじき死んでしまうのだなあ』という思いが通奏低音のようにブンブン音を立てて脳髄を駆けめぐる」「すべての人は生まれた瞬間に『百年のうちに死刑は執行される、しかしその方法は伝えない』という残酷きわまりない有罪判決を受けるのです」「死に対する恐怖とは、・・・・ずっと無であったのに、一瞬間だけ存在して、また永遠に無になる、という途方もなく残酷な『あち方』に対する虚しさです。自分がこれほどの残酷な運命に投げ込まれたことに対して、どうしても納得できないのです。こうした恨みにも似た感情が、私の人生を隅々まで彩っています」

《これらの幾つかの文章は、7日間に亙る哲学講議という体裁で書かれた『「死』を哲学する』の中の1日目から引用されたものだ。これほどの文章が書ける才能はないが、私の子どもの頃の体験は、まさしくこの中島の文章をなぞったように生きていた。》

《大岡は評する。「中島は、あられもないほどの切実さで「死」にこだわり続けている現今珍しい哲学者である。彼の文章を読んでいると、時折この人は私なんじゃないだろうか、という感覚が背筋を這いのぼってきてゾクゾクする」と。全く私も抜粋された文章だけを呼んだわけだが、追体験しているような寒気が背を這う。》

《大岡の評は続く。「7歳のころから一瞬の中断もな」い、というほど「死」にとりつかれた「重傷患者」ではないにしても、真っ暗な底なしの穴をどこまでも墜落して行くような心持ちで「死」を思うことは、思春期以降何度となくあったし、四十を過ぎた頃からはますます頻繁になっている、と。そして、そういう人間が多いからこそ、中島氏は現在もっとも人気のある哲学者のひとりなのだ、と感じる、と思うそうだ。》

《生まれ育った世代の違いはそうなんだ、と思う。まだ年齢が一桁の時から‘葉隠れ’を叩き込まれた私たち一桁生まれの男の世代では、「死」を考えることは幼くても避けられないこととして襲ってきていた、というよりも、駆け足で「死」は迎えにきていた。》

《書評は続く「死が恐ろしいのは、無になるからではなく、『あとから』それを確認する視点を持ち得ないから」なのだ、と中島氏は書く。「他人の死は私にとって単なる不在なのですが、私の死は私にとって不在ではなく、正真正銘の無なのです」こうして「死」は「不在」と「無」に分けられる。中島氏は、この二者の違いについても、いわゆる“哲学者”の論調として私たちがよく想像するような“解説”とはまるで異なる、見事に血のかよった表現法法で解き明かしてくれているのだが、彼の痛切にして仄かなユーモアが匂う文章を、これ以上下手な切り張りで紹介するのは勿体ないので、この辺りでやめておこう。と結んでいる。》

《哲学者の書物を解説するレベルの人間がペンを擱(お)くほどの内容だ、私ごときがこれ以上学者2人を裸にできるわけはない。だが、「死」を恐ろしいものとは今の私は思わない。人は生まれた時「死」を約束されて生まれてくる。人の誕生を祝うのは「死」ぬことを祝うことでもあるのだ。目を背けることでもない、神や佛にすがることでもない。人により生きることの時間差はあっても必ず「死」ぬ、そして後は「無」だ。》


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