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2007年12月13日 (木)

南京虐殺から70年

1937年の南京虐殺事件から今日が、70年目の日になる。今日では誰でもが取り上げて云々できる事件だが、私が小学1年生の年のこの虐殺事件は、極東国際軍事裁判(東京裁判)で事件当事者の軍人たちが裁かれるまで、軍の極秘事件として日本の一般国民には全く知らされていなかった。

当時日本は、中国を支那と呼んでいた。7月7日夜、盧溝橋付近(現在の北京の西南約60キロ)に響いた数発の銃声が切っ掛けになって始まった泥沼の8年近い日中戦争を支那事変と呼んだ。当時の中国の首都は南京にあった。日本軍は撤退する中国軍を追って陣地を次々に突破し、12月9日、南京城を陥落させ占領した。日本中が戦捷に酔った。全国で旗や提灯行列のお祝行事が続き、東京でも13日、20万人が参加する旗行列、提灯行列が行なわれて、旗の波、提灯の波で埋まった。新聞はここぞと戦争熱を煽り立てた。「暴戻(ぼうれい)支那の膺懲(ようちょう)」*「対支一撃」などと中国を甘く見た文字が踊った。《メディアは軍・政の戦争責任については触れることがあっても、これから後、敗戦まで続く戦争賛美の自らの戦争責任に関しては戦後ずっと頬かむりを続けている。》

 *「暴戻支那の膺懲」は「道理を弁えない支那を撃って懲らしめる」ということ。

南京陥落を遡る8月15日、日本政府は南京政府断固膺懲を声明し、対中国全面戦争に突入していた。上海に上陸した陸戦隊は11月11日、上海を占領。11月20日、宮中に大本営を設置すると、12月1日には南京攻略の命令を下した。12月9日、南京城を包囲した日本軍は10日正午を期限とする投降を勧告するが、中国軍が勧告に応じなかったため、10日より日本軍は総攻撃を開始する。12月13日の南京陥落となった。17日に行なわれた入城式典を、国内のメディアは挙って馬上の中支那方面軍松井石根司令官を先頭に、朝香宮鳩彦王・上海派遣軍司令官が続く日本軍の意気揚々の写真を掲載した。それからしばらくの間は国内のお祭り騒ぎとともに、映画館のニュース**は華々しい戦争の場面と、南京城陥落直後、城門の上で日章旗を振る日本兵の姿が上映された。

 ** 子どもたちは、映画館に行けなくても各地を巡業して回る上映会でニュースはしばしば目にすることができていた。南京の城門の上で、日本兵が日章旗を大きく右に左にうち振るシーンの絵は、今でも心ときめかせて眺めたのを覚えている。

皇族が加わっての入城式典警備のため、14日から苛酷な『敗残兵狩り』が南京城内外で展開され、さらに多くの中国の軍民が殺された。後に陸軍の中央部は虐殺事件の発生を知ることとなり、翌15年、松井石根大将(司令官)を解任した。しかし、松井の責任は不問にしたまま日本国民に対しては事件を隠蔽し続けた。(東京裁判で死刑宣告、絞首刑、その後靖国神社に入っている)。日本軍の入城式典が終わった後も、およそ6週間に亙った城内外での掃討作戦でも、大規模な残虐行為が行なわれたといわれている。被害者数については数千人という説から、数十万人に上るとするものまで様々あるが、日本の研究者らは数万人程度と考える人が最も多く、海外の研究者らは数十万と捉える人が多い。

これまでにも内外の研究者らによる事件の全容を捉えようとする研究があるが、今年で70年を迎えるに当って、事件の起きた中国江蘇省南京の南京大学で11月24、25の両日、「南京大虐殺史料学術シンポジウム」が開かれた。

毎日新聞(11/27日)から
シンポジウムには日中両国の研究者約70人が参加し、お互いに意見を発表した。中国側からは日中間の政治問題を極力排除し、現存する各国の関連史料の分析に力点を置く客観的な研究が目立った。中国共産党は「抗日戦争勝利」を強調する宣伝活動は堅持しながらも、研究分野では史料に基づく「客観的歴史観」を許容する方針のようだ。

シンポジウムは05年12月に次ぎ2回目。12月に「南京大虐殺史料集」(29〜55巻)が出版されるのに合わせて開かれた。事件当日の中国側史料だけでなく、日本、米国、ドイツ、英国から集め、中国語に翻訳したものだ。

史料集には、虐殺事件のあった地区の範囲について、中国当局が主張してきた内容とは一部、異なる史料も含まれるなど、「史実」重視の考えが示された。だが、党から反対意見はなく、順調に出版にこぎつけたという。史料集の責任者でシンポジウムの呼び掛け人、張憲文・南京大学教授は毎日新聞などに「本物の史料は歴史を明確に語ってくれる」と史料集の価値を強調した。

張教授は「歴史はかがみだ。誰が見ても明確な歴史にする作業は、政治家ではなく歴史学者の仕事であり責任だ」と話す。「中国ではこれまで史料に基づく研究が不足していた」とも認め、史料収集と研究の重要性を説いた。同教授は「大規模虐殺があったことと、国際法に違反する非人道的行為がことの2点が共有できれば、日中間の研究も交流も推進できる」と前向きだ。

史料集の日本側責任者の笠原十九司・都留分科大学教授は「(日中関係が改善した)今は事実に基づいた研究をする方向にあり、討論しやすくなった」と評価している。

今までは事件そのものがなかった、とする否定説やまぼろし説までを含めた幾多の説が出ているが、現在では虐殺がなかったとする論調ではなく、虐殺はあったことは認めるが、事件後、年を追って増え続けてきた犠牲者の数30万人(当時の南京の総人口は20万人)は誇大に過ぎる、という論調が主流のようだ。シンポジウムは今回で2回目、これからも違った見解や、新たな史料が見つかれば、引き続きシンポジウムは重ねられて行くだろうし、歴史の中の南京事件の評価はこれから後の研究者の課題ともなるだろう。


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