携帯のマナー
Ken's trio(ジャズ)を聞きに
第一生命ホールへ行ってきた
(東京都中央区晴海
トリトン・スクェア・4F)
敗戦後GHQがあった皇居前の第一生命ホールから2001年、現在のトリトン内に引っ越した。座席数767のこじんまりしたホールだ。昨夜の聴衆は老若男女が集まってほぼ満席の状態。年輩の女性(わが妻は1人ぽっちで留守番はいやだとて、ついてきただけだが、も含め)があちらこちらに散らばっているのには驚かされた。
トリオということで、ジャズとはいえ、室内楽的な雰囲気に浸るつもりが、共演のその他ビッグ・バンド(国立音大管・打楽器のメンバーが中心)の大音響で鳴らすスピーカーから地を震わすように流される音に、胆を冷やす騒音公害に遭う羽目になった。
その音たるや、いかにも若者が好く無闇に低音の強調されたボコ、ボコした音づくりになって、左右バランスの音像定位が不安定で、センターマイクで紹介するKen(金子健・ダブルベース)の声はくぐもってぼそぼそと歯切れが悪く左(客には右)のスピーカーに偏り、当然会場全体の音の膨らみも偏った。姿は見えるけれど、可哀相に上段左に位置していたギター、ベースギターの音は(エレキギターで増幅していたにも拘わらず)只の1音すら聞き取ることは不可能だった。致命傷はピアノ(田村和大)の音だ。1音1音の粒立ちが悪く、音に音が被さって、全くピアノらしくない音を聞かせた。動いて(演奏して)いるのは見えても時々金属的な響きでビブラホーンは鳴るだけ。いけなかったのは爆弾でも落とされた錯覚を感じたドラムの大音量だ。すべての音楽的センスが台無しになった。コンサートを通して言えるのは、小さな会場に増幅させた音は必要ないことだ。
わざわざマイクの前に出てきてのバリトン、アルト・サックスやトランペットのソロまで聴かせることはない、それほど卓越した技術でもない。このビッグバンド「ニュー.タイド」は今年の学生コンクール(山野ビッグバンド・コンクール)で優勝しているが、これからのバンドだ。楽器の音を聞きたかったのに、耳には割れるようなスピーカーの音だけが聞こえていた。客席前の両サイドの壁近くのスピーカー間の距離と正3角形を成す頂点の位置に、席を取ることができ、左右バランスは絶好の位置と思ったのだが・・・。そのような条件は吹っ飛んだコンサート(?)に終わった。ついて来た妻は、会場入りする前に立ち寄った寿司の味に満足し、騒音の中、腹膨くるるは何んとやら、で半分は眠る豪傑振りを発揮した。コンサートは音楽性を云々するレベルのものではなかった、勿論拍手を贈るなどもってのほかであった。
1部、2部と分かれてのコンサートであったが、2部を聴く勇気はなく、ほうほうの体で逃げ出した。
さて、本題の携帯の話に入ろう。
家を出て凡そ1時間、地下鉄「勝どき」駅について会場入りするまで。ホールを逃げ出してわが家に戻るまでの道のり、これほどまで酷い日本人の携帯のマナーの悪さを目にしたのは初めてだ。数日前、喫煙者のマナーの悪さを指摘した投書があったが、反論しておいた。だが、携帯に関しては、誰も反論の余地はないだろう。
電車内ではシートに並んでの携帯の砲列、右も左も前の席も、一様に睨めっこをしてるのは女子高生や若者だけではない。小父さん、おばさんたちまでが一斉に睨めっこだ。しきりに指先を動かしているもの、手を前に突き出して幼稚園児のような飾り物をぶら下げた女子高生たち。以前異様な車内風景を書いたときよりも、その数、何倍にも増えている。年輩の男が停車駅が近づくとやおら立ち上がり、ドアの近くに来ると、大声で喋り始める。数秒、十数秒待って車外に出て話せばよいものを。続いてその会話を聞いていたやはり中年の男がシートに座ったまま、突然大声で話を始めた。マナーもくそ(おっと失礼)もない。車内では電源を切るように指導しているが、そんなことどこ吹く風だ。
電車の中以上に異様な風景を見た。私の現役時代にはおかげさまでこのような不様な人たちの姿を見ないで済んでいた。2人に1人といえるほどの凄さの携帯使用だ。‘歩きたばこ’が公害というなら‘歩き携帯’という公害があってもいい。勝ちどき駅から第一生命ホールまで行く路上で、1人、ホールからのエスカレーターで降りてきた1人、少なくとも勤め帰りの女性2人とぶつかった。どちらも何の挨拶もない。携帯から目も離さずにすれ違って行く。あまりのその異様な風景に感動(?)すら覚えて言葉も出ない。夕方6時頃のことだから、そのいずれの男女も退社する思慮も分別もあるはずの年齢の人たちだ。携帯片手に下を向いたまま歩き、行動している。兎にも角にも多すぎる数の携帯片手の人とすれ違う。
気分の悪いことが重なった。帰り道、人身事故の影響で、乗り換え1度のところ混雑した電車と、3度の乗り換えが発生した上に、まだ重なった。長く履かなかった靴の底が風化による劣化で踵が剥がれそうになり、途中訪ねた靴修理店で、“4日預かり、6000円”と聞いて、依頼しないでびっこを引きながら恐ごわ歩いて帰る体たらくになった。奇跡のような結果になった。玄関のドアを開けて敷居を跨いだ途端に踵がポロリと剥がれ落ちた。上り框(がまち)に越し掛けてひっくり返して眺めて見た。風化は左右両方にいき亘って進んでおり、全体に亀裂も生じ、全く修理の効く状態にはなかった。よく家まで歩いて帰れたものだ。とても“もったいない”と言える代物ではない。またまた、年金暮しの身に金のかかることが起った。
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コメント
札幌の地下鉄、JR(市電、バスは乗らないので分かりませんが)もほぼ似た様なものです。
いくらアナウンスで「ペースメーカーを装着している方が…云々」と言ってもどこ吹く風で一心不乱にボタンを押しています。いっその事、胸を押さえて目の前で倒れてやろうかと思っても演技力には自信がないので、実現には至りません。
先日は地下鉄で通話をしている厚化粧の女の子がいたのは流石に驚きました。しかし何故地下鉄が走行中に通話できるのか不思議なのです。
投稿: BEM | 2007年11月16日 (金) 01時35分