高齢者用電動カート
毎日新聞(11/21)から
ハンドルのアクセルレバーで操作する電動カートは、電動車椅子の一種で、高齢者に人気がある。というが実際にに街なかを走っている姿はとんと見かけたことがない。どこで見かけられるんだろうか。
奇しくも本日の夕刊で、来年4月にスタートする75歳以上の後期高齢者を対象にした新たな医療保険制度*で、一人当りの保険料が40都道府県(試算を含む)の中間集計で平均7万8931円となることが同紙の調べで分かった。新制度は都道府県ごとの広域連合が運営主体となり、全市区町村が加入する。保険料は12月初めまでにすべてで決まるが、21日までに17都県が保険料を正式に決定し23道府県が試算を公表した。それによると、東京都が最も高く10万2900円で、最も低い岩手県の5万8433円の1・76倍となった。
新制度は国民健康保険などに加入している約1100万人の後期高齢者に加え、これまでサラリーマンの子どもなどの扶養家族で保険料負担がなかった約200万人も加入し負担を求められる。保険料は所得に応じた軽減措置があり、実際の平均額は1から2割下がる。
政府・与党は新たに保険料を負担する高齢者に対し、来年4月から半年間は保険料を免除。その後半年間も9割減免するなどの負担軽減策を決めている。
* 後期高齢者威両制度 - 小泉が首相の時、医療制度改革関連法として06年6月に成立。「高齢者の医療の確保に関する法律」により施行。75歳以上が対象で、財源の約5割を国、都道府県、市区町村の公費で賄い、若い世代の負担を4割、高齢者自身を1割とする。医療費が膨らめば保険料も高くなる仕組みで、一人当りの医療費が高い高齢者に節約意識を持ってもらうのが狙い。高齢者の保険料は一律に負担する「均等割」と前年の所得に応じる「所得割」との合計で、均等割は年収が238万円以下だと軽減される。
昭和一桁生まれの私も当然保険料は取られることになるが、医者の世話になったのは現役を退いたのち、年齢には関係のない網膜剥離のときのみだ。それ以外は今日までただ一途に保険料は納め続けている。体の弱い人たちのために。決して医療費が高い高齢者ではなく、納めた保険料の殆どは他人の医療のために納めてきたし、これからもそうなるだろう。軍国少年の時代、否応もなくいずれ1度は死ぬ覚悟を決めさせられていた。幸か不幸か死なずに済んだが、今生きてあるのは余命だろう。
そのためか、生きることへの執着はあまりない。何をどうしようと死ぬ時は死ぬ。それが心臓の病であろうと、脳の病であろうと、天変地異であろうと、事故であろうとだ。医者に掛かれば、或いは入院すれば必ず死ぬ、とさえ思っている。だから健康診断も殆ど受けずに来ている。こんなに金の掛からない老人はいないだろう。老人はみな高額医療を受けていると言うのは偏見というべきだ。保険料はすべて世のため人のため、人助けで使っているようなものだ。薬なども市販だしアスピリン以外は殆ど飲んだことがない。まして健康飲料などと言うものに無駄金を使ったことはないし、ミネラルウォーターなど水事情の悪い海外旅行の際以外、国内では1度も買ってまで飲んだことはない。それでも弱く生まれてきた割に、未だに肩凝りや足腰の凝りさえ経験したこともない。
話がとんでもない横道に入ったが、足腰の弱った老人が安全に、気軽に外出するために利用するには電動カートは危険すぎる乗り物だ。誰もいない広場で乗るのは自分の運転ミスさえなければ安全だが、健康な人間が普通に歩道を歩いていても危険な無謀運転をする自転車がすり抜けて走る御時世だ。電動カートは道路交通法上は歩行者であり、免許はいらない。スピードこそ最高でも人がやや急ぎ足になる時速6キロ程度だが、それが却って規則を無視する自転車の邪魔になる。事故が起りやすい。いや、すでに事故は起っている。自動ドアのガラスを割ったり、塀にぶつけたり、踏み切り(阪神電鉄の車輌侵入禁止の狭い踏み切り)で立ち往生して電車にはねられて大怪我をしてた人もでている。「歩行者」に分類されていて「車輌禁止の狭い踏み切り」に入っての事故とは変な言い掛かりだが、
人が集中する駅に近くなれば人込みが増す。違法駐輪で動きは取れない。のろのろと走る電動カートは流れの邪魔になる。スーパーやコンビニに行くのに利用すれば自転車と電動カートの駐車場争いが待っている。現実に事故も起っている。一方、電動というからには充電をしなければ役に立たない。1回の充電に掛かる時間は3〜12時間、平均の7〜8時間で電気代は約30円程度。満充電して走行距離は30〜35キロ、軽い散歩には十分すぎる距離を走ることができるが、バッテリーの寿命が2〜3年。結構ランニングコストがかかる(レンタルもあるようだが)。外出の途中でバッテリーが上がって路上で動けなくなると危険きわまりない。
「車椅子の進路を妨げないよう、譲り合いの精神で」と売る側のメーカーは呼び掛けるが、そのようなマナーが足りていないのが現実の日本だ。モラルで事故が防ぐことはできない実態の中で、電動カートは決して高齢者の安全を保証できる乗り物ではない。いまのところ目につくことが少ないが、高齢者社会だ、普及して数が増えでもしたらのろのろ動く電動カートに乗る高齢者も、歩く人も、自転車に乗る人も、危険が一杯の社会になるような気がする。
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コメント
こうべいさんこんばんは。
私も以前電動カートの話をブログに載せました。
札幌市内で実際に見たのは3度ほどです。それも広い歩道で他に歩行者もいないくらいの場所ででした。でも電動車いすで散歩させている人の方がよく見ます。片手で運転できる電動車いすのように使えるようになればいいなと感じていましたが、事故も起こっているのですね。私が実際に乗ったことがあるものは、操作はレバーを握っている時だけ走行するというものでしたが、そういう事故をふまえてメーカーなり販売者は改善・指導をするべきでしょうね。
投稿: BEM | 2007年11月23日 (金) 21時28分
度々の訪問にコメント、ありがとうございます。
いつもいつも憎まれ口を書いています。これも昭和一桁の余計なお世話なのでしょうが、今の日本、このままではモラルなどという言葉は、ほとんど死語に近い状態です。
子どもたちには人の心の痛みがわかるよう、善いこと、悪いことがきちんと教えられる親が増えることを期待するのみです。
投稿: 小言こうべい | 2007年11月24日 (土) 17時24分