「長期脳死児」(診断後1カ月以上)60人
行列を作って死者を待つような脳死移植には、基本的に反対の立場からこの問題を考えてみる。
毎日新聞(10/12)から
脳死*状態と診断された後、1カ月以上心停止にならない「長期脳死」の子どもが全国に少なくとも60人いることが、全国約500病院を対象ににした同社の調査で分かった。長期脳死児がこれほど多数に上ることが明らかになるのは初めて。臓器移植法は15歳未満の子どもからの臓器提供を認めていないが、年齢制限を撤廃する法改正案も国会に提出されており、議論を呼びそうだ。
* 脳死 ‥ 脳の全機能が失われ、二度と回復しない状態。臓器移植法は臓器提供をする場合に限り、脳死を「人の死」とする。法的脳死判定基準(対象6歳以上)は、
1)深い昏睡
2)瞳孔が開いたまま
3)脳幹反射の消失
4)自発呼吸の消失
の5項目について、6時間以上の間隔で2回判定することを求める。6歳未満については旧厚生省研究班が00年、2回の判定間隔を24時間以上とする基準をまとめている。
調査は今年8月〜10月、日本小児科学会が専門医研修施設に指定する計522施設を対象に実施。医師が脳死状態と診断後、医療やケアを提供中の長期脳死児(診断時満15歳未満)の有無などを尋ね、272施設(52・1%)から回答を得た。
その結果、診断から1カ月以上経過しても心停止に至らない患者は39病院の60人で、うち14人は在宅療養中だった。年齢は2カ月〜15歳7カ月で、診断後の最長は10年5カ月だった。このうち、25病院の31人は、法的脳死判定基準か、旧厚生省研究班が00年にまとめた小児脳死判定基準の無呼吸テストを除く全項目を満たしていた。他の患者は全項目の判定はしていないが、主治医が脳死とみられると判断した患者だった。
臓器提供を前提に、小児脳死判定基準が妥当だと思うかとの問いには、回答した医師270人のうち42%が「分らない」とした。理由は「長期脳死児を『死者』**として受け入れることは、家族だけでなく医療者側も難しい」など。「妥当ではない」は17%、「妥当」は12%だった。
** ‥ 1997年10月、臓器移植に関する法律が施行され、本人が脳死判定に従い臓器を提供する意思を書面により表示しており、かつ家族が脳死判定ならびに臓器提供に同意する場合に限り、法的に脳死が「人の死」と認められ、脳死移植が可能となった。しかし、このような厳しい法の下で、ドナーの数が非常に少ないのが実情だ。
【参考】欧米・アジア・オーストラリアなどでは、臓器提供に関係なく脳死を人の死とし、本人の意思が不明であっても家族の承諾で臓器の提供が可能となっている。
法的基準をつくった際の調査では、子どもの場合、脳死から10日程度で心停止に至るとされた。だが、小児の基準を検討した旧厚生省研究班の調査は、87年4月からの12年間に長期脳死児が25例いたことを報告している。日本小児科学会の04年の調査でも18例が報告された。この原因の究明などは進んでいない。
国会に出された法改正では、欧米並の脳死を一律に人の死とし、提供年齢も12歳以上に引き下げるなどの2案となっている。同学会の調査を担当した小児神経科医の杉本健郎・びわこ学園医療福祉センター統括施設長は「これまでの調査よりかなり多い結果だ。臓器提供を否定はしないが、脳死診断後も長く心停止に至らない子どもが多数いることを厳粛に受け止め、単なる『死』と片付けずにオープンな議論をすべきだ」と話している。
《脳死移植を、腹を減らした大勢の客たちが待っているからと、包丁が入るまで水槽で泳いでいた魚が、水から上がり、死んで、或いは首を落とされて、調理人の手で解体されるのと同じように考えていいのだろうか。料亭の仕入れた材料が足りないから、死んでしまえば皆同じ、若い魚でも稚魚まで料理してしまえと同じでは困る。料亭に上がることが可能な裕福な客人だけが腹を満たし、食欲を満足させるようではなお困る。
他にも昨年度、分かっている例では脳死の判定後、6年間心臓が動き、今でも人口呼吸器をつけて生きている7歳になった男の子がいること(東京新聞)、脳死判定の6日後に呼吸が戻った男の乳児がいて、その後4年3カ月生存したこと(朝日新聞)、アメリカ、カナダで脳死の判定を受け、家族らと日本に帰国後意識回復した3人がいたこと(毎日新聞)が報告されている。日本でもそうだが、特に死生観の違う海外では脳死即治療打ち切りになることもあり得ることを知っておくべきだ。》
1999年2月、日本で法律(「臓器の移植に関する法律」)に基づいて脳死移植が初めて行なわれて(高知赤十字病院)から2006年までに行なわれた移植件数を記しておく。
1998ー2001 2002 2003 2004 2005 2006 計
提供者数 18 5 5 8 8 9 53
心臓 13 4 2 8 6 9 42
肺 10 3 3 6 5 6 33
肝臓 16 5 3 4 3 5 37
膵腎 6 2 3 4 5 9 29
膵臓 1 - 1 1 1 - 4
腎臓 27 6 3 8 7 9 60
小腸 1 - - - - 1 2
計 74 20 15 31 27 40 207
(日本移植学会「臓器移植ファクトブック2005」から)
‥‥‥ 未完
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
脳死が「人の死」であるか否かという問題は「移植」問題とまず切り離して考えるべきであると思う。私は死ぬときぐらいやすらかに死にたい、と願うものでありそれは他人に押し付ける気は毛頭ありません。
昔でも死んだと判定された人が葬儀中に生き返ったということは少ないが時々ある。医の現場で死の判定があってもそれから少なくとも24時間は「安置」しなければ荼毘に付されないことになっている。すなわち、何兆もある生命体のすべての細胞が一瞬に死ぬことはなく、放置していると徐々に全体に及び死んでいくからである。24時間というのは片方医学ではまだわからない未知のことが世の中に多数あるからかも知れないということを担保にしているのかも知れません。
いずれにしても、医師が「死」と判定した場合、すべての生命維持行為(人工呼吸と栄養の投与など)を停止して医療行為を終了する。
これと同じように脳死を「人の死」であると受け止めるならば、脳死者はすでに医学的に死亡しているのであるから他のご遺体と同様に医療行為はもちろん人工呼吸も栄養の投与もすべて停止すべきである。脳死者(のご遺体)は安置室に移す。そして脳死者の残存機能のすべての停止をまって、荼毘に付す。すなわち、それぞれの民族・宗教の伝統的な死生観に従ってことを処することになる。
ここまで念をおしていうのは医療現場では片方、脳死状態という「死者」に「延々と生命維持行為を続けている」からである。長短はあっても数ヶ月も続けている。すでに医療の範疇にはない越権行為というか、科学的とは到底考えられない行為を続けている。これは遺族にとっても悲しみと疲労、死生観に対する混乱を与えるものとなっていると思う。
「脳死状態の維持」には「生命維持行為が不可欠」であるとされている。しかし、その行為は「臓器の摘出」の意思表示がある人に対してのみ限定され例外的に許されるべきものとすべきである。
投稿: 上田 | 2010年6月17日 (木) 10時44分