デボラ・カー死去
大好きだった女優、“熱情”のアリダ・ヴァリの死は先に触れた。今日はヴァリに劣らず好きだった“知性”の女優デボラ・カーが18日、86歳の天寿を終えたことが報じられた。彼女については05年の朝吹登水子の死去の際、サガン原作の『悲しみよこんにちは』の項の中で簡単に触れた。
最初に彼女をスクリーンで観たのは彼女が映画界に入っての二作目、『黒水仙』(1946、英)での修道女の姿だった。それまで軍国少年の神仏だけで育ってきた私はこの年14歳になっていた。初めて接するキリスト教は別世界だった。まして野性的な男性と尼僧たちの間で繰り広げる信仰と愛、愛欲の世界は理解することも不可能な謎であった。ただ凛として知性的な尼僧姿が似合うデボラ・カーにはうっとりと見蕩れたのを覚えている。
彼女は1950年、アメリカへ渡り、ハリウッドの女優になった。そして、これから取り上げる映画『地上より永遠に』(ここよりとわに、と読ませる。1953年)にでた。日本がハワイマレー沖海戦と呼ぶ真珠湾攻撃までの数カ月間の軍隊内の出来事をドラマにしたものだ。日本はアメリカと戦って敗れてから8年が経過していた。
私にとって彼女の代表作は何と言っても『地上より永遠に』だ。
1941年の夏、1人の青年がスコフィールド兵営に転属しきた。先の配属先で上官に反目し、降格されての配転となったのだ。新しい配属先の中隊長はボクシングに夢中で、転属されてきたプルーイット(プルー)が以前ミドル級のチャンピオンだったことを知り、下士官昇進を餌にプルーにチーム入りを進める。しかし、プルーは過去の試合で戦友を失明させたことで二度とボクシングをしないと決心していた。ボクシングに夢中の中隊長以上に実質的に中隊を支配する軍曹は、プルーに反抗することを警告したが、聞き入れなかった。日増しに中隊長からの圧迫が強まり、プルーはしばしば虐待行為を受ける。
イタリア系アメリカ人の兵卒マギオだけはプルーの見方になった。中隊長の妻カレンは外に女性のいる夫を憎んでいた。カレンの満たされない心の隙をついて軍曹はカレンに近づくき、いつしか不倫を重ねて行く。マギオはプルーを慰安所に連れ出す。プルーはそこで働くアルマと知り合う。恋におちたプルーは結婚を申し込むが、いずれは足を洗い、アメリカ本土で厚生を夢見る彼女は心良い返事が返せない。プルーに対する虐待行為は依然続いていたが、彼は決して屈しなかった。ある夜、マギオが無断外出して深酒の末、MPに逮捕されて営倉入りになった。日ごろ営倉係から目の敵にされていたマギオは、意趣返しのような虐待を受け、脱走してプルーのところに逃げ込んだが、内出血がひどく絶命する。プルーはマギオの恨みを晴らすため、復讐を誓う。ある夜、軍曹を町の裏小路に呼び出し、決闘してケリをつけるが、自らも深手を負い、アルマの家に身を隠した。
その頃、カレンは本土に引き揚げようという夫の言に悩んでいた。軍曹との仲もうまくいかなくなっていた。そして、ハワイは12月7日(日本時間12月8日)の朝が来る。日本軍が真珠湾のアメリカ大平洋艦隊を攻撃したのだ。アルマの家でこのことを知ったプルーは脱走した兵営に帰隊すると言い張り、必死の引き止めを振り切り、よろめきながら兵営に向かう。脱走がばれないようによろよろと物陰を伝って歩くうち、誰何(すいか)されたが無言で走り出したところを射殺される。
数日後、本土へ向かう船上でカレンは若い女と知りあった。彼女は戦闘機のパイロットだった許婚が、真珠湾攻撃の日に戦死したと語りかけた。若い女はアルマと名乗った。
《カレンを演じたデボラ・カー。清楚で知性だけの女性かと思ったが、夫の部下の軍曹との不倫に走り、人のいない渚で打ち寄せる波を被りながらの抱擁シーンは、映画史上最も有名なキスシーンとの評判をもらうものだった。二人の他にも素晴らしい俳優が顔をつらねる。プルーを演じたモンゴメリー・クリフト。彼についてはドライザーの小説を映画化した『日の当る場所』でも少しだけ触れた。当時はマーロン・ブランドとファンを二分する男優だった人だ。そのプルーが殺されたマギオを偲び、夜の兵営で葬送曲に代えてマウスピースだけで吹いた就寝ラッパの響きは映像とともに、心に染み込む素晴らしいシーンだった。
映画が封切られたのは敗戦から8年目、私には、まだ人生の痛手が消えやらない時期のこと。真珠湾攻撃のシーン、現地はその日が日曜日でのんびり目覚めた兵隊たちの様子が一変して、日本軍の空襲を迎え撃つ兵営内の様子は冷静な目で見られず、奇妙な感覚に襲われたことも覚えている。
その後のデボラ・カーは56年に『王様と私』、57年に『悲しみよこんにちは』で、お目にかかった。『地上より永遠に』に出ていた俳優の殆どはすでにこの世にいない。(プルー)を演じたモンゴメリー・クリフトは1966年、(軍曹)のバートランカスターは1994年、(マギオ)のフランク・シナトラは1998年、(アルマ)のドナ・リードは1986年にそれぞれ亡くなっている。憎まれ役の(営倉係)のアーネスト・ボーグナインだけはまだ90歳になった今もテレビで活躍していると聞く。何もかもを溶かし込んで、情け容赦なく時は過ぎて行く。》
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コメント
デボラ・カー、モンゴメリークリフト、バート・ランカスター、アリグ・ヴアリ、アーネト・ボーグナイン。驚きと懐かしさ。
よくもまあ詳しく並べていただきました。
「地上より永遠に」・・・ここよりとわに。おっしやるとおり誰がこんな読み方をさせたのだろう。
夢中のうちに通って三回。固形頭の軍国少年にとってこの映画を理解するのに時間が掛かりました。こんな思いは・・・・
子や孫には今や通じません。通じない世代こそ良い時代。と思いたい。
が、我ら年寄り、そのためにこそお喋り致しましょう。
投稿: hanasaska23 | 2007年10月23日 (火) 20時10分
コメントありがとうございます。
若返りの「はなさかにいさん」とお読みしましょう。
さすが映画学部で学んだ方ですね。鋭い批評が続いています。
私も17日の拙ブログで「生きる」をほんの少しだけ語りました。
1950年、60、70年代は多くの国から映画の波が押し寄せて来ました。ソビエト、フランス、イタリア、ドイツ、イギリス、ポーランド、ギリシャなどなどから。勿論日本映画も秀作が続々と作られました。
貧乏家庭には毎週見る金なんかありません。学校に映画クラブを立ち上げ、部長におさまり、町に3館あった映画館主、支配人たちと顔見知りになり、ロハで見て歩きました。期末試験さえ忘れて。
今は、CGばやりの無機質なアメリカ映画一辺倒になりました。手作りの暖かさがなくなったようです。映画館にはとんと足を運ばなくなりました。
投稿: 小言こうべい | 2007年10月24日 (水) 14時06分