騒音訴訟問題
今から55年も前になる。黒澤明の名作「生きる」が封切られた。とある市役所の市民課に、三十年間無欠勤の「木乃伊(ミイラ)」とあだなをつけられた無気力な課長がいた。この人物が欠勤した。具合が悪くて診察に行った病院で「癌」の宣告を受ける。当時の感覚では当然のような「死」の宣告だ。なす術もなく夜の町を飲み歩くうち、彼に木乃伊の渾名をつけた事務員の女性と出会う。死んだような職場にはもう居られない、と退職願いに上司の彼の認めが必要なため、探し歩いていたところだった。話を聞いた「木乃伊」は次の日から別人になって過去に陳状のあった地域の整備に動き始める。最後には児童公園を完成させる。住民からの感謝の声を受けたその夜、独り粉雪の舞う公園のブランコで静かに歓びをかみしめて謳う「ゴンドラのうた」(命短かし 恋せよ乙・・・)は半世紀以上経った今でも忘れることはできない名作だった。
毎日新聞(10/16)から
つい先日、西東京「いこいの森公園」であった公園の噴水で遊ぶ子どもの声やスケートボードの音が苦痛だとして、同公園を管理する同市に騒音差し止めを求めた仮処分について、東京地裁八王子支部が今月1日、女性(心臓が弱く、不整脈の症状がある)の訴えを認める決定を出した。市は翌日から噴水を止めるとともに、スケートボード施設の利用を中止している、という。
決定が報じられると、市にはこれまで100件近いメールや電話が寄せられた。その9割が「子どもの遊び場がなくなる」といった裁判所の判断を疑問視する内容のようだ。このような反応をみて市は「子どもの歓声を騒音と感じる女性の感覚が問題」として今後も争う姿勢を示している。
今まで子どもを遊ばせていた主婦(37)は「子どもがかわいそう。私たちは声は気にならない」。仮処分を求めた隣人も「戸を閉めれば声は一切聞こえないし、開けていても気にならない」と話した。
《加害者側の意見はそうだろう。被害者は心臓が弱く、不整脈の症状を抱えている。女性は今も入退院を繰り返しているという。遊んでいる子どもたちの親にしてみれば、何があっても可愛い子、だ。しかし、他人には少しの事でも気になれば嫌悪される。まして子どもの金切り声は他人には我慢できる代物(しろもの)ではない。スーパーやコンビニ内での躾がされていない子どもたちの腹立たしい姿については、有り余るほどの意見が寄せられている。公園での金切り声が最初にそのように印象づけられれば仮処分の訴えを起しても何ら不思議ではない。同じことでも日に日に倍増されて感情が悪化して行くのが普通だ。》
《まして戸を閉めれば聞こえないとは人権蹂躙も甚だしい言い分だ。女性宅は公園の北側にあるということは、南側の戸を閉めろ、ということだ。生きるための当然の権利、日照も我慢して耳を塞いでいろ、と言うに等しい傲慢さだ。このような声で市側が勇気づけられているとすれば、西東京市という市は文明からは遠く離れた地域ということだろうか。これらの声は、権利だけを主張する昨今の流行りの考え方なのだろうか。》
「いこいの森公園」は05年4月に完成している。訴えた女性の家族は30年前から今の住所で生活してきたという。公園になる前のその土地には旧東大原子核研究所(約4万4000平方メートル)があったところだ。そこのわざわざ45メートルという宅地に近い位置に今回問題となった噴水を造った。市は「市民参加型で作った公園」というが、事前の説明会は2回だけ。噴水に最も近くにある女性宅を含む4軒には訪問すらしていない、という。
市の観測によると、子どもの声は女性宅前で60デシベルを記録した。都の騒音規制基準の50デシベルを上回り、数値に問題がないわけではないが、恐らく多くの子どもが集まる公園や遊園地などの近隣でも、基準を超えるところは他にもあるだろう。騒音問題の調査に当る国立環境研究所の黒川佳香主任研究員が「音は時代、慣性、社会、環境によっても受け取り方が変わる。許容できる範囲は、音の大きさで一律に決められるものではない」と言うように、騒音かどうかは、受け止め方で大きく異なる。
《騒音は大きな音だけではない。低い音でも硝子を擦った音のようなものもある。前にも書いたが、風鈴が騒音と捉えられて喧嘩になった例もあるのだ。また、最近言われるように、いじめられる側がいじめだと思えば、それはいじめだと言う考えが定着してもいるようだ。そうすればこの公園で起ったことも間違いなく騒音と言えるのではないか。少子化が妙なところで影響しているのか、「子どもが可哀そうだ」と言えば何事も許されるようなけったいな風習も起りつつある。「隣の市の公園では同じような騒音があるけれど、皆が仲良くやっている」、だからお前たちも・・・、は理由にならない。》
西東京市に隣接する武蔵野市に02年4月にオープンした武蔵野ストリートスポーツ広場では、市は近隣の1軒1軒に呼び掛けて設置場所についても聞き取り調査を実施したという。また、専門家のアドバイスで騒音がでない構造にしたり、根回しが十分にされた結果、現在まで騒音苦情は殆どないという。《殆どとは皆無ではないということのようだが》。
《記者のレポートによると、西東京市の市からの近隣住民への説明不足の上に、女性からの騒音に対する防音壁設置の要望に対しても「歓声を騒音とする女性の感覚に問題がある」と決めつけ、未だに真剣に対応していないという市の姿勢は、昔々のお上意識の残滓なのだろう。子どもの声を「歓声」と捕らえるか「金切り声」と捕らえるかはお上の判断ではない、聞き手の感情の問題だ。女性の感覚に問題がある、とする市の見解は人の心理が何も分かっていない人間の言葉としか思えない。と同時に、取材時のスナップ写真からだが、子ども同様に保護者の数も多く集まる姿が見られ、親たちの井戸端会議の目的もあるのだろう、みんなで騒げば恐くないの心境でもあるだろう。だから「私たちには騒音ではない」「戸を閉めておけ」などの意見が出るのだ。毎日音楽を聴きながら、パソコンに向かうのを楽しみにしている私でなくてよかった。神経を逆なでされるような金切り声には気が狂うほど苛立ち、とても我慢できないからだ。問題の女性以上に市にはクレームをつけているだろう。》
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
私は高山市奥飛騨温泉郷(旧上宝村)に住んでいますが以前から鳴っていたのですが2日ほど前からボリュームアップされた大音響のチャイムが朝7時、正午、5時と3回鳴り響くのですが、温泉地で宿泊客もいるのに、高山市が宿泊客と住民を一斉に7時に起こす権利があるのか?と言う質問を高山市にぶつけたのですが、起こすつもりは無く合図ですと言う、とぼけた返答。以前これと同じ様な行政が鳴らすチャイムで
訴訟を起こした方がおられたと記憶していますが、訴訟の成り行きや結果がどうなったか知りたいのですが、教えていただけないでしょうか?
投稿: 青谷 幸宏 | 2008年2月26日 (火) 19時22分