石見銀山
浅学を恥じることになった。このところ頻りに世界遺産「石見銀山」がテレビに登場する。すぐ近い兵庫県で生まれ、京都府で学生時代を過ごし、小旅行には銀山のとなり町浜田で1泊までしたが、世界遺産の申請から外れ、再び逆転登録されるまでその名に値するほどのものであることを知らなかった。
当初の「文化・技術的価値」を強調する考えから、「16世紀から環境に配慮していた」点を前面に押し出した日本政府代表団の戦略転換があったらしい。まず、5月12日、ユネスコの諮問機関・国際記念物遺跡会議(イコモス*)の報告で、「普遍的な価値の証明が不十分」などとして4段階評価の中で上から3番目の「情報延期」の勧告を受けた。
*1965年に設立された。International Council on Monument and Sites (ICOMOS)
これまでの申請では2番目の「情報照会」から登録まで、1段階アップの例はあるが「登録延期」から2段階進んで登録された例は過去830件中「モーリシャスの奴隷貿易史跡」など数は少ないという。
パリでの2度目の説明に世界遺産委員会で日本代表は、現在地球的規模の環境破壊が注目を集める中、石見銀山の精練に必要な燃料に使用する森の樹木の伐採には制限を設けた上、伐採後には植林を続けたこと、地崩れ対策に根の強い竹を植えて山を守ったこと(他国では大半を占める露天掘りが行なわれていた)、など、江戸時代から環境に配慮していた銀山であったことを強くアピールした。
「環境に配慮した石見銀山」の印象は深く理解を呼び、最終的な評決で代表権を持つ委員の約半数は専門科ではない各国のユネスコ大使であったこともあって、その彼らには『環境』という言葉が強くアピールしたこともあった。世界遺産で環境との調和を前面に出して訴えたのは石見銀山が初めてであった。逆転登録は6月末のことである。
日本には石見銀山のほかに、日本最古(7世紀)の対馬銀山(長崎県対馬市)、平安時代初めに開坑といわれる生野銀山(兵庫県朝来市 旧生野町)があった。16世紀の石見銀山は当時の世界全体の3分の1(平均は年間38トン)を産出していたという。
付焼刃の内容で、恥ずかしい限りだが、おいおい老いの脳裏にも知識を増やしていきたいと考えている。
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