女子体操が懐かしい
東京オリンピックで女子体操総合金メダルのチャスラフスカ・23歳(当時チェコスロヴァキア)が翌年東京体育館にやってきた。
エクタクローム・リバーサルフィルム(ASA100)
ASA1600で撮影、東洋現像所(当時)で増感現像処理。
体操の第40回世界選手権で日本女子が北京五輪の出場権が得られる12位に入り、1996年のアトランタ五輪以来の切符を手にした。このこと自体を貶めるつもりはないが、ここ20〜30年のオリンピックの女子体操は全く見る気にならない。38年も前の写真を取り出したのは、当時の女子体操の選手たちにはヴィーナスもさぞやと思えるような美しい曲線美が備わっていたのを知ってほしいからだ。
東京オリンピックで総合優勝した彼女は22歳、4年後のメキシコ五輪でも総合金メダルを獲得した時は26歳。それが今回のシュトュットガルトのアメリカメンバーには14歳が混じり、日本でも鶴見の現14歳がいる。このように代表が若年化したのは何時頃からだろうか。思い当たるのはチャスラフスカの去った後、オリンピックに突如として現れたのが例のコマネチだが、女子体操が子どもの競技に移行したのは彼女から始まったように思う。「白い妖精」と名付けられたかの女は演技の度に10点満点を連発して世界を驚かせた。
私が女子体操が面白くなくなったのは、このコマネチが現れてからだ。専門家の目には優れた技、優れた演技と映るのだろうが、見ている側にはそれに相応する選手とは映らない。確かにルーマニア女性の白い肌を備えてはいたが、痩せ細ってギスギスしていて女らしさが微塵もない。そう、女性としての美しさに欠けていたのだ。彼女がモントリオール五輪で総合金メダルを獲得した時の年齢は15歳。まだ完成された女性の肉体には程遠い年齢だった。美しく優雅に舞えるわけがない。スジが目立つ肉体では軽業芸はできるだろうが、動きに伴う美しさは決定的に不足していた。女子体操が女児の軽業になった瞬間だった。
日本には昔から大道芸として伝わる越後獅子がある。年端の行かない童が、主人が奏でる笛の音に合わせてとんぼ返りや逆立ちをして道行く人たちから日銭を稼ぐ悲しい世界だった。現在のオリンピックの女児選手たちを見ていると、自然に越後獅子が思い浮かぶ。日本でも「女子の体操選手のピークは13歳」との説を持つ人もいるぐらいだが、中国曲技団の子供達を見ているとある意味納得はできる。
上の写真に開会セレモニーで代表に花束を渡して帰る和服の子どもが写っているが、後ろのチャスラフスカ(金髪)たちとの世代交替、時代の変化を象徴してでもいるように見える。現在はこのような子供達が飛び回っているのがオリンピックの女子体操だ。思春期と言うか成長期というのか来年のことが読めないほど肉体の変化に伴う競技への影響は大きいだろう。コマネチに驚いたような劇的で頭抜けたヒロンの出現がない限り、誰の脳裏にも記憶に残る名前の出る可能性はない。すぐに人々の記憶から消えて行く泡沫選手が飛んだり跳ねたりするのだろう。
曲芸が見たいのならサーカスを見に行けばよい。女性の肉体は、チャスラフスカのように26歳でなお、金メダルが獲得できる成長への可能性を秘めているのだ。なぜ、16歳でも可の制限を設けるのか、日本でいえば、少なくともオリンピック開催日時、満年齢18歳以上の年齢制限にするべきだ。今のような女児が飛び跳ねるだけの競技には全く魅力はない。私は、女子の競技には力強さと同時に優雅さ、美しさを求める。それがない限りこれからも女子体操は見たい競技種目には入らない。
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