« 何のために 勉強するの | トップページ | 斧殺人も流行か »

2007年9月25日 (火)

マルセル・マルソー死去

マルソーについて書く前に、情けない日本の総理だった(まだ総理か)男について一言。24日午後5時、病院からのこのこ出てきて謝罪会見よろしく喋った安倍、いかにも同情を押し売りするような様子で弱々しく、医師まで引き連れて会見場へやってきた。国民への説明もなく野党からの追求から逃げるようにして、命をかけるはずの職務を放り出したことへのお詫びをくどくどと口にした。

あのはげ頭の政治評論家が、安倍に対するマスコミを筆頭とする世間のバッシングを口にしたが、新聞も世論もバッシングをしたのではない。一国の首相の余りの無責任を質(ただ)そうとしただけだ。テレビから逃げていた間に一気に憔悴したのかわからないが、激務に耐えられそうにない前兆に、気がつかなかった周りも無能の輩の集まりだったのだろう。どうやら遁走劇に一先ず段落はついた。そして、

日本に、世襲の総理が生まれる。二世、三世、いやそれ以上の雑魚のような連中が集まる代わり映えしない国だ。

【閑話休題】
フランスの役者(無言劇:パントマイム)マルセル・マルソーが22日、パリで死去した。死因などは明らかにされていない。もっと高齢かと思っていたが、84歳だった。彼はフランス北東部のストラスブール出身のユダヤ人であった。AP通信によると、第二次大戦中、父親はポーランドのアウシュビッツ強制収容所に連行され死亡、自身はフランス南西部に逃れたという。大戦後、サラ・ベルナール劇場の演劇学校生徒となり、パントマイムの名優E・ドクルーに師事した。

1947年、横縞シャツに花つきシルクハット姿の白塗り道化師「ビップ」というキャラクターを創造。劇団を主宰して世界各地で公演し「20世紀のピエロ」と賞賛された。

幼い頃からチャップリンやキートンら無声映画のスターを敬愛し、浮世絵や、歌舞伎など日本の伝統芸能にも影響を受けた。人間の哀感をとらえた詩的な人物造形、優れたリズム感覚は、大道芸のパントマイムを芸術の域にまで高めたといわれる。55(昭和30)年以来10回以上来日し、日本のパントマイム役者にも大きな影響を与えたと言われる。

92年には新劇団を結成し、パリにパントマイム学校を設立するなど後輩の育成にも力を注いでいた。主な作品に「夜明け前の死」「ドン.ファン」などがある。AFP通信は遺族の話として、同氏が葬儀後、パリのペール・ラシェーズ墓地に埋葬される予定だと伝えた。

《以上は若い世代のマルソーに関する経歴、人物像だが、私の世代にはその半世紀遡った時代のマルセル・マルソーになる。1952(昭和27)年2月に封切られた「天井棧敷の人々」(1945)に接した。3時間を超える大作だった。戦前にはカット、カットで切り刻まれて上映された外国映画が、敗戦後完全版で再輸入され、続々と日本の銀幕を賑わしていた時代だった。その中に混じってナチスドイツの占領下に製作された「天井棧敷の人々」が封切られた。1946年にベネチア国際映画祭で特別賞を獲得していた。すでに前評判は上々であった。

マルセル・カルネ(監督)ジャック・プレベール(脚本・台詞)ジョセフ・コスマ(音楽)のコンビが紡ぎ出す名作の中の1本だ。監督のカルネは戦前、名監督と謳われたジャック・フェーデの「外人部隊」で助監督を勤め、翌1934年には「北ホテル」で初メガホンを取る。42年「悪魔が夜来る」に続いて「天井棧敷の人々」となる。46年は脚本を担当した詩人、ジャック・プレベールとのコンビの最後になる「夜の門」がある。話がずれるが「夜の門」でジョセフ・コスマの曲に詩をつけて生まれたのが、数あるシャンソンの中でも名曲中の名曲といわれる「枯葉」だ。主人公のイヴ・モンタンが歌ったが当時はぱっとしないまま消えて行く曲と思われていた。それをパリのサンジェルマン・デ・プレでフランスの文化人の溜まり場になっていたカフェ「カフェ・ド・フロール」で、彼らにミューズとして可愛がられていた黒ずくめの衣装のジュリエット・グレコが歌い始め、脚光を浴びることになる。他にプレベールの詩を歌ったもの「愛しあう子どもたち」「私は私」など、若い頃の私の愛聴盤(SP)だ。

さて、話を今日の主人公、マルセル・マルソーに戻さなければいけない。映画「天井棧敷の人々」は19世紀末のパリの犯罪大通りと呼ばれていた喧噪の通りを行き交う人の波から始まる。大道芸人が技を拾うし、幾つもの舞台では賑やかな口舌で安っぽい寸劇を見せている。カルネはこの短い(15分ばかり)時間に主だった登場人物を見事に絡ませて紹介して行く。その中のある劇場の前に作られた簡素な舞台の上で呼び込みが行なわれている。舞台の端にぼんやりと顔まで真っ白に塗り上げて、真っ白な鍔広い帽子を被った全身白づくめの1人のアルルカン(バチスト・ドビュロー)が腰掛けている。父親に当る男の呼び込みの口上を聞く聴衆に視線を落としたままだ。最前列に陣取った女性、でぶっちょの金満家、髯を生やしたコソ泥が並んでいる。金満家がチョッキのポケットから懐中時計を取り出して眺めて収める。髯の男が不審な動きをして素早く去って行く。金満家がポケットを探って時計の無いのに気づき、隣の女を捕まえてお巡りを呼ぶ。駆け付けたお巡りが誰か見ていたものがいないかを周りの人間に訊ねる。舞台の上のバチストが自分が見ていた、とこたえ、パントマイムで目の前で起った出来事の一部始終を、特にデブっちょの慌て振りなど面白可笑しく演じてみせて女の疑いを晴らしてやる。演じていたのは名優ジャン・ルイ・バロー(35歳)。

マルセル・マルソーのパントマイムの原形がそこにあった。バローがバチストを演じていた頃マルソーは22歳でパントマイムの修行中だった。バローが拵えた全身白塗りのアルルカンを原形に、マルソーは横縞のシャツを着込み、帽子には赤い花を飾った(アルルカン)バチストを作り上げた。

Batisuto1Batisuto2Batisuto3


Batisuto4 
 ジャン・ルイ・バローの演じたバチスト
 帽子の花飾りは賑やかだった


マルセル・マルソーは後年パントマイムの神様と呼ばれる存在にまで上り詰める。彼が眠る予定のペール・ラシェーズ墓地には多くの著名人が眠っている。世界でもっとも有名な墓地の一つであり、パリ最大の墓地。ショパン、バルザック、マルセル・プルースト、モリエール、アポリネールやエディット・ピアフ、イヴ・モンタン、マリア・カラスもここだ。

(余談)1980年、キネマ旬報が行なった映画が創られてからその年まで、日本で公開された作品で、最も優れた作品としてトップに選ばれたのが、「天井棧敷の人々」であった。私の手元にはレーザーディスク2枚組、消費税3%(¥9,538)時代に購入したものがある。

|

« 何のために 勉強するの | トップページ | 斧殺人も流行か »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/107998/16562522

この記事へのトラックバック一覧です: マルセル・マルソー死去:

» マルセル・マルソー讃 [【マスメディアとつきあう為の、12の方法序説】]
私がパントマイムをはじめたのはいつかという御質問でしたね。子どものころからではあります。チャップリンが大好きでした、六つか七つのころ。映画をみて帰ってはまねをしていたものです。 十歳のときには、仲間たちを集めて路上でパントマイムごっこをして遊んでいました。もちろんパントマイムのなんたるかを知っていたわけではありません。 でも、人生は劇場でしたね。大通りにも、路地にも、廊下にも、われらの空間がありました、われらの劇場がね。大道劇場──生きた劇場。 工芸学校にはいってから、演劇について... [続きを読む]

受信: 2007年9月25日 (火) 23時38分

« 何のために 勉強するの | トップページ | 斧殺人も流行か »