格差社会 賛成か 反対か
さて、今回の石田衣良の白黒つけます、は難しいテーマだ。人類が生まれて集団生活が始まった時から差別社会は形作られてきた。自然発生的には力の強いものが小さな集団の長になり、数が増えるにしたがって組織が作られて行く。当然だが力関係でバランスは崩れる。争いが起り、権力が形を整えて行く。このように、数千年の歴史の長きに亙って、古今東西格差社会のない国家や時代は存在しなかった。
日本においても士農工商の階級のことは誰しも学んだであろう。下級のものは一層下級をこしらえ、少しでも差別から抜け出そうとして自分達よりも下への格差を求めて、今なお解決していない部落民という穢多、非人らの賤民の階級を作った歴史がある。遠くない国インドではカースト*と呼ばれる階級制度が1950年のインド共和国成立によるカースト全廃後もそのカーストは生き残っているのが実態だ。
*基本的には4つのカーストがあり、バラモン(司祭)、クシャトリア(王、武士)、ビアイシャ(商人、平民)、スードラ(奴隷)となっていたが、日本と同じくその又下にはアチャードと呼ばれる賤民がいた。結婚も同じカースト同士で行なわれていた。
言い方を変えれば差別、格差のない社会なんて存在しないと考えた方がよい。
早速、賛成派からみてみよう。(《》内は私見)
「格差社会がないのは、まじめに働いている人も、怠けている人ももらえる給料が同じということ。そんな社会で誰が真面目に働くと思いますか。努力して高給もらって、格差社会の上流をめざしましょう」(千葉市・考えるヒント)。《共産党に先導された労働運動華やかなりし頃、公平と平等を履き違えた多くの労働者が平等を主張し、仕事ができる人、努力する人たちのモラールの足を引っ張ったことがあった。》「格差というと差別のようで賛成とはいえないけど、現実問題みんなが平等ってあり得ない。性格も体力も住んでる地域も好みもなにもかも違うのだから、しょうがないってとこかな」(愛知県阿久比町・リンドウ)、「「わたしは地方都市に本社のある企業に勤めているので、地方の基準(給与・休暇・手当)で都心で働いています。安いです。正直若い子は結婚できないといいます。ただどんなに平等をうたっても、格差は必ず存在する。公平であってほしいけど、平等を叫ぶうさんくささも感じています」(奈良県河合町・てんとうむし)。
《学校では皆等しく教育は平等に受ける。しかし、結果は皆平等で卒業しない。平等は受け手の側に平等にならない要因をそれぞれに孕んでいるからだ。そこで必要になるのが公平(通信簿)という基準だ。》
反対派に移る前に集計をみてみよう。
〈有効票数〉2595(男1144、女1451)
賛成 反対
全 体 26・5% 73・5%
男 33・5% 66・5%
女 21・0% 79・0%
10代以下 男 29・2% 70・8%
10代以下 女 33・3% 66・7%
20代 男 43・6% 56・4%
20代 女 20・1% 79・9%
30代 男 35・2% 65・8%
30代 女 23・1% 76・9%
40代 男 32・1% 67・9%
40代 女 18・9% 81・1%
50代 男 25・8% 74・2%
50代 女 16・9% 83・1%
60代 男 7・4% 92・6%
60代 女 20・0% 80・0%
70代以上 男 42・9% 57・1%
70代以上 女 60・0% 40・0%
《60代男性の7%は異常に見えるが、男女それぞれの世代の人員構成が不明なので比率表示の危うさが現れているようにうかがえる。おしなべて男性の賛成派が女性の賛成派よりも高くなっているが、男性の諦観か、女性の場合は化粧品や衣装代、ブランドへの欲求、遊び心か、或いは女性特有の打算から来るものか、或いは男性を意識した被害者意識か分らない。》
それでは反対派の意見を。
「現代社会は病気や老いにより、誰もが弱者になる可能性をはらんでいる。弱者が生きにくい国で、ほんとうに強者は生きやすいのだろうか。強者もおびえを抱いているからこそ、金に執着し、ますます格差が広がるのでは。みんなが不幸になる社会は反対です」(熊本県人吉市・あーすけ)、「まったく格差のない社会はないと思うが、中流階級だった会社員が、最近は増税や物価の高騰により下流階級になりつつあるように感じる。普通に会社員をしていて、生活が苦しいってどんな社会?」(匿名)、「わたしの大卒時は超氷河期。友人も正社員でのでの就職率は低く、わたしも一年契約を更新しています。安月給・ボーナスなし、通勤手当てのみ。いい年の人間がフルタイムで働いて独立もできないのが、契約や派遣の現実です。企業の多くが正社員採用するのは新卒のみ、現場はいつでも辞めさせられる契約やパートだらけという状況はあまりに企業のご都合主義です」(京都府長岡京市・紅茶猫)。
《企業の冷血さは今に始まったことではない。昭和の初めにも同じように日本では娘を売らねばならないほどの苦しい時代があった。労資は激しく対立し、安月給は普通のことだった。「大学は出たけれど」と映画にもなるような時代だった。搾取は「女工哀史」と今に伝わる苛酷な労働条件下で15、16歳の女性たちも働いた。時代は移ったが基本的に企業は利益が上がらなければ倒産する。社会還元をすることすら不可能になる。現代は、企業に取ってもぬくぬくと利益を搾取できた時代ではなくなった。その意味で、労資の損得が対立するのは当然のことだ。わたしはたった15年前に現役を去ったが、生涯を通して一円の残業代も貰ったことがない。自分の未熟なことが原因で会社に多大な材料費、諸経費、時間を無駄に消費させ、残業代をよこせ、とは論外、で済んだ時代だった。有給休暇は稀に消化した。生涯の未消化有給休暇を通算すれば2年近い労働日数、無償で会社に奉仕したことになる。昭和一桁はそんな労働条件下にあったものが多くいた時代だった。格差など考える暇もなかった。》
「わたしはバブル崩壊後の不景気、就職難の時代に大人へと成長しました。うちは経済的には苦しい家庭だったけれど、それでも不幸なんかじゃなかった。テレビなどでさんざん悲惨な話を耳にしても、今生きている時代に恨みはありませんでした。今マスコミがあおっている格差社会っていうのは、心の格差社会ではないでしょうか。心が貧しい状態で金銭的な格差が広がれば、それはほんとうに悲惨な社会です。目に見えて形になって、数字としてあらわせるものだけでなく、それ以外に大切なものがある。それに気づく社会になってほしいです」(東京都福生市・愛弓)
《振り返って、今回のテーマに対する賛否を答えるのは無理だ。何故なら、好むと好まざるとに拘わらず、差別、格差社会はこれからも未来永劫に続くものだからだ。》
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