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2007年9月30日 (日)

夫は仕事 妻は家庭

内閣府男女共同参画局の世論調査による「男女共同参画社会に関する世論調査」の結果、「夫は仕事、妻は家庭」に反対する人が初めて半数を超えた、と29日発表した。同局は「役割分担意識は変わりつつある。しかし、まだ不十分な面があり、現実とのギャップを埋める努力も進めたい」としている。

「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきだ」という考えに対し反対は52・1%で、賛成の44・8%を上回った。この質問は92年の調査から開始し今回が5回目である。92年調査時は反対34・0%、賛成が60・1%であったが、その後、反対が次第に増え、今回過半数に達した。ただ、女性は反対が56・9%だったのに対し、男性は賛成が50・1%と、僅かながら反対を上回っている。

生活面で家庭を優先している人は32・4%で、仕事を優先していると答えた27・7%を上回った。ところが男女別では男性は仕事優先が40・2%で、家庭優先の18・5%を大きく上回り、反対に女性は家庭優先が43・9%、仕事17・3%となった。このことは実際の生活では「夫は仕事、妻は家庭」という傾向が根強いことをうかがわせる数字となっている。

調査は7〜8月、全国20歳以上の男女5000人を対象に面接方式で実施、3118人からの回答をまとめたものだ。

《内閣府の発表を受けた各紙の論調は、「夫は仕事、妻は家庭」をいかにも悪のごとき見出しで掲げた。ほんとうにそうなんだろうか。反対する女性の56・9%という数字の上限はどこまでを望んでいるのだろう。逆に男性の仕事優先の40・2%という低い数字は生活基盤になる経済的裏付けをどのように考えているのだろう。一家の大黒柱としての考えはなくなったのだろうか。働くものの意識は中流を自認し、加えて女性の社会進出はより豊かな生活を齎したのも事実だ。しかし、その昔、口汚く「貧乏人は麦を食え」と贅沢を戒めたばかりに不評を買った大臣がいたが、今、それを言う識者がいてもいいほどに、何処の家庭も生活レベルを高望みすることになった現実もある。一度中流を味わうと落ちることはできなくなる。

結婚は夫も妻もお互いに親を捨てて別生活を始める。家つき、カーつき、ばばあ抜きの。昔は違った。二世代三世代の同居が基本の家庭があって家族がいた。子は親の面倒を見た。親を楽にさせてやりたいとは子どもの願いでもあった。現在はどうだ、養老院が花盛りだ。

華々しく社会進出を始めた女性の妻となる以前の生活が、昔とは比べようもない贅沢なハイレベルが当たり前になっている。それが妻となった途端に単身時代の我が侭が制限を受ける。当然働かないと海外旅行には行けなくなる、ブランドは手に入らなくなる、旨いものが食べられなくなる。子どもが生まれても生活レベルを落とすなんてもっての他だ、家庭に縛られるなんてとんでもない、夫の収入だけでは贅沢ができない、働かないと、となる。考えてみれば昔のような長屋住まいでも良い、親と同居していれば、毎月高額のマンション代を支出する必要など全くないのに、だ。

「妻を働かせるのは男の恥だ」の心がけは、私(昭和一桁の私には半分はその気概は存在した)の前の世代が最後だろう。聞くところによると、課長あたりの給料は、時には部下の5人や10人を飲み屋で飲み食いさせられる収入があったと聞く。確かに現在の夫たちにはそんな大黒柱の感覚を持てというのは無理だろう。まして家族サービスという心身共に疲れる仕事が増えている。いや、そう思うのは我々の世代か。今では進んで家族サービスすることが大黒柱となるよりも大事、と価値基準が変化しているとみる方が正しいのかもしれない。》

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2007年9月29日 (土)

男女の友情は 成立するか しないか

『男とは死ぬことと見つけたり』を叩き込まれながら、敗戦の痛手から抜け切れず、男女共学が当たり前の当世の学生たちには想像もできないだろうが、隣に女子生徒が机を並べていることに堪らなく違和感を覚えて過ごした3年間。田舎の学校であったが、こちこちの私と違って待ってましたと言わんばかりの男女交際を楽しむ人間も出現した。生徒同士ばかりではない、教師との交際もすでに現れていた。この女生徒は卒業後間もなく教師と結婚し東京へ出た。

私が普通に女性を女性として見ることができるようになったのは、大人(1948年7月施行、1949年1月15日から始まった成人式はあったが、実施されたのかも分らないままに、祝ってもらった覚えはない。)になってからだった。今回のテーマである「女性は友人として生涯付き合えるか」や、「結婚は何のためにするのか」、など青臭い話を、友人たちと集まれば何度となく交わし、自問自答した時代があった。

石田衣良の「白黒つけます」が選んだのが今回のテーマ。石田衣良もいうとおり、男女間の友情というのは、永遠のテーマ。誰しもそれぞれの人生の中で、楽しかったり、痛かったりといろいろな経験を持っているであろう。先ずは少数派の成立しない派から。

(《》内は私見)
「友人として好意を持てるような相手だったら、異性としてどこか意識しているもの。すくなくとも片方にそういう気持ちがなければ、わざわざ友だちでいる必要もありません。ただの友だちという人がいるけれど、はたからみてると好きなのがバレバレだったりします」(40代の主婦:さいたま市北区・匿名)、「男女間の友情が成立しない最大の理由は、本人同士というより周囲にあります。本人が友人と思っていても周囲が認めなければ、恋愛関係と見なされてしまう。つまり男女の友情を成立させるには、それを認める社会環境がなければダメなのです」(40代:千葉県八千代市・久史)。

《先の女性、人間は無機質なものではない、愛情がなければ友情も成り立たない。何度も取り上げている毎日新聞紙上の“愛したい”が“恋したい”、或いは殆ど“抱かれたい”の感情のように受け取れる現在の風潮では、友情も愛情も即恋愛とみるようだ。心と心で触れあう愛情がないところに友情など育つことはない。それに後の男性だが、自分達の友情をなぜ、他人に認めてもらう必要があるのか理解できない。それほど自分の行為に自信が持てないのか。他人の目のために君は生きているのではないはずだろう。だから人がするから俺もするの自分の顔がなくなるのだ。他人がどう思おうと、自分は自分を生きなければ人生ちっとも輝けないよ。》

「成立しないに一票! 男と女って恋愛をするために生まれたと思うから。愛しあい、子どもができるなんて、素晴らしいこと。みんな、たくさん恋をしようヨ!」(埼玉県草加市・秘密のリンゴ)。

いつものように集計がある。
 <有効票数>2778(男1062、女1716)
         成立する    しない
   全体     68・0%   32・0%
       男  58・8%   41・2%
       女  73・7%   26・3%
 10代以下 男  63・6%   36・4%
 10代以下 女  79・2%   20・8%
 20代   男  61・9%   38・1%
 20代   女  75・3%   24・7%
 30代   男  58・6%   41・4%
 30代   女  73・1%   26・9%
 40代   男  59・9%   40・1%
 40代   女  73・5%   26・5%
 50代   男  54・1%   45・9%
 50代   女  70・6%   29・4%
 60代   男  38・1%   61・9%
 60代   女  81・8%   18・2%
 70代以上 男  75・0%   25・0%
 70代以上 女  100%     0%

《いつもデータに多少の不安が付きまとうが、年代構成が不明なことだ。その世代の回答が1人なら、1人がイエスなら100%イエスとなる。上のように男女の間で大きく違いがあるのは何だろうか。古来から言われる衝動的な男と受け身の女性の違いだろうか。 》

続いて 賛成派
「わたしには絶対に性的魅力を感じない異性がいます。そういう人とは友情以外ありえない。一番長い友人とはもう11年のつきあい。旅行では同室だし、相手の家には泊まりに行くし、わたしの家にも来ます」(神戸市・himi)、《そのくせ酒を飲んだときには下ネタに走らないように気をつけるとか。絶対に性的魅力を感じない割には要心深い心がけをしているようだ。》「半世紀をこえる人生の中で、同じ質問に何度か遭遇していますが、きいてくるのが決まって男なのはなぜでしょう。この質問の底に、あるわけないよね?という男のウヌボレが透けて見えるわたしはへそ曲がりかもしれません。異性という感情抜きでひとりの人間として対等につきあえる男性は、幸いにしてたくさんおります」(茨城県牛久市・いやはや)、《男を男として感じない女性ってどんな人なんだろうか。》「異性への評価が恋愛対象かどうかだけなんて、あまりにさびしくて退屈じゃないですか。個人的なことをいえば恋愛の相談にのってもらうのは男友だちばかりです。しりたいのは男心だし・・・」(京都府長岡京市・紅茶猫)、「わたしの親がとてもむずかしい病気になった時、一番の支えになってくれたのは男友だちでした。彼の親も同じような病気になり、苦しみを共有できたのです。夫も支えにはなったけれど、その友だちとは病気の専門的な話もできたので、すごく救われました。わたしが異性との友情が成り立たないという価値観だったら、あの一大事を乗り越えられなかったでしょう。夫でも恋人でも女友達でもダメなことってあると思います」(大津市・ぱち)。

『石田衣良の白黒つけます』は今回で最後となる。
《最後に“友情”でどうしても書いておきたいことがある。ジャン=ポール・サルトルと女友だちのボーボワールのことだ。サルトルは“実存は本質に先立つ”の言葉で知られる実存主義の哲学者、ボーボワールは「第二の性」で‘女は女に生まれるのではない、女としてつくられるのだ’と言った作家。サルトルの実存主義の考え方を基本として、二人はともに作品を生み続けた。お互いに結婚という概念には捕らわれず、男と女の対等の友情を実践しようとした。お互いが違う相手との恋愛もしたようだが、それでも生涯はなれず友情を持ち続けた。晩年に「私にとって恐ろしいことはたった一つしかない。それはサルトルが死ぬことなのだ」と言ったボーボワール。そして1980年、サルトルが亡くなってから6年目に、ボーボワールも亡くなった。二人は夫婦ではないため、同じ墓に入ることに問題はあったが、今はモンパルナスの同じ墓の中に眠っている。周りはどう見ようと、二人には友情の関係であったのだ。》

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2007年9月28日 (金)

裁判員制度

国民が刑事裁判に参加する裁判員制度の施行(09年)に伴い事件報道について、最高裁の平木正洋・総括参事官は27日、福井市で講演し、裁判員に予断を与える恐れがある報道として、
 ♢容疑者の自白の有無や内容
 ♢生い立ち・対人関係
 ♢容疑者の弁解が不自然・不合理という指摘
 ♢DNA鑑定など容疑者の犯人性を示す証拠
 ♢容疑者の前科・前歴
 ♢事件に関する識者のコメント
など6項目を例示した。
「裁判員は職業裁判官と異なり、報道された事実と証拠に基づく事実を区別することに慣れていない」と説明した。最高裁関係者が裁判員制度と報道の関係について、公の場で懸念を示したのは初めて。福井市で始まった「マスコミ倫理懇談会全国協議会第51回全国大会」で、個人的な見解として述べたものだ。毎日新聞(9/28)。

これに対して参加した報道側からは強く反発する発言が続いた。「事件の背景や、社会的問題を明らかにするためには自白の内容や前科・前歴の報道が必要な場合もある」「捜査に誤りがないかどうかをチェックする役割がある」と事件報道の意義を強調し、参事官の発言に反発する意見が出された。参事官は「職業裁判官は予断を排除する訓練をしているが、経験のない裁判員の場合、証拠を前にしても報道の影響を受け、公正・中立な判断をできるかどうか大きな不安がある。裁判員は報道が間違いがないと思ってしまうのではないか」と見解を述べた。

また、報道規制につながりかねないとの質問に対しては「自白などの報道を一切するなという趣旨ではなく、報道に対する法規制は馴染まないと考えている」と答えた。さらに、報道機関の指針づくりにも言及し、「その祭の参考にしてほしい」と補足した。日本新聞協会は裁判員制度の導入に伴う取材・報道のあり方について、年内を目処に加盟各社の参考になる指針を自主的にまとめることにしている。

《参事官の懸念はよく理解できる。国内の新聞は、何処の社のものを読んでも独自性のある論調を展開する紙はない。特に政治に関してはお上から毎日2回の記者への立ち話を聞くだけだ。大袈裟に言えば一言一句のちがいもない。逆に違いがあれば立ち話を聞き違えているか、勝手な想像を加えるかしかあり得ないのが実態だ。スクープなど年間を通してもあれば奇跡だ。この体質は戦時中の大本営発表を流していただけの当時から何ら変わってはいない。

現実問題として、未経験者の裁判への参加は、現在の諸犯罪(小はいじめから殺人まで)に対してますます厳罰を要求するような風潮の中で、従来の被害者側の人権を忘れたような司法の裁きへの反動を加速させかねない危険性を孕んでいる問題だと考える。正義だ、人権だ、と叫んでみても、道徳が存在しない現在の日本では、裁判員そのものが、己を律するバランス感覚を持っているとは考えられない。「罪を憎んで人を憎まず」が単なるスローガンで終わるだろう。「もっと厳しい判決を」「死刑にして」は今では常に耳にする言葉になってきている。メディアにしても、昔から変わらない権力に対する抵抗姿勢も見えないことには信用ならない。メディアの公平性という言葉はことによっては右顧左眄(うこさべん)する立脚点の定まらない陽炎のようなものだ。》

青山学院大学教授(メディア倫理法制)・大石泰彦の話。「仮に示された6項目の規制がなされれば大変なことだ。犯罪は時代を映す鏡と言われ、社会の歪みとして分析しなければいけない出来事なのに、当局が規制を始めれば報道を通じて犯罪を読み解くことができなくなる。例えば冤罪の告発は報道の役割の大きな一つだが、もし偏向報道だと言われると「無罪ではないか」と言うこともダメということになり、私は反対だ。しかし、最近の報道では、犯罪を人間ドラマ、娯楽として扱う内容が目立つ。メディアの自浄努力も働いておらず、公権力に規制の口実を与える状況になっていると思う。捜査機関に誤りがないかチェックするのは報道の大きな役割だが、今は非常に弱い、と言う。

《教授の心配が、杞憂に終わればよいが、そのためには新聞協会が年度内にまとめたいとする裁判員制度の導入に対する取材・報道のあり方についての指針で、規制につながる不安を取り除くために、しっかりと指針を作り上げ、当局を納得させてこそ、より優れた裁判員制度が布かれることになる。

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2007年9月27日 (木)

纒向(まきむく)遺跡から木製仮面出土

毎日新聞(9/27)から
奈良県桜井市教育委員会は26日、同市内の纒向遺跡から、国内最古の木製仮面(3世紀前半)が出土したと発表した。縄文時代の土製仮面は確認されているが、弥生・古墳時代は、土製を含め仮面の実物がない。同遺跡は邪馬台国の最有力候補地で、仮面の時期は卑弥呼の時代にも合致。市教委は、当時の日本の中心地である遺跡の農耕祭祀の実態を示す、貴重な発見としている。

《考古学の世界では珍しいことではないが、何か発見があると、先入見から、我田引水の恣意的な権威づけをしたがる傾向がある。特に今度のように纒向遺跡からの出土となれば、土地柄からも「邪馬台国」を九州説を意識した大和と結び付けて大向こう受けを狙った発表になる。そして、市教委のように無理にも卑弥呼の名前までも利用することになる。記事を読む人の頭にはすんなりと邪馬台国、卑弥呼がインプットされる。

だが、邪馬台国が大和であることの確証は未だにないのだ。1986(昭和61)年から3カ年の計画で実施された工業団地開発に伴う文化財発掘調査によって発見された九州・佐賀県の吉野ケ里遺跡こそ卑弥呼の国、邪馬台国である、との説が有力になってもいるのだ。

それには学術的にも裏付けがあり、『魏志倭人伝』では邪馬(臺)台国とは何処にも書かれてはいない。邪馬壹(壱)国とすべて壹(いち)で書かれているのだ。我が国で邪馬台国を最初に研究対象にしたのは新井白石で、当初邪馬台国は大和であるとしながらも、後には筑後の国とする九州説に転じたりしており(逆に九州説から大和説の意見もある)、今に続く論争の火種を作った張本人なのだ。

続いて後世の人間が金科玉条とたてまつることになる本居宣長が主張する説が出て、ご無理ご尤もで反論することがタブーとまでなるようになる。彼は魏志倭人伝を信用せず、多くの疑念を抱き自説に都合よい解釈を加えていった。その代表的なものが、本来、邪馬壹国の(壹)は魏志倭人伝を書いた人間が(臺)の字を間違ったのであろう、としてその字をすべて臺(台)にしてしまったのだ。また、ここは「一月ではなくて一日の誤りだ」とするように、自説に都合良く改竄し、帳尻を合わせて行くことをしているのだ。その結果、宣長は自説では、邪馬臺(台)国は筑紫にあるとした。

現在でも、歴史学、国学、考古学などに頻繁に見られることだが、学者たちは先人をバカ扱いにし、「これは間違い」「知らなかったのだろう」など、自説に都合良く改竄したりしながら利用する。》

今年4〜6月に同市太田の溜め池を調査し、仮面は素掘り井戸から見つかった。長さ26センチ、幅21・5センチ、厚さ0・6センチ。赤樫の鍬を利用したとみられ、鍬の頭部側を顎にし、柄をつける穴を口に利用。両目の穴を開け、眉毛は線刻で表現、周辺には赤い顔料がついていた。紐穴はなく目や口の位置が正確なため、市教委は「手に持って顔を覆っていた」と想定している。

従来の最古の木製仮面は7世紀初頭のもので、今回はそれを約400年遡る。纒向遺跡では祭祀で使ったとみられる木製品を埋めた穴が多数確認されており、今回の仮面が鍬からの転用であることから、市教委は農耕祭祀に使われたと判断した。

《どんどん自分達に都合良い解釈をし、決定事項であるような進め方だ。仮面の材質が硬質の赤樫であるとはいえ、たった0・6センチ(6ミリ)の厚さの木が荒っぽい農耕に絶えられると考えるには無理がある。それに写真で見る限り、口として利用されている穴は、農耕に使用して土をこねたり、耕したりしてできる弛み(傷み)が全く見えない。同じ鍬を作り、土を耕してみてからの結論でよいのではないか。とても鍬の再利用には見えないのだが。時代が同じなら、何でも邪馬壱国や邪馬台国と結び付けてみたり、勝手な解釈を加えるのも早とちりではなかろうか。》

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2007年9月26日 (水)

斧殺人も流行か

18日、京都府京田辺市で、専門学校に通う娘(16)が斧で、就寝中の警察官の父親の首を切り、殺害する事件が起きたばかりだ。

全く同じ状況下で、24日午前2時ごろ、長野県辰野町で、今度は中学3年生の息子(15)が就寝中の父親(無職44)の頭部を斧で斬り付け、大怪我をさせる事件が発生した。父親は同県伊那市内の病院で治療を受けているが、意識はあり命には別条はないということだ。父を斬り付けた少年は、斧を持ったまま近くの交番に出頭したため県警岡谷署は殺人未遂容疑で少年を逮捕した。

26日の毎日新聞によると、県警岡谷署の取り調べに少年は「父親の交友関係に悩んでいた」と供述しており、同署は少年が殺意を抱くようになった背景について詳しく調べることになる。

何処かで聞いたような理由だが、これは数日前に少女が父親の首を斬り付けた理由と同じだ。娘の方は女性関係、とはっきり言っているようだが、少年はただ、女性の模倣をしただけで、明確な理由はなさそうだ。少女の方は殺意があり、「ギロチンにしようと思った」と、必ず死ぬと思われる首を狙っているが、少年はそこまでの殺意もなく、‘女にやれるなら自分にも’程度の碌な思考力もない物まねに過ぎない。単純に、世間を驚かせてやろう、くらいのことだろう。

昔から人の真似をすることの流行は数え切れない。命に関わることでも、華厳の滝の飛び込み、大島の噴火口への投身自殺、天城山の心中、熱海の崖からの投身は名所ともなる。現在の世相の年々増え続けている自殺。死ぬことは簡単ことだ。格差社会と言う大義名分もある。だから流行となる。それに斧でなくても親殺し、子殺し、子捨てなどいくらでもある。マスコミが騒げば騒ぐほど、それに乗るものが現れる。

少年の通う中学校では緊急の保護者会を開いたようだが、集まってわいわいがやがやしたところで解決する問題ではない。一家団欒が失われた会話のない家庭では、命の尊さを説く能力を備えていない。家庭内教育よりは仕事仕事だ。子供よりは金儲けだ。日頃のPTA活動に集まるのは数えるほどの数だ。子供の事は学校任せがまかり通っている。情操教育などかけらも身につけさせていないだろう。

緊急の会に出た保護者の女性は「衝撃的な事件だった。まずは、少年がどうしてこのようなことを起したのか真相を知りたい」と話したという。それは無理だろう。まともな少年ではない、考える能力もない、真似をしただけなんだから。

そして、犯罪は真似するやつが必ず出て来る、また真似るやつが続く危険性もある。

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2007年9月25日 (火)

マルセル・マルソー死去

マルソーについて書く前に、情けない日本の総理だった(まだ総理か)男について一言。24日午後5時、病院からのこのこ出てきて謝罪会見よろしく喋った安倍、いかにも同情を押し売りするような様子で弱々しく、医師まで引き連れて会見場へやってきた。国民への説明もなく野党からの追求から逃げるようにして、命をかけるはずの職務を放り出したことへのお詫びをくどくどと口にした。

あのはげ頭の政治評論家が、安倍に対するマスコミを筆頭とする世間のバッシングを口にしたが、新聞も世論もバッシングをしたのではない。一国の首相の余りの無責任を質(ただ)そうとしただけだ。テレビから逃げていた間に一気に憔悴したのかわからないが、激務に耐えられそうにない前兆に、気がつかなかった周りも無能の輩の集まりだったのだろう。どうやら遁走劇に一先ず段落はついた。そして、

日本に、世襲の総理が生まれる。二世、三世、いやそれ以上の雑魚のような連中が集まる代わり映えしない国だ。

【閑話休題】
フランスの役者(無言劇:パントマイム)マルセル・マルソーが22日、パリで死去した。死因などは明らかにされていない。もっと高齢かと思っていたが、84歳だった。彼はフランス北東部のストラスブール出身のユダヤ人であった。AP通信によると、第二次大戦中、父親はポーランドのアウシュビッツ強制収容所に連行され死亡、自身はフランス南西部に逃れたという。大戦後、サラ・ベルナール劇場の演劇学校生徒となり、パントマイムの名優E・ドクルーに師事した。

1947年、横縞シャツに花つきシルクハット姿の白塗り道化師「ビップ」というキャラクターを創造。劇団を主宰して世界各地で公演し「20世紀のピエロ」と賞賛された。

幼い頃からチャップリンやキートンら無声映画のスターを敬愛し、浮世絵や、歌舞伎など日本の伝統芸能にも影響を受けた。人間の哀感をとらえた詩的な人物造形、優れたリズム感覚は、大道芸のパントマイムを芸術の域にまで高めたといわれる。55(昭和30)年以来10回以上来日し、日本のパントマイム役者にも大きな影響を与えたと言われる。

92年には新劇団を結成し、パリにパントマイム学校を設立するなど後輩の育成にも力を注いでいた。主な作品に「夜明け前の死」「ドン.ファン」などがある。AFP通信は遺族の話として、同氏が葬儀後、パリのペール・ラシェーズ墓地に埋葬される予定だと伝えた。

《以上は若い世代のマルソーに関する経歴、人物像だが、私の世代にはその半世紀遡った時代のマルセル・マルソーになる。1952(昭和27)年2月に封切られた「天井棧敷の人々」(1945)に接した。3時間を超える大作だった。戦前にはカット、カットで切り刻まれて上映された外国映画が、敗戦後完全版で再輸入され、続々と日本の銀幕を賑わしていた時代だった。その中に混じってナチスドイツの占領下に製作された「天井棧敷の人々」が封切られた。1946年にベネチア国際映画祭で特別賞を獲得していた。すでに前評判は上々であった。

マルセル・カルネ(監督)ジャック・プレベール(脚本・台詞)ジョセフ・コスマ(音楽)のコンビが紡ぎ出す名作の中の1本だ。監督のカルネは戦前、名監督と謳われたジャック・フェーデの「外人部隊」で助監督を勤め、翌1934年には「北ホテル」で初メガホンを取る。42年「悪魔が夜来る」に続いて「天井棧敷の人々」となる。46年は脚本を担当した詩人、ジャック・プレベールとのコンビの最後になる「夜の門」がある。話がずれるが「夜の門」でジョセフ・コスマの曲に詩をつけて生まれたのが、数あるシャンソンの中でも名曲中の名曲といわれる「枯葉」だ。主人公のイヴ・モンタンが歌ったが当時はぱっとしないまま消えて行く曲と思われていた。それをパリのサンジェルマン・デ・プレでフランスの文化人の溜まり場になっていたカフェ「カフェ・ド・フロール」で、彼らにミューズとして可愛がられていた黒ずくめの衣装のジュリエット・グレコが歌い始め、脚光を浴びることになる。他にプレベールの詩を歌ったもの「愛しあう子どもたち」「私は私」など、若い頃の私の愛聴盤(SP)だ。

さて、話を今日の主人公、マルセル・マルソーに戻さなければいけない。映画「天井棧敷の人々」は19世紀末のパリの犯罪大通りと呼ばれていた喧噪の通りを行き交う人の波から始まる。大道芸人が技を拾うし、幾つもの舞台では賑やかな口舌で安っぽい寸劇を見せている。カルネはこの短い(15分ばかり)時間に主だった登場人物を見事に絡ませて紹介して行く。その中のある劇場の前に作られた簡素な舞台の上で呼び込みが行なわれている。舞台の端にぼんやりと顔まで真っ白に塗り上げて、真っ白な鍔広い帽子を被った全身白づくめの1人のアルルカン(バチスト・ドビュロー)が腰掛けている。父親に当る男の呼び込みの口上を聞く聴衆に視線を落としたままだ。最前列に陣取った女性、でぶっちょの金満家、髯を生やしたコソ泥が並んでいる。金満家がチョッキのポケットから懐中時計を取り出して眺めて収める。髯の男が不審な動きをして素早く去って行く。金満家がポケットを探って時計の無いのに気づき、隣の女を捕まえてお巡りを呼ぶ。駆け付けたお巡りが誰か見ていたものがいないかを周りの人間に訊ねる。舞台の上のバチストが自分が見ていた、とこたえ、パントマイムで目の前で起った出来事の一部始終を、特にデブっちょの慌て振りなど面白可笑しく演じてみせて女の疑いを晴らしてやる。演じていたのは名優ジャン・ルイ・バロー(35歳)。

マルセル・マルソーのパントマイムの原形がそこにあった。バローがバチストを演じていた頃マルソーは22歳でパントマイムの修行中だった。バローが拵えた全身白塗りのアルルカンを原形に、マルソーは横縞のシャツを着込み、帽子には赤い花を飾った(アルルカン)バチストを作り上げた。

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 ジャン・ルイ・バローの演じたバチスト
 帽子の花飾りは賑やかだった


マルセル・マルソーは後年パントマイムの神様と呼ばれる存在にまで上り詰める。彼が眠る予定のペール・ラシェーズ墓地には多くの著名人が眠っている。世界でもっとも有名な墓地の一つであり、パリ最大の墓地。ショパン、バルザック、マルセル・プルースト、モリエール、アポリネールやエディット・ピアフ、イヴ・モンタン、マリア・カラスもここだ。

(余談)1980年、キネマ旬報が行なった映画が創られてからその年まで、日本で公開された作品で、最も優れた作品としてトップに選ばれたのが、「天井棧敷の人々」であった。私の手元にはレーザーディスク2枚組、消費税3%(¥9,538)時代に購入したものがある。

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2007年9月24日 (月)

何のために 勉強するの

日本の将来が寂しくなるような記事が載った今朝の毎日新聞(9/23)。日本でも東京の子だけがそうなのか、全国の子もそうなのか、末恐ろしい内容だ。

東京の小学生は「勉強が役に立つ」と考えている割合が低い 。
 ベネッセ教育研究開発センターが実施した「学習基本調査 国際6都市調査」でそんな結果が出た。中国や韓国、米国など5都市の児童に比べて、勉強が将来の職業や収入、幸福な生活に結びつくと考える意識が薄く、学ぶことにあまり意味を見い出していない傾向が浮き彫りになった。(記事 望月麻紀)

調査は06年6月〜07年1月に東京、ソウル、北京、ヘルシンキ、ワシントンDCで実施された。各都市の10〜11歳(国内では小5)計約6000人に、学校を通じて回答してもらったものだ。

勉強の効用についての設問は
 1)、一流の会社に入る
 2)、お金持ちになる
 3)、出世する
 4)、社会で役に立つ人になる
 5)、心にゆとりある幸せな生活をする
 6)、趣味やスポーツなどで楽しく生活する
 7)、尊敬される人になる
 8)、よい父、母になる
の、それぞれについて勉強が役立つかどうかを尋ねた。

東京の児童は全部の設問で「役立つ」と肯定した割合が6都市の中で最も低かったという。特に1)〜3)でその傾向が顕著で、勉強を出世や収入など社会的な成功の手段と考える傾向が低かった。最も肯定率が低かったのは2)の「お金持ちになる」で42・6%だが、東京、北京以外では70%を超えていた。

価値観や社会観を問う「一流の会社に入ったり、一流の仕事に就きたい」「我が国は努力すれば報われる」という設問でも、東京の児童の肯定率は他都市よりも10ポイン以上下回った。

一方、学校以外の平日学習時間(塾を含む)は東京は平均101分。ソウル(140分強)、北京(130分強)に次いで長い。ヘルシンキ、ロンドン、ワシントンDCはそれぞれ凡そ60〜70分強。しかし、同センターの調べでは、中学受験をする子は平均156分、受験しない子は平均54分で、その差は3倍もある。児童の4割弱を占める受験予定者が、平均学習時間を押し上げているといえそうだ。

学習上の悩みは各都市でばらつきがあった。6都市中、東京の児童の選択比率が最も高いのは「どうしても好きになれない科目がある」60%、「上手な勉強の仕方がわからない」30%だった。一方、選択比率が6都市中最低だったのは「親の期待が大き過ぎる」17%。「覚えなければならないことが多すぎる」はソウル、ワシントンDC、ロンドンに次いで4番目で、35%に止どまっている。

調査企画・分析メンバーの1人、耳塚寛明お茶の水大大学院教授(教育社会学)は「東京ではいわゆる詰め込み教育からの脱却が一先ず成功したようだ。だが、勉強する層としない層に二極化が進み、学習行動に格差社会の影響がうかがえ、競争は局地的に激しくなっている。受験以外の学習の効用を大人が子どもに示す必要がある」と指摘している。

《軍国少年時代のころだ、子どもたちに教師は万葉集から山上憶良の辞世の歌を聞かせた。「士(おのこ)やも空しかるべき万代(よろずよ)に語り継ぐべき名は立てずして」。男と生まれたからには、後世に名を残すような人間になれ、と。戦争で手柄を立てよ、との教えだった。歌のゴロは良い、苦労せずに口ずさんでいた。しかし、今にして思えばそんなこと努力して簡単にできることではない。1億、いや10億分の幾つの確率の話だ。だが、子供達はそれでも勇み立って偉くなることを願って勉強に励んだ。

結果は敗戦の憂き目にあった。価値基準が失せ、何が価値あるものかも見えず、何時の間にか隣に女性が座っていた。男女共学の時代になっていた。男尊女卑で育った軍国少年には汚らわしかった。勉強する意欲が消滅しそうになった。教科に世界史、西洋史が入ってきた。古代ギリシャのパルテノン神殿の写真に出会った。全身が凍りつくほどのカルチャーショックだった。2000年以上も前にこれだけの文明を持つ国が世界にはあることを知った。途端に勉強することの、大袈裟に言えば生きることの意味を見い出していた。いずれこの国の土を踏みたい、という目的が生まれた。時代は現在のように、塾など日本には存在していないころの話だ。

最近、あまり書店で目につかないが、当時は向学心に燃える若者には欠かせない受験のための必需品のような月刊誌「蛍雪時代」があった。夏は螢の光で、冬は窓辺の雪明かりで勉強する中国の「蛍雪の功」から取って名付けた受験勉強には欠かせない雑誌だった。書店で目につかなかったのは、昔のイメージで眺めていたからで、婦人公論がファッション雑誌か女性週刊誌もどきに様変わりしているように、蛍雪時代も普通一般の雑誌のような表紙になっていたためだったのだ。

昔話は嫌われる。さて、東京の児童たちの勉強に対しての無気力さだが、偏に親たちの生活が反面教師の役目を演じているように思えて仕方ない。学校を蔑み、教師を見下し、好き勝手を言う。数学者の秋山仁は『日本では、本も新聞も読まない親の生活に子どもが感化されて、「うまく世の中を渡ればいい」「運が良ければいい」と考えているのではないか。学びの原動力は好奇心。親や先生が楽しく学ぶ姿を見せれば、子どもの知的好奇心も喚起される』と話す。携帯電話でいじめや中傷に、或いはゲームに夢中になる好奇心の目を、勉強することに振り向けるように導いてやれれば、やがては勉強することが楽しくなることにもつながるのではなかろうか。》

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2007年9月22日 (土)

東京のタクシー値上げ再燃

6月1日のブログで東京(23区など)のタクシー値上げが先送りになったことを取り上げた。

国土交通省が21日、名古屋地区のタクシー運賃の平均約9%の10月値上げ認可を発表したことで、今年に入って値上げが認可される地区は8地区*となる。今回の値上げ申請で、名古屋の認可は大都市では初めてとなる。地方の先行値上げを受けて、参院選前から棚上げとなっている東京都(23区・武蔵野市・三鷹市)の認可が焦点となってきた。値上げを渋る官邸・内閣府の壁を崩せなかった国交省は、首相交代を機に、10月中旬にも他地区並みの8%程度の値上げ認可を探ることになる。ただ、内閣府は5%程度を主張している模様で、首相交代後に協議が本格化する。

*長野県2地区、大分県(4月)、長崎県(離島除く)(9月)、秋田県2地区、沖縄県(9月)、名古屋地区(10月)

タクシー運賃の値上げは、運転手の待遇改善が目的だ。値上げ認可は3種類あり、国交省だけの判断で可能な地方都市、国交省と内閣府の協議が必要な大都市のほか、物価動向に影響の大きい東京都心は、内閣府の物価安定政策会議と物価に関する関係閣僚会議の了承が必要となる。

東京都の先送りの経過については6月のブログで詳しく書いた。4月の物価安定会議で大田弘子・経済財政担当相らは「デフレ**経済が続いているのに値上げを認めるのはおかしい」と反対した。同じく5月の会議でも、反対意見は強く、参院選後に先送りされたものだ。

**デフレ(デフレーション)バブル崩壊後の日本のように、物の値段が下がり続けること。

当時の塩崎官房長官が値上げを受け入れなかったとされているが、8月の内閣改造で同長官の退任後も内閣府は、デフレ下の値上げには批判的だ。水面下で、8%程度の値上げを探る国交省と、5%前後としたい内閣府の溝は埋まっていないようだ。

ただ、国交省はこの1カ月だけで、4地区の値上げを認可している。それらいずれの地区も国交省の判断だけで値上げ可能な地方都市で、経営環境の悪化や、都市と違い電話でタクシーを呼ぶため利用者に選択肢があるとの理由だった。これら4地区はいずれも東京都の後に認可申請したとことで、東京都に向けた地ならしとも考えられる。が、国交省の思惑が実現するかどうかは、なお不透明だ。

対照的に、昨年11月に値上げを申請しながら、今年9月になって業者の大半が申請を撤回し、値下げ申請に変更した金沢地区のようなところもある。金沢市では01年から05年にかけ、タクシー台数が約30%も増加した。全国平均の6・5%増をはるかに上回る激しい競争が値上げを許さない状況を生んでいる。他には激戦区の大阪市でも2年前に値上げの動きがあったが、業者内で反対も強く、申請にいたらなかった。このように運転手の待遇改善の前に、市場の競争が混迷を深めているようだ。

利用するために電話でタクシーを呼ぶ選択肢があるから値上げ申請を認める、などとはお笑いぐさだ。電話でなくても乗り場まで行って行列をつくる。道行くタクシーを手を上げて呼止めて利用する。電車でもない、バスでもない、地下鉄でもない。タクシーを利用するという選択肢に違いはあるのか。最も大きな違いは他の交通機関と違ってタクシーは公共の乗り物ではないことだ。初乗り1000円だろうが、1500円だろうが、利用可能なものが利用すればよい。タクシー台数を増やすことは事業主自身が、競争原理の中で、自分の首を絞める結果になることは理の当然でもあろう。現時点、運転手の労働条件改善のための値上げは必要なことと考えるが、何時でも値上げだけが打つ手の経営のやり方では、遠からず行き詰まることを覚悟して置かねばならないだろう。

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2007年9月21日 (金)

「1円携帯」見直し

1979年12月、無線局の認可を受けて国内で始めて自動車電話が移動電話として世に出た。今の携帯電話の初めだろう。当時は高級車に乗ることができるエラいクラスの人たちだけの高価な(確か、30万円ほどしていたと思う)機器だった。

これは、遠い昔の話だが、今では1円で、いや、只で手にすることも可能なようだから技術の進歩には驚くばかりだが、そのために、小中学生には害でしかないものが易々と手に入り、世の中に問題を広めている。電話機としてではなく普通の電化製品であれば少なくとも、2、3万〜7、8万はするだろうものが只同然で使用することができる仕組みが出来上がってきた。

毎日新聞(9/25)から
総務省は20日、携帯電話の料金体系の見直しを盛り込んだ「モバイルビジネス研究会」の最終報告書を公表した。販売店に販売奨励金*を払って「1円携帯」など端末を安く販売させ、代わりに通信料を上乗せして回収する商法を改め、通信料と携帯端末の代金を分離した料金プランの導入を携帯各社に求める内容だ。各社はすでに、報告に沿ったプランの検討を始めており、08年度から端末の価格は割高だが通信料は割安な料金プランが登場することになりそうだ。

*販売奨励金(インセンティブ Incentive)、主に報奨金をつけた契約などに用いられる。
 携帯電話における販売奨励金契約は、携帯電話会社と販売会社(代理店)の間で締結されるもので利用者に直接の関係はないが、この契約によって端末購入時の価格が安くなる恩恵を受けている。

ただ、端末価格が上がれば、買い換え需要の冷え込みが予想されることから、各社は「新プランへの変更を一気に進めると影響が大きい」とし、影響を受ける販売店や携帯各社、端末メーカーは顧客の動向を見守りながら、当面は現行プランも継続する方針もあるようだ。

現在の仕組みでは、端末を安くさせるために携帯会社が販売店に支払っている「販売奨励金」は1台4万円前後のようだ。端末の平均買い替え時期は2年程度で、単純計算では毎月1500〜1600円が通信料に上乗せされていることになる。現行のプランでは、頻繁に買い換えする人も、1台を長く使う人も同じ料金プランが適用され、1台を長く使う人ほど損になっていた。新プランも選択できるようになれば、不公平感は解消する。携帯各社は、早ければ来春から通信料と携帯端末の代金を分離した料金プランを導入するが、毎月の通信料は、この「上乗せ分」は安くできることになる。

一方、端末価格が上がれば、国内で年間約4700万台出荷される端末の売れ行きが鈍る可能性は高く、大幅な上昇が起る可能性もある端末メーカーには大打撃になる。国内の端末メーカーは11社あり、「飽和状態」(大手メーカー)になっている。競争が激化することは必至で、メーカーの再編が進む可能性もある、という。

携帯会社にも「新機能がついた高級端末がさらに高価になり、新サービスが普及しなくなる」(大手携帯会社)との懸念がある。携帯会社は「新プランがいいか、現行のプランがいいかを選ぶのは顧客しかない。両方のプランを用意し、市場動向を見極めながら、今後を判断する」(KDDI)方針だという。

総務省の最終報告書は、新しい料金体系を08年度から試験導入し、10年をめどに本格導入することを求めている。また、携帯端末はそのままで、他の携帯会社に契約を変更できる仕組みを10年をめどに導入するよう提言している。携帯の大半は、電話番号情報を記録した「SIMカード」と呼ぶICカードが内蔵され、他社の携帯に入れても通話できないようカギをかけている。報告書は総務省に対し、10年時点でカギの解除を義務づける方向で検討するよう求めている。

《端末の価格が上がることには大賛成だ。特に、小中学生(最近の社会現象を見ていると、高校生でさえ、持たせない方がよい、と思わざるを得ない)に有害な携帯の所持禁止の立法化を願うものには、無責任を通り越して野放図に買い与える保護者が躊躇して、子供へ与える玩具としては手が出せない高価なものになればよい。現在の世相を眺めても、電車の中、車の中、自転車に乗って、歩きながら、立ち止まって、或いはカメラ代わりの迷惑を顧みない非常識が氾濫している。これらのことが少しは減ってくれることも期待できるのではないか。それらの要因の1つには、多機能を売りにした不必要なものを増やし過ぎたことの弊害でもある。メーカーの淘汰もあるだろうが、電話機の原点に戻った反省も必要だろう。》

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2007年9月20日 (木)

高3自殺

7月3日午後、授業中に「トイレに行く」と教室を出た後、5階の渡り廊下から飛び下り自殺をした男子高校生がいた。ズボンのポケットから、同級生数人の名前と金を要求されたことなどが書かれた遺書らしきメモ3枚(A4)が見つかった。

兵庫県警少年捜査課と須磨署は17日、私立滝川高校(神戸市須磨区)3年の男子生徒(17)を恐喝未遂容疑で逮捕した。飛び降り自殺した同じクラスの男子生徒から、金を脅し取ろうとした疑いである。被害生徒は複数の同級生に金を要求されていたと記したメモを残しており、こうした嫌がらせを苦に自殺したと見られる。県警は逮捕された男子生徒を含む計4人が、被害生徒に40万円以上を要求していたとみて捜査をしている。

調べでは、男子生徒は6月、被害生徒に複数回に亙り、携帯電話で「夏休み明けまでに金を払え。払わなかったら何されるか分らんぞ」とのメールを送って現金5万円を支払うよう要求したり、他の同級生にも1人3万円ずつ渡すよう要求した疑い。調べを受けている男子生徒は容疑を認めているという。

男子生徒を含む4人と被害生徒は、学校のフットサル同好会に所属。今春ごろから「うそ1回につき1万円を払う」という取り決めを被害生徒に一方的に押しつけ、金を要求していたという。4人は県警の任意の事情聴取に対し、「最初は遊びだった。でも、要求を続けるうちに金をとれると思い始めた。そう思うと、本当に金が欲しくなった」と供述していることが分かった。元々は仲が良かったという2人だった。

また、学校側によると、フットサル同好会の紹介のためのインターネットのサイトには途中から個人攻撃が目立ち始め、中傷記事も混じったりしてサイトは既に削除されたが、被害生徒はそのことにも遺書と見られる文面で触れていたという。

《それにしてもこれらのことが高校の中で起ったことが信じられない。まるで町なかのゴロツキに囲まれた弱い市民の話のようだ。無気味なのは新聞(毎日)の論調だが、今のところ学校の管理怠慢との見方はしていないようだ。これまでは、何かことが起ると一斉攻撃で学校を、校長を、教師を、責め立てたメディアが今回はいつになく冷静に見ているようだ。しかし、いつ何時牙を剥いて飛びかかることか心配ではあるが。

遊びで始めたという嘘1回1万円も笑って流せる約束事ではなかった。そこにはフットサルで活発に走り回り汗を流す被害者が、従わざるを得なかったほどの力関係があったのか、単純に多勢に無勢のゴロツキの論理なのか、普通に高校生の金銭感覚では考えられない恐喝紛いの金額だ。被害者がまた、それに従わざるを得なかった理由とはなんであったのだろうか。要求額は40〜50万円に上り、要求に応じるためか、被害者は学校に無断でアルバイトまでしていたともいう。まるで蛇に睨まれた蛙のようではないか。

自殺した被害者には心を打ち明ける両親がいないのだろうか、苦しく、つらいことを、親に告白するよりも、自殺する方が簡単なことだったんだろうか。自分の力で耐えて過ごせる範囲であるなら、そして、自尊心の強い子なら、親には言うまいとするだろう。だけど、死ぬことを選ぶほどの意志を持っているのなら、現在の自分の力に余るものを人生の先輩の親に、告白する勇気もまた持ち合わせているはずなのに。死に急ぐのはやはり、逃避でしかないと思う。》

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2007年9月19日 (水)

改正道交法 今日(19日)施行

轢き逃げや飲酒運転などを厳罰化した改正道路交通法が19日、施行された。
懲役刑の上限が 轢き逃げは「5年以下の懲役または50万円以下の罰金」から「10年以下、100万円以下」に改められ、飲酒運転との併合罪の上限を7年6月から15年に強化される。

また、正常な運転ができない恐れのある「酒酔い運転」は「3年以下の懲役または50万円以下の罰金」から「5年以下、100万円以下」になる。正常な運転が可能でも呼気1リットル当たり0・15ミリグラムのアルコールが検出されると、適用される「酒気帯び運転」は「1年以下の懲役または30万円以下の罰金」から「3年以下、50万円以下」にそれぞれ引き上げられる。

運転者への罰則強化に加え、酒や車を提供したり、一緒に車に乗ったりする行為にも新たに罰則が設けられ、同日から全国の警察でも取締りが強化される。新設されたのは「車輌提供罪」「酒類提供罪」「同乗罪」。

法律をどのように変え、厳罰化を図ろうと、飲酒運転はなくならない。それは、酒が「薬物」という意識が余りにも希薄だからだ。運転者が飲酒していることの事実を知りながら、同乗する人間がいることでも分るだろう。運転者がアルコールという薬物を愛飲する「慢性アル中」であることが理解できていれば、そのものが運転する車になど、恐ろしくて同乗などできるわけがない。同乗者にもその薬物性の認識が欠けているのだ。

今日の取締りでも、昨夏、あの悲劇を生んだ福岡市内の取締りでは、初日から酒気帯び運転で相次いで摘発されたことの報道がなされているのだ。酒が売られ、成人になった人間なら、誰でも自由に買い、飲むことができる。厳罰化することで少しは減少するだろうが、なくなることへの希望を持つだけ幻滅は大きくなる。厳罰化すれば飲酒運転がなくなるだろうことを願うのは、単なる幻想に過ぎない。それよりも、酒類は、幾ら飲んでも呼気の限度数値を超えることのない程度にアルコール濃度を低く希釈したものにする、とした法律でも作るより仕方ないだろうと思うようになった。勿論高いアルコール濃度の酒類は輸入も禁止だ。そうすれば日本の国内からアル中の姿は消えてくれるだろう。

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2007年9月18日 (火)

アル中、アルコール慢性中毒

「アル中」は、今では自他ともに聞こえが悪いことから「依存症」というぼやけた名前を戴いているようだが、れっきとした慢性中毒という病気だ。

アルコール飲料(この先は代表的な『酒』で表わす)は古くから嗜好品として何処でも入手でき、誰でも嗜むことができる。ただ、原則法律で禁じられていることは守るという範囲内においてのことだが。それは世界中の国でも同様だが国によっては多少の差はあるが、ある年齢に達してから、またその年齢に達しても、車の運転をすることが分かっていて事前に飲むことなどは禁止されている。

誰がどれだけの量を飲むかは、それこそ本人の勝手、決められた量などはない。そのため特に日本人は、昔から飲むに当っては飲む前に言い訳を考えている。自分の自制心のなさなど考えもせず、水と変わらないよ、まだ大丈夫、これ位の量で酔うわけがない、ほれ、真直ぐに歩けるだろ、と。その言いぐさ、その飲みっぷり、行動そのものが既に酒に毒されていることの理解がないのだ。酒に適量など存在しないし、巷間言われるような薬には絶対にならない。

男の酒は多分に憂さ晴らしに飲まれている。「酒が飲めない人間は、どうやって憂さを晴らすのか」。だから例えられるのが上司への鬱憤ばらしや失恋のやけ酒などだ。飲むに従って会話の中身は忘れても、何のために飲んだかは翌日になっても忘れられない。すっきりと忘れることができないから次の日にもまた飲むことになる。そして、又次の日にも。すぐに現れるのがこの習慣となるドラッグ性だ。酒を飲んで気持ちよくなる、これこそがドラッグの特徴、薬物性であることを表わしているのだが、酒飲みたちには理解されない。そしてどんどん慢性中毒症の仲間入りをしていくことになる。

毎日新聞(9/18)から、(《》内は私見)
厚生労働省研究班の03年の調査によると、国内のアルコール依存症《慢性中毒症》患者は推計で80万人。診断は、WHO(世界保健機関)の基準に基づく。
 1) 強い飲酒渇望がある
 2) 酒に強くなり飲酒量が多くなった
 3) 離脱症状《禁断症状》(手が震える、睡眠障害など)
 4) 飲み方のコントロールができない
 5) 飲酒中心の生活になる
 6) アルコールで心身に障害が生じてもやめられない
以上の6項目のうち、過去1年間に3項目以上当てはまると、アルコール依存症《慢性中毒症》と診断される。

最近は高齢者の患者も増えている、という。高齢者の「アル中」については昨年のブログで取り上げた。例えば、休日に朝から飲酒したり、大酒を飲むことがあっても、仕事中など飲んではいけない時には抑制できたが、退職後にその枠が外れてしまい、発症する人が多いという。

久里浜アルコールセンター(神奈川県横須賀市)の樋口進副院長によると、アルコールの過剰摂取によって、脳の神経細胞の性質が変化し、アルコールが切れると、動悸が激しくなったり、手が震えたり、汗をたくさんかいたりするようになる。これが離脱症状(禁断症状)だ。この症状を避けるために酒を飲み続けてしまう。大量飲酒は脂質異常症や高血糖、高血圧、肝硬変などの内臓障害も引き起こし、命に関わることもある。

《こんなことは前々から言われて誰でも知っている。それを敢えて飲むのだからそうなっても自業自得と言ってしまえばそれまでだ。》

治療の根本は「酒を飲まない」こと。同センターは原則として3カ月の入院治療を薦める。最初の約1カ月で禁断症状への対処や、鬱、不眠、内臓疾患の治療などを行なう。グループディスカッションなどを通し、酒を飲み続けてきた自分の考え方を検証して、飲まなくても生きていけることに気づいてもらう。

《呑気な話だ。本音の本音で話し合いが可能ならばそれもよい。そんなことできると思っていれば、お目出度い話だ。禁断症状を断つのは個人個人のことだ。仲好しグループの話し合いでできると思っているのだろうか。本当に禁断症状から抜け出すには死ぬほどの覚悟が必要だ、きれいごとじゃない。その覚悟がないからセンターを出ても直ぐに舞い戻る、繰り返す。》

樋口副院長は「治療に必要なのは、障害酒を飲まない『断酒』。10年以上飲まなかったのに、ある時ふと口にしてしまい、悪化した人が何人もいる。依存症は改善しても治癒するものではないので、一度診断された人が量や回数を減らす『節酒』は難しい」と話す。

《副院長が言う「依存症と一度診断された人間が・・・」の「依存症」という曖昧な言葉、どうしてアルコール慢性中毒症を残さなかったのか。「あなたは酒に依存しています」と言われて心底恐ろしいと思うだろうか。当然、「ちょっとぐらい」の後戻りはして普通のことだ。》

断酒継続のために注目されるのが、自助グループだ。全日本断酒連盟(全断連、三田義久理事長)は会員約一万人。都道府県ごとに開設された断酒会で組織される。《中略》毎月の例会では参加者全員が話をする。挨拶だけの人もいれば、自分の経緯や家族に迷惑を掛けた話しなどを切々と語る人もいる。「言いっぱなしの聞きっぱなし」が原則。誰かの発言にコメントすることもなく、聞いた話を外部に洩らすこともしない。

《要するに大勢集まって同病相哀れむの傷の舐めあいだ。その中には気を引くために話す自分にうっとりとして、切々と語る人間も出てこよう。聞く側も、身につまされることがあっても、一遍の物語を聞くことになるだけだ。よくなることはまず期待できない。無駄な時間潰しになるだけだ。》

同会事務局は「アルコール依存症患者は自分が病気だという認識がないので、一方的に説教をされても改善しない。悪しき体験を共有する仲間の話を聞くことで、自分も同じ問題を抱えていることに気づく」と話す。
 約3割の会員は3年以内に再飲酒してしまうが、10年以上断酒を続けている人も3割いるという。

《自覚のない多くのものには人の話を聞くだけでは効き目がない。10年以上の断酒も、先の人のように簡単に飲酒に戻る可能性を秘めている。世の中から酒はなくならない。第一酒造メーカーが困る。販売店が困る。飲み屋やバー、赤提灯が消える。それらの事業や産業に携わる人間とその家族が路頭に迷う。国税が入らなくなる。
 酒は好きに、飲みたい時に簡単に手に入り、簡単に飲むことができる。「アルコール慢性中毒症」が依存症と名前を変えたのには「アル中」本人が自虐的になったり、外部から軽蔑されたりすることなどの要因があったからに過ぎない。しかし、名前を変えてみたところでアル中がいなくなったことではない。アル中はアル中でしっかりと変わらず飲んでいるのだ。アル中と呼ばれることが嫌なら、酒に飲まれないように飲めばよい、ただそれだけのことだ。》

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2007年9月17日 (月)

石見銀山

浅学を恥じることになった。このところ頻りに世界遺産「石見銀山」がテレビに登場する。すぐ近い兵庫県で生まれ、京都府で学生時代を過ごし、小旅行には銀山のとなり町浜田で1泊までしたが、世界遺産の申請から外れ、再び逆転登録されるまでその名に値するほどのものであることを知らなかった。

当初の「文化・技術的価値」を強調する考えから、「16世紀から環境に配慮していた」点を前面に押し出した日本政府代表団の戦略転換があったらしい。まず、5月12日、ユネスコの諮問機関・国際記念物遺跡会議(イコモス*)の報告で、「普遍的な価値の証明が不十分」などとして4段階評価の中で上から3番目の「情報延期」の勧告を受けた。

*1965年に設立された。International Council on Monument and Sites (ICOMOS)

これまでの申請では2番目の「情報照会」から登録まで、1段階アップの例はあるが「登録延期」から2段階進んで登録された例は過去830件中「モーリシャスの奴隷貿易史跡」など数は少ないという。

パリでの2度目の説明に世界遺産委員会で日本代表は、現在地球的規模の環境破壊が注目を集める中、石見銀山の精練に必要な燃料に使用する森の樹木の伐採には制限を設けた上、伐採後には植林を続けたこと、地崩れ対策に根の強い竹を植えて山を守ったこと(他国では大半を占める露天掘りが行なわれていた)、など、江戸時代から環境に配慮していた銀山であったことを強くアピールした。

「環境に配慮した石見銀山」の印象は深く理解を呼び、最終的な評決で代表権を持つ委員の約半数は専門科ではない各国のユネスコ大使であったこともあって、その彼らには『環境』という言葉が強くアピールしたこともあった。世界遺産で環境との調和を前面に出して訴えたのは石見銀山が初めてであった。逆転登録は6月末のことである。

日本には石見銀山のほかに、日本最古(7世紀)の対馬銀山(長崎県対馬市)、平安時代初めに開坑といわれる生野銀山(兵庫県朝来市 旧生野町)があった。16世紀の石見銀山は当時の世界全体の3分の1(平均は年間38トン)を産出していたという。

付焼刃の内容で、恥ずかしい限りだが、おいおい老いの脳裏にも知識を増やしていきたいと考えている。

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2007年9月16日 (日)

パソコンが子供用になる?

“簡単操作で有害サイト NO!”
携帯電話は小中学生の子どもにとって、有害ではあっても益になることは何一つない。早くから小中学生(有識者の15歳以下をいう人もある)の携帯電話使用を禁ずる立法化を提案しているが、これらは皆、子供達の保護者の監督責任の放棄が原因で問題化しているからだ。この問題に関しては、メーカーの対応の無策を攻め、親ばかりを責めることに疑問を呈する人もいるが、それは違う。根源的にはこのような危険な玩具を買い与える方にこそ問題があるのだ。何故危険かはこれまでにさんざん書き連ねてきた。子どもにとって、危なっかしい玩具ほど好奇心を抱く。保護者たちにも心当たりはあっても、その時代にはこのような玩具は世に存在していなかった。それだけにどのように接していいのか分かっていないことが起因しているのが実態だ。

これまでにもプロテクトをかけるソフトは幾つか出ているが、親は無理解の上、「うちの子に限って」の無責任から予防手段が打てないまま来ている状況だ。

同じように小学校では教室にパソコンが並び、子供達は早くから使いこなし、下手な大人以上に利用することが可能だ。教室では教師がしっかり監督している。心配されるような有害サイトを見るものはいないだろう。しかし、今では家庭には家族が使用するパソコンが1台、或いはそれ以上あるのが普通になっている普及率だ。子どもが手を触れないように管理しているパソコンであれば心配ない。家族共有の場合、或いは専用で買い与えているような場合、携帯電話と同じような使用のされ方で、有害サイトへのアクセスから問題が多発している。

【閑話休題】
玩具大手のバンダイとパソコン周辺機器大手のバッファローはパソコンを簡単に子ども専用に切り替えることができる「ぱそこんキッズキー」を共同で開発し、14日から発売を開始した。キーと名がつけられてるだけに、普通に鍵の形をした可愛らしいミッキーマウスとくまのプーさんの絵を、柄に貼られたキーをパソコンのUSB端子に差し込むだけで、子ども向けのポータル(玄関)サイト「ヤフー!キッズ」にしか接続できなくなり、有害サイトは見られなくなるというものだ。

USB端子にキーを差し込むと、自動的に切り替えのためのソフトがインストールされ、完全に独自の画面が立ち上がり、「しらべる」、「あそぶ」、「マイドキュメント」、「メッセージ」、「ファンリンク」のアイコンが表示される。必要な初期設定*は子どもの名前と誕生日の入力で使えるようになる。さらに未就学児童向けには「おもちゃ箱モード」も用意されているという。

*なお、設定によっては特定のアプリケーションやネット上のサイトへのアクセスや、URLの入力、プリンタの使用、標準ブラウザの使用を許可できるほか、子どもがどこへ接続したかのログの閲覧機能も搭載する、という。

何のことはない、抜け道をしっかりと教えているのだ。これは「グッズは単なるお飾りですよ」と言っているのに等しい。

小学1〜4年生の子どもを持つ保護者を対象にバンダイが行なった調査によれば、家庭内でパソコンおよびインターネットを利用している割合は7割を超えるという。しかし、その半数はどのように使わせればよいのか分らないままに、何の対応もできないままに使用させているのことが分かったという。

また、「やふー!キッズ」には、小中学生向けに事前に安全を確認したサイトしか登録されていない。ゲームソフトについては、保護者が設定したものしか使えないように設定できるほか、パソコンを長時間使うと画面に注意表示が出る機能もある。

携帯電話の使用に当ってと同じことだが、パソコンも保護者は子どもの使い方について「子どもの自主性に任せている」と体の良い言い逃れで保護者の監督責任を放棄しているのと同じことだ。「ぱそこんキッズキー」を取り付けることで有害サイトはもう見られない、と保護者が思い込むことは間違っている。簡単に取り付けられるグッズだ、逆に簡単に取り外すことができるものなのだ。学校での使用の際と同じように、保護者がそばについて使用状況を監視できていればよいが、目がとどかない時間、取り外しての使用は簡単なことだ。ログを調べて分かったとしても、その時はすでに後の祭になっている。子どもは本当に純真だが、また大人の目を欺くことにかけても長けている。しかし、保護者たちは携帯電話でもそうだが、情けないことに“子どものプライバシー”に恐れをなしてチェックをようしない。

こんな不確かなグッズに信頼をおかず、年齢階層別に使用可能な制約を組み込んだ安価なパソコンをメーカーが作ればよい。企業は採算性を危ぶむことになるだろうが、下取制度としてのシステムを検討し、流通の仕組みをしっかりとしたものに作り上げれば将来的には採算ベースに乗る可能性もあるのではないか。今、どんなに厳しいルールを作ってみても社会全体がモラルを失っている現実がある。そして、保護者への啓蒙が不可能なことも分り切っている。便利な機械の負の部分をこれ以上大きくしてはならないだろう。

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2007年9月15日 (土)

格差社会 賛成か 反対か

さて、今回の石田衣良の白黒つけます、は難しいテーマだ。人類が生まれて集団生活が始まった時から差別社会は形作られてきた。自然発生的には力の強いものが小さな集団の長になり、数が増えるにしたがって組織が作られて行く。当然だが力関係でバランスは崩れる。争いが起り、権力が形を整えて行く。このように、数千年の歴史の長きに亙って、古今東西格差社会のない国家や時代は存在しなかった。

日本においても士農工商の階級のことは誰しも学んだであろう。下級のものは一層下級をこしらえ、少しでも差別から抜け出そうとして自分達よりも下への格差を求めて、今なお解決していない部落民という穢多、非人らの賤民の階級を作った歴史がある。遠くない国インドではカースト*と呼ばれる階級制度が1950年のインド共和国成立によるカースト全廃後もそのカーストは生き残っているのが実態だ。

*基本的には4つのカーストがあり、バラモン(司祭)、クシャトリア(王、武士)、ビアイシャ(商人、平民)、スードラ(奴隷)となっていたが、日本と同じくその又下にはアチャードと呼ばれる賤民がいた。結婚も同じカースト同士で行なわれていた。

言い方を変えれば差別、格差のない社会なんて存在しないと考えた方がよい。

早速、賛成派からみてみよう。(《》内は私見)
「格差社会がないのは、まじめに働いている人も、怠けている人ももらえる給料が同じということ。そんな社会で誰が真面目に働くと思いますか。努力して高給もらって、格差社会の上流をめざしましょう」(千葉市・考えるヒント)。《共産党に先導された労働運動華やかなりし頃、公平と平等を履き違えた多くの労働者が平等を主張し、仕事ができる人、努力する人たちのモラールの足を引っ張ったことがあった。》「格差というと差別のようで賛成とはいえないけど、現実問題みんなが平等ってあり得ない。性格も体力も住んでる地域も好みもなにもかも違うのだから、しょうがないってとこかな」(愛知県阿久比町・リンドウ)、「「わたしは地方都市に本社のある企業に勤めているので、地方の基準(給与・休暇・手当)で都心で働いています。安いです。正直若い子は結婚できないといいます。ただどんなに平等をうたっても、格差は必ず存在する。公平であってほしいけど、平等を叫ぶうさんくささも感じています」(奈良県河合町・てんとうむし)。

《学校では皆等しく教育は平等に受ける。しかし、結果は皆平等で卒業しない。平等は受け手の側に平等にならない要因をそれぞれに孕んでいるからだ。そこで必要になるのが公平(通信簿)という基準だ。》

反対派に移る前に集計をみてみよう。
 〈有効票数〉2595(男1144、女1451)
           賛成    反対
  全 体      26・5%  73・5%
       男   33・5%  66・5%  
       女   21・0%  79・0%
 10代以下 男   29・2%  70・8%
 10代以下 女   33・3%  66・7%
 20代   男   43・6%  56・4%
 20代   女   20・1%  79・9%
 30代   男   35・2%  65・8%
 30代   女   23・1%  76・9%
 40代   男   32・1%  67・9%
 40代   女   18・9%  81・1%
 50代   男   25・8%  74・2%
 50代   女   16・9%  83・1%
 60代   男    7・4%  92・6%
 60代   女   20・0%  80・0%
 70代以上 男   42・9%  57・1%
 70代以上 女   60・0%  40・0%
 《60代男性の7%は異常に見えるが、男女それぞれの世代の人員構成が不明なので比率表示の危うさが現れているようにうかがえる。おしなべて男性の賛成派が女性の賛成派よりも高くなっているが、男性の諦観か、女性の場合は化粧品や衣装代、ブランドへの欲求、遊び心か、或いは女性特有の打算から来るものか、或いは男性を意識した被害者意識か分らない。》

それでは反対派の意見を。
「現代社会は病気や老いにより、誰もが弱者になる可能性をはらんでいる。弱者が生きにくい国で、ほんとうに強者は生きやすいのだろうか。強者もおびえを抱いているからこそ、金に執着し、ますます格差が広がるのでは。みんなが不幸になる社会は反対です」(熊本県人吉市・あーすけ)、「まったく格差のない社会はないと思うが、中流階級だった会社員が、最近は増税や物価の高騰により下流階級になりつつあるように感じる。普通に会社員をしていて、生活が苦しいってどんな社会?」(匿名)、「わたしの大卒時は超氷河期。友人も正社員でのでの就職率は低く、わたしも一年契約を更新しています。安月給・ボーナスなし、通勤手当てのみ。いい年の人間がフルタイムで働いて独立もできないのが、契約や派遣の現実です。企業の多くが正社員採用するのは新卒のみ、現場はいつでも辞めさせられる契約やパートだらけという状況はあまりに企業のご都合主義です」(京都府長岡京市・紅茶猫)。

《企業の冷血さは今に始まったことではない。昭和の初めにも同じように日本では娘を売らねばならないほどの苦しい時代があった。労資は激しく対立し、安月給は普通のことだった。「大学は出たけれど」と映画にもなるような時代だった。搾取は「女工哀史」と今に伝わる苛酷な労働条件下で15、16歳の女性たちも働いた。時代は移ったが基本的に企業は利益が上がらなければ倒産する。社会還元をすることすら不可能になる。現代は、企業に取ってもぬくぬくと利益を搾取できた時代ではなくなった。その意味で、労資の損得が対立するのは当然のことだ。わたしはたった15年前に現役を去ったが、生涯を通して一円の残業代も貰ったことがない。自分の未熟なことが原因で会社に多大な材料費、諸経費、時間を無駄に消費させ、残業代をよこせ、とは論外、で済んだ時代だった。有給休暇は稀に消化した。生涯の未消化有給休暇を通算すれば2年近い労働日数、無償で会社に奉仕したことになる。昭和一桁はそんな労働条件下にあったものが多くいた時代だった。格差など考える暇もなかった。》

「わたしはバブル崩壊後の不景気、就職難の時代に大人へと成長しました。うちは経済的には苦しい家庭だったけれど、それでも不幸なんかじゃなかった。テレビなどでさんざん悲惨な話を耳にしても、今生きている時代に恨みはありませんでした。今マスコミがあおっている格差社会っていうのは、心の格差社会ではないでしょうか。心が貧しい状態で金銭的な格差が広がれば、それはほんとうに悲惨な社会です。目に見えて形になって、数字としてあらわせるものだけでなく、それ以外に大切なものがある。それに気づく社会になってほしいです」(東京都福生市・愛弓)

《振り返って、今回のテーマに対する賛否を答えるのは無理だ。何故なら、好むと好まざるとに拘わらず、差別、格差社会はこれからも未来永劫に続くものだからだ。》

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2007年9月14日 (金)

「かぐや」 ほか

♦昨年10月13日、茨城県つくば市の宇宙航空研究開発機構(JAXA)筑波宇宙センターで、記者団にお披露目された「SERENE」がほぼ1年かけて完成し、名を「かぐや」と改名して鹿児島に姿を現した。

今日14日、午前10時31分、「かぐや」を搭載したH2Aロケット13号機が鹿児島の種子島宇宙センターから打ち上げられた。45分後、衛星を分離し、打ち上げは成功した。本格的な月探査は60〜70年代のアメリカのアポロ計画以来約40年ぶりとなった。

予定では、「かぐや」は約40日かけて月の上空100キロに到達し、南北を回る軌道に乗り、3カ月後から本格的な探査を始める予定という。約1年かけて周回しながら、15種の観測機器で月表面の元素や鉱物の分布状況、地形や地下構造などを調べることになる。

月の誕生は地球と同じ約45億年前と判明しているが、形成過程については天体衝突や地球の一部分離など諸説があり、謎の部分の解明が期待されている。観測結果は将来、月面基地をつくるためにも役立つという。

地上設備を含む総開発費は約550億円。「かぐや」は縦、横とも2・1メートル、高さは4・8メートル、重量約3トン。H2Aロケット13号機は2段式で全長53メートル、直径4メートル、重量321トン。

《昨年のお披露目時の「SERENE」(セレーネ)はギリシャ神話の月の女神。昨年のブログで横文字コンプレックスを皮肉り、その時、かぐや姫や子どもの頃の月の兎の物語から、日本にも月にかかわる物語があることを取り上げて、命名「かぐや姫」を提案した。ブログは目にしたかどうかは知らないが、「かぐや」は月の裏側の撮影も行なう。ひょっとして月に帰った何世代ものかぐや姫の孫たちが、日本からの衛星を両手を上げて歓迎してくれるかも知れない。そしてまた、「かぐや」が日本に戻るとき、連れて行ってくれとねだるかも知れない・・・など、夢は膨らむ。

下司の勘ぐりは、月面基地がつくられて何の役に立つのか理解不可能だけれど、今回から打ち上げはJAXAから三菱重工へ民間移管されたが、戦前、戦中の1大コンツェルンの陰が頭をよぎる。今回、打ち上げには成功したが、計画どおり故障なく観測できて始めて真の成功と言えるのだが、さて》。

♦《安倍が責任放棄し、病院のベッドに潜り込むことになったようだが、彼が身命を賭して解決することを誓った拉致家族のことには一切触れずに頬かむりなのだろうか。見捨てた拉致家族のことは、“後は野となれ山となれ”の高見の見物でもするつもりなのだろうか。これが政治家、とは常日頃の思いだが、改めてその思いを強くすることになった》。

♦《若い者からは蛇蝎のごとく嫌われる年寄りだが、今の日本、100歳以上の高齢者が3万人を超えたことを発表した。今月末時点で3万2295人(男4613人、女2万7682人)で、始めて3万人を突破したという。10年間で3・8倍に増え、前年比では過去最多の3900人だった。

上位100人までの長寿番付は、公表を避ける人が増えたため、昨年から取り止めになり、今年は代わりに本人の承諾を得た「地域で話題の高齢者」が公表された。国内最高齢は男性が111歳(1895年9月18日生まれ)、女性が113歳(1894年5月21日生まれ)。

 長寿の割合が高い都道府県
 1、沖 縄  57.89
 2、高 知  52.98
 3、島 根  51.02
で、1位の沖縄は35年連続。2位の高知県、3位の島根県も前年と同じで、上位10県がすべて西日本に集中している。逆に長寿の割合が低い府県は
 1、埼 玉  13.05
 2、愛 知  15.78
 3、千 葉  16.32
と続き、最下位は18年連続で埼玉県だったという。
 (数字は人口10万人当たりの100歳以上の数)
因に、私は日本一長寿の少ない県に住んでいることになる。それでも寿命があれば、先に逝った弟との約束、100歳まで生きて、駄目になる日本を見届けるにはまだ4半世紀はあるのだが。》


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2007年9月13日 (木)

携帯電話:漢字調べに利用

20代の約8割が書けない漢字を調べるために携帯電話の漢字変換機能を利用していることが、文化庁の06年度「国語に関する世論調査」で分かった。10代や30代でも6割を超えており、文化庁は「携帯電話は単なる通信手段だけでなく、辞書として『文字生活』に入り込んでいる。今の時代を象徴した結果になった」と説明している。

調査は2〜3月、16歳以上の男女3442人を無作為に抽出し、1943人(回収率56・4%)から回答を得た。《今回のブログでは取り上げないが、慣用句の使い方のほか、情報機器の利用方法などについても初めて調べている。》毎日新聞(9/4)から。

漢字が手書きで書けない時に、どのような手段で調べるか」(複数回答)を聞いたところ、
 全体では 辞書           60・6%
      携帯電話の漢字変換機能  35・3%
      ワープロ、パソコン
             の漢字変換 21・3%
      電子辞書         19・4%
      インターネット上の辞書  10・1%
 年代別では携帯電話で調べるのは
              10代   63・3%
              20代   49・3%
              30代   62・5%
        辞書で調べるのは
              10代   30・4%
              20代   35・4%
  にとどまった。

これより先、今回の内容を裏付けるような記事がある。
毎日新聞がNTTレゾナントの協力を得て行なったインターネット調査(5月25〜27日、gooリサーチのモニターから無作為で選んだ)で、20歳以上を対象に、1101人からの回答を得たものだ。
<質問と回答>
♢小中学生の漢字力の不足をどう感じますか。
  好ましくない             95%
  問題ではない              5%
(「好ましくない」と答えた人に)その理由は何ですか。
  国語文化が継承されない        12%
  大人になって恥ずかしい        10%
  学校教育のレベル低下を象徴する    56%
  活字離れを象徴する          21%
(「問題ではない」と答えた人に)その理由は何ですか。
  漢字を知らなくても困らない      19%
  そのうち覚えればいい         81%
♢自分の漢字力に自身がありますか。
  ある                 48%
  ない                 52%
(「ない」と答えた人に)その理由は何ですか。
  勉強が嫌いだった            5%
  活字を読まない             5%
  文章を書かない            17%
  パソコンや携帯電話で
         文章を書くことが多い  73%
♢漢字を思い出せない時どうしますか。
  辞書を引く              29%
  パソコンや携帯電話で変換して調べる  67%
  仮名で書く               2%
  表現を変える              2%

《5月の回答は20歳以上というから、大学生も混じっているだろう。だが、その大学生からして漢字のレベルは小中学生並みだ。「学校教育のレベル低下を象徴する」などと言ってはおれないだろう。回答にもあるが、その年齢(大人)になって恥ずかしいことだろう。おそらくは「そのうち、そのうち」で頭からっぽで卒業していることだろう。だから当然の結果として自らの漢字力に「自身がない」という人も52%にも上ることになる。

そして、今回のような回答になるわけだが、自身の漢字力に自信がないにも拘わらず、通りいっぺんの携帯電話の変換でその場をやり過ごしてしまう。私は幾度も触れてきたが、もう65年以上も前になる小学校の漢字教育のお陰で、十分な基礎を身につけた。爾来、殆ど漢字の読み書きで苦労することを知らないで今日まで来た。それでも今も、私のパソコンの横には‘広辞苑’‘逆引き広辞苑’と、‘パソコン、ワープロ漢字辞典’、英和、和英辞典は揃えてある。この年になるとド忘れする字、読みを忘れた字が生まれる。これらの辞書をめくれば、パソコンやワープロで調べるよりは遥かに早く求めるものを探し出すことができる。そうそう、極小文字を読むのに必要な老眼鏡も必需品になったが。

私の学んだ小学校は、先ずノートに、教科書で初めて学ぶ漢字は何度も書いて覚えさせられた。今でもどこの小学校でもやっていることだろう。それとこれも前に書いたが、学年関係なく全校生徒共通で漢字書き取り、読みのテスト(現在行なわれている漢字検定のように)があり、どんどん難問の級へ挑戦することができた。覚えても覚えても知らない漢字はあった。そうやって漢字は覚えて行った。

携帯電話の変換機能を使えば簡単だろう。しかし、誤字、変換ミスに気づかないで済ますことがある。私のブログにも発見された方がいらっしゃるだろう。必ず読み返すようにはしているが、保存した後から見つけることもある。脱字などはキーの打ち損じでしょっちゅうだ。誤字は正しい字を知らなければ見つけることができない。大事なのは、漢字は意味を知って覚えなければ同じ読みの言葉はいくらもあることだ。ただ返還するだけでは必ずしも求める漢字ではないこともあるのだから。

確かに2600ページもある広辞苑は重い。現役時代、20歳を迎えた社員に記念品として‘広辞苑’を何年か続けて贈ったことがある。「眺めていて眠くなったら、枕代わりに使えるよ」と冗談まじりに言葉を添えて。「足踏みには決してしないで欲しい」とも。書物は先達たちの知恵や知識の詰まった大事な宝だと教えられ、それゆえに足に掛けることは許されないことだった。それは今になっても染みついていて、印刷物は新聞紙や電話帳であっても決して踏まないように心掛けている。》

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2007年9月12日 (水)

米国は10人当り銃9丁

「あー、怖い、怖い、恐ろしいですねー」今は亡き映画評論家の淀川長治さんが、そう言いそうだ。これは世界中に出回っている拳銃や自動小銃、ライフル銃、カービン銃、携行型対空ロケット砲など小型武器の現状をまとめた07年度年次報告書の数字に驚いて、このように発するだろうと思う言葉だ。

毎日新聞(9/3)
スイスのジュネーブ国際問題研究所がまとめた「2007年年次報告書」で公表された。世界全体の小火器の数は推計で8億7500万丁で、うち7割以上の6億5000万丁が民間が所有していた。

民間で小火器所有数がもっとも多いのは米国で2億7000万丁。人口10人当たり9丁の計算にで突出している。世界全体では、7人に1人が小型武器を持つことになり、米国を除けばこの数字は10人に1人となるという。米国に続いて多いのがインドの4600万丁、中国が4000万丁で、アジアの人口大国がロシアやヨーロッパの先進国を上回っていた。280万丁以上保有する30位までのリストに日本は入っていない。アメリカは世界人口の5%以下にも拘わらず、世界の小型武器の35〜50%を所有しているという。「報告書」ではまた、米国やブラジルでのデータを基に、大都市ほど小火器による殺人事件の発生率が高くなると指摘。大規模で無秩序な都市化の進行は、小火器を使った犯罪増加に結びついていると警告している。

「報告書」は日本などの例外はあるものの、国が豊かになるほど銃の保有者が増える傾向にある、と分析した上で、「当面、一般市民の銃保有の拡散は収まりそうにない」と指摘している。

〈民間人の小型武器保有数〉
   人口100人当たり           
  アメリカ   90    
  イエメン   61
  フィンランド 56
  スイス    46
  イラク    39
  フランス   32
  カナダ    31
  ドイツ    30
  ロシア     9
  イギリス    6
  イラン     5
  インド     4
  中国      3
 

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2007年9月11日 (火)

「9・11」テロから6年 (追記)安倍辞任

6年前の今日、ハイジャックされた4機の航空機が地上の複数の施設をめがけ激突し、2973人の犠牲者を出した。アルカイダの指導者、イスラム過激派のテロリスト・ウサマ・ビンラディンを首謀者とみたアメリカ大統領ブッシュは「テロとの戦い」と称してアフガニスタンへの侵攻を開始した。

湾岸戦争当時「金はだすが人は出さない」と不評だった日本は、アフガニスタン侵攻をいち早く支持した小泉(首相)が対テロ作戦を支援するために、当初2年間*の時限立法「テロ特措法**」を議会に掛け、2001(平成13)年11月2日施行・公布した。

 *2003(平成15)年10月に2年間の延長、2005(平成17)年10月に1年間の延長、2006(平成18)10月に再び1年の延長が行なわれた。そして、2005年以降、同法に基づく自衛隊の派遣は6ケ月単位で延長されている。
 **法は余りにも長い題名(『平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行なわれる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法』)なので、通常「テロ対策特別措置法、テロ対策特措法、テロ特措法、テロ特」などと、略されている。

同法に基づき、海上自衛隊は、インド洋に艦艇2隻を派遣、米国を中心とする11カ国の艦艇に給油活動を行なっている。同法が延長されなければ、11月1日の期限切れをもって撤退を迫られることになる。

〈閑話休題〉
民主党の小沢一郎代表が8月31日、選挙後初めて党本部に姿を見せ、記者団に「(これまで)反対したのに賛成するわけない」とテロ特措法の延長反対をあっさりと明言し、参院民主党の若手議員たちは驚きを隠せなかったようだ。政府・与党としても落とすことのできない案件であるテロ対策特別措置法の期限延長に反対の方針を明言、臨時国会は緊迫の事態となった。

小沢の延長を認めないことの根拠は、「アフガニスタンにおける米国の軍事行動は、国連決議に基づいたものではない」ということだ。

小沢発言に逸早く高村防衛相が反応し、2日東京都内で記者団の質問に答えた。11月1日で期限がきれる特措法が民主党の反対で失効する場合に備え「政府は11月2日以降も海上給油を続けなければいけないと思っているので、有効な方法はあらゆる可能性を追求する」と述べ、活動を継続するための新たな法案の提出を検討する考えを明らかにした。

新法の内容は、民主党の協力を得るため、現在、アフガニスタンで活動している国連のISAF(国際治安支援部隊)への人道支援を含めて検討するものとみられる。ただ、アフガニスタンでの人道支援に日本が踏み込めるのかどうかについては、与党内にも消極論があるようだ。従来のように、数を頼みのゴリ押しが不可能な現実に高村防衛相は、特措法が失効しないよう民主党の要求に応じて法案を修正する可能性を示唆してもいる。また、野党が海外での自衛隊の活動に関して情報開示を求めていることについても「関係国に機密を含む情報の提供を求めて開示したい」と周辺にも語るなど、柔軟姿勢を示し続けている。

続いて海を越えたアメリカの下院は5日の本会議で、日本のテロ対策特別措置法の延長問題をめぐる対日圧力をかける色彩も帯びた対テロ戦争への日本の貢献に感謝する決議を全会一致で採択したという。採択の決議は日米同盟の重要性を強調し、テロとの戦いで日本は「イラクに自衛隊員や輸送機を派遣し***、インド洋では重要な後方支援(給油)を実施している」と評価した上で、「地球規模の日本の努力に感謝する」としている。あの従軍慰安婦問題を俎上に日本を弾劾した時とは打って変わった歯の浮いたお世辞で圧力を掛けてきた。

 ***2003年3月19日、アメリカを主軸とし、イギリス、オーストラリアなどが加わり、大量破壊兵器を持つイラクを中東の脅威として侵攻した。これを受けて日本は2003年7月26日未明、4年間の時限立法として「イラク特別措置法」を成立させた。2007年3月20日、7月に切れる期限の2年延長を閣議決定した。

6日になると、シーファー駐日米大使がワシントン市内で講演し、テロ対策と区別措置法延長に民主党が反対していることについて「テロとの戦いで日本が極めて重要で独特な役割を果たしていることを認識してほしい。日本が撤退すれば他の国にしわ寄せが来る」と述べ、日本のインド洋での給油活動継続のため民主党の歩み寄りに期待を示した。

大使は海上自衛隊の「独特な活動」について「日本は米国より高質な燃料を給油している。高質な燃料を必要とする英国とパキスタンの艦船に米国の燃料は使いものにならない」と述べ、日本の活動の代替えは困難と指摘した。日本が撤退すれば「イスラム教国で唯一参加しているパキスタンを有志連合から追い出すことになる」と懸念を示した。

9日になると安倍(首相)は海上自衛隊の給油活動継続ができない場合は退陣する意向を表明したことについて、安倍周辺では10日、日米首脳会談なども踏まえ、首相が「職を賭す」との発言を準備していたことを明かした。言葉尻を捕らえるようだが、一国の首相がことに当って何事をなすにも、常に職を賭すのは当然のことで、ただの悪あがきに過ぎない発言だろう。

《6年前、9・11の同時多発テロの世界貿易ビルの頽(くずお)れるニュースを見ても、少しの同情も、テロに対する怒りの感情も抱かなかった。なにか、ここに来るまでには訳があるはずだがそれは何だろう、「武力こそ正義なり」で大国の横暴を貫いてきたアメリカだ。「しょうがないことか」に似た気持ちが私の心の何処かにわだかまっていた。それが、今日11日の毎日新聞のインタビュー記事で氷解するように解けてきた。

世界で最も影響力がある社会批評家の一人といわれる、米マサチューセッツ工科大のノーム.チョムスキー教授(78)が、インタビューに答えたものだ。

(インタビューから)
『ブッシュ政権は9・11後、民主主義、自由を世界に拡大するためイラクでフセイン政権を倒したと説明した。しかし、歴史をみれば、チリだけでなく、イランでは53年、民主的に選ばれたモサデク政権を米国はCIAを使って転覆させパーレビ独裁体制を敷かせた。現在でも、米政府はアラブの独裁国家を強力に支持している。チョムスキー教授はこうした米国の外交政策が、間接的に「9・11」へとつながっていると考えている。

「テロとの戦い」を口にしたのはブッシュだけではない。レーガン政権もテロとの戦いを口実に中米、南部アフリカ、中東を軍事攻撃した。不幸なことだがこれは強国がプロパガンダとしてよく取る手法であり、ブッシュ政権も同様だ。イラク侵攻は戦争犯罪であり、日本やドイツの指導者が(第2次大戦で)裁かれたのと同じものだ。

アフガン侵攻も戦争犯罪だ。(アフガンを実効支配した)タリバンは米国に、9・11とビンラディンとの関係を示す証拠を出せと要求したが、米国はこれを拒否した。ビンラディンの引き渡しを求める場合は証拠を示さなければならない。タリバン政権転覆のため米国が爆撃したことこそ国際テロの見本だ』と。

最後に記者の質問、日本では、アフガンでの米軍支援についての議論が盛んなことについての問いかけに「アフガンに必要なのは戦争ではなく、開発と復興だ。アフガン人が麻薬の栽培を必要としないための支援をすべきだ」と述べている。

私は、小沢代表が強く主張するテロ対策特別措置法のこれ以上の延長反対に賛同する。》

【12日追記】
本日午後2時、緊急記者会見で安倍が総理辞任を発表した。所信表明を済ませ、国会審議を直前で尻に帆かけて逃げ出した。やはり、力も伴わないままに、爺さんからの地盤だけで生まれた坊や総理であった。口にしていたことから、戦前回帰の恐い総理誕生と見たのは買いかぶりだったようだ。おやつと勘違いして欲しがっていた総理の椅子に座っては見たが、とても己の力で乗り切れるものではないことが、早めに理解できたことだけでもこれからの日本は少しは良くなるのだろうか。後釜を狙う同じく吉田の孫で口のひん曲がった奴も、次期総理にでもなれば、安倍以上に危なっかしい奴なんだから心配だが。

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2007年9月10日 (月)

女子体操が懐かしい

東京オリンピックで女子体操総合金メダルのチャスラフスカ・23歳(当時チェコスロヴァキア)が翌年東京体育館にやってきた。
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 エクタクローム・リバーサルフィルム(ASA100)
 ASA1600で撮影、東洋現像所(当時)で増感現像処理。


体操の第40回世界選手権で日本女子が北京五輪の出場権が得られる12位に入り、1996年のアトランタ五輪以来の切符を手にした。このこと自体を貶めるつもりはないが、ここ20〜30年のオリンピックの女子体操は全く見る気にならない。38年も前の写真を取り出したのは、当時の女子体操の選手たちにはヴィーナスもさぞやと思えるような美しい曲線美が備わっていたのを知ってほしいからだ。

東京オリンピックで総合優勝した彼女は22歳、4年後のメキシコ五輪でも総合金メダルを獲得した時は26歳。それが今回のシュトュットガルトのアメリカメンバーには14歳が混じり、日本でも鶴見の現14歳がいる。このように代表が若年化したのは何時頃からだろうか。思い当たるのはチャスラフスカの去った後、オリンピックに突如として現れたのが例のコマネチだが、女子体操が子どもの競技に移行したのは彼女から始まったように思う。「白い妖精」と名付けられたかの女は演技の度に10点満点を連発して世界を驚かせた。

私が女子体操が面白くなくなったのは、このコマネチが現れてからだ。専門家の目には優れた技、優れた演技と映るのだろうが、見ている側にはそれに相応する選手とは映らない。確かにルーマニア女性の白い肌を備えてはいたが、痩せ細ってギスギスしていて女らしさが微塵もない。そう、女性としての美しさに欠けていたのだ。彼女がモントリオール五輪で総合金メダルを獲得した時の年齢は15歳。まだ完成された女性の肉体には程遠い年齢だった。美しく優雅に舞えるわけがない。スジが目立つ肉体では軽業芸はできるだろうが、動きに伴う美しさは決定的に不足していた。女子体操が女児の軽業になった瞬間だった。

日本には昔から大道芸として伝わる越後獅子がある。年端の行かない童が、主人が奏でる笛の音に合わせてとんぼ返りや逆立ちをして道行く人たちから日銭を稼ぐ悲しい世界だった。現在のオリンピックの女児選手たちを見ていると、自然に越後獅子が思い浮かぶ。日本でも「女子の体操選手のピークは13歳」との説を持つ人もいるぐらいだが、中国曲技団の子供達を見ているとある意味納得はできる。

上の写真に開会セレモニーで代表に花束を渡して帰る和服の子どもが写っているが、後ろのチャスラフスカ(金髪)たちとの世代交替、時代の変化を象徴してでもいるように見える。現在はこのような子供達が飛び回っているのがオリンピックの女子体操だ。思春期と言うか成長期というのか来年のことが読めないほど肉体の変化に伴う競技への影響は大きいだろう。コマネチに驚いたような劇的で頭抜けたヒロンの出現がない限り、誰の脳裏にも記憶に残る名前の出る可能性はない。すぐに人々の記憶から消えて行く泡沫選手が飛んだり跳ねたりするのだろう。

曲芸が見たいのならサーカスを見に行けばよい。女性の肉体は、チャスラフスカのように26歳でなお、金メダルが獲得できる成長への可能性を秘めているのだ。なぜ、16歳でも可の制限を設けるのか、日本でいえば、少なくともオリンピック開催日時、満年齢18歳以上の年齢制限にするべきだ。今のような女児が飛び跳ねるだけの競技には全く魅力はない。私は、女子の競技には力強さと同時に優雅さ、美しさを求める。それがない限りこれからも女子体操は見たい競技種目には入らない。

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2007年9月 9日 (日)

だったら どうだって言うの

お節介な調査をした結果をまとめた話。
喫煙者を医療系学生グループと全国一般(20代)とで比べたものだ。

   <学部別学生男女別喫煙率> 単位%
         全体   男   女
   看護学部  32   47   30
   栄養学部  27   40   25
   医学部   36   62   35
   歯学部   54   39   23
   全国平均(20代)  49   19
 (厚生労働省研究班調査、全国平均は05年度の国民健康・栄養調査)

毎日新聞(8/20)は大見出しで『歯科医の卵「最多」』と書く。女性は各学部とも平均を超えている。
将来医療、保健の専門家を目指す学生の喫煙率を調べたところ、上の表で見るとおり、男女性とも歯学部の学生の喫煙率が最も高く、患者の喫煙に関しても比較的寛容であることが分かった。 また、女性に限定すると全学部で全国平均を上回っていた。喫煙は歯周病を発症、悪化させる危険因子としても知られる。

《さらりと書いているが、喫煙と歯周病との因果関係を聞くのは私は初めてだ。私がブログを立ち上げた一つのテーマには「酒とたばこ」の問題がある。日に60本を吸うヘビーから一休みして(禁煙じゃない)13年を経過していた2年半前、酒よりも遥かに小さいたばこの害が、世の中で狂ったように叫ばれることに異を唱え、比較データだけの医学的には希薄な論拠を何本も書いてきた。この間、癌との関わりを説く学説は知らされていたが、たばこと歯周病が関係づけられた話など聞いたことがなかった。それが、「その(歯周病)危険因子として知られる」とは寝耳に水だ。それでも私は口寂しくもならない所為で、まだ長い一休みを続けているのだが。》

研究班は昨年12月、保健医療分野の学部、学科を持つ大学のうち、協力を得られた医学部19校、歯学部8校、看護学部28校、栄養学部13校の学生を対象にアンケートを実施。各学部の四年生計6312人(医1590人、歯677人、看護2545人、栄養1500人)から回答を得た。

喫煙者を対象に、ニコチン依存症の指標となる質問をしたところ、「起床後30分以内の喫煙」をすると答えた学生の割合は医学部58%、歯学部53%、看護学部29%、栄養学部24%。他の質問でも同様の傾向で、医・歯学部の喫煙者にニコチン依存症が多い可能性があるという。

《症候群をはじめ、依存症などと、好んで不明確な用語がもてはやされているが、寝起きの一服など、単なる習慣に過ぎない。それを現在風に症候群というんだ、と言われればそれまでだが。》

一方、自らの喫煙について、「保健、医療を学ぶ学生の立場上喫煙してはならない」と答えた人は、医、歯、栄養の各学部で6割を超え、将来の専門家としての自覚は高かった。だが、患者の喫煙に関し「患者の自由意思に委ねるべきだ」と回答したのは、栄養学部が16%としたのに対し、医、看護学部はそれぞれ32%、歯学部が47%だった、という。

《酒と同じことで、たばこも自由に販売されている以上、飲んだり吸ったりする人がいるのは自然なこと。どちらも原則いけない範囲は、世界中の国々でも法律で禁じられている。それに副流煙だって、その他物質からの大気汚染にくらべれば人体への影響なんて知れたものだ。それよりも映画館内での喫煙が映写効果を妨げることで早くから禁煙を呼びかけたが、この方が余ほど利口だった。誰がどれだけ誰よりも多く喫煙したからって、構わないじゃないか。もともと嗜好品なんだから。》


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2007年9月 8日 (土)

飛鳥美人はどうなる

四月に始まった高松塚古墳は破壊されて、石室の解体作業が無事終わったようだ。
発見されてからたかだか35年、1300年間の漆黒の世界の眠りを破られて、色鮮やかなままで眠っていた明日香の美人たちは、見るも無惨な姿に変わり果てていた。このままでは壁画は消滅の危機にいたる、となってやっと恒久保存を真剣に考えることになった。

1300年と35年。ここに到ってもなお学界の意見は現地保存と、例えば博物館での公開保存とで自説にこだわり、綱引きを続けているのが現実のようだ。現代科学の粋を尽くしてもなお黴の発生は止められず、今回の手段となったにも拘わらず、まだ、未練たらしく現地保存を主張する考古学者がいる。現在考えられる限りに贅を尽くして対黴設備を完備させ、箱ものを作り上げ、石室を十重二十重に科学装置で固め上げ、密室にしてもとに戻そうということらしい。

今回塚の取壊しがなされるまでの高松塚の外観は、屋根も造りつけてあって古墳というよりも粗末な仮宿のようなものだった。修復されて10年後に、元の位置に古墳を残すとしても、石室(壁画)は元に戻さず、歴史的遺跡として考えればよい。その時には土を盛った地肌のままにして、木や竹薮の繁る姿に復元し、小高い墳丘状にするのがよい。

飛鳥の美人は、今までのように、特定の人間だけが秘匿物を眺めるように見ることが可能な宝物であってはならない。国民誰の目にも見る機会が与えられてこそ、初めて国宝といえる。そのためには博物館でも造り、国宝の壁画は全面を展開して見られるように展示することを考えればよい。その方が少しの変化も見逃すことなく観察が可能だ。黴を除去する以外のことをして、色を加えたりすれば、それはもう修復でも復元でもなく、創作になる。石室はレプリカでも十分だ。そして、一日でも早く国民へ公開をすることだ。

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2007年9月 7日 (金)

転換迫られた日本だが

遅ればせながら、やっと日本の為政者たちも気がついたようだ。北朝鮮相手に戦術転換をすることを覚悟したようだ。ナントかの一つ覚えのように「拉致、拉致」を繰り返していては埒のあかないことを悟ったのだろうか。

Sunset1 颱風一過の夕焼け
    (関東の空、夕刻6時ごろ)
 北朝鮮との対話も
  茜色に変わってくれれば いいのだが・・

毎日新聞(9/7)から
モンゴルのウランバートルで開かれていた6カ国協議の日朝国交正常化作業部会は6日、埒問題などを協議し2日間の日程を終えた。美根慶樹・日朝国交正常化交渉担当大使は「(北朝鮮側は)『解決済み』との言葉は使わなかったが、従来の論点は変わっていなかった」と進展がなかったことを明らかにする一方、「じっくり意見交換したことは有意義で、一定の成果だ」と強調した。3月の前回とは異なる様相で、「過去の清算」と「拉致問題」を主テーマで行なわれたが、米国からテロ支援国家解除を引き出すには日朝協議も前向きな姿を見せる必要がある北朝鮮と、安倍が主導してきた強行路線の手詰まりを軌道修正を模索せざるを得なくなった日本の事情が一致したためだ。

一方、北朝鮮の金鉄虎外務省副局長は終了後の記者会見で、北朝鮮に残る日航機「よど号」乗っ取り事件のメンバーの扱いについて、「よど号犯と日本政府が協議する問題だ。そのための場所を用意する準備がある」と述べた。米国のテロ支援国家指定解除をにらんだ発言とみられる。また、金副長官は「(日本の植民地支配に関する)『過去の清算』について進展があった」ことも述べた。

北朝鮮側の背景には、6カ国協議の進展がある。1、2の両日でジュネーブで開かれた米朝国交正常化作業部会で、核廃棄へ向けた「第2段階措置」である
 核施設の無能力化
 すべての核計画の完全申告
の年内履行で米国側と合意、米朝急接近を強くアピールしたものだ。

これにはヒル米国務次官補が「対日関係改善も重要」と伝えたとも言われている。日本政府の米国を介しての拉致問題介助の交渉が、ようやく実を結んだのだろうか。それに加えて北朝鮮の金副局長がことさらに、日航機「よど号」乗っ取り事件(70年)のメンバーの扱いに言及したのは、米国を睨んでテロ支援国家指定解除を目指した思惑があることが読み取れる。北朝鮮は日本を除く他の国との関係が良好だから、「敵対的な安倍政権と直ちに対話する必要もない」との見方もあるようだ。

さらに、今回の作業部会では従来の「拉致問題は解決済み」という表現を控えたものの、対日政策の原則的立場を変化させたわけでもない。

その拉致問題を最優先してきた日本側は、今回の作業部会ではあえて北朝鮮の最大関心事である「過去の清算」協議の先行を認めることにした。6カ国協議では目立っては何一つ参画できないうちに、他の国々との間では経済援助は着々と進展しはじめ、米朝の接近を見ては従来の強行路線では拉致問題の進展もおぼつかないと感じ、あえて柔軟姿勢で望んだのだった。しかし、北朝鮮は表現こそ「解決済み」とは表現しなかったが、本音のところは「拉致問題は解決済み」を崩さず、日本側は肩透かしを食わされた格好になった。

下世話にもある「押してだめなら引いてみな」と。長屋のレベルと国政では多少の(そう多少だ)違いはあろうが、物事の交渉とは所詮このようなものだ。タイミングを読むのが不味かった。米国の傘の下で呑気にしていたが、ここにきてその米国からも日本の置いてけぼりが誰からもはっきりと見て取れるようになってからでは遅すぎた。北朝鮮は悠々日本を手玉に取りそうだ。日本は孤立化しそうになっている。米国による北朝鮮のテロ支援国家指定も解除に向けた動きが現実のものになりつつあり、日本はイライラしながら焦燥感を募らせることになった。

拉致問題の好印象で首相の座が滑り込んできたような安倍だ、しかしこの看板は、閣僚の度重なる不祥事で地に落ち、安倍の影も薄らいできている。屋台骨の揺らいでいる日本の現状を北朝鮮はじっと窺っている。押すばかりが外交じゃないことに気付いた日本、機を失した感もあるが、これからも曲者北朝鮮相手の外交交渉は紆余曲折の戦略になるだろうが、「過去の清算」を持ち出した以上、戦後補償とともに経済援助と「拉致問題」を同時進行で処理することがますます難しくなるのではないだろうか、深く懸念する。

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2007年9月 6日 (木)

愛したい

久し振りに“愛したい”を取り上げる。日々悶々の高年齢女性たちの相談事だ。
今回は38歳の茨城県在住の公務員からの相談。

「気がついたらこの年齢になっていました。ずっとこの人だという人に出会えず、それをいいことに仕事にのめり込み、忙しさを言い訳にして独身を通してきました。5年前に一回り以上下の方から結婚を前提にした交際を申し込まれ、悩んだ末にお付き合いを始めましたが、2年目に断わられました。話し合いながらやり直そうとしたのですが、うまくいかず、泥沼の中、自殺未遂騒ぎを起したこともあります。今、一人でいることに慣れません。今さら出合いもチャンスもありません。生きることが不安です。」

《とても40歳になろうとする女性とは思えない、初々しく初めて恋を知った弱々しい乙女のような文章だが、どうか哀れと思し召せ、とでも言っているようだ。》

相談を聞いて回答するのは、43歳で猿回しで知られる村崎太郎氏(46)と11月に挙式を控えているフジテレビのドラマ製作で活躍しているプロデューサー・栗原美和子。
 『38歳で「この先出会いのチャンスがない」なんてあり得ない。そう言い切ってしまうことが間違っています。チャンスはありますよ。』

《栗原は、自分自信も掴んだチャンスを後ろ楯に、はっきりと言い切る。確かに相談者の年齢は、待ちに待った熟年離婚を勝ち取って、次の男を探す女性たちの年齢からすると、羨むような年齢と言えるかもしれない。また、紙面上の文面ではうかがえないが、相談者は東京と地方の違いにも境遇の引け目を持っているようなのだが。》

『東京と、自分が住んでいる地域では事情が違うということもありません。東京は人はたくさんいますが、その分“スカ”の絶対数も多いので、スカにも出会いやすいのです。』

《そのとおり、男も女もスカの多いのは都会のならいだ。》

『だいたい30代独身は今やあたりまえ、そういう女性は山ほどいます。「仕事が忙しくて気付いたらまだ独身だった」というのは普通のこと。卑下することでも、自慢することでもありません。仕事に一生懸命だったなら「それはいいこと」と良しとしましょう。言い訳すること必要はありません。』『交際して2年目に「結婚相手ではない」と相手が気付いたのは、良かったと言えます。結婚してから気付くよりいいでしょ。前向きに考えることが大事です。それによく言われることですが、結婚は勢いとタイミングです。』

《仕事に一生懸命で、気がついたらこの年って、本音? 異性や結婚のこと考えたことないの? そうではないでしょう。33歳にもなって、20歳やそこらの男に騙されるなんて何を急(せ)いていたのかな。もの欲しげに周りをキョロキョロ見ている女性がいれば、その年齢の男にとっては願ってもないカモだ。遊び半分で付き合える絶好の相手ということになる。第1、その年齢の男性が例え「結婚を前提に」と口にしたとして、どのように食べて行くことが可能なのかは考えるまでもないことと分るはず。髪結いの亭主よろしく面倒を見ていく覚悟をしていたのか。まして一回り以上も年長の女性が真剣になればなるほど、男は身勝手にも自信を抱く。遂にはその自信を若い女に試すべく次のターゲットを狙う。栗原のいうスカ男だ。》

『「30代半ばにしてちょっと刺激のあるいい体験をさせてもらった」と思いましょう。今すぐ次の恋をすればいいとは言いません。マイナス思考は止めましょう。栗原自身は、「だったらこの仕事を想定以上にいい結果にしてやろう」「何が自分に欠けていたのか分析しよう。足りないところを補ううちに、また別の人が現れる」と考えてきたのだという。そして相談者に問いかける。「結婚したいのか、恋愛がしたいのか」と。30代半ばですから、結婚したいのであれば、お見合いをしたっていいでしょう、交際期間をリトマス試験紙と考えて、合わなければ見切りをつければいい。けれど、年下の彼に振られてからのご自身は、必要以上に悲劇的な気分に浸り「恋愛したい女」の言動が目立つように思います。』

《栗原も分かっている、相談者は同情を寄せてもらえることを予想してことさらに悲しい文章を綴っているのだ。晩婚化が進んで女の適齢期は23歳なんて時代があったことさえ思い出せない。それよりも適齢期なんて言葉さえ死語になって熟年結婚さえ花盛りだ。35歳で滅入ることはない。多くの世の男どももスカを摘んで何度も何度も失望し、それでも見つからずチャレンジする人間もいるのだ。》

そして『誰でも生きることに不安を抱えています。「一人でいることがつらい」といって「誰でもいいから一緒にいてほしい」と燃えますか? 気の合わない誰かと一緒にいるのは、一人でいるよりもっとつらいのでは。不安をエネルギーに前へ。そうして進んでいくうちに出合いはあるものです。』と結ぶ。

《目覚めて初めての男女が結婚できるなど、極めて珍しいことだろう。文面どおりに受け取れば、20歳そこそこの男には、自分の年さえ忘れるほどの仕事熱心な女性はかた苦しかったことと思う。その上結婚を迫られては怖くもなったであろう。いくら年の差結婚流行りとはいえ、生活力のない男を相手にしては、最初から泣きを見る覚悟はしておくべきだったろう。これから先のことを流行りついでに言えば、生涯未婚というのも選択肢としては残されているが・・。》

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2007年9月 5日 (水)

親への啓蒙は無駄と知るべし

最近の親の言動は、書いているだけで空しくなる。話は子どもの携帯有害サイトへの接続を制限しようという呼び掛けに対する親たちの対応だ。

毎日新聞(9/5)から
有害サイトへのアクセスを制限する「フィルタリングサービス」の利用率が低迷している。子どものネットトラブル回避のため03年から導入されたが、内閣府の調査では利用率は3%程度に止どまっている。携帯電話事業者による啓発活動は最近まで低調で保護者の危機意識も低く、子どもの無秩序なネット利用を許す格好となっている。

《これまでにも再三再四書いてきたように、子どもの教育責任を放棄しているような親たちに、道を説いても無駄だ。それに、便利な機械の使い方は知っていても、ただそれ止まり、フィルタリングの設定の仕方が理解できない親だって沢山いるだろう。また、記事にも書かれているが、『売り手でさえフィルタリング設定をきちんと説明できる販売員も少ない』という始末のようだ。当然のことだ、店頭の販売員は1台でも多く売れればそれでいいので、それから先は使用者の問題なんだから。有害サイトに限らない。3日にも「ネットのいじめ」を書いたばかりだ。これなども本来なら親の世代が子どもへの家庭教育をきちんとやっていれば、殆どは防げるものなのだ。》

フィルタリングは青少年に相応しくないと思われる学校裏サイト、アダルトサイトなどを判別し接続できなくするサービスだ。NTTドコモ、ソフトバンクモバイル、KDDIの3社が無料で提供しているが、利用率について各社とも公表していない。

一方、内閣府が3月、小中高生の保護者2000人を対象に行なった調査(回答率57・3%)では利用率は3・5%であった。業界団体の電気通信事業者協会が7月、京都府内での啓発イベントで参加者224人にアンケートした結果でも3・1%だった。

総務省は昨秋、3社にフィルタリングの普及促進を要請した。以後各社は新規契約時にアクセス制限の利用確認を必須化したり、テレビコマーシャルや新聞広告を出すなどの対策を行なっている。

《テレビでも、新聞でも私は目にしたことがないが・・・》

有害情報から子どもを守る活動に取り組む「群馬県子どもセーフネットインストラクター活動委員会」は「各社の対策は有害サイトをブロックするから安心という販売促進の色彩が強い。フィルタリング設定をきちんと説明できる販売員も少ない」と批判する。

《売り手に文句を言っても始まらないだろう。現在では社会現象ともいえるネット騒動になっているものだ。毎年新しい利用層がうまれているのも事実だ。本来なら親は、子どもに買い与える前に、それらのことを十分に知識として知った上で購入するべきことだ。》

利用者低迷の原因に、保護者の意識の鈍さもある。NTTドコモによる親へのアンケートでは、利用しない理由として、▽子どもの自主性に任せている34%▽有害サイトにはアクセスしないから27%、などとネットへの認識不足が浮かぶ、という。

フィルタリングソフトの開発大手「ネットスター」の高橋大洋マーケティング部長は「0円や1円で携帯端末が手に入り、パケット代(データを取り込む際の料金)も手ごろだ。子どもがウェブにのめり込みやすい状況なのに、保護者は無関心」と話している。

《親の無責任さは驚くほどだ。「子どもの自主性に任せているから」は、「子どもが何をしても子どもの勝手」ということだ。何をしても親として責任が取れるように育ててあればいいのだが、現実は、そううまくいっていないから問題が起っているのだ。そして、子どもに何かあれば、その責任を他人の所為にして詰め寄る。「何故そうなった、誰が責任を取ってくれるんだ」などと。責任は親にあることの知恵も持たず考えもせず、勿論反省などしないのだ。有害サイトに関しては親にも後ろめたい子どもの頃があったろう。子どもから大人への成長過程において誰しも抱く異性への憧れでもあるからだ。ただ、違うのは、親たちの若い頃とくらべて、その情報量や情報の質に圧倒的な差があることと、その盛り沢山の情報が、手の平の中に入る小さな末端の機械に詰め込まれ、親の目を逃れてそれぞれの子どもたちの狭い空間で開いたり見たりできることだ。加えてモラルもなくなったような社会の実情が底辺にある。簡単に道を踏み外すことも可能なのだ。自由(責任のこと)を自主といった言葉で解釈し、監督責任のある庇護下の子どもを放任して顧みない。もう遅いかも知れないが、ここまで乱れきったネット社会だ、子どもへの被害が今以上に広がらないうちに、すでに触れたが、立法化することを考えなければならない時期に来ているのではないか。同じように立法化を提案している識者が出てきた。》

NPO法人「子どもとメディア」の清川輝基・代表理事の話
「日本のように、ネットにつながる携帯電話を子どもが自由に使う国は世界でもまれ。事前のネット教育もない。運転技術のない人が、公道で車を運転するようなもので、被害者にも加害者にもなる危険がある。今後は、ネット接続の携帯電話は例えば15歳からとし、事前の教育を義務づける立法が必要だと考える」と。

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2007年9月 4日 (火)

男の魅力 昔と今

石田衣良の白黒つけます!『昔の男と今の男 どっちが魅力的?』から
設問内容で「今昔」を比べる時、何時も違和感があるのは昔を語るのに10代以下の世代が含まれるのに似つかわしくないテーマが取り上げられた時だ。今回もその一つ。10代以下の女にとって、昔の比較対象は恐らく幼稚園か小学生時代の異性のことになる。そうでなければ、他人の価値観や人生観で造り上げられた小説や、漫画、映画で見聞きする昔の話の中の男を思い浮かべるのが精一杯の所ではないだろうか。

とはいっても、その後の20代から上の世代でも、大なり小なり昔のことは第三者の価値観が多分に混じることは避けられないだろう。そうでなければ今回の回答にあるような昔の恋人やつき合っていた異性と、或いは昔と今の知人の比較になるだろうことが理解できる。そして、それが自然な比較というものだろう。それこそ歴史上の人物や、自分が産まれていない時代の異性のことは、第三者の目を通した文献や、本人のオブラートに包まれた人生論でしかその人物像は分らない。それでは本質的な比較にはなり得ない。はたまた比較を行なう人間が、学者もどきであらゆる面から比較する対象の人物を、徹底的に調べ上げるしかないだろう。そしてまた、当の本人も、いくつもの色眼鏡を掛けていることも考慮しなければならないだろう。

先ず、石田衣良の意見を聞いてみよう。(《》内は私見)
「ぼくの意図では、過去と現代の男性の魅力だったのですが、多くの女性はぜんぜん別の角度から考えていたのだ。現在進行形のパートナーと過去の人の(不毛な)競争である。なるほど、そういうパーソナルな選択というのもありふぁったな」《上に書いたように、他人の知識をベースに比較するよりも遥かに素直で真っ当な受け止め方だと思うのだが、石田には意外だったらしい。しかし、このような見方は女性だけで、男性はゼロであった、と書いている。》

それでは「昔の男の方が魅力的」の意見から。
「洋の東西を問わず昔の白黒映画に出て来る男優の魅力的でカッコいいこと! ゲーリー・クーパー、三船敏郎などなど。今の映画界に魅力あふれる男優はいるでしょうか? 親父の若い頃の写真も信じられないくらいカッコいいです」(大津市・たる)。「昔の男がどういうものかわからないけど、今の男が弱過ぎる。女のわたしより女々しいってどういうこと?」(大阪市都島区・モン)《これを回答した女性は18歳という。若い女性は現在の弱々しいオカマ風の男の方が好みかと思っていたが、このような真っ当で元気なお嬢さんもいることを知った。》

いつものように世代別に意見を聞いてみよう。
 <有効票数>2422(男991、女1431)
            昔     今
    全 体    65・3%  34・7%
     男     78・7%  21・3%
     女     56・0%  44・0%
  10代以下 男  54・2%  45・8%
  10代以下 女  55・0%  45・0%
  20代   男  68・3%  31・7%
  20代   女  52・4%  47・6%
  30代   男  79・4%  20・6%
  30代   女  56・6%  43・4%
  40代   男  82・1%  17・9%
  40代   女  83・9%  46・1%
  50代   男  85・8%  14・2%
  50代   女  66・4%  33・6%
  60代   男  82・4%  17・6%
  60代   女  66・7%  33・3%
  70代以上 男   100%     0%
  70代以上 女  33・3%  66・7%

《男性の世代が上がるにつれてどんどん昔の男派が増えるのは、よく理解できる。18歳の女性も回答しているように、今の若い男性の女々しい外見には馴染めないのだ。女性には優しいと映る面でもあるのだろうが、世代が上がるにつれて今風の男性の女性化は、生理的に我慢ならないものだ。つい先日のことだが、庭木を求めて出かけたが、そこで女性店員(間違いない女性)に名前の分らない写真の花の名称が知りたくて、担当を訊ねた。あの人に聞いて、と言われて指さして教えてもらった。「どうもありがとう、あの女性ですね」と答えて嗜められた。「男の人ですよ」と。どう見ても女性だ、身に纏っているもの、花を手入れしている物腰。「あ、男の・・」の寸劇もどきだった。女性相手のホステスは言うに及ばず、美容院など、なよなよとした男の品評会ができそうだ。

《街行く男たちの髪型の女性的なこと、後ろから眺めると男も女も見分けがつかない浮浪児の不潔なザンバラ髪だ。年輩の男性が昔を懐かしむのは(そう、昔の男を魅力的とするのは、女の子のように眉を剃り、髪を女性風に真似、香水を振り掛けるようなことをしない)、優しいだけの今の男には、昔の男にはあった野性が失われて見出せないからだ。》

では「今の男の方が魅力的」を。
「昔の男がいいと思うのは、思い出がいいのでは?意地でも今の男がいいと思いたい。今の男が2番手なんて、自分がみじめじゃないですか」(愛知県阿久比町・鈴虫)、「今の男に1票。当然、恋は上書きです」(奈良県河合町・てんとうむし)、「今の男の方が魅力的です。男の呪縛から自由だから。昔の男が魅力的に映るとしたら、制約の中で生きる姿が決断力や実行力があるように見えるからかもしれません。しかし、それはそう生きるしか選択肢がなかったともいえるのです」(千葉県八千代市・久史)、「女性の情熱、自主性、才能などを評価し、尊敬してくれる男性には年齢を問わず魅力を感じます。日本は室町時代まで女性の財産権が認められ、奈良、平安の男たちはぬけぬけとスイートな恋歌をいくつも残し、恋愛と女性の権利に関しては先進国だったのに、江戸、明治の根拠のない家父長への集権が日本の男をつまらなくしたのではないでしょうか」(京都府長岡京市・紅茶猫)。《なんだかテレビに出まくっていた頃の舛添氏の天敵、田島(女史)の顔が思い浮かぶ。室町から奈良、平安、そして明治からおそらく敗戦までがこの人の「昔」に含まれるのだろうが、焦点のない勝手な屁理屈になっている。己の知識を披瀝して見せびらかすだけのことに終始したまで。》

石田衣良の総論だ。「今回のアンケートは実は男性を中心に圧倒的に昔の男の方が魅力的という回答が寄せられました。メールでは反対だったけど。でも、ぼくはやっぱり今の男も悪くないと思うのだ。そこで、審判員の我侭を加えて、今の男の方が魅力的ということで、白黒つけることにします。」となっている。

最後の回答を。
「昔の男はただ男だけやってりゃよかった。でも、今は男だけやってるような男は魅力的じゃない。男の価値観も多様になり、どんな男になるかを自分で考えて目指さないといけない! それが原因で男は自信を失っている。カッコいいってなに? 答えなんかないんだと思う。とにかく自信を持とうよ。根拠のない自信でもいいから」(大阪府八尾市・立地骨炎)。

《カッコいい男、と設問で問う魅力的な男はイコールではない。「カッコいい」と現代風な言い回しは魅力的なもののうちの、1要因ではあるのだろうが、カッコ悪い生きざまが、男の魅力となることだってある。確かに男の価値観は多様化したのは事実だ。だがしかし、女の真似をするのは決して魅力的な男とは見えない。それに肝心なのは魅力的と受け取るのは、受け取る側の問題であって、100人いればその受け取る魅力は100通りあって当然、蓼食う虫も好きずき、と言うこと、これだという答えなんかないんだろう。》

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2007年9月 3日 (月)

日常化する「ネットいじめ」

つい半月前に同じ内容の記事を同じ毎日新聞で読み、ブログ記事「学校裏サイト、プロフィール」として載せた。日常化しているのはネットいじめではなくて、新聞記事だ。ただ結果として表に出てきた現象を、あれも、これもと挙げるだけで、建設的な意見は何1つ提起しない。言うことは決まって「地域ぐるみで子どもを見守る必要がある」という程度のことだ。

メディアは繰り返し記事にしてはその都度、「匿名の闇に泣く子ども」と書くだけでは解決しないのは当たり前だ。提案する「地域ぐるみ」の地域そのものも親のモラルも今は潰滅的な状況にある。そこに地域ぐるみの協力を持ち出してみても改善される糸口などない。ワイワイ騒ぐ記事が日常化してマンネリ化するだけだ。

問題になっている「死ね死ね」メール、知人に成り済ました援助交際の呼び掛け、中傷など、早くから調査のたびに持ち上がっている今更のことではない内容だ。問題になっていることを幾ら列記してみたところで時間の経過とともに、事例の数が増えることになるだけだろう。私はこの問題をカテゴリー「親の責任」において考えている。

問題の本質を昔ながらの家族制度の崩壊、家庭教育の崩壊と見極めた安倍(首相)が言う、お父さん、お母さん、お爺ちゃん、お婆ちゃんのいる家族。安倍が言ったことでたった1つのまともな意見だ。敗戦後の日本の家族の崩壊は先ずは子が親を捨てることから始まっている。親は親で子どもに面倒みてもらおうとは思っていないと。しかし、子が親の面倒を見るのは当然のことだ。現在は昔以上に親の面倒を見る必要があるのではないのだろうか。何故なら、子を育てるのための親の苦労は昔の何十倍もかかっているからだ。昔は必要以上に出世の高望みは控え、幼稚園から中学(受験制度)高校、大学は限られた家庭で通わせる程度だった。それでも子は親を尊敬し、成長しては面倒をみた。今は幼稚園(託児所、保育所まで増えた)からどんどんと親の脛は細くなり続け、1877(明治10)年〜1939(昭和14)年に24校であった大学は、今では掌(てのひら)から零れるほどの数、709校(平成16年度現在)に増え、遊び半分でも大学生にはなれる時代になった。分相応ということを知らず、猫も杓子も親の脛を齧って学資を出させる。卒業しても悪いことは社会の所為にして汗を流して働くこともせず、続けて親の下で脛を齧り続ける。これで親の面倒を見ないなんてそんな奴はそれこそ豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまえ、だ。話が逸れた、軌道修正が必要。

しかし、その反面、忙しさにかまけた親が子に注ぐ愛情はどんどんと希薄になって行った。生まれるとすぐに子どもは他人の手に委ね、仕事場に走る。その上に、親を捨ててきた身だ。子づくりだけは知っているが子育ての知恵を授けてくれる人がいない、叱ってくれる人、喜んでくれる人、遊んでくれる人もいない。辛くなって虐待が始まる。捨てる、ひどくなると子殺しだ。このような親が子どもに「自分がされて嫌なことは他人にはするな」「人には優しく」「お年寄りに親切に」など教えられる筈がない。それでも子の教育は親の責任なのだ。ただ訳も分からない子どもに「誰それが持っているから」「ないと格好悪い」「あると便利」「子の安全のため」など、通信代も支払えないことが分かっているのに、売れればそれで良いメーカーの宣伝に乗って携帯を、パソコンを買い与える。以前からこれほど騒がれていることが分かっているにも拘わらずだ。如何に子どもの教育責任を疎かにしているかが分かる。携帯は子どもの守り刀には絶対にならない。

繰り返しになるが、現在のモラルを持たない親のもとでは、善悪の判断もつけられない(教育されていない)小・中学生に携帯は持たせるべきではない。彼らには決して必需品ではないのだ。末端の現象を嘆いているばかりでは何も解決しない。極力速やかに携帯禁止の法律を作るよう検討するべきだ。

18日の記事に早速翌日賛同のコメントを寄せて下さった方がある。とても過激な内容だが要約すると、
「弊害が広がって、子どもたちが取り返しのつかないような生け贄や惨状が生まれなければ、政治家は動かないだろう、」と。

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2007年9月 2日 (日)

「お客さまは 神様で」はない

今、介護の現場が荒れているようだ。金さえ払っていれば神様気分になれるのがいいらしい。給食費に保育費など(合わせて112億円になるが)払わなくても傍若無人な保護者のいる世の中だ、あちこちに似たような話が転がっていても可笑しくないのかも知れない。

ところが話は老齢や行動が不自由なため他人(ひと)さまに介護の世話を受けている連中の“神様ぶり”に老人ホームやホームヘルパーの人たち介護の現場が手を焼いているということだ。暴言やセクハラなどの内容のようだが、同情を寄せられる好意の行為を踏みにじるような行いが横行しているようだ。(厚生労働省所管の財団法人「介護労働安定センター」2007年7月)

それでなくても高齢化の進展に伴い、成長が期待されていた介護ビジネスが苦しい岐路に立たされている。介護報酬の引き下げで企業の業績が悪化し、昨年から東京都内を中心に会社を買ってくれないか、という企業売却の話が持ち込まれるケースが目立っているという。コムスンの不正発覚は介護業界への信頼を大きく傷つけたが、コムスン以外でも介護報酬の不正受給は後を立たない様相だ。「06年4月の制度改正に伴う介護報酬の引き下げで、特に訪問会議はビジネスとしては全く成り立たない状況だ」と指摘している。(野村証券金融経済研究所・繁村京一郎)

介護の現場では給与の低水準、長時間労働、福利・厚生が不十分などの指摘があるが、事業所側では「今の介護報酬では十分な賃金が払えない」など悲痛な訴えが上がっている。離職するものも多く、年間で5人に1人、その4割以上が就業から1年未満であったことが介護労働安定センターの実態調査で分かった。1事業所当たりの平均従業員数は30・5人(全国比32%の1万1627事業所)、正社員と非正社員がほぼ半々。中でも非正社員のホームヘルパーは無給の拘束時間が多いとされるが、調査では、待機、書類作成時間にも賃金を支払っていない事業所がそれぞれ3〜4割あった。このような厳しい業務中に、怪我をしたり事故にあったことがある者も全体の12%にも上ることも分かった。

神様気分の利用者から、暴言・暴力・セクハラを受けた人も30%に上っているが、相談できる窓口があるのは63%に止どまっていることも分かった。女性ヘルパーにヌード写真を見せつけたり、胸やお尻を触ったりがあり、下着の色を聞いてきたり、胸が大きいな、やブスなど何でもありのようだ。中には「何もしないからベッドに横になって寝てもらえないか」などと迫られたヘルパーもいたと言う。「介護の現場は密室になることが多く、例えば男女2人きりなら高齢者でも変な気分になることもあります。また、病気などで抑圧されている利用者が、優しくしてくれる職員やヘルパーに対し、ストレスを発散させている面があるようです」とは「日本クラフトユニオン」会長の河原四良氏の弁だ。

セクハラばかりではない、暴言や暴力を働くこともあるが、高齢者の場合、かなりの比率で認知症にかかっていることもあって問題を難しくしている。しかし、同センターの2006年9〜10月の実態調査でも、介護サービス利用者のモラル低下は浮き彫りになっている。それによると、過去1年間の仕事中のセクハラ・暴力などの経験があると答えた介護労働者は45・8%のも上っていた(利用者・家族の誤解。無理解20・1%、暴言16・1%、誹謗・中傷11・5%、セクハラ7・3%、暴力6・5%)。他には盗難の嫌疑をかけられるケースも2・9%の介護労働者が挙げている。

その上でのことだが、「ヘルパーはお手伝いさん」という意識が利用者にあるようだ。そのために地位が低く見られ、気に入らないとお襁褓を投げられたりすることもあるという。昨年のブログでヘルパーというカタカナのことを書いた。《カタカナを改めよ》主に65歳以上の人たちにとってややこしいカタカナは理解しにくい。事実英語のヘルパー(helper)には「お手伝いさん」という意味がある。間違ってはいないのだ。こんな紛らわしい名を付けること自体間違っている。何を血迷ったか極めて親しまれていた看護婦さんの名称を変えてみたり、スチュワーデスをホテルの客室担当のような名にしてみたり、言ったり書いたりした後で、或いはその前に男か女かの字を添える。考えることが可笑しい。このことに関しては地位が低く見られても利用者ばかりを責めるのは間違っているように思う。

だがしかし、金さえ払っていれば何をしても許されるものでもない。権利だけを主張するのではなく、客には客の分限がある。その分限を弁え、己を律することで客たりうるのだ。決してお客様は神様ではないのだから。

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2007年9月 1日 (土)

子育てと企業内保育所

コンビニ子育て 06/01/09 で、昨年の正月気分もぬけ切らない9日に、ローソンが子育てを応援する企業内託児所「子育てコンビニ」の計画を発表した。その後ほぼ1年かけた12月15日、次世代型コンビニ「ハッピーローソン」として東京・日本橋室町で営業を開始した。

現在、企業などが従業員の子どもを対象に、事業所内に開設する保育所は、深夜業や休日の勤務が欠かせない病院などが設置するケースが多い。厚生労働省のまとめでは、06年3月現在で全国に3389カ所あり、4万7775人が通っているが、地元自治体に届けていない施設もあるため、総数は不明のようだ。(毎日新聞6/4)

一方、厚生労働省でも別のデータでは2004年現在で、企業内保育所は3371カ所、とある。この数字を信じるなら、およそ2年間で18カ所だけ増えたことになる。どちらにしても、このうちの約6割が病院など医療機関のものだ。不規則な時間帯で働かざるを得ない職場であり、女性の人材確保のために保育所を併設するというのが時代の流れでもあるようだ。

その病院内保育所に関して埼玉県の実情(毎日新聞6/31)。
看護師や医師の定着・復職支援策の一つに挙げられる病院内保育所。しかし、県医療整備課の06年のアンケート(回答率80・3%)によると、回答があった県内290病院のうち137病院にしか設置されていない実態が分かった。院内保育所を設けている西部総合病院(さいたま市桜区)が「看護師は万年不足状態にある。赤字だが働ける環境づくりが必要」と話すように、病院の自助努力に行政側が頼っているのが現状のようだ。

西部総合病院は今年2月、院内保育施設を移転・新築した。急患への対応や夜勤が組み込まれた看護師は、子どもを一般保育所に預けるのは難しい。院内保育所は勤務形態に合わせて生後3ケ月〜未就学児まで対応する。保育料は格安の1日500円で1人当り月平均約1万2000円。低学年の小学生を特別に与ることもある。医師は子どもの教育に関心が高いこともあって、英会話教室を開くなどのサービスも始めた。32歳の看護師は男児(4)や1歳5ケ月の女児ら3人の子どもを育てながら、週1回程度の夜勤をこなしている。「実家が遠く共働きなので、保育室がなければ働けなかった」と話した。

県内の働く女性の数は通常、子育てが忙しくなる30代半ばで減少し、50代から増えるM字を描く。一方、女性看護師は20代後半をピークに減少し続けており、医療に従事する女性の働きやすい環境づくりは急務といえる。さらに院内保育所は24時間運営や医師・看護師のシフトによって日々変わる受け入れ児童数に対応するため、安定した運営が難しいという側面もある。

県は国の「病院内保育所運営費補助金制度」を使い、今年度は県内96施設に1施設平均年167万2000円を国と折半して助成する。だが、年々増え続ける申請数に対し、1病院当りの助成額は減少傾向にある。医師・看護師不足と赤字経営にはさまれて、病院はさらなる自助努力が求められている。

内閣府が今年3月に 1)「保育所の利用について」、2)「企業における子育て支援制度について」違憲募集を行なった結果をまとめた。総数333件の意見が寄せられた。
 1)については20代15%、30代60%から
   会社員(46%)、福祉・医療関係(15%)、主婦(15%)
 「保育園の年度途中の入所が難しい」「園長保育を利用しても、保育の終了時間が早いため、迎えに行けない」「病児保育を利用する場合、開始時間が遅いため、会社の始業時間に間に合わない」などがあった。
 2)については20代20%、30代58%、40代13%から
   会社員(55%)
 「企業の両立支援や子育て支援制度は実際には使われてはいないことが多く、職場の意識改革が必要」「長時間労働の抑制や父親の育児休業の促進について、職場の意識改革が必要」「育児休業後の職場復帰ができず、会社から退職を求められている」「会社の制度は使えるが、キャリアや収入に響くため、実際には利用しにくい」「就学前の子どもがいても、正社員の場合、職場からきちんと働らいてほしいというプレッシャーがある」などがあった。

 職場の意識改革を求める意見が26%で1番多く、次いで育児休業後の職場復帰に関するものが6%、のほか、長時間労働の抑制が10%、企業内託児所の充実を求める意見が10%あった。

思い返せば1988年のアグネス騒動の当時、企業内保育所は逆に育児を女性に縛り付けるものだ、との思惑から極力触れないで、隔靴掻痒の感のあった企業内保育所の充実が今叫ばれている。同時に育児は女だけのものではない、と男性の参画を呼び掛けては見たが、こと育児に関しては簡単には大きな波は起きそうにない。日本の育児における男性の参加が少ないことをしきりに諸外国と比べて説く識者は多いが、長い歴史の中で、数字だけ比べて説いてみても効果はない。仏教思想の女性を不浄・穢れと見る平安時代から続く男尊女卑の思想はヨーロッパ諸国には存在していなかった。「子どもを産み育てるのは女性の仕事」としての考えは長きに亙って日本には定着してきた。

その長い子育ての歴史から、今は見失われている家庭の躾が生まれ定着していた。ところが、産まれるや否やそそくさと乳房さえ取り上げ、さっさと他人の手に子どもを委ねていては躾のできる筈がない。顔を会わせる短い時間に限って溺愛していたのでは情緒不安定な子に育ってもおかしくはない。それが解決できるのは企業内保育所のシステムだろう。乳ばなれしていれば父親が企業内保育所を利用しての育児参加が可能になるだろう。私の持論(何本ものブログで主張してきた)だが、乳房が必要な乳飲み子は現在言われているような父親の育児参加など何の役にも立たない、全くナンセンスだ。授乳(母親に代わるものはない)以外の入浴をさせたり、お襁褓を替えたり、家事で便所の掃除などは、わざわざ育児休暇を取る必要もない。日常でこなすことが十分に可能だ。乳幼児の間は企業内保育所こそ必要な施設になるだろう。

政府としても企業内保育所の拡大政策を進めていけば、一般の保育所の縮小が可能になるだろうし、その人材を企業内保育所に回すこともできる。母と子の接触も増える。うまく行けば父親が保育参加することも可能になる。それに現在政府を悩ましている保育費滞納90億円などというモラルを失った親たちからも、企業内保育所ともなれば、給料からの天引き、或いは差し押さえの手も打てる。一石二鳥どころではない、三鳥にさえなるだろう。

参照 企業内保育所 06/11/30

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