久間前防衛相「しょうがない」の釈明について
「参院選後」に回答するとしていた、長崎原爆被災者協議会(被災協、谷口稜曄会長)など被爆者5団体が前防衛相・久間氏に出していた公開質問状に対する回答が2日までに、団体側に届いた。
久間氏は回答で原爆投下を「しょうがない」と言及しているものではなく、真意が確かめられず『しょうがない』だけ取り上げられ、誤解が広がった。原爆投下を是認するものでは断じてない、と釈明した。
質問と回答は次のとおり(一部省略)
♦米国の原爆投下は間違いだと思うか。
—従来から間違いだと思っております
《これは発言当日の記事に目を通せば久間の言っていることに間違いないことが分る。彼が釈明するとおり、メディアの取り上げ方が多分にセンセーショナルで、“これは問題発言となるぞ”との思惑が入り込んでいる。全文を読んでみれば誰でも理解できることだ。彼は原爆投下を決して肯定していない。メディアの選挙前の安倍政権へのゆさぶりが目的であったとすると、その目的は充分に果たしたと言えるだろう。》
♦なぜ米国は原爆を投下したと思うか。
—日本との終戦を急いだのだと思われます
♦国際法違反の原爆投下をした米国はどう裁かれるべきか。
—残念ながら現在まで、国際法違反で有罪となった国はないものと承知しております
(全部で7項目あるが、「しょうがない」と直接関係しないので割愛する)
《「投下したために戦争が早期に終わった」というアメリカの主張は結果論で目的ではなかった。お互いに憎しみあっていた日米間で、お互いの国民を殲滅することこそ目的であった。如何に多くの日本人を、或いは、アメリカ人を殺せるか。日本では連合国軍(特に米・英軍)を鬼・畜生と蔑み、米国は日本軍を黄色いジャップと呼んで殺しあうことは戦争である以上当然のことだった。お互いに、極力効果の上がる殺戮兵器の開発を急いだ。日本は開発に遅れ、原爆はアメリカが先に手にした。その効果を憎い敵で試してみるのも又自然の成りゆきだった。人間性などなくなるのが戦争だ。アメリカにしてみれば日本軍による寝首をかかれたようなハワイ真珠湾への奇襲攻撃で、大平洋艦隊は大打撃を受けていた。‘真珠湾を忘れるな’と絶好の報復となった。早い者勝ちだだった。日本の原爆開発がアメリカの先を越していたら、間違いなく、そして躊躇なく日本はアメリカに原爆を落としていた。それほど戦争とは人間を狂気に追い込むものなのだ。戦争に正義の戦争などはない。ドンパチのテレビの中やスクリーンの上でする戦争映画ではないのだ。》
《平和ぼけした現在の日本では、空襲や戦火の下を防空壕に命からがら逃げ込んだり、戦死した身内を持った家族の悲しみは想像できまい。広島と長崎に新たなる爆弾(原爆)が落ち、戦争が終わったとき、誰もが助かった命に感謝したのは真実だ。原爆を人間性の面から捕らえるまでには時間の経過を必要とした。人間性で戦争が止められるのなら疾うの昔に地球上から戦いはなくなっている。ナイチンゲールでさえせいぜい戦で傷ついた兵士を癒すことしかできないのだ。古来から戦に負ければ国は消滅したり、人民が奴隷にされたり、虐殺されることは普通に行われていた。今になればお互いの情報戦であったのだろう、或いは根もない流言飛語であったろうと思うが、日本が戦争に勝てばアメリカは地球上から抹消する、アメリカ人は皆殺しと聞かされていた。それが戦争だ。》
一つの意見が寄せられた。
毎日新聞(8/2)みんなの広場 への投書から
「戦争体験者の『本音』にも視線を」31歳(男性)
『久間章生前防衛相の原爆をめぐる発言を聞いて、先の大戦で空襲を体験した父の言葉について改めて考えた。
私は戦争の深刻さを刻んでおきたいと、積極的に父に話を聞いている。父は「隣のおばさんの体に爆弾の破片が突き刺さって、はりつけのようになって死んでいた」などと話し、「広島や長崎の人には申し訳ないが、原爆の投下で戦争が終わって正直ほっとした」と語っていた。
これが、父や戦争を実際に体験した人たちの「一刻も早く戦争が終わってほしかった」という「本音」ではないだろうか。ついさっきまで言葉を交わしていた親友や大切な家族の命が、いともたやすく奪われる。今の日本では目の当りにすることのない殺戮、惨状が日常の中に当たり前のように存在する。私には想像もつかないような現実が過去には実際にあったのだ。
久間氏の発言は許されない。父も私も戦争や原爆に絶対反対だ。だからこそ、戦争の悲惨さを訴える体験者の「本音」に目を向けるべきだと考える。』
《この人も久間の発言に、木を見て森を見ていない。久間は決して原爆を肯定していない。私は久間は辞任しなくてもよかったと思っている。是非参照して欲しい 世論「輿論」07/07/08(含、久間「しょうがない」辞任)》
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