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2007年8月 2日 (木)

阿久悠 で思い出すこと

1984(昭和59)年、昼間社用でタクシーを利用した日のことだった。流行歌好きの運転手だったのだろう、車内のラジオはちょうど先の歌手の曲が終わって次の歌を紹介していた。前奏に続いて男性歌手の声が聞こえて来た。いつ耳にしてもこちらが息苦しくなる独特のつぶれた声の森進一が歌い始めた。(漢字は歌詞カードより)

一) 山が泣く風がなく
   少し遅れて雪が泣く
  女いつ泣く灯影が揺れて
   白い躰がとける頃

つぶれた声にしては一言一言が明瞭に耳に届く

  もしも私が死んだなら

何故か全神経を彼のうたう言葉の続きを聞き漏らすまいとしていた。
 
  胸の乳房をつき破り
   赤い螢が翔ぶでしょう

全身の毛穴が開き総毛立つ悪寒に似たものが走った。かつて日本の歌謡曲に、これほど激しい表現があっただろうか。小さい子どもの頃から流行歌は聞いて口ずさんで育った。支那の夜、白蘭の歌、蘇州夜曲、赤い睡蓮、赤城の子守唄の時代からたくさんの曲を耳にしていた。

  ホーホー螢翔んで行け
   恋しい男の胸へ行け
  ホーホー螢翔んで行け
   怨みを忘れて燃えて行け

森進一の声が詠われている女の胸を抉る悲しみを存分に表現していた。それまでの歌謡曲にあった恋、泪、酒、などの世界から一線を劃して言葉が使われていた。

二、 雪が舞う鳥が舞う
    一つはぐれて夢が舞う
   女いつ舞う思いをとげて
    赤いいのちがつきる時
   たとえ遠くにはなれても
    肌の匂いを追いながら
   恋の螢が翔ぶでしょう

そして、ホーホー螢翔んで行け のフレーズが続く。赤い螢など世の中に棲息しているはずはない。だが、この歌詞では赤くなければならない、恋い焦がれた男のもとに行くことができるには女は死なねばならなかった。思い入れで表現すれば乳房を突き破って翔び出す赤い螢は、女が添えなかった男のために生きて来た証の血ということになろう。その年の暮れの日本レコード大賞作詞部門でこの作詞が大賞をもらった。

曲のヒットから舞台を北(北海道)に設定して同名の映画が作られた。時代を明治において北海道開拓に使役として働く国事犯の囚人と元祇園の芸妓の間の実らない悲劇として描いた。後に知ることになったが「螢」には隠された意味があるようだ。ほたるが夜になって現れるところから、江戸時代、京都祇園辺りで通行人の袖をひいた(春をひさいだ)下級の遊女(菰被り=今でいえば、売春婦)または、その茶屋をいうようだ。阿久悠がその意味で螢を使ったかどうか解らないが、少なくとも映画を作った五社英雄監督には頭にイメージするものがあったのだろう。

『北』の文字をタイトルに入れた曲に、螢の9年前「北の宿」がある。これも阿久悠の歌詞だが、以上2曲の大当たりでそれ以後、あらゆるものに見苦しいほど「北」を冠した2番3番煎じが続いた。

歌は阿久悠作詞の「北の螢」だ。彼の死(享年70)が今日報じられた、合掌。

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コメント

多分私と同時代の方でしょう。
軍歌と流行歌で育った私達は、戦争の悲惨の中で、何とか今を向かえ昔の流行歌を聴くと懐かしくて懐かしくて胸が熱くなるのです。戦後もたくさんの歌を聴きあなたがタクシーの中で感動されたように詩人と言うのはうまく書くもんだなと感心もします。
しかし、先日電車の中で見知らぬ婦人と会話をしているうちに「あなたはどのような歌が好きですか」と尋ねたところ「流行歌は嫌い、何故、女は耐えなきゃならないのよ、男が、女を待たせる歌ばっかりつくっていて、いい加減にして欲しいわよ」と回答がかえりました。時代ですね。この歌も、女性からすれば其の方のいうことのようで最近は、女性の前では気をつけなければならないと謹んでいます。
でも、あなたの感動、慟哭は伝わってきます。あなたは、どんな人生をおくられたのでしょうね。

投稿: 早崎日出太 | 2008年3月19日 (水) 13時07分

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