« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »

2007年8月31日 (金)

医療廃棄物

8月も半ばのことなので、もうニュースとは呼べない。広島市安佐北区の産業廃棄物焼却施設の敷地内に、使用済みの注射器や輸血用チューブ、ガーゼなどの「感染性廃棄物」を詰めたプラスチックケース計約110トンが野積みされていることが分かった。

放置されてから時間が経過し、雨曝しになっており、ケースが劣化して中身がこぼれ出る恐れもある状態であった。大阪府警は、大阪市の産廃処理業者が医療機関から感染性廃棄物を回収し、広島市の業者に処理を依託した結果、野積みされていることを突き止めている。近く広島県警と合同捜査本部を設置して、廃棄物処理法違反容疑で本格調査を始めると報道(毎日新聞8/18)した。

広島自動車道近くの山中に、40リットル入りプラスチックケース約1万1000個が放置されていた。大阪市大正区の産業廃棄物処理業者「コートク」が病院などから回収した廃棄物で、04年2月〜05年9月、広島市安佐北区の産廃業者に処理を依託していた。その後ケースに入ったまま東広島市の倉庫に保管されているのが広島県の調査で発覚した。同県の指導を受けて、広島市の産廃業者は同市安佐北区の自社の焼却施設敷地内に運んだが、ほとんど処理しないまま今年3月、同市に廃業届けを提出。焼却施設などは地元の産廃業者が買い取った。「いつまでも放置するわけにもいかない」と、この産廃業者が今月から少量ずつ焼却を始めている。しかし、量が多く、完了の見通しは立っていないという。(以上要約)

医療廃棄物とは医療行為に関係して排出される廃棄物のことで、患者の持つ病原体と接触している可能性があり、生物学的な危険を伴うリスクも併せ持っている。廃棄物処理法上の区分では「感染性廃棄物」と言い、その内容物によって「感染性一般廃棄物*」と「感染性産業廃棄物**」とに区分されている。
 *感染性一般廃棄物
   血液等の付着した包帯、脱脂綿、ガーゼ、紙屑などに感染性病原体が含む、または付着している恐れのあるもの
 **感染性産業廃棄物
   感染性病原体が含む、または付着している恐れのあるもの
   汚泥(凝固した血液など)、廃油(アルコールなど)、廃酸(レントゲン定着液など)、廃アルカリ(凝固していない血液など)、廃プラスチック(合成樹脂の器具など)、ゴム(ディスポ手袋など)、金属(注射針など)、ガラス(アンプルなど)

感染性廃棄物については法的に位置づけられ、厳しく処理・処分の規定が設けらたのは平成4年の廃棄物処理法改正からだ。それまでは平成元年11月13日付け「医療廃棄物の適性処理について」(厚生省水道環境部通知)があったが、さらにそれ以前は規定はなく、医療関係者の自主的判断に委ねられていた。

また、同じような内容にも拘わらず、近年特に問題となっている在宅看護で自宅で使用される医療廃棄物は、家庭から排出するということで市町村が処理・処分をする一般廃棄物に区分されている。自治体によっては処理の受け入れを行なっていても、消毒を義務づけていたり、各自治体によって取扱いが異なっている。受け入れを行なっていない自治体が、どのように処理・処分をしているのか、把握している自治体が殆どないのが実態だ。

現在の日本の産業廃棄物の総量は年間約4億トンと見られ、その内感染性廃棄物は推計で30〜40万トンといわれる。廃棄物処理法がなかった当時は処理は医療関係者の判断に委ねられており、主に医療機関内の小型焼却炉で処理・処分されていた。自家焼却の小型の焼却炉はダイオキシン類の発生問題により、医療施設内での焼却炉の設置・維持が困難となった。そのため事実上依託処理・処分が行なわれるようになり、外部業者への依託が増大した。

これが原因と言わないまでも、業者の処理設備能力以上の廃棄物が未処理になったり、経営上の破綻から未処理のまま放棄されるケースが発生することになった。医療廃棄物に限らず、一般産業廃棄物にしても、不法投棄は後を断たず、社会問題としてクローズアップされている。過去においては医療機関内での焼却が義務づけられていたが、現在は処理費用排出者負担で依託が推奨されている。

私は、不法投棄をなくすためにも、医療廃棄物の処理の原則は、過去行なっていたように感染性廃棄物処理は排出元である各医療機関の現場で対処するべきだと考える。焼却がダイオキシン問題で不可能なら、それに代わる滅菌・殺菌処理を行ない、しかる後埋め立て処分することも可能だろう。この処理システムは実際にフランスで行なわれている(田中勝・岡山大教授)と言う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月30日 (木)

救急車内で死産

毎日新聞(8/29)の事件の記事はショッキングな表現を取った。「病院たらい回し1時間半9カ所 妊婦衝突事故後に流産」と。しかし、テレビによる続報では衝突以前に救急車内で流産(死産)しており、衝突したのはその後のようだ。新聞報道では衝突の衝撃による流産と誰でも解釈する表現となっており、「非は病院にあり」を臭わせている。

あけて30日の同紙の記事では一転して病院は『産科医分娩に追われ 受け入れ不可能であった9病院』の実態を書いて、しきりに病院が手一杯の状況にあったことを説明している。しかし、誤報と思われる衝突事故と死産前後の関連性の経緯については一切触れていない。

この事件は29日午前5時10分ごろ、大阪府高槻市富田丘町の国道171号交差点で、妊娠3ヶ月の奈良県橿原市の女性(36)を搬送中の救急車と軽乗用車が出合い頭に接触事故を起したことで明るみに出たものだ。当時現場は雨が激しく降っていて救急車のサイレンは軽乗用車を運転していたドライバー(51)は聞こえなかったという。最初の記事ではたらい回しされた挙げ句、衝突事故に遭い、救急車を乗り換えて着いた搬送先の病院で、胎児の死亡が確認された、というものだった。

いやしくも人間誕生の医術に携わる病院や医師が、浜辺で遊ぶビーチボールや毬投げのように、そう簡単に次から次に異変の発生している妊婦を放り出すものだろうか。特にことは昨年も公立病院で分娩中に意識不明になった妊婦を19病院が受け入れを断わり、搬送先の病院で8日後に死亡するという痛ましい事件のあった同じ奈良県で発生したものだった。メディア(毎日新聞)の過熱した報道で、奈良県の産科医療は大打撃を受けているのだ。

全国的にも産婦人科、小児科の医師不足が懸念されており、奈良県では昨年の例を参考に周産期(妊娠満22週から生後満7日未満までの期間)医療体制を充実させようとしている時期であった。
 今、時間軸で経緯を追ってみると29日、午前2時44分ごろ、奈良県橿原市内のスーパーで女性が「下腹部が痛い」と連れの男性に訴えたことから始まる。男は119番通報して救急車を手配。それから後は記事のように動いていくが、搬送先が決まるまでずっと女性は救急車の中にいてスーパーの駐車場で待機していた。
 4時19分 大阪府高槻市の病院が受け入れを許可する
 5時5分 搬送先に移動中、女性は救急車内で死産する
 5時9分 高槻市内の交差点で接触事故
 となる。明らかに交通事故と死産との関連性はないことになる。誤報をメディアは何の訂正も釈明もしていない。

不思議なのは、流産した女性だが、メディアによって妊娠3ケ月であったり、5ケ月であったり、6ケ月であったりすることだ。ま、それはまだどうでもい、この女性が妊娠の最短期間の3ケ月であったとしても、掛かり付けの病院もなく医師もいないことだ。ということは、母子手帳(正確には母子健康手帳)も持っていないことなのだろうか。スーパーで一緒に買い物をしていた男性についても「知人」であったり「同棲している男性」と書かれているが、この男性も救急車を呼ぶに当って、メディアによっては「女性が出血している」「妊娠しているかも知れない」などと、とても女性の身近にいる間柄とも思えない、見ず知らずの男性のようだ。残念だが、医学的には女性の出血があったことは、この時点ですでに「流産」が確定したことになる。

この女性、深夜にスーパーに出かけての買い物中のことだが、まさかしょっちゅう自転車やバイクを利用していた訳ではないだろうな。36歳にもなっていることだ。妊娠を知っていれば、お腹の子が16週を過ぎるころまではまだまだ安定期には入っていないことぐらいは知っているはずだ。それにこの時期はいつ流産してもおかしくない、そのためにも掛かり付けの病院、医師との定期的な検診は受けておくべきであったろう。

いずれにしてもこの事件、たらい回しされたから流産したのではないことだけは確実だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月28日 (火)

ぬか喜びだった出生率

厚生労働省は22日、07年上半期(1〜6月)の人口動態統計速報を公表した。
 出生数は前年同期比2714人減の54万6541で、00年以来6年振りに増加した06年上半期から、わずか1年で再び減少に転じた。通年で人口減となった05年から一転、06年は人口増となったが、07年は上半期の結婚数も減少しており、通年でも出生数が減り人口も減少する可能性が出てきた。

07年上半期は死亡数が前年同月比4933人増の56万9015人で、出生数から死亡数を差し引いた「人口の自然増加」はマイナス2万2474人。前年同月に比べ、人口減少幅は7647人広がった。出生数は今年2月以降、5ヶ月連続で前年同月を下回っている。上半期の結婚数も06年は6年振りに前年を上回っていたのに、07年(35万9925組)は8040組減った。

厚労省は06年に出生数が増えた原因として「景気回復に伴う結婚数の増加」を挙げていた。今回再び出生数が減った理由については「直接結びつくものが見当たらない」と言う。ただ、第2次ベビーブームに生まれた団塊ジュニア世代で最も若い74年生まれも33歳を迎える中、高出生率の25〜34歳女性の人口が今年1月以降、前同月比2・7〜2・9%減で推移していることを参考となる情報として指摘している。

《母親になる世代が減ったからだと言いたいようだが、わずか1年前、上がった出生率に喜んだとき、恐らく集計作業上の誤差の範囲だろうと書いておいた。当らずと言えども遠からずであった。(出生率 最低に 06/06/04)06年に持ち直したかに見えた出産動向は、今年早くも昨年を下回る水準が続いている。そして、全国的には東京(05年1・00、06年1・02)を筆頭に大都市ほど出生率の低いのは前年と全く同じ傾向を見せている。

出生率の上がらないのは、厚労省がいう高出生率の世代の人口減もあるだろうが、他にも出生率に大きく影響するものに「未婚率」の上昇がある。
   <未婚率>
   2005年       女性   男性
 30歳代前半(30〜34) 32・0% 47・1%
 女性は3人に1人、男性は2人に1人が独身だ。

   1975年       7・7% 14・3%
 女性は13人に1人、男性は7人に1人だった。
女性は約4倍、男性は約3倍も未婚者が増えたことになる。日本の未婚率は同棲婚が多いフランスなどを除いて主要国では上位とされ、「未婚大国」とも言われる。《こいつは寡聞にして知らなかった。》

50歳の時点での未婚率(生涯未婚率)の上昇は、合計特殊出生率(1人の女性が一生の間に産む子どもの数)を引き下げる大きな要因となる。昨年12月、国立社会保障・人口問題研究所が発表した人口推計では、最も可能性が高いとされる「中位推計」の出生率を02年の1・39から1・26に大幅に下方修正したが、これは90年生まれの女性の生涯未婚率を23・5%と予測し、4人に1人弱は一生結婚しないと見込んだ結果だ。

結婚した女性が実際に産んだ子どもの数(夫婦完結出生児数)は05年には2・09と2・1を下回ったが、それまでの30年間は2・1〜2・3と同水準で推移しており、未婚化のインパクトが如何に大きいかがわかる。

鳴り物入りでスタートした安倍内閣の少子化対策が尻切れとんぼの様相を呈してきた。小泉は、働く母親がもっと働きやすいように、と保育所の整備や育児休業制度などを充実させる施策をとってきたが、一方で、男性の長時間労働を見直し、女性だけに家事、育児を押し付けないことが必要だと強調してきた。安倍に代わると「お父さん、お母さん、子ども、おじいちゃん、おばあちゃんがいてこそ家族だ」との従来型の家族観を持ち込んだ。現在の世情をみていると、従来の伝統的な家族制度は破壊され、核家族となった今は子どもは産んでも育てるのは託児所や保育所の他人、前柳沢厚労相の言った「女性は産む機械」は「産むだけの機械」と言っても言い過ぎではないような家族制度になったようにさえ見える。当然働く女性のための支援は従来型の家族制度とは反することになり、安倍政権の進む方向が定まらない。安倍をバカ呼ばわりしてきた新厚労相・舛添くん、腕の見せ所だよ。


 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月27日 (月)

医師の戦争犯罪

今年も8月が過ぎて行く。15日付けの記事(毎日新聞)で、戦後世代がアンケートをまとめて書いた短い文(『 』で示した)だが、どうしても触れておきたい心に残るものが1つあった。

『非人道的な人体実験を行なったナチス・ドイツや旧日本軍731部隊*など、医学を修めたものによる戦争犯罪の講議やゼミを設けている大学医学部・医科大は、回答を寄せた43校中の2割に止どまることが、医師グループによるアンケート調査で分かった。』

*731部隊‥(ななさんいちぶたい)とは大日本帝国陸軍の関東軍防疫給水部本部のこと。日中戦争から太平洋戦争中にかけて発足したBC戦(生物・化学兵器)研究機関「軍医学校防疫研究室」の下部組織で、関東軍管轄区域内の防疫・給水業務を行なうことを目的に設置された。当時からその特殊性によって気密性が非常に高い組織であった。細菌・化学戦(毒ガスなど)研究のために生体解剖(多くは中国人、モンゴル人捕虜で、戦後ソ連・中国の調査では約3000人以上と推定されている)などを行なったとされている。また、敗戦後のアメリカ軍との取引により、研究室での研究成果をアメリカ側に引き渡すことを条件に、戦争犯罪に問われずに、戦後の日本の医学会の中枢に入り、その重鎮**となったため、長い間731部隊についてはタブー視されていた。近年になって旧幹部の引退などなどに伴い、徐々にそのタブーは解かれつつあるようだ。

**薬害エイズ事件において被告となった企業ミドリ十字の創始者は、731部隊の初代部隊長石井四郎の片腕であり、一時は彼自身731部隊の部隊長も務めた北野政次である。

『ドイツでも同じ調査を実施し、回答した医科系大学のほとんどが、医師の戦争犯罪について教えていると回答。日独の医学教育の違いが改めて浮き彫りになった。

調査は、開業医でつくる「全国保険医団体連合会」(東京都渋谷区)や、第二次大戦中の医学会の戦争責任を問う「15年戦争と日本医学医療研究会」(事務局長、西山勝夫・滋賀医科大教授)などが行なった。日本では大学医学部・医科大の全80校に、ドイツでも全30校にアンケートを送付。国内では東京大や大阪大、九州大など43校(回収率54%)から有効回答があり、ドイツは12校(同40%)だった。

一般的な医の倫理を問う質問に対しては、国内42校がテキストやビデオをもとに講議やゼミを開催しているとした。しかし、戦時下の医学犯罪を教訓に、医学研究の被験者や患者の人権を守ろうと世界医師会がまとめた国際的ルール「ヘルシンキ宣言」***を取り上げる講議などがあったのは、12校(28%)だけだった。』

***ヘルシンキ宣言‥1947年6月、ナチスの人体実験の反省より生じたニュールンベルク綱領****を受けて、1964年、フィンランドの首都ヘルシンキにおいて開かれた世界医師会第18回総会で採択された、医学研究者が自らを規制するために選択された人体実験に対する倫理規範。正式名称は「ヒトを対象とする医学研究の倫理的原則」である。以後、数度に亙る修正が加えられており、2004年、東京総会で第30項目明確化のための注釈が追加されている。日本では、全ての大学医学部、医科大学、所要研究機関に倫理審査委員会が自主的に設置されている。

****ニュールンベルク綱領‥1947年に、ニュールンベルク裁判の結果として提示された、研究目的の医療行為(人体実験)を行なうに当って厳守すべき10項目の基本原則である。ニュールンベルク裁判では、第二次世界大戦のナチス・ドイツによるユダヤ人に対する虐殺・人体実験などが、反倫理的な犯罪として裁かれたが、人体実験そのものが禁じられたのではない。この綱領は医学的研究のための被験者の意志と自由を保護するガイドラインである。

10項目の最初には次のように書かれている。
「医学的研究においては、その被験者の自発的同意が本質的に絶対に必要である。このことは、その人が同意することができる法的能力を持っていなければならず、暴力、ペテン、欺き、脅迫、騙し、あるいはその他の表面に現れない形での強制や威圧を受けることなく、理解して上での間違いのない決断を下すのに十分な知識と包括的な理解を持って、自由に選択できる状況のもとで、被験者となる人が自発的同意を与えるべきであることを意味している。そのためには、医学的研究の対象とされている人から確定的な同意を受理する前に、研究の性質、期間、目的、実施法法や手段、被験者となったために起こりうると考えられるすべての不自由さや危険、健康や人格に対する影響について、医学的研究の対象とされている人は、知らされる必要がある。同意の内容が妥当なものであるかどうかを確かめる責任は、実験を開始し、指導し、あるいは実施する各個人にある。これは、実施責任者が難を逃れて他の人に責任を押し付けることのできない実施責任者個人の義務であり、責任である。(現在のハイカラな言葉でいう、インフォームド・コンセント)

『さらに、中国で生物兵器の人体実験などを重ねた731部隊や九州大学医学部での捕虜生体解剖事件*****、ナチスに加担した医師の戦争犯罪について教えていると回答したのは、9校(21%)に止どまった。』

*****九州大学医学部捕虜生体解剖‥第二次世界大戦下、1945(昭和20)年17日から6月2日の間に日本本土空襲のため飛来したアメリカ空軍爆撃機B-29が不時着した。西部軍指令部は搭乗員の12人を捕虜とした。裁判なしで8人を死刑処分とした。それを知った第一外科出身の見習士官、同外科教授の石山福次郎教授らが「生体解剖の実施」を軍指令部に提案して許可される。死刑を宣告された捕虜8人を指令部から病院に移送する。その直後、同大医学部教授、助教授ら医師、医学生、看護婦など40人以上が動員され、生体解剖(麻酔をかけられていたが、手術中、若しくは術後すぐに死亡した)で肝臓・心臓などの器官を取り除いたり(食してもいる)、血液の代用として海水の注射が可能か否かの実験をした。
 敗戦後GHQの調査が入り、昭和23年8月、軍関係では絞首刑1名、終身刑3名、重労働(7〜20年)5名、九州大学関係では絞首刑3名、終身刑2名。重労働(3〜25年)9名、無罪2名、摘出した肝臓を食べたという疑惑事件、5名すべては無罪の宣告を受ける。昭和21年7月、石山教授収容先の福岡・土手町刑務所で「一切は軍部の命令、責任は余にあり」と弟子、看護婦らの釈放を願いながら首吊り自殺をした。
 2年2ヶ月後、マッカーサーは再審減刑を行ない、絞首刑の判決を受けた九大関係者は全員重労働(15〜45年)に減刑した。

『一方、ドイツではヘルシンキ宣言について10校(83%)、ナチス政権下の戦争犯罪については11校(92%)が講議などを設けていた。

ある関東の国立大学法人では、731部隊員が自校の出身であることを実習の際に教えていた。担当していた教官は「歴史は繰り返す。過去をきちんと教えることが大切だ」と話した。

アンケートの結果をまとめた原文夫・大阪府保険医教会事務局参与は「薬害エイズ事件を引き起こした旧ミドリ十字の設立に731部隊員が係わったように、薬害や医療過誤の背景の一因には、医師や医学会が戦争に加担した責任に向き合ってこなかったことがある。負の歴史を踏まえた医学教育を施すことが、医の倫理の確率に欠かせない」と話している。』

 731部隊については敗戦直後から少しずつ漏れ聞こえていた。当時の軍人の横暴さ、漢民族、満人、韓民族蔑視を見て来た世代には、生体解剖くらいのことは朝飯前でやるだろうとは類推していた。その後三光作戦なる言葉を知り、真贋取り混ぜた写真も目にはしていた。しかし、日本人は臭いものには蓋をして、見ざる聞かざる言わざるで都合よく生きる術を知っていた。都合の悪いことは知っても敢えて傷口を広げる手だては取らないで戦後を送って来た。特にアメリカの冷戦時代の日本占領政策に係わるものは、黙して語れないタブーとなったまま過去へ遠ざかろうとしている。アメリカは、731部隊のBC戦の研究資料は部隊の責任者を戦犯から外しても、アメリカにとって、資料がソ連に渡ることは是が非でも防がねばならないものであった。そのため、東京裁判でも731部隊からは誰1人裁かれるものは出なかった。彼らはそのまま大学や医療機関に戻ると、戦後の日本の医学会の中軸にい続けることができた。

先の戦争は自衛のためのもので、侵略戦争ではなかった、と戦争そのものが正当化されそうな風潮の中で、731部隊や九州大学の戦争との関わりは闇の中に消え去ろうとしている。明確な記録文書は九州大学生体解剖事件以外はないが、空白を埋める手記などは発掘されつつあり、アメリカ側の極秘文書もいずれは公開されるときが来るだろう。責任追求の手は、ドイツに見習うべきことは余りに多い。日本も日本人の手で、今次大戦で医師が戦争で手を汚したことの責任について見直し、歴史の証言として記録に止どめて置くべきだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年8月26日 (日)

福岡 市職員また飲酒事故

3児死亡事故から1年を迎えたが、市の男性職員が23日夜、飲酒後にバイクを運転し、事故を起した。職員は本庁で開かれた会議に出席後、同僚らと居酒屋であった懇意会に参加、ワインや焼酎をのみ、帰宅途中だったという。25日は3児事故から1年になる。市役所では供養のための地蔵を造り、24日の開眼(かいげん)式の準備で前年の事故のことは何かと取り沙汰されている最中のことであったはずだ。それを嘲笑うかのごとき飲酒運転の上の事故だ。

翌24日午後、事故から1年を前に開いた飲酒運転撲滅大会で、吉田宏市長は再発した飲酒事故に「個人ではなく、組織として問題がある。本当にすいませんでした」と謝罪した。市は職員を懲戒免職にする方針。

事故を起こしたこの男、同区入部出張所市民係に勤務する42歳の糸川琢磨職員。市や県警早良署によると、23日午後9時20分ごろ、同市早良区昭代2の市道交差点で、出会い頭に乗用車と衝突、糸川職員は左膝を折るなどの重傷を負った。現場は信号のない交差点で、糸川職員は一時停止を無視して侵入、優先道路を直進して来た乗用車に衝突した。乗用車の男性(55)に怪我はなかった。調べで、糸川職員の呼気1リットルから0・5ミリグラムのアルコール分を検出、同署は容態の回復を待ち酒気帯び運転の疑いで事情を聴く。

糸川職員は同日朝、バイクで早良区役所に出勤後、本庁で会議があることを知り、バイクで最寄り駅に移動。その後電車で本庁に向かい、会議後、午後6時から本庁近くの居酒屋であった懇親会に同僚9人と参加。ビール2杯とワイン2、3杯、焼酎1杯を飲んだという。

病院で面会した上司に対し、糸川職員は「駐輪代の1日150円がもったいないと思った。ご迷惑をかけて申し訳ありません」と話したと言う。当日午後6時からの市と県警が主催する飲酒運転撲滅大会が、職員ら1000人が参加して開かれた。吉田市長は「幼くして亡くなった3人にどう申し開きしていいのか」と苦渋の表情で語った。

今月19日のブログで書いた。法務省がやろうとしている刑務所内での断酒教育なんて、到底無理なことで無駄なこと、税金の無駄遣いになるから止したがいい、と。市長が言う、個人ではなく組織として問題がある、なんて甘いこと言ってちゃ、解決しない。市役所は幼稚園児の集まっているところか、右向け右!で右を向いてくれる幼稚園児を相手の話であれば、監督責任もあろうが、所員は皆、良識の府を出て来たいっぱしの大人だろう。責任は個人にあるに決まっている。今回の糸川なるアル中職員が、死んでくれなかったことは残念だが、懲戒免職は当然のこと。生涯2度と免許を与えないだけの罰が必要だ。それで生活が苦しくなろうとも、己の招いた結果であり、それが大人の責任の取り方だ。彼は当日は飲むことを最初から予定し、ざわざわバイクを自宅の最寄りの駅まで移動して待機させておくという計画的な犯罪を実行した挙げ句の事故だ。酒を造り、酒を宣伝し、酒の上の事故、覚えていないは日本人の酒飲みの道徳として認知されているようなものだ。

飲酒運転をどのように厳しく取り締ろうと、酒が売られている以上は、飲む人間は後を断たず、また、飲まれる人間も減ることはないだろう。それほどアルコールには強い薬物としての依存性、習慣性、中毒性があるのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月25日 (土)

代理出産公募 40人に

毎日新聞(8/25)から
不妊夫婦に代わって他の女性が子どもを出産する代理出産の是非について検討する日本学術会議の委員会が24日都内で開かれ、代理出産実施を公表している根津八紘院長(諏訪マタニティークリニック)が同院での代理出産の現状を説明した。根津院長は4月に代理母のボランティアを公募しており《代理出産「公募」07/04/23》、検討委員に配布した資料では、これまで約40人の女性から応募があったことを明らかにした。院長は「病気などで止むなく代理出産を希望する人を支援する施策を作っていただきたい」と求めた。

取材に対し院長は、代理母のボランティアに応募したのは20〜50代で全員、出産経験がある人たちと説明。ただその中の約10人は、代理母に応募しているのか、求めているのか曖昧な人、いたずらとも思える人も1件あったという。

根津院長は、11日、志願した女性に家族の協力態勢などのアンケートを送付した。まず、夫や子どもの存在を確認、代理母の妊娠・出産にに伴う病気や死亡への補償制度が確率されることを前提に、「もし、あなたが亡くなっても、家族は納得できるか」など、夫と夫婦の両親の意向も尋ねている。出産は女性にとって命がけの仕事であることを認識して欲しいからだ。今後、条件を満たした女性やその家族には直接面会する考えであるという。院長は「厳しい質問も含まれており、志願者は減るかも知れないが、代理母になってもいい人は少なからずいる。国が代理出産を前向きに検討する際の資料にもしてほしい。

一方で、「補償制度が未整備のまま、代理出産を実施するつもりはない。国が(代理出産について)前向きに進めると言うならば私が個人的にすることではない。軽々に実行に移すべきではない」との慎重な姿勢も見せた。根津院長がこれまで行なった5組の代理出産例は、すべて姉妹や母親など身内の間だったため、大きな問題は起きなかったという。

日本の生殖医療のあり方については、海外へ出かければ望むことが可能にる、ではおかしな話ではないか。子殺しや子捨てが横行する反面、何として子を授かりたい夫婦は数知れずいる。不幸にして病や先天的な疾患のために、欲しくても産めなくなった悲しみを抱えている女性は日本学術会議の裁量に希望を託しているだろう。米国人女性に代理出産を依頼したタレントの向井亜紀は、非公開ながら陳述で、「病気で子宮が働かなくなった女性への視点が必要だ。まず、救済への道を選んでいただき、その上で、考えられる問題への対策を講じてほしい」と述べている。

| | コメント (0) | トラックバック (4)

2007年8月24日 (金)

私立高校の大学合格者水増し

大阪の私立高校の3割が、成績優秀な生徒の受験料を負担して有名大学を何校も受けさせ、学校の進学実績を水増しして公表していた。同じケースは兵庫、滋賀、静岡など各県の私立高校でも相次いで発覚しており、全国に広がっている可能性があるとみられる。これよりも先に問題化した必須課目の履修漏れや高校球児の特待生制度などと同様、背景には少子化に伴って激化する各高校間の生徒の奪い合いの激化がある。

問題が発覚したのは7月。大阪学芸高(大阪市住吉区)が、男子生徒1人の受験料を負担し、関西の有名4市立大の計78学部・学科を受けさせていた。しかも、合格校数に応じて受験生に奨励金を支払っていたという。

これを切っ掛けに、大阪府が私立高校(通信制を含む)101校を調査したところ、07年度で31校が同様に受験料を負担して1人に複数校を受けさせ、70校が実人数とかけ離れた延べ人数のみを公表していた。最高で1人が71学部・学科を受験したケースもあった。

現在の受験システムを知らない時代錯誤の頭には、どうしてこのような神出鬼没のような芸当が可能なのかとても理解できることではなかった。が、これも当世風の少子化の為せるわざではあるようだ。それに加えて1人が数十もの学部・学科を受験できる入試制度が、水増しを可能にしたのだという。

90年度の大学入試センター試験導入により、市立大も合否判定にセンター試験の成績を利用できるようになった。受験生側はセンター試験を受けさえすれば、願書を出すだけで多くの市立大を受験できるのだ。大学側にとっては、志願者集めだけではなく、当然、受験料収入にも結びつく。その意味では高校、大学双方の利害が一致しており、高校側だけの問題ではない。

大阪の公立中学校の卒業者数は、ピークだった87年の約15万人から、現在は約7万人に半減している。一方、私立高校数は5校増えた。全国的にみても、私立高校数は微増しているのに、生徒数はこの20年間で3分の2近くまで落ち込んでいる。

 全国の私立高校数と生徒数の推移
           (文部科学省調べ)
 1985年  1289校   145万6472人
 1995年  1320校   142万6539人
 2005年  1321校   106万8923人
 2006年  1325校   103万8282人

時代の推移の中で、新しい学科、ユニークな分野も必要になったこともあるが、逆比例のような歪み現象が生まれて来た。単純に1校当たりの人数を比較してみるとよく分る。1985年の1130人に対し、2006年は784人だ。逆に1130人を現在の生徒数に当てはめてみると、学校数は919校ですむ。如何に少子化が影響しているかが分る数字だ。特に私学の場合、経営は銭かねがあってこそ成り立つ。大阪府の担当者がいう「私学は崇高な建学の精神を忘れ、目先の利益に追われている」との厳しい指摘も、「武士は食わねど高楊枝」では精神論も萎えてしまう。あのてこの手で生き残りを模索するのは当たり前のことだ。

ある私学関係者は「ユニークな授業や資格取得など特色づくりに取り組んでも、保護者が見るのは結局『国立や有名私立に何人合格したか』だ。出身大学名で採用する企業は今も多く、わが子を『勝ち組』に入れようとする親の意識は根強い」とこぼす。

文部科学省は「私学を指導するのは都道府県。水増しは法令違反に当らず、モラルの問題だ」と静観の構えでいる。水増しは、学校間の過当競争が招いたモラルの崩壊ではあるが、有名大学入学という「ブランド」を求めがちな保護者側の姿勢が競争を後押しした側面も忘れるべきだはない。

文部科学省のいうモラルなんて何処にあるのか、日本の最高学府と呼ばれる赤門をくぐっても、勉強だけはできたが、モラルの持ち合わせなんて露ほどもない。悪をしたければ赤門へ行って官僚になればよい。自分たちにモラルの持ち合わせがないから水増しも、嫌みは口にしても静観するより手はない。大体が少子化の波は早くから来ていたのに、有効な施策を施すこともせず、高みの見物で見ていただけだからだ。それにブランド志向の親もいけない。目の色変えて買い漁る着るものや、指や手首を飾り、肩からぶら下げるもので止どめておけばいいものを、身の程知らずに欲をかいて名前だけの有名大学に入れようとする。しかし、昔勉強の場であった大学は、ただの男女友好の場でしかなくなっているのに。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年8月23日 (木)

6カ国協議、足手纏いになった日本

毎日新聞(8/22)から
日本の強固な「拉致問題」提起が、その他の国と北朝鮮との核交渉へ与える影響を避けるため、六カ国で合意された対北朝鮮支援を中国、米国、ロシア、日本の順で実施する方針を協議参加各国が一連の作業部会の過程で申し合わせていたことが分かった。

核廃棄に向けた第2段階措置を北朝鮮が履行する進度に応じて日本以外の参加国の支援を段階的に提供することで、拉致問題の進展を支援条件に掲げる日本の立場が核廃棄プロセスに与える影響を最小限に止どめる狙いがあるとみられる。

6カ国協議の今年2月の合意には、北朝鮮がすべての核計画の申告と核施設の無能力化という第2段階措置を履行する見返りに、他国は重油95万トン相当のエネルギー・人道支援を提供することが盛り込まれた。支援形態について北朝鮮は今月上旬の経済・エネルギー支援作業部会で、95万トン相当の半分程度を重油で、残りを既存火力・水力発電所の改修機材などに置き換えて提供するよう要求した。

対北朝鮮支援としてはこれまで、北朝鮮が7月中旬に同国北西部・寧辺にある核施設の稼動停止・封印という初期段階措置を履行した際、韓国が重油5万トンを提供した。今後の支援については中国が重油、米国が病院用小型発電機、ロシアが火力発電所改修や天然ガスなどを提供すると提案した。中国は北朝鮮の第2段階措置履行に向けた動きをにらみながら、商務省を中心に提供時期を検討している。

これに対して、日本は「日朝間の懸案の進展がなければエネルギー支援はできない」との立場を強固に貫いている。北朝鮮は「拉致問題を持ち出して協議のプロセスを妨害いている」と非難しており、日本の支援不参加による核廃棄プロセスの遅延が懸念されている。このため関係各国は支援の申し合わせで、日本の支援参加を遅い時期に設定した。日本の支援参加までに日朝関係の進展を図るよう双方に歩み寄りを促す狙いもありそうだ。

一方、協議関係者によると、2月の合意に盛り込まれた6カ国外相会合は9月初旬のアジア太平洋経済協力会議(APEC)終了後から同月下旬の国連総会開幕前までの間に北京で開く方向で最終調整が進んでいるという。

《日本以外の各国は、北朝鮮の核廃棄が最優先の懸案事項で、北朝鮮の核施設を無力化することが最大の問題だ。そのためには日本の拉致問題は後回しにする方が解決が早いとの判断をしたもののようだ。日本以外の各国にとって、日本人拉致被害者が返されようがなかろうが、それぞれの国にとっては国益を左右するものではない。そのために日本はツンボ桟敷に置かれていたようだ。北朝鮮の牙を抜いておいて、どうぞ、日本よ、何か北朝鮮にしてやることがあれば援助するなり、何なり気が済むまで当事者同士、2国間でやってくれ、ということのようだ。それでいのだろうか、各国の支援を受けることに成功した北朝鮮にとって拉致は、何度も繰り返し報道されているようにすでに解決済み、ということだ。このような押し問答を繰り返していては拉致被害者の日本への帰国は、ほんとうに実現の可能性が失われしまうことになるのではないか。》

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年8月22日 (水)

感謝、感謝と いろんなこと

2005年5月に昭和一桁老人が、独断と偏見とで好き勝手を書き連ねるブログ「世相」を立ち上げた。長男からは誰も立ち寄ってくれないよ、と相手にされなかったが、知人からは「‘この指とまれ’で1人でも来てくれればいいじゃないですか」と励まされ、書き続けて来た。その間、昨日までに記事にしたのが612本。自分ながらよく書いて来たものと思う。当座の目標は何年かかることか想像もできなかったが、取り敢えずは10万カウントだった。世の中には1日に何万、何十万ものアクセスを誇る人もいるようだから、けし粒のようなブログだ。それでもこの日が来れば、カウンターを設置しようと計画していた。やっとこの1、2日間で10万カウントに達することが見えて来た。

ただ、まだMacでInternet Explorerをメインとしているため、OS9.2でもOS-X Tigerでも画面に表示されない。MacOS-X Tigerで「Safari」か「Firefox」では表示されることを確認した。本日午後7時現在、99,671カウント(写真閲覧カウントは含まない本文のみの集計で表わした)。写真の方は、海外旅行のシーズン直後はカウントが一気に増える傾向があって、少ないカット数だけれど、これまで約5万5000カウントが集計されている。いまのところ、黄泉の国からはお呼びが掛かりそうにない。これを励みに「世相」では、まだまだ憎まれ口を叩こうかと気構えているところだ。

さて、いろんなこと の一つ、赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」について。今月に入って8日と16日に相次いで2人の男児(1人は親が現れて引き取られた)が、置かれていた。5月10日に設置されて以来、あわせて6人(男5、女1)になる。この問題は、昨年11月に第1回を取り上げてから、数度に亙って記事にしてきた。
気掛かりなことを書いたことがある。これまでの6人でみても、男児の多いことが一目瞭然だ。現在の日本の少子化の影響からか、「子が1人なら、何かと母親の手助けになる女の子がいい」とは以前から言われて来ていた。まして昨今のように簡単に子を作り、離れてはくっつく軽々しい男女間の性モラルの上では、母親にとっては男の子よりは女の子は重宝だろう。そのため、「こうのとりのゆりかご」には男が置かれることの確率が高くなることを指摘しておいた。案の定だ。

続いて二つ目、
相変わらず日本人のモラルは低下の一途を辿っている。給食費滞納に続いて保育費滞納が巨額に上っていることが分かった。今年1月、給食費が22億円に嵩ばったことを書いた。今度は保育費だ。その額、驚くなかれ、90億円と夕刻のテレビニュースで流された。この無法者の親の数は8万6000人とのこと。給食費未払い、滞納に関しては、この飽食の時代だ、わざわざ学校で給食など出すことはない。日本は学校給食の時間を「教育の時間」としているようだが、もともと食事は100%家庭の躾の問題だ。好き嫌いを無くすのも、箸を正しく持てるようにするのも親の責任だ。このようなことまで先生に任せて、何かと学校には難くせをつける。本来幼児の時に親がしなければならない躾を働くことを錦の御旗にして、子は他人に任せ、せっせと子どもから離れて職場に急ぐ。それならそれで、子どもをあずかってくれる保育所への感謝の気持ちの謝礼はするのが当然なのに、理由にならない理由で言い逃れをする。こんな親の子は、保育費を納入するまで保育所から放り出せばよいものを、少年保護法なる下らない法律をたてに、人権団体は過剰保護で到れり尽くせりで擁護する。これも当座無理が罷り通る黄門様の印篭のように使われているが、『子どもに罪はない』『子どもが可哀そう』で済んでしまう。保護を受けたいのなら、親は保護責任という自分の果たすべき責任を先に果たすことが肝要じゃないのか。

業を煮やした保育費を取り立てる側は、財産の差し押えも考える、という。過激に聞こえるが、手っ取り早く保育費の納入が確認されるまで保育所への入園を拒否すれば早い。そんな親の子に生まれたことこそ、哀れで可哀そうな子だと思う、親を恨めばよいことだ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年8月21日 (火)

総務省の生活調査

総務省が5年毎に国民の暮らし振りを、時間の過ごし方と1年間の余暇活動に分けて調査しているが、平成18年10月の調査をまとめたものが今年の7月から順次公表される。

それによると、インターネット利用は増えているが、スポーツ、旅行は減少したことが明らかになった。
仕事や学校以外でインターネットを利用する人の推計は、10歳以上の国民の約59パーセントに相当する6750万人で、01年の前回調査より13ポイント増加した。
一方で、スポーツ人口や国内・国外旅行者は減っており、同省統計調査部は「アクティブな活動が低下傾向にある」と分析している。

今回の調査は10歳以上の男女約18万人を対象に06年10月までの1年間の活動を調査し、全体像を推計したものだ。
♦ネット利用の内訳は、
 「電子メール」が約49パーセントで最も多く、次いで
 「情報検索およびニュース等の情報入手」が約43パーセント、
 「画像・動画・音楽データ、ソフトウェア入手」約27パーセント
の順となっている。
♦年齢別では
 20〜24歳が 約9割で最も多く、
♦都道府県別では
 東京都、神奈川県が7割を上回り、都市圏の利用が目立った。
利用機器(複数回答)は電子メールの場合、「携帯電話・PHS」が約8割、「パソコン」が約5割。

一方、スポーツ人口は全体の約65パーセントの7423万6000人で、前回比約7ポイント減。
♦種目別では、
 「ウォーキング・軽い体操」が約35パーセントでトップに、
 「ボウリング」が約19パーセント、
 「水泳」約14パーセントに順であった。
♦旅行者は
 国内が49・6パーセント(4・9ポイント減)
 海外 8・5パーセント(1・5ポイント減)
海外旅行は女性が 25〜29歳
     男性  65〜69歳が最も多く、男女差がはっきり出た。

《私の場合、運動らしい運動はやったことがない。軍国少年であった時代は海洋少年団でのボート漕ぎに水泳、陸の上では歩け歩け運動に、長距離走(これは得意だった)などさんざん辛い思いをした。もともと虚弱児で生まれたこともあって、今でも肉体派は苦手だ。しかし、どういう訳か、この年まで病気は一つもしたことがない。話が横道に逸れそうだ。
 パソコンは使用しているが、メールで利用することは殆どない。99・99パーセントがブログ書き込みのためだ。携帯も持たないし、必要なら家には電話機がある。
 また、海外旅行の男女に差があることは今に始まったことではないはずだ。それも当然のことで、我が身で考えてみても、ブログに載せている写真(若いときの海外出張の際のものは載せていない)はすべて、2度の定年を終えてから、やっと苦労をかけた妻を伴って出かけるようになった時のものだ。今時の若い女性にとっては海外旅行もファッションと同じ、単なる流行なのだろう。》

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月20日 (月)

憲法9条 改憲に賛成か 反対か

原子爆弾落下、敗戦。毎年今シーズンになると姦しくなる憲法問題。安倍が戦犯祖父岸の思惑を継いで、戦える軍隊を持つための恐ろしい改憲への地ならしの動きが明確に見えるようなって、ここ1、2年、特に改憲問題が取り上げられるようになった。ただ、参院選の惨敗で静観の様相にはなったが、まだまだ諦めてはいないだろう。国民の審判は失格の烙印を捺したのに、掴んだ権力の座にしがみついて明け渡したがらない。さて、恒例の“石田衣良の白黒つけます”でこの問題を取り上げた。その前に、勉強のために戦争の放棄を謳う9条と、その改正について原文を見ておこう。

第2章 戦争の放棄
 第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを所持しない。国の交戦権は、これを認めない。

第9章 改正
 第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行なわれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
 2項 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

さて、今回の白黒はすこしシリアスだし、言葉も硬くなるかも知れない。でも、細かな法律上の解釈ではなく、我々の生活に密につながる問題として、9条をみてみよう。

まず、改憲賛成派から。(《》内は私見)
「9条2項の軍隊を保持しないというのは、現実とまったく乖離している。自衛隊を軍隊と認めて敬い、自国を守る専守防衛に専念するべきだ」(大阪府吹田市・敬司)《乖離しているのは当然のことで、その時々の政府が憲法の精神を曲げ、条文を都合良いように解釈の変更を繰り返して来たからだ。》「「改憲は必要。時は流れ、戦争自体が変わってきた。自国だけで生きているわけではないから、時代の流れに沿って細かいことも変えていくべきではないか」(愛知県阿久比町・ひまわり)《戦争がどのように変わったのか分らない。また、憲法が細かいこと?小さな町の条例とは違うんだけどな。》「賛成です。といっても、一切の拡大解釈を許さないほど厳格に軍事力を放棄する方向に改正したい。初めは防衛の名のもとに軍事行動を起し、やがて過剰防衛から侵略につながっていくのだから」(兵庫県三田市・MOMO)《現在安倍の頭の中は、戦争ができるようにする憲法に改正することでしょう。本当は、あなたのおっしゃるとおり、全ての戦争は自衛の名の下に始まっているのですが。》

有効票数 3008(男:1318、女:1750)
  9条改正     賛成    反対
    全 体   28・5%  71・5%
      男   43・6%  56・4%
      女   17・1%  82・9%
 10代以下 男  45・0%  55・0%
 10代以下 女  31・4%  68・6%
 20代   男  48・9%  51・1%
 20代   女  17・6%  82・4%
 30代   男  46・3%  53・7%
 30代   女  18・8%  81・2%
 40代   男  43・0%  57・0%
 40代   女  15・4%  84・6%
 50代   男  36・0%  64・0%
 50代   女  12・6%  87・4%
 60代   男  25・6%  74・4%
 60代   女  10・8%  89・2%
 70代以上 男  18・2%  81・8%
 70代以上 女  16・7%  83・3%

《本当の戦争の惨たらしさ、馬鹿らしさを経験した、或いは見て来た70代以上の男たちには、改正反対派が多いのだが、年齢が下がるに従って、死屍累々の残虐さも知らず、ただ平穏に暮らして来た平和ぼけから刺激が欲しいだけなのだろうか。それにくらべると本能的に女性には子を守る母性が働くのかもしれない。》

それでは反対派の意見から
「変える必要がわかりません。押しつけ憲法だからなんてのはナンセンス。押し付けられて改憲するくせに」「静岡県下田市・匿名)、「現在、日本の大学院で日独の戦後処理の比較研究をしています。9条が日本の国際社会への復帰、近隣国との信頼関係の構築に非常におおきな役割を果たして来たことを強く印象づけられました。憲法改正が今の国家関係が不安定な北東アジアで新たな緊張を呼び起こすのではないかと懸念しています」(東京都八王子市・匿名)この人はドイツ人留学生。《ドイツ人からみて、日本の戦争責任の取り方は生温いだろうけれど、この憲法のおかげで国際社会への参加が成ったのは事実だ。日本人以上に日本国憲法の国際関係に果たした役割を評価している。》「絶対反対です。私は広島巡業中に被爆した移動演劇隊『桜隊』メンバーの遺族です。ハタチの私がいうのもなんですが、戦後世代の政治家たちは戦争のほんとうのおぞましさを知らなさ過ぎる」(東京都台東区・まや)「反対です。今年男の子を出産してから、その気持ちはすごく強くなりました。戦争なんかにやるために、子どもを育てる母親など皆無です」(東京都杉並区・おりっぺ)《何時の時代も母親の子への愛情に嘘はなかった筈だが、先の大戦時、鉄砲玉の代わりになることを知りながら、母親は恐らくは心で泣いて、黙って子を戦地に送り出した。どんなに強固な精神を持っていても、個では権力に立ち向かうことは不可能になるんだ。それだけに余計にそうなる可能性が大きくなる憲法の改正はあってはならないことだ。》

いつものように最後のメールを
「初めてメールします。私は塾の講師で、中学生に社会を教えることがあります。彼らにとって太平洋戦争をしることは、平安時代や江戸時代の歴史を覚えることと同じようです。わたしをふくめ、戦争を体験していない世代が増えました。これはたいへんありがたいことだと思います。憲法9条がどのように生まれたかを伝えずに改正しようとすることには反対です。改憲に賛成反対を問う前に、国民全体が憲法をもっとよくしる必要があると思います。言葉尻をとらえて、時代に合わないなどというのでなく、憲法の精神を知った上で、今なぜ改憲なのか、自分の問題として考えるべきなのではないでしょうか」(北九州市・匿名)

《そう、この憲法がつくられたころ、戦争放棄の精神は次のように解釈されていた。1946(昭和21)年、衆議院委員会で吉田茂(首相)は次のように答えていた。
「戦争放棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定はしておりませぬが、第9条第2項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したのであります。」「いかなる形でも自衛権など認めない方がよい。そもそも近代の戦争はすべて自衛の名の下に行なわれたのであり、自衛戦争などという概念そのものが有害で・・」

これが1950(昭和25)年、朝鮮戦争が起るやアメリカは日本駐留の軍隊を急遽朝鮮の戦場へ送り込んだ。日本国内の治安を懸念したアメリカは、日本本土を警備する組織をつくるよう政府にはたらきかけた。当時の敗戦後の日本は、それまで全ての産業は軍需産業に転換させられ、平和産業は凋落しており、海外からの復員兵は国に帰っても職もなく、食糧難と重なって世情は貧困を極めていた。ちょうどそのとき、朝鮮戦争が勃発した。日本を守る軍隊に代わる何かが必要だった。失業者と復員兵を寄せ集めて警察予備隊(現在の自衛隊の前身)が編成された。都合良く旧軍隊の指揮命令系統を利用して簡単に組織は出来上がった。元職業軍人から尉官(小・中・大尉)、佐官(小・中・大佐)クラスを集め中核になる組織は整えられた。

その年の衆議院本会議における吉田の回答
「警察予備隊の目的はまったく治安維持にある。したがってそれは軍隊ではない」
続いて1952(昭和27)年、吉田内閣は次のような政府統一見解を出した。
「戦力とは、近代戦争遂行に役立つ程度の装備・編成を整えるものをいう。戦力に至らざる程度の実力を保持し、これを直接侵略防衛の用に供することは違憲ではない」と。

しかし、どう言い逃れようと憲法条文を精読する限り、警察予備隊も、1952年の改名で保安隊(現陸自)、54年には3軍(陸・海・空)の自衛隊と変えても、憲法に違反していることは拭えない。条文を無理に曲解し、アメリカのお古を頂戴しながら軍隊らしき格好だけはついた。これ以上、憲法を曲解してお仕着せの軍隊など持つ必要はさらさらない。》

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月19日 (日)

無駄なことはしないがよい

酒を喰らって交通事故を起し、刑務所に服役中の悪人どもに、断酒教育を施してあげましょう、という無駄なことが考えられているようだ。こんな連中には、何をしたところで断酒などできるわけはない。

毎日新聞(8/19)から
法務省は、飲酒運転根絶のため全国の刑事施設(刑務所、少年刑務所、拘置所)で交通安全指導の教育プログラムを強化する方針を固めた。全75施設の半数以上に当る46施設を指定し、今年度以降「飲酒の害」などについて、約50分の講議を10回前後行なう。また、来年度以降はアルコール依存症の自助グループの協力も仰ぎ、「民間活力」による再犯防止も進める。

昨年8月、福岡市で幼児3人が犠牲になった飲酒・追突事故を機に、政府の中央交通安全対策会議で各省庁の取り組みを議論した。飲酒が許されない刑事施設での指導を強める方向で意見が一致した。

同省は昨年度、千葉県の市原刑務所など計20施設で交通安全指導の教育プログラムを先行的に実施した。今年4月以降も実施施設を拡充している。講議には、「道路交通法」や「被害者感情とは」などの内容も含まれ、交通法規の遵守や被害者遺族に対する謝罪のあり方などを指導する。

また、アルコール依存症(慢性中毒症)克服の自助グループ「AA」(アルコホーリクス・アノニマス)などのメンバーを講師として招き、中毒症からの回復指導もする。

《慢性中毒を聞こえが悪いからと、依存症などと勝手に改名して(グループの名前のアノニマスはぴったりだ)、さも指導で治せる程度のものと勘違いさせてどうして治癒できる。慢性中毒は何十時間の教育を聞かせても何の薬にもならない。アルコールのドラッグ性を認識させないでは手は打てない。その薬物性はヘロイン、コカイン、覚醒剤、マリファナやLSDなどと比べても、ヘロインに次いで恐ろしいドラッグ性を持っているものなのだ(詳しくは、酒とタバコ その三 05/05/25 及び一〜五、参照)。それを認識しないでは断酒などお笑いぐさだ。本当に酒を断ちたいのなら苦しくても禁断症状を乗り越えなければ無理だ。お話や、お説教で止められないのが酒だろう。》

NPO法人「AA日本ゼネラルサービスオフィス」の担当者は「出所した途端、酒に手を出す人も多い。施設の中で、アルコール依存は病気であるという意識を徹底させれば、厚生の効果は高いはず」と期待する。

《さもありなん、飲みたくて飲み、いい気分になって起した事故だ。現役時代若い部下で、酒ではないが事故を起した男がいた。間違えば命を落とすほどの事故だったが、「後で気がついてみても何も記憶はない、恐怖感などまったく残っていない、だからまた車には乗るよ」と嘯いた。飲酒運転なら尚更だ。気持ちよく運転し、事故を起したとしても殆ど記憶はない、夢の中の出来事で済むだろう。こんな連中に矯正などできるわけがない。》

刑務所での断酒教育には、約1万人の会員がいる社団法人「全日本断酒連盟」(東京)も強力に前向きだという。

法務省矯正局によると、轢き逃げや危険運転致死などの交通事件を起して服役する受刑者は約3000人(昨年12月現在)で飲酒運転はその約3分の1を占めるという。同省幹部は「依存症が疑われる受刑者も少なくない。再犯を防ぐためには、酒を遮断する習慣をつけさせることも必要」と指摘している。

《「依存症が疑われる」とはなんだ、依存症なんて病気じゃない、慢性中毒だから病気なんだ。普通に使われていた軽蔑すべき『アル中』(アルコール慢性中毒)なんだ。依存なんて性質のことで病気じゃない。中毒をはっきり認識させ、情け容赦なく徹底的な禁断に追い込んでこそ立ち直ることもあるかも知れないが、途中、変な情け心でも抱こうものなら、元の木阿弥、税金の無駄遣いの企画倒れに終わるだろう。》

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月18日 (土)

学校裏サイト、プロフィール

中高生がインターネットで情報交換する「学校裏サイト」で、いじめや問題画像の流出が問題化しているという。「裏サイト」は学校が公的に作るサイトとは別に、生徒個人が立ち上げている掲示板で、特定の生徒の写真が張り付けられ「きもい」「死ね」「消えて」などの文言が並ぶこともある。頻発する人権侵害に、親や教師たちは困惑している(毎日新聞8/16)。

東京都内に住む19歳の少年は、私立高校3年だった昨年、裏サイトに実名や携帯電話の番号、メールアドレスを勝手に公開され「うざい」「カンニングしている」などと書き込まれた。少年は同じ学校の女子との交際を始めてから嫌がらせが始まったという。「あいつとつき合うと犯すぞ」など脅迫メールが届いた。誰からのメールかも分らず、二人は友だちに逢うのも怖くなり、不登校になった。少年の場合は「全国Webカウンセリング協議会」に相談してメールアドレスを変えた。以来中傷メールは来なくなっている。

裏サイトで猥褻画像が広まった例もあるという。北関東の公立中では「女の身体を知りたい」という書き込みに対し、男子生徒が交際中の女子生徒の裸の写真を携帯電話で撮影して添付、大問題になった。校長は「PTAの緊急集会後に突然裏サイトは閉鎖されたが、別のサイトが立ち上がっていないか不安だ」と明かした。

《話は中学校で起きたことだ。思春期の男が「女の裸を知りたい」と告白するのは取り立てて珍しいことではない。しかし、このメールを見て、つき合っている女の裸を撮った男子生徒、撮らせた女子生徒の精神構造は一体どうなっているのだろう。どう考えてみても、男女両人とも親から見放された哀れな動物としか思えない。事件が出来して慌てて校長がPTA集会を開いてみたところで何の役にも立たない。原因は学校にあることではないからだ。そもそも「裏サイト」とは学校の管理下にあるものではない。生徒たちが名前を伏せて自由にアクセスして情報交換できることがこの名前が付けられた由来だろう。そのために、裏サイトには学校名が付けられることはほとんどないと聞く。大人が検索しようとしても見つけるのは難しい。》

昨年10月、仙台市の中学3年の男子生徒が掲示板で「死ね」と名指しで中傷される事件があり、同級生の女子生徒が侮辱の非行事実で家裁送致された。今春には大阪府警が女子中学生を実名で中傷するメールを掲載した掲示板の管理人の男を、名誉毀損幇助容疑で書類送検したが、嫌疑不十分で不起訴処分となったケースも発生している。

全国カウンセリング協議会の安川雅史理事長は「最近は親や教師の目から逃れようとパスワードを設けるサイトも増えており、密室化が進んでいる」と懸念する。情報モラルの問題に詳しい千葉県柏市立土南部小学校の西田光昭教諭は「裏サイトは子ども同士の口コミで広まる。子どもが親や教師に隠れてコミュニケーションの場を作っているため、校名で検索してもなかなか辿り着けない。学校側が逐一指導するのは難しい」と指摘する。

同小学校は「親も実態を知ることが大切」として、今年初めて保護者向けに携帯電話の使い方について研修会を行なったという。西田教諭は「問題が起きる前に親や学校が使い方などについて指導していくことが大事」と話している。

《もっと根本的な問題としては、通信料金も支払うことのできない小中学生に、携帯電話を持たせること自体が間違っている。子どもに携帯が不必要なことは、今までにも何度となく主張してきた。「いざという時」「何かと便利」「防犯のため」などは、すべてメーカーの『売らんかな』のキャッチコピーだ。いざという時、犯罪に巻き込まれてしまっては、携帯は絶対に何の役にもたたない。抜け道は幾らでもあるのだ。ただあると使いたくなるだけのものでしかない。しかし、これとて、毎日学校では顔をあわせることのできる友だちどうし、翌日逢えば会話はできる。売る方は消費者心理を読み、他社との競合で使い勝手など考えもせず、あれも出来ます、これも出来ますと、余計なものを次から次に付け加える。買い与える親の側では新機能についていけなくなるものも出て来る。子どもが何をしても教育責任を学校任せにしている親たちは、無責任な放任になり、子どもの好き勝手はますますエスカレートする。監督責任のある親として、しなければならない携帯の中身のチェックもようしない。現状では、小中学生の携帯電話の携帯は禁止にすること以外に防止策はないだろう。》

また、自分の趣味や血液型、写真などのプロフィール(Profile プロファイル・横顔或いは人物短評)をネット上に公開し、友だちを増やす遊び「プロフ」が中高生の間で爆発的に流行している、という。友だちの写真を断わりもなく添付したり、アクセス数を上げるために際どい写真を公開する子どももいる。「学校裏サイト」で人権侵害が頻発しているように、プロフについてもトラブルを警戒して多くの学校が生徒指導に乗り出している、ということだ。

《何度も書くように、指導する相手を間違っている。指導しなければならないのは、ものの善悪も教えることを怠ってきた、そのような子どもたちの親なのだ。何という家庭教育をしてきたことか。》

プロフは複数の業者が専門サイトを運営している。女子生徒に人気が高く、用意されたフォーマットに自己紹介の情報を書き込み、完成したプロフィールを友だち同士で交換して、掲示板に書き込まれたメッセージを読んで楽しむものだ。そのため、個人情報の露出に無頓着な子どもも少なくない。不特定多数が見ることができるにも拘わらず、正面から撮った本人と分る写真を自ら添付したり、学校名を書くケースもある。友だちとのリンクを張る子も多く、交友関係も一目で分かってしまう。サイト間のアクセス数を競い合うこともあり、「何フェチ?」「異性の身体で好きなパーツは?」などの質問もあるという。

関心をひくためにセミヌードになった女子生徒もいるという。女子生徒の裸の写真を添付したプロフもあったり、別人の写真転用や、出合い系サイト関係者が作った偽プロフの可能性もありで、実態は闇の中だという。東京都内のある公立中の調べでは、2年女子の4人に1人がプロフを持っていた。また、相手によって使い分けるために3つのプロフを持っている私立女子中3年生もいた。

東京都町田市の公立中学校では昨年10月、教師の検索で約10人の生徒がプロフを持っていた。たばこを咥える生徒の写真が添付されたものもみつかった。学校側は生徒と親を呼び、プロフを止めるよう指導した。「トラブルが発生してからでは手遅れ」とのプリントを作り、全保護者に配ったという。生活指導の主任教諭は「携帯電話やネットは現状が掴みにくく、トラブルは目に見えにくい。保護者の指導が大事」と話している。プロフについて、多くの学校が適正使用の呼び掛けなど生徒指導に乗り出しているというが、プロフ禁止を打ち出す学校は少数派だ。子どもの人権や個人情報を守るための対策が、さらに求められそうだ。

子どもの携帯電話利用を継続調査する群馬大大学院の下田博次教授が親へ警告を発している。
「プロフをはじめとした携帯電話による逸脱行為やいやがらせは日常化している。ある女子中学生は別の女子生徒になりすまし勝手にプロフを作成、性交渉相手を求める言葉を書いた。昨秋は30代の男が、女の子のプロフを見て誘いをかけ連れ回す犯罪も起きた。親は安易に携帯電話を買い与える前に、実態を知る必要がある」と。

《親からは放任されて育ち、判断力も身につけさせていない子どもに、流行だから、便利だから、だけで危ない玩具を買い与える。思春期の男女、お互い異性に興味を持つのは当たり前のこと、大人の世界の性風俗そのものが乱れ切っている。本来あっては恥ずかしいはずの婚前妊娠、それが堂々と数万人の前で見栄を切って恥を曝すこと(何処かのプロ野球選手)ができる世の中だ。(前にも書いたが)時代遅れかも知れないけれど、私が男女どちらの父親でも、そんなふしだら、不始末は絶対に許さない。

親はわが子の成長に無関心に過ぎる世の中だ。勿論みながそのような親と子ではないが、このような心配をすることもない。その前に倫理の一つも教えないでは、携帯電話など中学生の子には買い与えることはない、まして小学生には全く必要はない。》

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年8月17日 (金)

あなたなら どうする?

毎日新聞(8/16)ローマから
肥満が社会問題化しているイタリアで(えっ!?、反対の極にある若い女性の痩せ過ぎも問題になっていた筈では。《痩せすぎモデル》《痩せすぎは不健康》)、北部の町バラッロ・セシア(人口約7400人)がダイエットに成功した町民に賞金を贈る新制度を導入したそうな。確かに大都会のローマ辺りでは少なくなっているようだが、毎日の生活がおおらかな比較的鄙びた小さな町や村の小母さん小父さんたちの太り様は尋常じゃない。そのくせ下半身は見事にスマートに見えるから不思議だ。あれほどの身体を支えながら杖を頼りによちよち歩く姿の足首の細いこと。先ずは身体の異常が足腰から始まるのを聞いても不思議じゃない。同国政府のトゥルコ保健相は「革新的で前向きな自治体の施策」と讃えているという。

イタリア紙コリエレ・デラ・セラによると、ミラノ市に近い同町のボンナンノ町長が発案したものという。1カ月で女性は3キロ、男性は4キロの減量に成功した場合、50ユーロ(約8050円)の賞金を出す。なお5カ月後にその体重を維持していた場合には、さらに100ユーロの追加金賞金を交付する。

ボンナンノ町長は同紙に「町民の健康のために何かしたい。私自身(標準より)6キロオーバーなので、減量しようと思っている。勿論賞金なしでだが」と話している。同町は当初予算として1万ユーロ(約161万円)を計上した。既に多くの町民が医師や薬局の「肥満」証明を持参して、登録を始めたという。

イタリア人は人口の1割近い約500万人が肥満といわれる。トゥルコ保健相は「結果次第で国としても導入できるかもしれない」と話している、という。

日本でも色気よりも食い気の域に入った年齢層には食指(食べ物ではないよ)の動く話しかもしれない。わが家の伴侶もいっときは気にしていたようだが、今は「どうにでもなれ」の心境になったようで、私が嫌う肉は別にしても、毎回の食事、甘味、飲み物(アルコールは殆ど嗜まない)など、好きなものを食し、適当に昼寝もし、肥っている。賞金がもらえればやるかどうか、からかい半分で聞いてみた。「今さらやらない」だって。あなたなら、どうする?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月16日 (木)

続 硫黄島 2、

現在、自衛隊の滑走路がある付近は激戦地の一つで、その下には多くの遺骨がある可能性が高いと思われる。遺族らはそこでの調査、収集を強く望んでいる。

日本本土空襲に備え、基地としての硫黄島の奪取を計画したアメリカ軍は、1945年2月16日、硫黄島派遣軍を近海に集結させた。それからの3日間、打ち込まれた砲弾により、島の形が変わったとも言われる艦砲射撃が繰り返され、日本の硫黄島守備軍の主要な砲火の殆どが破壊された。19日早朝から艦砲射撃に続いて、空からB-29爆撃機120機が爆撃を交代し、再び艦砲射撃が引き継ぎ、アメリカ海兵隊が上陸を開始する。地下壕に潜んでいた日本軍守備隊が一斉に攻撃を開始、アメリカ軍の上陸を浜辺で釘付けにする。上陸作戦だけでアメリカ海兵隊が被った被害は戦死501名、戦傷死47名、負傷1755名を出した。夕方までに海兵隊30,000名が上陸。

3月26日、栗林中将が数百名の残存部隊を率いてアメリカ軍陣地へ攻撃を掛けて玉砕する。この戦いで日本軍の守備隊兵力20,933名のうち20,129名(軍属82)が戦死。捕虜となったもの200名。終戦までにあわせて10,23名であった。硫黄島の奪取によってアメリカ軍は日本本土空襲のための理想的な中継基地を入手することが出来た。アメリカ軍爆撃兵団は、東京大空襲(3月10日)、名古屋空襲(12日)、大阪空襲(13日)と続けさまに実施することになる。

アメリカ軍は硫黄島の完全占領を3月15日と発表した。
日本軍硫黄島守備隊長は3月17日、大本営へ向けて決別電報を打電している。
3月21日、大本営は硫黄島の玉砕を電報を受け取った17日に玉砕が敢行されたものとして発表。
実は守備隊長は打電の後、味方の軍と合流、26日に飛行場整備中のアメリカ軍を襲撃し、そこで戦死している。
大本営は、見捨てた硫黄島の実態の確認も把握せず、北方や南方で次々に起る玉砕と同様、硫黄島の玉砕を報道するだけの機関に成り下がっていた。

硫黄島の激戦で生き残った日本兵が地下陣地に潜伏し、一部は終戦を知らずに抵抗を続けた。敗戦から4年後の1949年1月2日、最後の日本兵2名がアメリカ軍に投降した。

硫黄島の戦に参加、或いは戦後に駐留したアメリカ兵によって、日本兵の遺体の一部が損壊され、記念品*として本国に持ち帰られていた。

*原子爆弾による被害の瓦や煉瓦、石なども、やはり記念品として持ち帰られている。

硫黄島で守備隊司令の任にあった天台宗の僧・和智(元海軍大佐)が、1952年、戦後始めて硫黄島を訪問したとき、約1000体の遺体から頭蓋骨が紛失していたという。その後、和智の運動によって米国でもメディアに紹介され、1985年、元兵士や市民から3体の頭蓋骨が硫黄島協会へ引き渡された。必ずしも和智が言外にいう1000体の頭蓋骨がすべて記念品になったわけではないだろう。死亡して打ち捨てられたままの日本軍兵士の遺体は、そのあとのアメリカ軍が飛行場の整備作業の際にブルドーザーなどによって破砕されたり、サイパンやグァムの海岸で戦死した兵士が大量に砂浜に掘った穴に中に埋め込まれたように、硫黄島では或いは破砕されないまでも、滑走路の下に敷き詰められている可能性は高い。また、戦闘後、遺体を隠すために米軍が種を蒔いたとされる木が生い茂り、密林のようになっているところもあるという。

航空自衛隊や米軍も使用することがある滑走路を掘り返すことは、米軍との交渉をはじめ、その間の代替滑走路を作るために膨大な予算を必要とする。防衛省は「厚労省から協力要請があれば検討する」というが、行政だけでは簡単に結論がだせるものではない。だが硫黄島は68年に日本に返還され、首都東京の一部となった。そこにまだ取り残されたままの遺骨が眠っている。ここで遺骨収集が進まなくて、どこでできるのか。硫黄島の遺骨収集は国が戦後処理にどう取組むかという試金石である、

首相も戦後レジームからの脱却を唱えるのもいいが、兵士たちは国が始めた戦争に召集され、倒れた。その遺骨を収集し、遺族のもとに届けるのは、国の債務ではないのか。使い古した兵器のように、戦場に置き去りにしていいはずがない。生還者と遺族に残された時間は長くはない。

今日16日の毎日新聞夕刊にも、写真家江成氏のレポートが掲載されている。激戦地であったインドネシアのビアク島には62年経った今も、50体にも余る遺骨が野ざらしになったままで発見された。数体がばらばらになった骨、銃弾の痕が残る錆びた鉄兜、頭蓋骨数体分も見える。私の目を釘付けにした写真からは、肉を失い眼をなくして空洞になった眼窩を空に向けて、迎えにきてくれる救いの手を待っている兵士の声が聞こえて来るかのようだ。使い捨てにされた日本兵たちの悲しい最後の姿だ。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月15日 (水)

続 硫黄島 1、

今日、62年目の敗戦の記念日だ。政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で天皇、皇后も参列して開かれた。式辞を述べた安倍の言葉は、今では何を言ってもうさんくさく、心には届かない。何人かの式辞でも河野衆議院議長の追悼の辞は、従軍慰安婦問題で、しばしば93年の談話が「余計なことを口走って」とも聞こえる取扱いを受けたこともあったせいか、安倍批判とも取れる内容の発言をまじえた。「(日本国民は)海外での武力行使を自ら禁じた『日本国憲法』に象徴される新しいレジームを選択して、今日まで歩んできた」との見解を表明した。

同じ日の毎日新聞紙上に、大阪学芸部の若い記者が記事を書いている。硫黄島に残る1万柱の遺骨の置き去りは許されない。硫黄島は首都の一部である、国は収集を急げ と。

硫黄島がどのような島であるかは映画でも紹介され、若い年齢層にも少しは理解されるようなっている。しかし、激戦の地であったことは知っても、今もなおそこに1万柱以上の遺骨が取り残されていることは殆ど知らないだろう。記者はこの戦の取材を続けている、という。昨年12月に、島に渡って火山島の地熱で40度以上にもなる元日本軍の壕に入っている。澱んだ空気と硫黄の臭い、暑さのため数分で気分が悪くなっている。だが、日本兵はそこに、1カ月以上もこもっていたのだ。しかも大本営は武器や食糧の補給をせず、見捨てていた。

日本軍の死者約2万人。厚生省(当時)による遺骨収集は52年度に始まった。厚生労働省はここ数年、1回に2〜3週間程度で年3〜4回、遺族や生還者で構成する硫黄島協会の協力を得て収集に当っている。06年度までに帰った遺骨は約8600柱だ。硫黄島には今もなお1万柱以上が捨て置かれている。自身奇跡的に生還した同協会事務局長・金井啓(83)によれば米軍の激しい攻撃に曝され、目の前で倒れた戦友さえ埋葬できず、野ざらしにせざるを得なかった。「せめて遺骨を遺族のもとに」というのは、凄惨な戦場を知る生還者の強い願いだという。

1年で2937柱を収集したこともある(69年度)。だが最近の10年間は1柱の年もあり、多くても164柱、平均で57柱に止どまっている。厚労省は「一柱も残さない」と遺族らに約束している。しかし、今のペースでは、すべて収集するまでには200年かかることになる。生還者は勿論、遺族もいなくなる。

「時間切れ」を待っているのではないかという声もある。02年度の「厚生労働白書」は、南方地域での遺骨について「おおむね収集は終えた」と宣言した。05年度、尾辻秀久厚労相(当時)は「何処かで幕を引くべきだ」と表明した。遺族たちは「遺骨収集が中止されてしまうのではないか」と恐れている。

しかし、記者の目には、島内にはまだ調べる余地がある、と映った。これまでの収集は、地下壕やトーチカ(コンクリートなどで作られた陣地)を探し当て、その周辺を掘削する方法が主だった。金井事務局長は「壕の中で死んだ兵士は少ない。苦しいから、動けるものは外に出て死んだ」という。数回遺骨収集に参加した遺族も「島全体を調べるべきだ」と訴えている。

激戦からすでに62年、遺骨も触れば崩れるほど風化しているだろう、一刻も早い大規模な収集を行なう必要があるのではないか。私も同じ思いを昨年書いた。 硫黄島 06/11/18
                 
                 - つづく -

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月14日 (火)

児童虐待

親になる資格のない人間が親になったばかりに痛ましい事件が引きも切らない。子どもの作り方だけは人並みに知っているようだが、その結果が親となり子育ての責任を負うことになることなど何も考えていない。犬畜生でもできることをして子どもだけはもうけたが、その後のことは何も知らない分らないで途方に暮れるだけ。親になっても自分を育ててくれたその親たちが、わが子が将来親となるための大事な人間教育、躾けをしてやらなかった付けが廻って来ているのだ。家族制度の崩壊はますます抜き差しならないところまで来ている。

児童虐待の防止に関する法律(通称・略称 児童虐待防止法)ができたのが平成12年11月。その後幾度か改正が加えられ、今年7度目の改正案がまとまった。超党派国会議員で作る見直し勉強会(幹事・馳浩衆院議員)は4月10日、親から親権を剥奪する手前の中間的措置としての「親権の停止」は今回も見送られたが、児童相談所(児相)に強制立ち入り調査権を認め、親に接近禁止など権限と責任を強める同法改正案に合意した。来年4月1日よりの施行となる。

児童虐待防止法では、児童虐待の定義を下の4つに分類している。
♦身体的虐待
   児童の身体に外傷が生じ、または生じるおそれのある暴行を加えること。例えば、一方的に暴力を振るう、食事を与えない、冬は戸外に締め出す、部屋に閉じ込める。
♦性的虐待
   児童に猥褻行為をすること、または児童を性的対象にさせたり、見せること。例えば、子どもへの性的暴力。自らの性器を見せたり、性交を見せつけたり、強要する。
♦心理的虐待
   児童に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。心理的外傷は、児童の健全な発育を阻害し、場合によっては心的外傷後ストレス障害(PTSD)などの症状を生ぜしめるため禁じられている。例えば、言葉による暴力、一方的な恫喝、無視や拒否、自尊心を踏みにじる。
♦ネグレクト(養育放棄)
   児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食、もしくは長時間の放置その他の保護者としての監護を著しく怠ること。例えば、病気になっても病院に受診させない、乳幼児を暑い日射しの当る車内への放置、食事を与えない、下着など不潔なまま放置するなど。
 (注)・保護者(親権を行なう者、未成年後見人その他で、児童を現に監護するもの)
    ・監護する児童(18歳に満たない者)

今回の改正でも家庭への立ち入りは一義的には児童相談所が行なうという原則を踏襲した上、裁判所の令状を得て強制的な調査権限を初めて児童相談所に付与する。ただし、乱用を防ぐため、虐待と見られる明確な情報があること、被虐待児が屋内にいる痕跡が確実に把握されていること、などが令状発布の要件として検討された。

7月29日の閣議で高市少子化担当相が07年版青少年白書を報告した。全国の児童相談所に寄せられた児童虐待の相談件数は05年度で3万4472件と、統計を取り始めた90年度以降、過去最高となった。
<虐待の内容は>
 身体的虐待  1万4712件(42・7%)
 ネグレクト  1万2911件(37・2%)
 心理的虐待   5797件 (16・8%)
 性的虐待    1052件 ( 3・1%)であった。

これに驚いていてはならない。今月に入って11日、児童相談所が相談を受けて対応した児童虐待件数が06年度、またも過去最多の3万7343件(速報値)に上ったことが、厚生労働省のまとめで分かった。前年度より2871件も増えているのだ。止どまるところを知らない恐ろしさだ。

少子化が嘆かれている世の中、子どもたちはみな、世の中の宝物として‘蝶よ花よ’で大事に可愛がられて育つのが普通だろう。それが何故このような痛ましい状況が生まれるのだろう。

都道府県別で急増したのは、親が食事を与えず子どもを死なせる事件があった京都府(前年度比72%増)や福島県(59%増)、母親が子どもを殺害する事件が2件続いた秋田県(40%増)など。一方、鹿児島県(42%減)、鳥取県(24%減)など減少に転じた地域もあるが、厚労省は「市町村が対応を強化し、児相に頼らず解決する事例が増えたため」とみているようだ。

最近およそ一週間の実態をみてみよう。
8/6日 炎天下の車内に男児放置、警官が窓割って救出(岡山)
8/6日 父親が小6長男を木刀などで殴打(神戸)
8/7日 06年度850件、養育の怠慢・拒否が大半(愛知)
 名古屋市児童相談所
  養育の怠慢・拒否が最も多く345件(40・6%)
  身体的虐待        325件(38・2%)
  心理的虐待        166件(19・5%)
 虐待を加えた保護者は実母が 605件(前年396件)
           実父  164件(前年118件)
 被害者は    小学生が  336件
     3歳〜学齢前児童  199件
     0歳〜3歳未満   169件
8/7日  可児の1歳児虐待死母親を地裁に起訴(岐阜)
8/9日  床に叩き付けられた男児死亡(千葉・松戸)
8/9日  アルコールをかけ、火をつけた虐待の5歳児死亡(千葉・松戸)
8/10日 児童虐待、過去最悪(警察庁)
 今年1〜6月の児童虐待事件の検挙は、昨年同月比24・2%増の149件
    身体的虐待    113件
    性的虐待      27件
    保護の怠慢・拒否  9件
  加害者はこちらも実母が 48人で最も多い
          実父  16件
8/10日(毎日新聞)
 00年以降「ポルノ事件も大幅増」。今年上半期に、全国警察が逮捕や書類送検した児童虐待事件が149件(前年同月比24・2%増)、児童ポルノ事件が266件(同18・8%増)で、いずれも統計を取り始めた00年以降で最多であった。警察庁によると、児童虐待事件では164人が逮捕・送検された。
 被害児童  157人
    暴行、障害など身体的虐待 120人
    猥褻行為など性的虐待   27人
     年齢別では  1歳未満 22人
            1歳   10人
  
  加害者は、実母が48人で最も多く
       実父 45人
     養・継父 27人
     内縁の父 24人
また、児童ポルノ事件では162人を逮捕・送検
      被害児童  122人(前年同月比87・7%増)
 児童買春事件は 718件(同16・1%減)
   被害児童は 651人(同8・7%減)
    小学生   2人
    中学生  210人
    高校生  265人 が被害にあった。
8/10日 21歳の男、内妻の2児を殴り負傷させ、逮捕される(東京都・葛飾区)
8/12日 駐車場に新生児置き去り(防府市)
8/12日 2歳長男を足蹴りにし、死亡させた24歳母を逮捕(北海道旭川)

子どもとどう接してよいのか戸惑っている親が多い。核家族、少子化の中で育ち、母は働きに出るため親が子育てをする姿を見ることもなく、甘やかされて何事も思いどおりにできる子どもの頃を過ごした。我慢することも学ばず、体だけが大人になって現在親になった世代が今、問題になっている親たちの世代。昔の親にとっては冬の戸外への閉め出しや、押し入れ、部屋、納戸への閉じ込めは、悪戯っ子へのこらしめで何処の家庭でも普通にやっていた。価値基準の移り変わりは認めても、現在の親たち、余りにも甘やかされて育てられて来人間が多い。手加減が分らなくなっているのだ。昔躾が今では虐待と呼ばれる。このような親たちへ子どもとの接しかたを教える講座が数年前から各地で盛んに開かれるようになっている。「親の躾がなっていない」私のブログは05年5月からずっとこのテーマで埋まっているようなものだが、早く皆が気がついてくれることを祈っている。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年8月12日 (日)

男女雇用機会均等法?

厚生労働省は9日、06年度の女性雇用管理基本調査をまとめた。女性管理職がいる企業は全体の3分の2を占める一方、女性に限定した一般職採用が大幅に増えているなど、男女雇用機会均等法に逆行する実態も浮かび上がった。

調査は昨年10月、従業員30人以上の企業から抽出した約7000社を対象に実施した。
                    03年   06年
係長相当職以上の女性管理職がいる企業は 62・5% 62・5%
     (内訳)    部長職以上  6・7%  8・8%
             課長職以上  21・1% 20・2%
             係長職以上  32%   32%
     管理職全体に閉める割合は  5・8%  6・9%
           *(参考)米国       42・5%
               ドイツ       37・3%
 *05年 ILO(国際労働器官)など欧米諸国とは大きな差がある。

06年に新卒採用した企業のうち、女性採用ゼロは36・9%
            逆に 女性のみ採用 17・4%
コース別雇用管理をしている企業(全体の11・1%)のうち、約3割が転居を伴う転勤がない一般職を採用し、そのうち女性に限定している企業は64%で、03年度の52%より大幅に増えた。

育児休業取得率は女性が88・5%で、03年度の73・1%から大幅に増え、厚労省が目標に掲げている8割を始めて超えた。男性は03年度の0・44%からわずかに伸びた0・57%だった。

男女雇用機会均等法第14条で国は、雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇が確保されることを促進するため、事業主に対し、相談その他の援助を行うことを約束している。

《敗戦後の日本の女性は長い間女性特有の特権に浸っていた。特には、生理休暇なる特別休暇が取得できる法で庇護されていた。しかし、これが、女性の働くモラール(モラルではない)を疎外し、当然の権利として便利な遊びへの転用が目立ち始め、職場によっては時として生産性の停滞を招くことにもなった時代があった。思い返せば先の大戦中、女性もモンペ姿で鶴嘴を振りかぶり地下の炭鉱で石炭を採掘した時代もあったのに。それが今、20年以上も前からドイツが女性の労働として禁止するたった一つの職業となっているのだ。そう、ドイツでは坑内労働以外の職場を女性の働き場として解放しているのだ。勿論夜間作業も禁じてはいない。重労働も大丈夫、日曜祝日の出勤も条件付きで(生ま物が腐敗しないためなど)許されている。6カ月平均の労働時間は1日8時間、しかし、1日10時間までの延長は可能などと。翻って圧倒的に一般職、事務職に偏る日本の女性とは違うところだ。

雇用における男女の公平性を政府が法律で律するまで、女性の募集が避けられた要因(結婚までの一時就職で、夜間労働させられない、日祭日出勤させられない、重労働であるなど)の一つでもあったのだ。機会均等法が施行されてもなお現在、企業が新卒者採用のうち男性のみが36・9%を占めているのを全産業(30〜5000人)で見ても、女性の応募がなかったが、52・6〜64・4%を占め、応募はあっても試験の成績が採用基準に達していないが7・5〜40・0%、採用前に辞退したが3・4〜15・4%、重量物の取扱い等の危険有害業務で女性の就労が禁止されている職種(平成15年度)が2・2〜8・6%あったものだ。

その間隙を縫ったように機会均等法を無視した女性に限定した募集・雇用が新卒だけで17・4%も行われている。そもそも男女雇用機会均等法が生まれたのは募集における顕著な男性に偏った不公平さ、賃金格差などを女性から指摘し、その声が政府に届いたからに他ならない。ところがこのところの風潮として、従来の反動ででもあるのだろう、強くなった女性(弱くなった男性の所為でもあるが)は自身の抑制が効かず、奔放そのもので何でも許されるかのごとく活動する姿が目に付く。均等法もそうだ、やっと手にした法律だ、少しばかり羽目を外したところで「女性」という武器が使える。事務職であってもエステに美容、男子禁制の場、それこそ男には理解できない女性病理など女性に限っての募集に問題はないだろうと。

各企業も『ポジティブアクション』といって積極的格差是正措置を講じ、男女間の差別を解消して、働く意欲と能力のある女性が活躍できるように(とわざわざ対象は女性である)企業が自主的に行う取り組みだ。反面男性の側からの不満もすでに出ている。同じ事務職の仕事でもその取り扱う仕事量にはっきりと男女差がある、と。

女性管理職が少ないことを米国やドイツと比較してもそれはナンセンスというものだ。男は外で仕事、女は内で家庭を守るもの、との教えが長く続いた日本、同じ思想があったとしても米国やドイツには日本ほど男尊女卑の思想は強くはなかった。彼らの国はそれ以上に遥かに強い有史以来続いて来た戦争による民族的な偏見があった。そして、早くから西洋に根付いていた民主主義の恩恵を日本が受けたのは、麻生流(朝鮮や台湾についての発言等)に言えば、今次大戦に負けたからだ。その意味では米国やドイツに追いつくのはこれからだろう。

日本の女性管理職の少ない理由は、現時点で必要な知識や経験、判断力等を有する女性がいない、将来への可能性はあるが、現在、管理職に就くための在職年数等を満たしている者はいない、(いずれも如何にも日本的な発想だとは思うが)、女性全体に言えることだが勤続年数が短く、管理職になるまでに退職する、全国転勤がある、時間外労働が多いことや深夜業がある、家庭責任を多く負っているため、責任ある仕事に就けられない、仕事内容がハードで女性には無理である、女性が望まない、の他に、顧客が女性管理職を望まないや、上司・同僚・部下になる男性が女性管理職を希望しない(情けない男たちだが、これも現実だろう)などがある。

いずれにしてもやっと勝ち取った均等法だが、その瞬間、民法772条とおなじように、自分達の手で運用面から法の形骸化に取りかかっていきそうな凄まじさだ。》

| | コメント (1) | トラックバック (2)

2007年8月10日 (金)

バイオ燃料は本当に切り札になるのか

超党派の国会議員による議員立法で、6月20日にエコツーリズム推進法*なるものが成立した。法の施行は来年4月だが、その前にエコツーリズムって何?ってことで、東京都内の旅行代理店「リポーン」が4泊5日の東日本縦断の「そらべあツアー」を企画し、6月28日午前8時前、JR新宿駅西口からエコ観光旅行にでかけた。バスの側面には「てんぷら油で走っています」とステッカーが張られていた。るんるん気分で出かたようだ。

途中立ち寄ったツアー先は塩釜市のかまぼこ工場の廃油を精製するプラントや、バイオガス発電、木材チップを使ったストーブの普及といった新エネルギーでまち起こしを進める岩手県葛巻町、支笏湖畔の植林などを見て廻った。(毎日新聞、7/9より)

*エコツーリズム推進法--(成立の背景)これまであったパッケージツアーや通過型の観光と異なり、地域の自然環境の保全に配慮しながら、時間をかけて自然と触れあう「エコツーリズム」が推進されてきた。しかし、現在は地域の環境への配慮を欠いた単なる自然体験ツアーがエコツアーと呼ばれたり、観光活動の過剰な利用により自然環境が劣化する事例が見られる。このような状況をふまえ、適切なエコツーリズムを推進するための総合的な枠組を定める法律である。
 (法律の趣旨)地域の自然環境の保全に配慮しつつ、地域の創意工夫を活かした「エコツーリズム」を推進する。以下の具体的な推進方策を定め、エコツーリズムを通じた自然環境の保全、観光振興、地域振興、環境教育の推進を図る。
 1、政府による基本方針の策定
 2、地域の関係者による推進協議会の設置
 3、地域のエコツーリズム推進方策の策定
 4、地域の自然観光資源の保全

うるさいほどエコ(ツアー)ツーリズムがならんだが、ツーリズムとはサイトシーイングと同じ観光旅行のことだ。勉強して廻ることが目的ならほかに呼び方があろうというものだ。

バスにもステッカーに掲げた「てんぷら油で走っています」のバイオ燃料(ガソリンや軽油の代替燃料となる植物由来の『バイオエタノール』『バイオディーゼル』)の需要が世界的に増えている。植物の成長過程で二酸化炭素を吸収するため燃やしても大気中の二酸化炭素は増えず、エネルギー安全保障面でも有効なためだ。原料のサトウキビなどの作付面積は急拡大しているが、環境に優しいはずの大生産国(米国・ブラジル)では逆に生態系を破壊していることが懸念されている。加えてブラジルには新日鉄グループが大規模な高炉を新設するという情報もある。世界最大の鉄鋼メーカー、アルセロール・ミタル(ルクセンブルク)に対抗するため、韓国ポスコとウジミナスを戦略パートナーと位置づけてのことだ。(毎日新聞8/10)環境には何も問題はないのだろうか。

燃料の排出量を考える時には燃やした時の排出量だけではなく、原料の生産(ガソリンなら採掘)から使用までを総合的にみるLCA**が必要だ。

**LCA(Life Cycle Assessment ライフサイクルアセスメント)
 製品の一生における環境負荷を評価する製造、輸送、販売、使用、廃棄、再利用まですべての段階での環境負荷を総合して評価する仕組みのこと。製品のライフサイクルについては「製品のゆりかごから墓場まで」と説明されることが多い。

このことから家庭から出されるてんぷら油の燃料化は、燃料としては極少単位の可能性があるというだけで、実際にガソリンに代わる燃料にはなる対象ではあり得ない。小規模実験室の段階で、その可能性をテストしても、そしてそれで車が走ったとしても、言葉は悪いが目くそ鼻くそレベルの話題づくりの話でガソリンの代替燃料となるものではない。一昔前になろうか、消費者団体のご婦人方が、廃油から石鹸や洗剤を作ってニュースになったことがあったが、家庭のてんぷら油の再生は、LCAから判断しても、車を走らせるよりは余ほど生きた再利用となるだろう。

バイオ燃料への転換が環境負荷を増大させる、という話になるが、ブラジル政府は75年、第1次石油危機の経験から、輸入原油に依存するエネルギー政策を見直す「国家アルコール計画」を発表。サトウキビが原料のバイオエタノールの増産に取組み、現在は年約1600万キロリットルを生産している。燃料にバイオエタノールもガソリンも両方使えるフレックス車は、新車販売の8割以上を占めている。政府は20年までにバイオ燃料生産を05年比で倍増する指針を策定したが、サトウキビ畑の大幅な拡大が不可欠だという。

この農地開発のターゲットになっているのが、中部のセラード地域、世界最大の熱帯サバンナ地帯で、16万種以上の動植物が棲息する生物多様性の宝庫なのだ。サトウキビが植えられたとしよう、加工する大工場が必要になる。これで生態系への影響はないのだろうか。日本でも安倍は昨年11月、当時30キロリットルであったバイオエタノールの生産量を、15〜20年先、年間ガソリン消費量の約1割に当る600万キロリットルに増やすよう工程表の作成を指示した。今のところ、拠点を沖縄と北海動において考えているようだが、大農場を作り、加工工場を建設したとして、国土の狭い日本に、ガソリン消費量の僅か10%のバイオエタノールを生産するために、またまた環境破壊を進め、狙っていることとは逆に、皮肉にも温暖化を促進させることにつながりはしないか。

従来のサトウキビやトウキビ、トウモロコシ、規格外小麦などの既存原料はだけでは精々5万キロリットルに止まると見られる。大半は食べない素材の稲わら、木材、資源作物、(コーリャンほか)の新しい原料に頼らなければならない。食糧用に生産されている既存原料を大量にバイオエタノールに振り向けると、穀物価額の高騰や食糧自給率の低下につながる懸念もある。

事実、アメリカでのエタノールブームを背景として、穀物相場に高騰が見られ、日本向けの遺伝子非組み換え(非GM)のトウモロコシや大豆の供給に黄信号が点っている。アメリカの農家にとって収入面で魅力が小さくなり、その結果非GM品の作付けを敬遠しつつあるからだ。遺伝子組み替え食品を拒否して来た日本の食糧確保も大きな試練を迎えることになっているのだ。

二者択一のエタノールだけで走る車はない。ガソリンとの混合比率を何%にするかの問題であって、逆にガソリンを使用しないで走る車が出現することはガソリン業界は望まないことだろう。トヨタは新ハイブリッド車「プラグインハイブリッド」の公道試験を開始することを発表した(7/25)。ガソリンと電気モーターを併用する車で、家庭用電源で充電できる。国内では8台の実車を使って今秋から最長3年間の公道走行を行う予定。欧州や米国でも順次試験を重ねて性能確認を行い、実用化を目指すという。市販車の電池容量を2倍にし、さらに改修してモーターのみで連続13キロ走行できるようにした。加速時にはモーター出力をガソリンエンジンが支える走行もできる。充電用プラグで家庭用電源につなぎ、100ボルトで3〜4時間、200ボルトなら1〜1・5時間でフル充電となる。電気代は昼間で40〜160円、夜間割引料金なら10〜40円程度。25キロを走行した場合、市販のプリウスと比較して燃料代を4割程度減らせるという。

結構なことだが25キロ走行するのに途中充電時間が1〜5時間必要となる。計算しても実際には役には立たない。充電時間が行動範囲を決定してしまう。そのため結果的にガソリンに頼ることになるだろう。

以上考えて来て、バイオ燃料は話題性こそ華やかだが決して環境問題の切り札ではなく、一過性のもので終わるだろう。ただ、アメリカやブラジル、或いは中国やロシアのように広い国土があれば、成り立つのかも知れないが、日本のような猫の額しかない国土の小さい国では、資源は枯渇し環境破壊が進むことになるだけだ。電化にも不自由さがつき纏う。究極残されているのは太陽電池になるだろう。太陽が地球を照らしてくれている限り、原料がなくなることはない。問題は夜間走行を快適なものにするためには蓄電容量が何処まで大きくできるか、反対に太陽電池そのものがどの程度小型化されることが可能かだ。この実現にはガソリン業界が巻き起こすパニックを鎮めることが可能かどうか難しい問題はあるが、こちらの方がバイオ燃料よりは地球に優しいことは確かだろう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年8月 9日 (木)

又もや離婚後300日規定問題

300日問題は、先の国会で議論が活発化した。法務省は離婚後の妊娠であれば、現在の夫の子と認める通達を出したが、事例の9割を占める離婚前妊娠についても救済対象とする特例新法案は国会に提出目前だったものの、自民党の一部議員の反発などで見送られた。この離婚前妊娠は4月25日に自民、公明両党の政調会長が法制化を含めた救済策を検討することで合意したが、以来国会は政治とカネ、年金問題など次々に問題が出来し、議論は止まったままになっている。

法務省通達による離婚後妊娠に限った救済は、5月21日より始まり、参院選前の13日現在で165件の届け出があり、141件が受理された。従来は裁判などが必要だっただけに、それだけ進歩したともいえるが、自分自身や子どものことを考えると納得できない。

(東京近郊・30代後半の主婦)前夫の暴力で別居したのが02年、離婚が成立したのが3年後、別居直後に職場で知り合った現在の夫と知り合い、離婚後194日目に女児を出産。母子手帳からからの推測で、離婚1カ月余り前の妊娠であった。今の夫に強制認知を求めた調停では、裁判官から「全夫の証言が欠かせない」と言われたが、現住所を知られるのが怖く全夫とは連絡を取れない。調停は不成立になり、1歳になる娘は今も戸籍がないままだ。『親が悪い』という批判は甘んじて受けるが、結婚など子どもの将来を考えるとつらい。せめてあと一歩、救済幅を広げて欲しい。(毎日新聞7/20より)

《これも前夫が暴力男であることが前提になっている。今までに取り上げられたケースの殆どが前夫は暴力に明け暮れる男のようだ。それにしても男不信にならずにすぐに又、新しい男を見つけている。そして、離婚も成立しないうちに次の男の種を宿す。前夫との婚姻が継続していた以上、法律上の義務を破った不貞の子を宿したことになる。本人も『親が悪い』ことは百も承知だ。不義の子だけれど、哀れと思し召して下さいな、という。法律は裁判で調停が可能な道を開いている。「それは否だ、前の夫と顔合わせしたくない」、と逃げる。どんなに辛くても自分(現夫とも)の蒔いた種だ。それを乗り切ってこそ親となった責任がとれるということなのだ。子どもを楯にした同情で勝ち取ろうなんて勝手に過ぎる。》

《驚いたことに日本を離れて海外に出ても、日本の女性の中には同じことをやっているものがいる。海外に出ても日本人である以上、日本の法律で律せられることも知らないようだ。》

毎日新聞(8/8)から
英国在住の日本人女性(37)が出産した子どもの父親は再婚相手の英国人(35)なのに、日本の戸籍では「未定」と記載された、という。子どもは離婚後300日以内に生まれており、民法772条で父親は前夫(日本人)と推定されるが、「2国間で法律上の父が異なる場合に父未定とする」との法務省通達があるからだ。

女性は東京都出身で、93年2月に結婚した日本人男性(30歳代)とともに男性の仕事の関係で00年に英国に渡った。02年春から家庭内別居状態になり、12月に離婚した。ほぼ同時期から英国人男生と同居。英国には再婚禁止期間の規定がなく、03年4月に英国人男生と再婚し8月に離婚後250日で女児を出産した。

《故意にか分らないが、夫(30歳代)を「日本人男性」と書く。(ここからは私の邪推が混じる)彼女は7年間連れ添った夫とともにイギリスに渡る。海外勤務が認められるエリート夫だったろう。しかし、7年目の浮気とはよく言ったものだ。すぐにイギリス人男性に目移りする。家庭不和は彼女から作り出したものとしか思えない。それからは簡単に不倫に嵌って行く。》

イギリスでは、法律で出生証明書に記載された人物を父親とすることになっている。イギリスで手続きをし、父親はイギリス人男性と認められた。女性は、女児が将来、日本国籍も取得できるようにと、女性の戸籍への登録を求めてロンドン日本総領事館に相談した。父親欄に夫であるイギリス人男性の名前を記載するよう望んだが、300日規定により前夫の記載になる、と言われた。女性は法務省に問い合わせたところ、父親の推定について2国間で法律が異なる場合、「母か前夫の本国法で前夫の子と推定され、かつ母か後(現)夫の本国法で後夫の子と推定される時は『父未定の子』として取り扱う」との法務省通達(89年)がある。同総領事館に伝え「父未定の子」として戸籍に記載された。女性は「父が前夫と記載されるなら前夫に協力を求め裁判しなければならないので、未定はまだましかもしれない。ただ、子どもが将来、未定の記載を見たら、どんな思いをするだろうか」と嘆く。「未定」の記載を「イギリス人男性」とするには、裁判が必要だ。法務省民事局は「300日規定は合理性のあるもので、現状はこうした対応をせざるを得ない」と話している。

《女性が心配するのは何だろう。子どもが将来「未定の父の子」と知ったら、「母親の自分が不倫してできた子」であることがばれることなのか。どんなに愛しあっていたとしても、前夫との婚姻中に夫以外の男性との間で妊娠したことは事実なんだから、説明する責任を課されることは当然の事だろう。》

《300日規定は日本だけのことではない。人間の女性が妊娠して出産まで、東洋人であろうと、西欧人であろうと、異常でなければ同じ10月10日の妊娠期間が必要だ。当然この妊娠期間が基本となって法は整えられている。 
  各国の父親推定のルール
  《米国》
  ▽子の出生時に母と結婚していた男性
  ▽離婚後300日以内に生まれた場合、前夫
  ▽子の出生後、母親が結婚した男性
  ▽親子関係を認めたり、出生証明書に父と記載されている場合で、さらに2年間子と認めて同居した男性
   (いずれかが該当)
  《ドイツ》
  ▽子の出生時に母と結婚していた男性
  ▽親子関係を認めた男性
  ▽裁判所で親子関係が確認された男性
   (いすれかが該当)
  《フランス》
  ▽出生前300日から180日の間に母親が妊娠し、結婚している場合に相手の男性
  《英国》
  ▽子どもの出生の登録時に父親として記載された男性
  《韓国》
  ▽離婚から300日以内に生まれた場合、前夫
  《日本》
  ▽離婚から300日以内に生まれた場合、前夫
    (早稲田大大学院教授・棚村政行の調査から)毎日新聞

ロンドンの総領事館の担当者は「同様のケースは年間1、2件は起きており、今後も増えるのでは」と話してる。外務省によると、実態は把握できていないが、他の国でも同じ例が確認されている。海外では、父親の推定について、出生時に母親と結婚していた男性(現夫)や出生届で親子関係を認めた男性とする国が多いという。

《何がどのように不満であろうとも、現在の日本の法律では300日規定は現実に存在している。法を犯せばそれなりの罰は下り、不自由は発生する。現在これだけ大きく取り上げられている問題だ。今までの事例を「他山の石」として同じ境遇にある女性たち、けじめもつけないうちに、ゆめ、軽々しく夫以外の男の子どもを宿さないように気をつけることだ。》
 

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年8月 7日 (火)

拉致被害者どうなる

北朝鮮核問題の6カ国協議合意に基づく北朝鮮へのエネルギー支援に、オーストラリアとニュージーランドが参加の意向を示していることが分かった。

6カ国協議に参加しない両国が支援への協力姿勢を打ち出したことで、日本人拉致問題での進展がない限りエネルギー支援に参加しない方針の日本は、さらに厳しい立場に立たされることになる。これまでもなす術もなく6カ国協議の席には顔だけは出して、拉致、拉致を繰り返していたが、その間に、他国からのエネルギー支援は着々と進められ、核廃棄に向かっても徐々に作業は進められている。北朝鮮にとっては日本の要求に耳を傾ける必要もなく、人道支援は始まった。

米高官によると、豪・NZ両国の支援参加は7日から板門店で始まった経済.エネルギー支援作業部会で協議されることになりそうだという。豪州外交筋は「朝鮮半島の安定は我々の利益だ。合意が機能するよう支援したい。作業部会を見守り、支援のタイミングや内容をきめることになる」と語っている。

一方、在米ニュージーランド大使館によると、クラーク同国首相は3月の訪米でブッシュ大統領に第2段階でのエネルギー支援に参加する意向を伝えた。

両国は1994年の米朝枠組合意でも、北朝鮮に軽水炉などを提供する「朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)」に参加し、支援を行った経緯がある。

北朝鮮は「拉致問題は誠意を持って解決した」と繰り返すばかりで今までのところ話し合いの糸口もない。アメリカも日本の拉致問題には理解を示すとはいいながら、最大の狙いは北朝鮮の核廃棄の実現を現実の問題とすることだ。ブッシュやヒル、或いはライスに依頼しようと、彼ら彼の女はただ日本の依頼を受ければメッセンジャー宜しく伝えれば役目は済む、「日本も拉致被害者家族や支援団体、それに国民も願ってるようだ、何とかしてやってくれよ」でいい。それで一方では日本は仮想敵北朝鮮に向けては全土に防衛基地を整えつつある。

ある意味では拉致問題をステップに首相になったような安倍が、今では国民から見放された死に体であることもお見通しだろう。もう当分の間日本の言い分を聞く必要はないとでも思ってはいないだろうか。間もなく政権も変わることは必至だろう。次の内閣が決まるまでは日本を除く4カ国を相手にしていればいいとたかを括っているだろう。

日本の外交筋には「拉致、拉致とて明けにけり」ではなく、駆け引きに長けた何らかの対策を考えることのできる知恵者、ブレーンはいないのだろうか。いつになったら拉致被害者が日本に帰ってくることができるのだろうか。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2007年8月 6日 (月)

広島原爆の日 

1947年に第1回「広島平和祭」が行われて今年で60回目、原爆投下の日から62年目に当る。

NHKの式典の中継を見た。黙祷の後広島市長・秋葉忠利(64)の平和宣言を聞いた。
宣言文を読み始めて直ぐに「これは何か違うぞ」と頭に引っ掛かった。1945年8月6日午前8時15分、日本全土がアメリカ軍の爆撃機B-29の空襲の恐怖に曝され、誰もが戦時下を疲弊し切っていながらも朝を迎えて1日の生活を始めたばかりだった。

広島の町は一瞬にして放射能の熱に焼き尽くされ、熱風に吹き飛ばされていた。生き残ったものが見たのは空中にもくもくと盛り上がるきのこ雲だった。爆発から20〜30分後、爆心地から北西部11〜19キロあたりには放射性物質を含んだ大粒の黒い雨が1、2時間以上も降った。粘り気のあるタール状の黒い雨は爆弾の炸裂時の泥やほこり、破壊された建物の破砕粉、などを含んでいた。

私が広島市長の宣言の読み上げが始まるやいら立ちのようなものを覚えたのは、いかにも作文らしい手が加わっている綺麗ごとの嘘を感じたからだ。さすが東大出らしく、書き出しには美辞麗句を並べた。「運命の夏、8時15分、朝凪を破るB29の爆音、青空に開く落下傘、そして閃光、轟音、阿鼻叫喚。落下傘を見た少女たちの目は焼かれ、顔はただれ、助けを求める人々の皮膚は爪から垂れ下がり・・・」若い頃からの速筆を武器にここまで追いかけて綴ったが止めた。

青い空に舞う落下傘(原子爆弾が落下傘にぶら下げられて投下されたような錯覚を抱かせるが、こちらは情報収拾のための測定機器をつけたもの)、その落下傘を見た少女の目は焼かれ、って何故少女でなければならないの?、悲しさを強要するためか。それに続く細かな被災状況はどれも、この62年の間に出版され、描かれたものの単なるコピーではないか。秋葉市長が生まれたのは1942年、それも東京荒川だ。原子爆弾を知ろうはずはない。写真以外には知りようはなかった。毎年何か表現しなければならない手前、苦し紛れにこしらえた作文で、心に訴えるものはなく空虚なだけだ。久間元防衛相の発言もあったため、ことさらに被害を強調することになったのだろうが、過ぎたるは及ばざるが如しだ。

核保有国が存在する限り、これからも広島原爆の日は続けて行くことになるだろう。そして世界でも最大の核保有国に守られている日本は、何をどのように訴えて行くのか、改めて考える必要がありそうだ。別には原水禁、原水協もある、お互いに手を取り合うことは不可能なことなのだろうか。(やはり離合集散の繰り返しになるだけだろうか)。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年8月 5日 (日)

クルマの話題 と 酒

話題 1、
東京都内に営業所のある359のタクシー会社が、来年1月7日から、喫煙の全面禁止を決めた。東京乗用旅客所同者協会(会長・富田昌孝日の丸交通社長)に加盟している法人タクシーは約3万4000台で、このうち禁煙車は約3%(3月現在)。都内の個人タクシーが約1万8000台、教会への非加盟も50社ほどあって禁煙化の足並みが揃えにくい面もあったが、「地方で全面禁煙が相次いでおり、現状の禁煙車が2割のままでは利用者の理解が得られなくなって来た。一部禁煙より足並みを揃えた方が各タクシー会社の理解も得られやすい」と説明している。(協会幹部)

《非加盟の会社(や個人営業のタクシーが、逆に反骨で「喫煙可」を売りにすることを考えないのだろうか。喫煙タクシー乗り場など設けて愛煙家の利用を狙えば儲かるのでは。いろいろと多い苦情も一掃される。一方で自由に売っておいて、蛇蝎のごとく爪弾きし、愛煙家の権利を無視することばかりを対策する。

7月26日のブログで取り上げたが、喫煙で肺癌を起す新たな遺伝子が発見されたばかりだ。今までは統計学的な推定でしかなかった喫煙と癌の関係は、やっと医学的に解明される段階に入った。非加盟の会社や、個人営業のタクシーの愛煙家の運転手さんも長時間の勤務の中で、時折りは喫煙で中休みが取れれば癒されることだろう。それに車内にこもったタバコの臭いは、腐った柿のような酒飲みの吐いた息がっこもった車内よりは余ほど我慢できる。いずれにしても、喫煙、禁煙などと頭を悩まし、このような姑息なことを考えつくよりは、いっその事日本からタバコは栽培も販売も輸入もしない、と決めてしまえばよい。》

話題 2、
こちらも酒など売らなきゃよいものを、売るばかりに酒に飲まれるバカが後を断たず、その事後処理に頭を悩ます。事故が起きないようにとの対策だが、起った事故の後処理には違いない。車を運転する前に飲酒の事実を検出し、車が始動しないようにする対策は、これまでにもいろいろ考えられてきたが、今度は日産が飲酒の事実を検出する方法として、飲酒した人間が出す汗に含まれるアルコールを感知して運転させない新技術を搭載したコンセプトカーを開発した。

シフトレバーの先と運転席の上部などにアルコールセンサーを設置する。シフトレバーを握った運転者の手のひらの汗から微量でもアルコールが検知されれば、音声やカーナビの画面で警告し、シフトレバーを動かなくする。また、スピードメーター付近の小型カメラが運転者の顔の動きを乗じ解析する。長く目を閉じるなど運転中に居眠りの兆候がみられると、自動的にシートベルトをきつく巻き上げて注意を喚起する。

センサーは制度が高く、少量の酒でも汗からアルコールを感知するため、飲酒した同乗者が場合に誤作動しないかなどの実証試験を行った上で実用化を目指すことになる、という。

《逃げ道はいくらでもありそうだ。先ず、少量の汗も感知するとしているが、手袋をした手の場合は、それも薄いゴム手袋や、皮手袋などへの反応はどうなんだろう。それに息の場合は飲酒直後から反応するが、汗の場合飲んだ後、何秒の単位なのか何分の単位なのかによっては抜け道もあろう。 また、カメラは役には立たないだろう。監視カメラでも目潰しで犯行は可能だ。チューインガムでも詰め込んでおけば済むのではないのか。それに居眠り注意に反応する時間が、「長時間」とだけではでは分らない。事故は瞬間で起る。シートベルトに反応した時にはすでに死んでいるか、殺しているかになる危険性が高い。何をしても役には立たない。やはり酒が売られている以上、飲む人間のモラルに期待するよりほかはない。それでも事故を起すようなクズには生涯二度と車には乗ることができない罰則を設けること以外はないだろう。》

話題 3、
クルマではないが、酒絡みの問題。関東でも長梅雨のあけた8月最初の週末となった4日、各地の海や川では6人が死亡、2人が行方不明の水難事故が発生していた。茨城県日立市の伊師浜海水浴場に家族5人で来ていた37歳のお父さんが死亡。神奈川県藤沢市鵠沼海岸では同市の中学生2名が行方不明になっている。かれらは気の毒というのだろうが、次の阿呆たちは死に場所を探してやって来たと見るのがいいだろう。

静岡県西伊豆町田子の田子瀬浜海水浴場で、午後1時半ごろ、同僚5人で遊びに来ていた埼玉県鴻巣市生出家、会社員、宇佐神和彦(48)が、沖合い約100メートルでうつ伏せに浮いているのが見つかり、間もなく死亡した。缶ビールを飲んだあと、午前9時半ごろから泳いでいたが、姿が見えなくんあっていたものだ。酒をくらって波のまにまにいい気分であの世に旅立ったのだろう。

別の所では、神奈川県横須賀市の走水海岸では午後2時ごろ同市三春町6、会社員、葭村智美(32)が沈んでいるのを同僚が発見、病院で死亡が確認された。会社関係者約80人とバーベキューをして飲食後、海に入ったということだ。

《こういった連中は、毎年繰り返し流される水難事故のことを見聞きしたことがないのだろうか。或いは会社関係者の行事なら、幹事か世話役がいなかったのだろうか。80人も居た中に、飲食後に海に入るに当って注意できる正常な神経の人が混じっていなかったのだろうか。或いは自動車の場合なら、乗るなら飲むな、になるが、海水浴が目的なら、酒が持ち込まれたこと自体が間違いだ。桜の木の下でのみ、精々喧嘩することで済むものではない。「人が集まるところには酒がある」でもよいが、死出の旅路の別れ水になるような酒は慎むがよい。こちらも酒を喰らっていい気分で死んで行ったろう。》

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年8月 4日 (土)

タレント候補は OK? NO?

参院選は終わったが安倍の居座りで政局は波瀾含みだ。
今回もタレントと呼ばれる人たちが多く立ったが、結果は沢山の人たちが落選した。何時もの「石田衣良の白黒つけます」だが、ふと思った。タレントって何だろう。
そもそもタレント(talent)とは才能、手腕を意味する言葉のはずだ。これを人にあてはめて考えれば才人であり、才能ある人を指す。現在では総じて芸能人を含む雑多な職業に従事する人たちを含んで使用されている。学者あり、大学教授あり、踊子あり、ヤンキーあり、弁護士あり、プロのレスラーや野球選手あり、映画俳優にアナウンサー、一般市民、などなど、多種類の活躍先から国会を目指している。これらを踏まえて『タレント』と一括して呼ぶ例にならって見て行くことにしよう。

先ずはOK派から(《》内は私見)
「タレントとして活躍できるセンスの良さや活力は政治に生かせる。政治に興味のない若者も触発できるのでは」(札幌市・ペイ)、「問題はどういう信念で政治に取組むか。タレントだからノーはナンセンス。でも著名人擁立に躍起の大政党には疑問です」(京都府長岡京市・紅茶猫)、「ぜんぜん問題なし。世襲議員なんかより、よほど社会の厳しさを身に沁みていると思う。世襲議員の常識は日本の非常識。タレント素人議員がおおぜい国会にいる方が絶対に日本がよくなる」(大津市・弘志)、《世襲議員を持ち出すこともない、上の解釈でいけば、皆、タレントなのだから》

タレント候補はイエスかノーか
〈有効票数〉4441(男:1889 女:2552)
          OK     NO
  全 体    32・9%  67・1%
    男    37・7%  62・3%
    女    29・4%  70・6%
 10代以下男   42・3%  57・7%
 10代以下女   32・0%  38・0%
 20代  男   41・6%  58・4%
 20代  女   32・7%  67・3%
 30代  男   40・8%  59・2%
 30代  女   30・5%  69・5%
 40代  男   35・0%  65・0%
 40代  女   29・5%  70・5%
 50代  男   33・3%  66・7%
 50代  女   21・9%  78・1%
 60代  男   21・3%  78・7%
 60代  女   16・3%  83・7%
 70代以上男   11・1%  88・9%
 70代以上女   36・4%  63・6%

《若い世代ではタレント候補に比較的寛容な傾向が見られる。》
続いてタレント候補ノー派の意見。
「人気取りの立候補にしか見えない。自分がこの国を動かすという意欲があるなら、きちんと勉強して、タレント辞めてから立候補して欲しい」(住所不明・ヨリコ)、「知名度を確認するだけでいいなら吉本興業やホリプロとかの芸能プロダクションが政党になった方が早いんじゃないか。第一政党も夢じゃない」(奈良県河合町・てんとうむし)、《票を集めるだけならそれもよい、そこで漕ぎ出した船は波のまにまに何処へ行くのやら、だ。コメントとしては面白いが、洒落にもならん。》「情けない・・・タレントが直ぐに政治家になれるほど、政治家の仕事って簡単なの?」(大阪府八尾市・フジフジ)、《簡単でないから名の上がる人物は限りなく少ない。やはりすぐには政治家にはなれないからだ。》「国会で居眠りしてる議員よりまし。やはり憲法改正などの高度な専門分野でどの程度勉強しているか未知であり、怖さがあります」(京都府宇治市・匿名)、《憲法改正に絞ればタレントでなくても難しい問題だ。外交や国際問題とも絡み、国会議員の何人が対応できるか未知数だ。安倍からして改正を声高に口にするが、周りには優れたブレーンの1人もいるようでもないし、歴史認識に疎く、外交センスもない、彼程度の器で憲法問題に携わることには、決して適任者であるかはなはだ心もとない。》

いつものように石田が最後に推すメールを。
「最近、政治家もタレント化していますよね。ビジュアル系で見た目もそこそこ、しゃべりも上手く、天下国家の難しいことも平易ね言葉で解説し、なんとなくわかったような気にさせる。世の中これだけ複雑で、不信にあふれていると、『白黒つけます!』ではないけれど、正しいかどうかは別にして、竹を割ったようにスパっとすっきりさせてくれる人に惹かれてしまいます。こうしてますます物事の本質から離れていってしまうんですね」(長野県・まほら)

《それにしても、投票の基準は党か人物かになるわけだが、今までの日本の獲得票数は、安倍風に言えば地域地域のレジームのしがらみが中心になったものであった。昔から世話になった人のお坊っちゃんだ、お嬢ちゃんだ、可愛い孫だで、ちやほやされて国会に顔を並べる。そうではなくこれからの選挙には、立候補者1人1人の人となりが比較できる仕組みが必要だ。その上に民主主義の数の論理が作用する、個ではどんなに優秀な人物でも施策を実行するのには限界がある。従って政党独自のマニフェストが大事な指針となるのだ。それが有権者の選択の基準とならなければならない。衆議院選挙にはそれこそレジームからの脱却が必要だ。》

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月 3日 (金)

久間前防衛相「しょうがない」の釈明について

「参院選後」に回答するとしていた、長崎原爆被災者協議会(被災協、谷口稜曄会長)など被爆者5団体が前防衛相・久間氏に出していた公開質問状に対する回答が2日までに、団体側に届いた。

久間氏は回答で原爆投下を「しょうがない」と言及しているものではなく、真意が確かめられず『しょうがない』だけ取り上げられ、誤解が広がった。原爆投下を是認するものでは断じてない、と釈明した。
 質問と回答は次のとおり(一部省略)
♦米国の原爆投下は間違いだと思うか。
 —従来から間違いだと思っております

《これは発言当日の記事に目を通せば久間の言っていることに間違いないことが分る。彼が釈明するとおり、メディアの取り上げ方が多分にセンセーショナルで、“これは問題発言となるぞ”との思惑が入り込んでいる。全文を読んでみれば誰でも理解できることだ。彼は原爆投下を決して肯定していない。メディアの選挙前の安倍政権へのゆさぶりが目的であったとすると、その目的は充分に果たしたと言えるだろう。》

♦なぜ米国は原爆を投下したと思うか。
 —日本との終戦を急いだのだと思われます
♦国際法違反の原爆投下をした米国はどう裁かれるべきか。
 —残念ながら現在まで、国際法違反で有罪となった国はないものと承知しております
(全部で7項目あるが、「しょうがない」と直接関係しないので割愛する)

《「投下したために戦争が早期に終わった」というアメリカの主張は結果論で目的ではなかった。お互いに憎しみあっていた日米間で、お互いの国民を殲滅することこそ目的であった。如何に多くの日本人を、或いは、アメリカ人を殺せるか。日本では連合国軍(特に米・英軍)を鬼・畜生と蔑み、米国は日本軍を黄色いジャップと呼んで殺しあうことは戦争である以上当然のことだった。お互いに、極力効果の上がる殺戮兵器の開発を急いだ。日本は開発に遅れ、原爆はアメリカが先に手にした。その効果を憎い敵で試してみるのも又自然の成りゆきだった。人間性などなくなるのが戦争だ。アメリカにしてみれば日本軍による寝首をかかれたようなハワイ真珠湾への奇襲攻撃で、大平洋艦隊は大打撃を受けていた。‘真珠湾を忘れるな’と絶好の報復となった。早い者勝ちだだった。日本の原爆開発がアメリカの先を越していたら、間違いなく、そして躊躇なく日本はアメリカに原爆を落としていた。それほど戦争とは人間を狂気に追い込むものなのだ。戦争に正義の戦争などはない。ドンパチのテレビの中やスクリーンの上でする戦争映画ではないのだ。》

《平和ぼけした現在の日本では、空襲や戦火の下を防空壕に命からがら逃げ込んだり、戦死した身内を持った家族の悲しみは想像できまい。広島と長崎に新たなる爆弾(原爆)が落ち、戦争が終わったとき、誰もが助かった命に感謝したのは真実だ。原爆を人間性の面から捕らえるまでには時間の経過を必要とした。人間性で戦争が止められるのなら疾うの昔に地球上から戦いはなくなっている。ナイチンゲールでさえせいぜい戦で傷ついた兵士を癒すことしかできないのだ。古来から戦に負ければ国は消滅したり、人民が奴隷にされたり、虐殺されることは普通に行われていた。今になればお互いの情報戦であったのだろう、或いは根もない流言飛語であったろうと思うが、日本が戦争に勝てばアメリカは地球上から抹消する、アメリカ人は皆殺しと聞かされていた。それが戦争だ。》

一つの意見が寄せられた。
毎日新聞(8/2)みんなの広場 への投書から
「戦争体験者の『本音』にも視線を」31歳(男性) 
『久間章生前防衛相の原爆をめぐる発言を聞いて、先の大戦で空襲を体験した父の言葉について改めて考えた。
私は戦争の深刻さを刻んでおきたいと、積極的に父に話を聞いている。父は「隣のおばさんの体に爆弾の破片が突き刺さって、はりつけのようになって死んでいた」などと話し、「広島や長崎の人には申し訳ないが、原爆の投下で戦争が終わって正直ほっとした」と語っていた。
これが、父や戦争を実際に体験した人たちの「一刻も早く戦争が終わってほしかった」という「本音」ではないだろうか。ついさっきまで言葉を交わしていた親友や大切な家族の命が、いともたやすく奪われる。今の日本では目の当りにすることのない殺戮、惨状が日常の中に当たり前のように存在する。私には想像もつかないような現実が過去には実際にあったのだ。
久間氏の発言は許されない。父も私も戦争や原爆に絶対反対だ。だからこそ、戦争の悲惨さを訴える体験者の「本音」に目を向けるべきだと考える。』

《この人も久間の発言に、木を見て森を見ていない。久間は決して原爆を肯定していない。私は久間は辞任しなくてもよかったと思っている。是非参照して欲しい 世論「輿論」07/07/08(含、久間「しょうがない」辞任)》

| | コメント (0) | トラックバック (9)

2007年8月 2日 (木)

阿久悠 で思い出すこと

1984(昭和59)年、昼間社用でタクシーを利用した日のことだった。流行歌好きの運転手だったのだろう、車内のラジオはちょうど先の歌手の曲が終わって次の歌を紹介していた。前奏に続いて男性歌手の声が聞こえて来た。いつ耳にしてもこちらが息苦しくなる独特のつぶれた声の森進一が歌い始めた。(漢字は歌詞カードより)

一) 山が泣く風がなく
   少し遅れて雪が泣く
  女いつ泣く灯影が揺れて
   白い躰がとける頃

つぶれた声にしては一言一言が明瞭に耳に届く

  もしも私が死んだなら

何故か全神経を彼のうたう言葉の続きを聞き漏らすまいとしていた。
 
  胸の乳房をつき破り
   赤い螢が翔ぶでしょう

全身の毛穴が開き総毛立つ悪寒に似たものが走った。かつて日本の歌謡曲に、これほど激しい表現があっただろうか。小さい子どもの頃から流行歌は聞いて口ずさんで育った。支那の夜、白蘭の歌、蘇州夜曲、赤い睡蓮、赤城の子守唄の時代からたくさんの曲を耳にしていた。

  ホーホー螢翔んで行け
   恋しい男の胸へ行け
  ホーホー螢翔んで行け
   怨みを忘れて燃えて行け

森進一の声が詠われている女の胸を抉る悲しみを存分に表現していた。それまでの歌謡曲にあった恋、泪、酒、などの世界から一線を劃して言葉が使われていた。

二、 雪が舞う鳥が舞う
    一つはぐれて夢が舞う
   女いつ舞う思いをとげて
    赤いいのちがつきる時
   たとえ遠くにはなれても
    肌の匂いを追いながら
   恋の螢が翔ぶでしょう

そして、ホーホー螢翔んで行け のフレーズが続く。赤い螢など世の中に棲息しているはずはない。だが、この歌詞では赤くなければならない、恋い焦がれた男のもとに行くことができるには女は死なねばならなかった。思い入れで表現すれば乳房を突き破って翔び出す赤い螢は、女が添えなかった男のために生きて来た証の血ということになろう。その年の暮れの日本レコード大賞作詞部門でこの作詞が大賞をもらった。

曲のヒットから舞台を北(北海道)に設定して同名の映画が作られた。時代を明治において北海道開拓に使役として働く国事犯の囚人と元祇園の芸妓の間の実らない悲劇として描いた。後に知ることになったが「螢」には隠された意味があるようだ。ほたるが夜になって現れるところから、江戸時代、京都祇園辺りで通行人の袖をひいた(春をひさいだ)下級の遊女(菰被り=今でいえば、売春婦)または、その茶屋をいうようだ。阿久悠がその意味で螢を使ったかどうか解らないが、少なくとも映画を作った五社英雄監督には頭にイメージするものがあったのだろう。

『北』の文字をタイトルに入れた曲に、螢の9年前「北の宿」がある。これも阿久悠の歌詞だが、以上2曲の大当たりでそれ以後、あらゆるものに見苦しいほど「北」を冠した2番3番煎じが続いた。

歌は阿久悠作詞の「北の螢」だ。彼の死(享年70)が今日報じられた、合掌。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年8月 1日 (水)

私立短大6割以上が定員割れ

毎日新聞(8/1)から
定員割れをしている私立短大が今年度は6割を超えたことが、日本私立学校振興・共済事業団の調査で分かったという。多過ぎる大学と少子化との関係は2000年の頃から現象としては見えていた。

2001年にはすでに私大では全体の3割、私立短大で半数以上に上っていた。
 私大で定員の半数に満たないところが前年より5校増えて22校
 私立短大では9校増えて50校にもなっていた。
その後、4年制への移行で定員が減ったたこともあり、数字の上では改善していた。

そして今年、私立短大365校のうち入学定員を満たしているのは140校にとどまり、定員割れ率は前年度比9・6ポイント増の61・6%。学校の数では前年度より31校も増加した。人気のあった看護や幼児教育の学科平均でも定員割れになり、同事業団は「大学に学生が流れている」と分析している。4年制私大では入学志願者数は首都圏や有力大学の入試改革などで、4年ぶりに増加しており302万2983人、志願倍率は6・79倍だった。入学定員3000人以上の大規模校(23校)の志願者が前年度より約12万人増えているが、地方の小規模大学での減少が目立った。地域別でも東京地区118%、京都・大阪地区112%に対し、四国84%、中国地区89%と大都市圏に集中する傾向にあり、所在地や学校規模による二極化が進んでいる。

無闇に増やし過ぎて来て多過ぎる大学、短大は、淘汰する以外に打つ手はない。増え過ぎた人間を収納するのに行政はアパートを、マンションを作り過ぎた。いや、作らなければならなかった。しかしそれは今、建物としての質や耐用年数に限りもあることでスラム化が進行している。大学も短大も同じだ。

憲法は人それぞれの能力に応じた教育の道を保証している。だが、人それぞれの能力には、欲が憑いて廻る。少しでも良いと思われる大学に進みたくなる。かくして二極化が始まる。特に私立は授業料が入らなければ経営は不可能だ。どんどん設備投資ができなくなる。学校の魅力はなくなる。学生数は減少して行く。この繰り返しは長くは続かないで終焉を迎えることになる。当然経営破綻する大学が出てくる。

早くから分かっていたことを、障子の継ぎ張りのように目先を変え、姑息な手を打つことでその場その場を凌いで来た。学部をふやすことは少量多品種の経営と同じように、経営効率を悪くする。よほどのノウハウを持っていないと乗り切れるものではない。それには歴史が短か過ぎるだろう。当面を乗り切るには合同か合併か来るものは拒まずで無試験で志願者全員を受け入れるか(これこそその場凌ぎだろうが)で対応するしかないだろう。いすれにしても、抜本的な教育行政面からの検討が必要だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »