久間「しょうがない」辞任
6月30日、千葉県柏市の麗沢大学で行った講演の中で原子爆弾投下について、「米国はソ連が日本を占領しないよう原爆を落とした。無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったという頭の整理で、今しょうがないなと思っている」と語った。
その後の数日間の動きはここで書くこともない。テレビやメディアで繰り返し報道されている。長崎からは3日午前11時前、防衛省を訪れ、抗議文を手渡した。午後になって正式に辞任が決まり、同時に棚からぼた餅の次期防衛大臣に、モッタイナイやエコふろしきの小池おばさんが取って変わることも決まった。
1日からメディアが文字にする「原爆、しょうがない」発言。アメリカが原子爆弾を広島と長崎に投下したのは事実だ。日本の為政者たちや軍部が国民に向かって「撃ちてし止まむ」「最後の1人になるまで戦え」と本土決戦の号令から、一転して無条件降伏となるポツダム宣言の受諾(8月14日)となり、日本の敗戦が決定した。それ以前の7月26日、米、英、中3国は、日本に降伏を求めるポツダム宣言を発表したが日本はそれを無視、8月6日広島に原爆投下、8月8日ロシアは日ロ不可侵条約を無視して満州・樺太に攻め入る。翌8月9日は長崎に原爆が落ちていた。
天皇は1945年8月15日正午ラジオから敗戦の声(録音)を発した。「(前略)敵ハ新タニ残虐なる爆弾ヲ使用シテ 頻(しきり)ニ無辜(むこ)ヲ殺傷シ 惨害ノ及フ所 眞ニ測ルヘカラサルニ至ル(後略)」、戦争を仕掛けておいて恨みつらみの甲高い声だった。国民は誰もこの時落ちた「新た(な)残虐なる爆弾」が原子爆弾という名の爆弾とは知らなかった。
戦時情報統制は情報の流れを停滞させていた。原子爆弾という名前の恐ろしい爆弾であることを知るまでには、数日間の遅れがあったが、その期間は疲弊しきっていた国民の胸に、“戦争が終わったんだ、防空壕に逃げ込まなくてもいいんだ、火の海を逃げ回らなくてもいいんだ”そして何よりも“もう誰も死ななくていいんだ、生きていけるんだ”の安堵・安心の気持ちを生んだのは事実だ。広島や長崎の惨状を、当地以外の日本人の誰もが知るまでには時間の経過が必要だった。
原爆は日本でも研究が進められていた、悲しいかなアメリカが先を越した。有色人種を劣等民族とみていたアメリカが、黄色人種の日本人に原爆の威力をテストするのにためらう必要はなかった。これが逆ならアメリカに原爆を投下することに日本軍は何の躊躇もしなかったであろう。当時の日本人は‘アメリカを、アメリカ人を1人残らず地球上から抹殺するんだ’と教えられていた。お互いが憎しみあっていた。お互いに殺し合うのが戦争だ。戦争にヒューマニズムなどあってはならない。ヒューマニズムはセンチメンタリズムと通じ、戦に敗れることになる。チャップリンの映画に「殺人狂時代」(1947)がある。絞首刑になる殺人鬼が「平時1人殺せば犯罪人だが、戦争で1000人殺せば英雄だ」の台詞がある。
戦争では、より強力な武器を持つことで敵に勝つ可能性はより大きくなる。そのために日米は互いに原子爆弾の開発に取り掛かっていたのだ。日本はそれにも負けた。戦争中日本の為政者や軍部が国民に流した風評、「敗ければ女は皆強姦され、男は皆殺しにあう」などと敗戦の恐怖を必要以上に植え付けたのは、裏返せば日本が勝てば敵にはそうする、を言外に云い換えたものと思えばよい。沖縄戦で多くの婦人が米軍に追い詰められた時、陵辱をおそれて断崖から身を投げたのもその風評を信じたからだ。
今回、原子爆弾の投下を「しょうがない」と発言した久間、これにはどうやら伏線があるようだ。1975年アメリカ訪問から帰った昭和天皇が記者会見で「遺憾に思っているが、戦争中のことなので、広島市民には気の毒なことであるが、やむを得ない」と。また、カトリック信者であった元長崎市長の本島等氏は「原爆投下は仕方なかった」も同じだ。しかし、2人の間には決定的な違いがある。先の人は戦争を始めた人、後の人はそのために原爆の被害を受けた人。私も本島氏と同じ意見だ。アメリカが云うように「戦争を早期に終わらせるために」「罹災者をこれ以上増やさないために」は結果論だが確かにその効果はあった。日本は早々に戦争終結に動きだしたのだ。植民主義に動かされ、軍部の独走が抑えられず、開戦を止められなかった天皇が開戦の詔勅を出し、ハワイの真珠湾攻撃の奇襲を行った結果がこの結論を招いた。原子爆弾が今、非人道的だと叫ばれているが、勝つためには卑怯であれ手段を選ばないのが戦争だ。それがどんなに残酷な負け方をしたにしろ、日本は自らが招いた結果と云う意味で仕方のないことだったのだ。
戦争での死が、原子爆弾であろうと、ピストルの弾であろうと、機関銃の弾であろうと、空襲爆撃、地雷、ナパーム弾、高射砲による墜落や飛行機や魚雷であろうと、或いは細菌や毒ガスによるものであっても、人間1人の命の重さに変わりがあるとは思わない。そして、日本全国では広島や長崎を併せた数よりもずっと多い人たちが空襲によって亡くなっている。広島や長崎の人たちだけが被災者ではない。久間さんよ、辞任することなどなかったのだよ。
今、靖国神社にのうのうと眠っている東條を始めとする戦争を指導した戦争犯罪人たち、日本人の手で彼らの罪を裁くことこそ生きている人間の勤めであると考える。
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コメント
私は在米ですが、アメリカで報道されているニュースだけを見ていると、日本人が全員で久間さんを責めているような印象を受けました。あなたのような考えの人もいるんですね。安心しました。
投稿: 苺畑カカシ | 2007年7月 8日 (日) 07時30分