愛という名の猟奇
昔、阿部定という女がいた。
昭和11(1936)年5月18日、東京市荒川区尾久町(当時)の待合〈主として忍び逢う男女に席を貸して遊興させる宿〉で事件は発生した。性器を切断されて腰紐で首を絞められて死んでいる男性が発見された。三日後には犯人の女が逮捕されるという事件があった。所謂阿部定事件だ。芸者から娼妓、足を洗って料亭の女中となるが、妻のいるその家の主人と忍んで愛しあうようになっていた。
時代は昭和5(1930)年のウォール街の株価暴落のあおりを受け、翌年からの日本は失業者が溢れ、農村の疲弊、女性の身売り、エロ・グロ・ナンセンスの泥沼の様相が続く中、軍部では国家改造を目指し天皇親政の内閣を樹立せんとした動きが活発化していた。そして翌年2月26日、陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが「昭和維新」「尊皇討奸」をスローガンに1483名の兵を率い、内大臣、蔵相、教育総監らを殺したクーデター未遂事件を起していた(2・26事件)。阿部定の事件はそのような騒然とした世情の中で起り、稀代の悪女としての名を轟かせることになった。「女として好きな男のものを好くのは当たり前です」。愛欲にまみれたこの事件は当時、猟奇事件としてセンセーショナルに世間を賑わせた。6年の判決の受刑中、時が彼女の刑期を短くした。
昭和15(1940)年は日本の肇国以来、皇紀2600年を祝う国家行事が犇めいていた。定は恩赦を受けて出所した。釈放後は一般人として生活していたが、今次大戦後、暴露本が出版され、身元がばれると同棲中の男の知る所となって失踪した。その後の定について昭和46(1971)年までの消息は分かっていたが、置き手紙を置いて身内からも姿を消したまま生死は不明となった。
この女性は時が流れて再び大きくクローズアップされることになる。昭和51(1976)年、「愛のコリーダ」(大島渚監督)のタイトルで映画化される。猟奇事件の女としての阿部定が描かれた映画で、今度は猥褻かそうでないかの対象として裁判にかけられることになった。映画の中の写真とシナリオをまとめた単行本が出版されたが、裁判は被告人(出版社)有利となり、1982年東京高裁で検察の控訴が棄却され無罪が確定した。映画は2000年にノーカット版として修正されるまで日本国内では上映禁止になったシーンが復元されている。
続いて平成9(1997)年、新聞小説「失楽園」が同名で映画化され、主演女優(黒木瞳)の名を一躍有名にする。大正12(1923)年、軽井沢で人妻の婦人公論記者と有島武郎の縊死心中事件がモチーフとも、阿部定がモデルとも見られているが、原作者渡辺淳一は、ふんだんに性的描写を盛り込んで読者の興味を惹き、映画に続いて1997.7.7〜9.22の期間ドラマ化され茶の間に流された。その中で極めて多く描かれた性描写で視聴率を稼ぎ、不道徳な男女関係を恋愛面から描くことで正当化し、世の中の不倫が愛や恋愛として美化されるさきがけとなる風潮を生んだ。
新聞紙上では不倫、浮気がもてはやされ、時代が違えば猟奇事件となるようなことが、日常茶飯事で出来している。その風潮はモラルをも無視するところまで来ており、同情することもない離婚後300日問題も、時代が変わったというだけで、目を子どもに向けさせ「哀れな子に同情を」で法律まで曲げさせようとしている。
このように書いたことを踏まえて最近の年の差結婚、や小柳ルミ子(55)の噂を耳にする時、その昔の猟奇事件が頭をよぎる。52歳で26歳年下の愛人と一緒になった秋吉久美子、51歳で12歳年下の男と結婚した大地真央、小柳に至っては虐待とも見える27歳年下の男との交際(本人は否定したようだが)など、猟奇の世界が「愛」という字で表現されるには程遠い、ただ快楽にまみれた女と男に見えてくる。まるで年老いた牝馬と種馬のように。
人間の抱く「愛」の感情は恋や好意などに比べて深く、強く、崇高なものとされることが多いのだが、現在一般的に使われている愛は、小説(特にロマン主義小説)の恋愛至上主義に犯されたように、ただ恋愛感情に流されるだけのものが愛と呼ばれているように見えて仕方ない。勿論愛の概念を定義することは不可能ともいえるが、人間が人間を好く時、倫理的にも宗教的にも文字にされていなくても、制限されること(もの)があってもいいはずだ。
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コメント
毎々拝見しています。
私はウオール恐慌の1930年生。また初めてプログ投稿をしたのが2月26日で2・26事件をモチーフに、昭和11年2月26日早朝のかすかな記憶を辿ったものでした。
同年の阿部定事件も現場が生家に近い所でしたので、騒ぎのタドタドしい記憶があります。
近頃の「愛」についてのご考察も、さすが昭和一桁。共感とともに、「思えば遠くに来たもんだ」です。
投稿: 小高英二 | 2007年8月 1日 (水) 09時22分
いつも丁寧なコメントを下さってありがとうございます。
考えてみれば石田純一のいうように、源氏物語の時代から不倫や浮気は日本文化の一つでもあるのですね。私の頭が時代錯誤なのでしょうか。
昭和一桁老人のブログもそろ写真を除いて10万カウントに近づきました。1ページ目にカウンターを設けようかと考えています。
今後ともよろしくおつきあい下されば幸いです。
投稿: 小言こうべい | 2007年8月 3日 (金) 23時15分