世論「輿論」
久間の「しょうがない」発言から小池へトップが替わる目まぐるしい交替劇があった。輿論は久間の原爆投下がしょうがなかったの発言に飛びついた。新聞もテレビも一斉に久間断罪の火ぶたを切った。政府与党、野党からも、非常識、暴言、閣僚にあるまじき発言と誹謗された。振り返って私の知る限り、発言の内容について静かに考えてみようという受け止め方をしたメディア、識者を知らない。長崎からは抗議文を携えて市長までが乗り込んできた。その直後久間の辞任を知って逆に驚きのコメントを口にした。広島市長も抗議声明を出した。
輿論とは実(げ)に恐ろしいものよ。沸き起こった流れに立ち向かうことは一切許さないとの狂気さえ感じる。だが、じっくり考えてみよう。彼、久間が云ったことがそれほど攻撃されなければならなかった発言であっただろうか。4日のブログと重複するが彼は次のように云っている、「原爆が落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今、しょうがないな、という風に思っている。勝つと分かっている戦争に原子爆弾まで落とす必要があったのか」と。その当時の疲れ切った日本人の気持ちには、どれだけ戦争が終わったことで安堵したかは4日のブログ《久間「しょうがない」辞任》を読んでもらえれば理解されよう。彼は原爆の投下に疑問を投げかけ、しかしその結果として戦争は終わったのだから、「しょうがない」という意味なのだ。日本語の読解力があれば、彼が原爆を是認も肯定もしていないことは分かる筈だ。
分からないのは長崎市の方だ、先輩市長本島等氏は明確に原爆の投下を肯定している。「日本がそれまでに他国にやって来たことを考えると、原爆の投下は日本に対する報復としては仕方なかった。落とされるべきだった」とまで語っているのだ。今度の抗議文はどこに持って行くべきだったのだろうか。私の考えは「しょうがない」は同じだが、より効果的な殺戮兵器の開発競争に遅れをとった日本は(当時アメリカは日本人をジャップと呼んで蔑んでいた)、その時点で実験台のモルモット代わりに、アメリカから原子爆弾を落とされる運命にあったとしても「しょうがなかった」と考えている。それが戦火を交えるということなのだ。
その死の原因が、何であれ、人間1人の死に軽重の差があっていいものではない。戦後いち早く出された統計によれば(1945年9月23日、防空総本部作成)、日本中では死傷者53万5227人、東京(八王子、立川を除いて13万2689人、大阪市内3万6764人、広島12万8284人、長崎4万3984人となっている。この他に無傷であっても家を全半焼したものなどを含めば実に罹災者と呼ばれる人の数は871万人を超える。沖縄以外は戦場とならずにすんだが、戦争とはこのように天皇がいう無辜(むこ)の人たちも命を失い傷つくことだ。
輿論は支配者の統治を正当化するために重要であり、特に議会制民主主義にもとずく社会では政治的支配の正当性を左右する。すなわち輿論は政治的リーダーに対する国民の意思表示としての機能をもつといえる。メディアの発達で種々の輿論調査というものが流行のように表れるが、単にマスメディアの意見、或いは願望が輿論として紹介されることもある。いわゆる輿論操作と呼ばれる現象だ。付和雷同する大きな声に弱い日本人だ、反対意見や対立意見は無視することで簡単に操作が可能になる。戦時中の国民が洗脳されたのも権力にべったりのマスメディアの輿論操作の結果だ。
「しょうがない」を辞任させた政府はそれ以前の1964年、日本の航空自衛隊の育成強化に功績があったとして、日本への原爆投下を指揮したカーチス・ルメー米空軍参謀総長の来日にあわせ、勲一等旭日大綬章を贈っていることをどう説明するのか。そして、これからも皮肉にもアメリカの核の大樹の下で守られて国際社会で生き続けなければならない日本は、どこかに置き忘れてしまった非核3原則をもう1度正面に据えて考えなければならない時期に来ている。
久間のいった「しょうがない」は私の世代には62年前の世界情勢からは正直な日本人の気持ちとして理解できる。問題は現時点で原爆をどう捉えるかだ。被爆者のむごたらしい姿は今ほど個人情報にやかましくなかった戦後、ニュース映画の画面に写された悲惨さは目に焼きついて離れない。時を隔てた二つの事象が絡まり合って論じられているのが現在の与論の現状だ。今を問われれば、私ははっきりと原爆は悪だと言い切れる。
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コメント
毎回拝読させていただいております。
識見と資料に裏打ちされた、迫力と説得力のある文面、そしてその継続の力には、いつも感服させられております。
「世論」そして「しょうがない」についても同様で、大きな感銘を受けました。
たまたま私も「しょうがない」について思うことを記事にしておりましたが、遠く及びません。
新ためて感服した次第です。
投稿: 小高英二 | 2007年7月10日 (火) 13時55分