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2007年6月30日 (土)

<ミイラ>の素性特定

木乃伊と書いてミイラと読む。私たちの世代には懐かしい漢字だ。はっきりと「みいら」のイメージが湧く。ワープロソフトも一字一字拾わなければ変換してくれないものもあるようだ。

さて、この木乃伊、今からおよそ100年ほど前(1903)に、南部ルクソールの「王家の谷」で発見された2体のうちの1体だが、この木乃伊の発見からほぼ20年後の1922年に、世界の考古学界に驚きをもたらしたツタンカーメン王の木乃伊を発見したイギリスの考古学者.ハワード・カーターが同じく発見していたものだった。その木乃伊の主をこの度エジプト考古庁局長・ザヒ・ハワス氏が27日、ハトシェプスト女王と特定したと発表した。局長は「ツタンカーメン王の木乃伊発見以来、最も重要な発見の一つ」と強調した。しかし、発見当初は発掘した墓が小規模で粗末であったため、さほど重要なものとは看做さないままに保管されていたものだった。

局長らのチームが、木乃伊や所蔵品を調査したところ、1881年に別の墓から発見されたハトシェプスト女王の名前が刻まれた箱にあった臼歯と、1903年発見の木乃伊の歯茎の穴が一致した。また、木乃伊のDNA(デオキシリボ核酸)と、女王の父親にあたるトトメス一世や、祖母にあたる人物の木乃伊のDNAも極めて似ていたという。木乃伊のハトシェプスト女王は太り気味で虫歯があり、糖尿病に苦しんでいたようだ。彼女の後継のトトメス3世との不仲説から謀殺説もあったが、木乃伊の調査からは癌が原因で50歳前後の死亡したものだという。

ハトシェプスト女王は第18王朝第5代で、「ファラオ」の称号を持つ古代エジプトの数少ない女王として知られている。トトメス2世と結婚したが、彼の死後トトメス3世の摂政として実験を握り、後に自ら女王に即位している。彼女は常にヒゲを貯えた男装スタイルで彫像や絵が残されており、長い間女性とは知られていなかった。

ハトシェプスト女王の名を記憶にとどめるのは、古代エジプトの女王としては勿論だが、ちょうど10年前のことだ、1997年11月17日午前9時(現地時間)ごろ、「王家の谷」(ルクソール)にある女王の葬祭殿(ハトシェプスト女王が父王トトメス1世と自らのために建てた)の前で、外国人観光客ら200名が待ち伏せていたテロリスト6人の襲撃にあい、スイス人、ドイツ人、日本人(10名)ら61人が殺害された事件があった。犯人たちは銃撃しながら逃走を図ったが、最終的には全員射殺されて終わった。

テロのために、エジプトの外国からの観光客が目に見えて減少して行った。相次ぐテロに対する責任を取らせるため、治安担当の内務大臣の更迭を行い、テロ組織の掃討作戦を実行したため、大規模なテロ事件の発生はこの事件以降沈静化したと見られている。

駆け足で古代エジプトの歴史を追ってみる。約3万年前、古代エジプト人の先祖が西アジア方面から移住し、ナイルの流域に定着した。紀元前5000年ごろ農耕のよる集落が生まれ、バダーリ文化が興る。♦先王朝時代(BC3500〜BC3100ごろ)象形文字のヒエログリフ(神聖文字)が使用され始め、(第1、2)♦初期王朝時代(BC3100〜BC2686)<第1、2王朝>上・下エジプトが統一、メンフィスを首都とする。ヒエログリフ文字体系が確立する。

♦古王朝時代(BC2686〜BC2181)<第3、4、5、6王朝>
 中央集権国家が確立し、われわれがよく知るピラミッドの建設が始まる。
   ジェセル王の階段ピラミッド
   スネフェル王の真正赤ピラミッド
   ギザの3大ピラミッド
♦第1中間期(BC2181〜BC2055)<第7、8、9、10王朝>
 中央集権国家の崩壊。墳墓の盗掘や破壊が行われる
♦中王国時代(BC2055〜BC1795)<第11、12王朝>
 ピラミッドの造営が再開される
♦第2中間期(BC1795〜BC1550)<第13から第17王朝>
 中央集権体制が崩壊し、アジアからの異民族集団ヒクソスが台頭、支配する。【1580、クレタにクノッソス王】
♦新王国時代・前期(BC1550〜BC1352)<第18王朝>
 アメンヘテプ1世が中央集権の官僚体制を確立する。トトメス2世の王妃ハトシェプストが初代女王となる。トトメス3世が王になり、エジプトの国土は最大になる
♦アマルナ時代(BC1352〜BC1336)
 アメンヘテプ4世が唯一神アテンを国家神とする宗教改革を行う。ツタンカーメンが政治の拠点をメンフィスに移す
♦新王国時代・後期(BC1336〜BC1069)<第19、20王朝>
 宗教改革が失敗に終わる。ラメセス1世、その子セティ1世が即位。国家は再び繁栄する。【BC1200年頃、トロイ戦争】
♦第3中間期(BC1069〜BC747)<第21、22、23王朝>
 テーベの神官が王権を主張し、国家が分裂する
♦末期王朝期(BC747〜BC332)<第24、25、26、27、28、29、30王朝>
 ヌビア軍のビアンキが王朝を興し、エジプトを統一。これ以降、アケメネス朝ペルシャの支配など、外国の支配を受けたエジプト人による王朝は終わる。
♦マケドニア時代(BC332〜BC305)
 マケドニアのアレクサンダー大王の支配下となる。
♦プトレマイオス朝(BC305〜BC30)
 プトレマイオスがアレキサンドリアで王に即位する。ローマ帝国に屈し、クレオパトラ7世*が自殺し、古代エジプト時代が終焉する。

*クレオパトラ7世(在位紀元前51年〜30年)
 イシス神を信奉する才女でギリシャ(マケドニア)系の古代エジプト王朝最後の女王。1996年11月世界を驚かせるニュースが駆け巡った。アレクサンドリア沖8メートルの海底で、約2000年前のものとみられるエジプトのプトレマイオス朝の王宮跡を発見!、クレオパトラの宮殿跡か、と。発掘は現在も続けられている。

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