「特急内で強姦」見て見ぬふり
JR北陸線の特急車内で昨年8月に女性会社員に暴行したとして、今年4月、大阪府淀川署は滋賀県の解体工の男を強姦容疑で再逮捕したことを毎日新聞は22日に報じた。異変に気づいた一部の乗客が男に怒鳴られ通報できなかったことも併せて書いた。
その後各方面から識者や一般市民からも、数多く意見や投書が寄せられた。そのいずれもが、男の理不尽を責め、沈黙したままだった乗客を半ば責めている。皆一様に正論でものを言っているが、最終的には現在の世の中の風潮を嘆くだけだ。
毎日新聞(5/14)から
先ず、◆中央大学法学部教授・猪口孝の意見。(子どものいじめがテーマ)
アジア諸国を対象に毎年、「アジア・バロメーター」という世論調査を行ってきた。03年の調査で、「道に迷っている人を見かけた時、助けるか」と尋ねたところ、「必ず助ける」と答えた人の割合が、調査した10カ国の中で最も低かったのが、日本で36%だった。一方、高かったのはミャンマーで80%、それから順にインド74%、中国68%、ウズベキスタン65%だった、という。日本人は他人の面倒にかかわることを好まず「見て見ぬふり」をすると当時の新聞でも報道された。その後の調査(06年)では日本人の「必ず助ける」の割合は53%になってはいる。
また、日本人の生活とくらべ、毎日の生活が信仰に結びついているヒンズー教、イスラム教、小乗仏教の国で「助ける」ことは、具体的な善行を重ねることで幸福につながるという価値観のためと思われる。親が子どもを育てる上で、重点的な徳目にしていることは、中国、韓国、ベトナムでは「自立、勤勉、正直」の3つが重視されている。
一方、日本の親は圧倒的に「思いやり」だが、その対象は顔見知りに限られ、知らない人にまで広がっていなように見える。特急電車での強姦事件と、学校に広がるいじめ問題には、共通の背景がある。権力と、秩序の不在だと猪口教授はいう。教室で「見て見ぬふり」をやめて行動を起したくても、自分が巻き込まれ、いじめ被害に遭うかもしれない。先生がいじめを解決してくれる保証もない。先生だっていじめを「見て見ぬふり」する時代だから。
特急電車の強姦事件も同じ。巻き込まれるのが怖い、面倒だ、時間がない・・・。周囲が通報すらできなかった理由はさまざまでしょう。プライバシーを重んじる時代に「勘違いで通報したら大変」という危惧もあったはず。今、多くの市民がこのような事態を前に立ちすくみ、行動できずにいるのではないでしょうか。正義感や連帯感も著しく劣化している。「見て見ぬふり」は犯罪を容認する行為ですから、結果的に、社会の犯罪を増やしてしまうのです。
この教授の結論は、やはり警察が犯罪を厳しく取り締り、市民が正義感を発揮しやすい社会にしなければいけないという。そして、アメリカはニューヨーク礼讃だ。ジュリアーニ市長が就任するまでは、年間2000件のマフィア同士の抗争があったのが、今ではほとんどゼロ。軽微な犯罪まで徹底的に取り締った結果だ、と。
《学者らしい全くの建前論だ。警察権力によるマフィアの抗争がほとんどゼロと、一般犯罪がゼロとは全く異なる。ブログで何度か取り上げた学園内の銃乱射事件一つ見ても、婦女誘拐にしても、殺人にしても、犯罪は日常茶飯事のように起っている。日本の警察以上にマフィアとの癒着もひどい。アメリカから犯罪がなくなれば、活劇、ギャング、犯罪映画が消え、映画館が寂しくなるだろう。》
◆作家の雨宮処凛の話(プロフィールでは32歳のはずだが、ベビー帽のようなものを顎で結んで妙な写真だ)
私自信も、見て見ぬふりをしてしまうことはあります。面倒に係わりたくない時、自分を守りたい時。でも、みんなそうじゃないでしょうか。例えば道ばたのホームレス。視界に入っているのに、見なかったことにしているでしょう?
中学校ではいじめられていた。でも、いじめっ子が支配する教室という空間で、次のターゲットを恐れ、見て見ぬふりをしたクラスメートも、被害者だと思っている。だって助けたくても見て見ぬふりをすることは、自分の弱さを認めることだがらその人たちも辛いはずです。
電車内の強姦事件についても乗り合わせた人はいろいろだったでしょう。「あの電車に乗った」と自慢話をした人もいただろうし、何もしなかった自分に今もなお苦しんでいる人もいるはずです。
私たちが《どうして「私が」じゃないの?何故、他人をわが陣地に引き入れて論理を展開して行こうとするの?そして結論を社会が悪い、とする。》、見て見ぬふりをしてしまうのは、社会への信頼がないからだと思う。見て見ぬふりをやめて、思い切って行動した時、周囲の皆が賛同したり、応援してくれると信じられないから。
それでも自分として誰かの命に係わること、もう一つは、社会を変えて行けば救える命がある時には見て見ぬふりはしたくないという。それはホームレスにいじめの問題だと。その行動の原動力は「怒り」だと思う。でも今の社会は普通に生きていると、怒れないようにできている。自己責任論が広がり、フリーターもひきこもりも、みな「自分が悪い」と思わされているから。家庭内暴力も、自分や家族に怒りをぶつけているわけで、怒る先を間違えているんだと思う。
派遣社員やフリーターなど、不安定な労働条件を強いられた労働者が「非正社員を使い捨てするな」「時給を上げろ」などとデモをしたが、これに対して「怒る暇があったら自分でスキルしろ」などと批判する人もまだ多いんです。弱い相手には怒り、強い相手の前では見て見ぬふり、そういう人が多すぎます。見て見ぬふりをしないために、私はもっと怒ろうと思う。怒りを感じられるようになるため、もっと学ぼうと思う。だって、情報や知識がなければ、怒れないから。
《社会から「自分が悪い」と思わされているから、よくならないんだなんて滑稽な理論だ。社会が悪いことにしておけば、考えることをしないでもよいし、責任を取る必要もない。自分自身をみつめることもない。反省もないし、進歩も生まれない。》
-- つづく --
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