生体移植と謝礼の是非
毎日新聞(5/29)から
WHO(世界保健機関)によると、脳死、心停止後の提供は慢性的に不足し、世界で実施されている臓器移植の約半数は生体からの提供となっている。また、先進国から途上国への渡航移植が増加する傾向にある。フィリピンでは生体ドナーからの腎臓移植に関し、事実上売買を公的に認める制度を検討している。
このため、国際移植学会は生体移植に関する会議の開催を決定した。同学会は現在は臓器売買を禁止しているが、今後、ドナーの人間の尊厳を侵害しない範囲での経済的支援が可能かどうかから検討し、世界の生体移植の標準化(ドナーへの謝礼の是非も含めたルール作り)を図る方向であることが、29日の同日の日本移植学会理事会で報告された。
アジア地域では、今年12月にドバイで生体移植に関する会議を開き検討を始める予定だ。脳死、心停止後の臓器提供が伸び悩み、臓器売買や渡航移植が問題となっているため、生体ドナーの確保と保護の両立を目指すということのようだ。
《人の命を神からの授かりものとして生きていた頃には、怪我や病気で死ぬことはその人のさだめ、寿命として受け入れ、そのためにこそ、神や佛への篤い信仰心を持つことで、病を得ることも、死をも受け止めることができた。医学の進歩は他人の命を金で買う(尊厳や、いのちを口にしたところで)ことのできるものとして、臓器を取り替えることで神を頼る必要がなくなった。》
会議では、ドナーに経済的支援をする場合の容認される範囲などが協議のテーマとして想定されるという。また、フィリピンの新制度案のように、特定の地域でドナーに対する経済的支援を導入した場合、近隣国への影響があるかどうかも検討することになる。
日本移植学会を代表して参加する小林英司・自治医科大教授は「(臓器売買が禁止されていないフィリピンなど)アジア各国の国情を考慮しなければならないが、生体移植は健康な人の体にメスを入れる行為。(ドナーへの経済的支援の導入など)安易に拡大の方向にならないよう討議していきたい」としている。
《移植の対象が腎臓だけなら、一対あるものから一つを切り離しても、普通に健康な人間なら生きて行くのに不都合はない。若しも生体移植が制度化されようものなら、今でも金さえあればアメリカくんだりまでも渡航して手術を受ける人間が後を断たない状況だ。今度は生体移植となれば、世界中からフィリピンへ流れが移動することだろう。生きるためには腎臓を売るしかないフィリピンの人たちの気持ちなど、哀れむものもいまい、お構いなしに金を積むことだろう。金が無いと生きていけない人、金を出して命を永らえたい人、需給バランスがつり合うことは到底無いだろうが。
それに、何をどう取り締ろうと、抜け駆けや、隠れてする行為がなくなることはないだろう。》
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