沖縄戦
昨年はただの1行の記事も書くことなく無視した「特別な一日」(沖縄戦戦没者慰霊の日)のことを毎日新聞が、今年は社説まで書いている。題して〈「沖縄戦」捨て石の無念と不信は今も消えない〉と。文部科学省の教科書問題、「集団自決は日本軍の命令ではなかった」で取り上げられなければ、今年も無視する予定であったろう。
教科書検定の日本軍の「強制」削除は「明治は遠くなりにけり」で歴史を遠くへ追いやり「昭和の日」を設けては、忌わしい戦争の歴史を有耶無耶にしようとした上に、唯一地上戦の被害を受けた沖縄の実態までも、ねじ曲げようとする為政者の作意を感じる。戦争を知らない世代の安倍が狙う戦争への回帰だ。私の世代には‘昭和’は‘戦争’と同義語にも似た他国への侵略に明け暮れた時代であった。その傷跡は、北方に、南方に、まだ還らぬ遺骨が数多く眠ったままだ。もっと若い世代にはそれら南の島々は、単なる楽園の島となっていて、浜辺にも埋もれる日本兵の遺骸があることに思いを馳せることもなく、その上で戯れているのが実情だ。その一番近い南の島が沖縄だ。今日、安倍は慰霊の行事に参加するため沖縄入りしている。
戦争を指揮した戦犯が間違って祀られている靖国、そこに頭を垂れに行くことに躊躇しない安倍に、戦争の被害者である沖縄の人たちの慰霊祭で同じ頭を垂れて、心が通じると考えるのだろうか。落ち目になった安倍の悪あがきのジェスチャーでしかない。
日本人であれば誰でも知っていよう。沖縄といえば出てくるのは現代では日本最大の米軍基地、それにひめゆり部隊(ひめゆり学徒隊)の名だ。ひめゆり*に隠れているが、同じく戦争の犠牲になった沖縄師範学校男子部と県立第一、第二、第三中学校を始めとする戦死者890人(動員数1780人)にのぼる9校の男子生徒たちで構成された鉄血勤皇隊**がある。
*ひめゆり・・沖縄県立第一高等女学校(一高女)の広報誌「乙姫」と沖縄師範学校女子部の広報誌「白百合」を併せて「姫百合」となったものである。
よく知られているように、両校の女子生徒222人と引率教師18名の合計240名からなる学徒隊は沖縄陸軍病院の看護要員として3月23日、動員された。硫黄島を占領した勢いの米軍が上陸(3月26日、慶良間諸島に上陸開始)する直前のことだ。その後4カ月余りで原子爆弾は落ち、日本は敗戦を迎える。敗色濃くなった日本軍は、行く場所さえない彼女たちを6月18日、軍命令で解散させる。軍から見放され、行き場を探して逃げ惑う彼女たちは、火焔放射器で洞窟を焼き払って(49人が洞窟内で自決)進む米軍の餌食になって死んで行く。日本軍が見放してからの数日間に(19〜ほぼ一週間)80%のものが死亡し、教師、生徒併せて136人が尊い命を落としている。
現在の中高生たちにはぴんと来ないかも知れないが、当時の高等女学校は、小学校から受験して入学する制度になっていた。現在で云う受験のある中学校だ。そして師範学校はその高等女学校(中学)卒から入れる3年制(予科)と2年制(本科)とがあった。
これで少しは理解できるだろう、ひめゆり部隊の女生徒たちの年齢と、学徒動員されて戦に加わった挙げ句、見放されて逃げ惑うことが如何に悲惨な現実であったかということが。
**同じように「鉄血勤皇隊」の男子生徒たちの年齢も思春期真っ盛りだ。徴兵年齢を引き下げる義勇兵役法が発布(6月23日)される以前の3月31日、13〜19歳の彼らは日本軍に編入される。伝令、通信、切り込み、爆雷(急造の木箱に火薬を詰め、背中にしょって)の特攻を行った。《いま、中東で頻りに行われている少年が混じる自爆テロと同じだ。》
動員数 戦死者
沖縄師範学校 386 224
県立第一中学校 371 210
県立第二中学校 144 127
県立第三中学校 363 37
県立工業学校 94 85
県立農林学校 173 41
県立水産学校 49 23
那覇私立商業学校 99 72
開南中学校 81 70
県立八重山中学校 20 1
合 計 1780(人) 890(人)
(当時の旧制中学校だからすべて受験があった)
こうして女児男児を巻き込んだ沖縄戦は6月23日、日本軍の全滅で終わった。
蛇足のようだが毎日新聞の社説を見てみよう。
「国の中央がかじ取りを失ったような無責任の連鎖状態の中で、沖縄は文字どおり「捨て石」として放棄された。現地でも軍には住民の保護、安全確保という発想や態勢が極めて乏しかった。62年前に沖縄の人々が味わった絶望と孤立無援の恐怖、死地へ押し出される無念。それを想像、実感することはたやすくないが、今生きる私たちがそれに鈍感であってはならない。23日の式典に参列する安倍晋三首相はそのことを霊と県民に語りかけてほしい。」
《昨年は一顧(いっこ)だにしなかった新聞社、思い出したような社説を書いてみても説得力はない。日本を危ない方向へ舵を切っている安倍、彼の言葉の裏、頭の中に隠されている好戦的な思想をあぶり出すようなもっと力強い反権力の論調を日頃から途切れないように書いてほしいものだ。》
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