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2007年6月30日 (土)

<ミイラ>の素性特定

木乃伊と書いてミイラと読む。私たちの世代には懐かしい漢字だ。はっきりと「みいら」のイメージが湧く。ワープロソフトも一字一字拾わなければ変換してくれないものもあるようだ。

さて、この木乃伊、今からおよそ100年ほど前(1903)に、南部ルクソールの「王家の谷」で発見された2体のうちの1体だが、この木乃伊の発見からほぼ20年後の1922年に、世界の考古学界に驚きをもたらしたツタンカーメン王の木乃伊を発見したイギリスの考古学者.ハワード・カーターが同じく発見していたものだった。その木乃伊の主をこの度エジプト考古庁局長・ザヒ・ハワス氏が27日、ハトシェプスト女王と特定したと発表した。局長は「ツタンカーメン王の木乃伊発見以来、最も重要な発見の一つ」と強調した。しかし、発見当初は発掘した墓が小規模で粗末であったため、さほど重要なものとは看做さないままに保管されていたものだった。

局長らのチームが、木乃伊や所蔵品を調査したところ、1881年に別の墓から発見されたハトシェプスト女王の名前が刻まれた箱にあった臼歯と、1903年発見の木乃伊の歯茎の穴が一致した。また、木乃伊のDNA(デオキシリボ核酸)と、女王の父親にあたるトトメス一世や、祖母にあたる人物の木乃伊のDNAも極めて似ていたという。木乃伊のハトシェプスト女王は太り気味で虫歯があり、糖尿病に苦しんでいたようだ。彼女の後継のトトメス3世との不仲説から謀殺説もあったが、木乃伊の調査からは癌が原因で50歳前後の死亡したものだという。

ハトシェプスト女王は第18王朝第5代で、「ファラオ」の称号を持つ古代エジプトの数少ない女王として知られている。トトメス2世と結婚したが、彼の死後トトメス3世の摂政として実験を握り、後に自ら女王に即位している。彼女は常にヒゲを貯えた男装スタイルで彫像や絵が残されており、長い間女性とは知られていなかった。

ハトシェプスト女王の名を記憶にとどめるのは、古代エジプトの女王としては勿論だが、ちょうど10年前のことだ、1997年11月17日午前9時(現地時間)ごろ、「王家の谷」(ルクソール)にある女王の葬祭殿(ハトシェプスト女王が父王トトメス1世と自らのために建てた)の前で、外国人観光客ら200名が待ち伏せていたテロリスト6人の襲撃にあい、スイス人、ドイツ人、日本人(10名)ら61人が殺害された事件があった。犯人たちは銃撃しながら逃走を図ったが、最終的には全員射殺されて終わった。

テロのために、エジプトの外国からの観光客が目に見えて減少して行った。相次ぐテロに対する責任を取らせるため、治安担当の内務大臣の更迭を行い、テロ組織の掃討作戦を実行したため、大規模なテロ事件の発生はこの事件以降沈静化したと見られている。

駆け足で古代エジプトの歴史を追ってみる。約3万年前、古代エジプト人の先祖が西アジア方面から移住し、ナイルの流域に定着した。紀元前5000年ごろ農耕のよる集落が生まれ、バダーリ文化が興る。♦先王朝時代(BC3500〜BC3100ごろ)象形文字のヒエログリフ(神聖文字)が使用され始め、(第1、2)♦初期王朝時代(BC3100〜BC2686)<第1、2王朝>上・下エジプトが統一、メンフィスを首都とする。ヒエログリフ文字体系が確立する。

♦古王朝時代(BC2686〜BC2181)<第3、4、5、6王朝>
 中央集権国家が確立し、われわれがよく知るピラミッドの建設が始まる。
   ジェセル王の階段ピラミッド
   スネフェル王の真正赤ピラミッド
   ギザの3大ピラミッド
♦第1中間期(BC2181〜BC2055)<第7、8、9、10王朝>
 中央集権国家の崩壊。墳墓の盗掘や破壊が行われる
♦中王国時代(BC2055〜BC1795)<第11、12王朝>
 ピラミッドの造営が再開される
♦第2中間期(BC1795〜BC1550)<第13から第17王朝>
 中央集権体制が崩壊し、アジアからの異民族集団ヒクソスが台頭、支配する。【1580、クレタにクノッソス王】
♦新王国時代・前期(BC1550〜BC1352)<第18王朝>
 アメンヘテプ1世が中央集権の官僚体制を確立する。トトメス2世の王妃ハトシェプストが初代女王となる。トトメス3世が王になり、エジプトの国土は最大になる
♦アマルナ時代(BC1352〜BC1336)
 アメンヘテプ4世が唯一神アテンを国家神とする宗教改革を行う。ツタンカーメンが政治の拠点をメンフィスに移す
♦新王国時代・後期(BC1336〜BC1069)<第19、20王朝>
 宗教改革が失敗に終わる。ラメセス1世、その子セティ1世が即位。国家は再び繁栄する。【BC1200年頃、トロイ戦争】
♦第3中間期(BC1069〜BC747)<第21、22、23王朝>
 テーベの神官が王権を主張し、国家が分裂する
♦末期王朝期(BC747〜BC332)<第24、25、26、27、28、29、30王朝>
 ヌビア軍のビアンキが王朝を興し、エジプトを統一。これ以降、アケメネス朝ペルシャの支配など、外国の支配を受けたエジプト人による王朝は終わる。
♦マケドニア時代(BC332〜BC305)
 マケドニアのアレクサンダー大王の支配下となる。
♦プトレマイオス朝(BC305〜BC30)
 プトレマイオスがアレキサンドリアで王に即位する。ローマ帝国に屈し、クレオパトラ7世*が自殺し、古代エジプト時代が終焉する。

*クレオパトラ7世(在位紀元前51年〜30年)
 イシス神を信奉する才女でギリシャ(マケドニア)系の古代エジプト王朝最後の女王。1996年11月世界を驚かせるニュースが駆け巡った。アレクサンドリア沖8メートルの海底で、約2000年前のものとみられるエジプトのプトレマイオス朝の王宮跡を発見!、クレオパトラの宮殿跡か、と。発掘は現在も続けられている。

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2007年6月29日 (金)

夫の収入10万円減ったら

毎日新聞(5/9)の紙面、面白い記事だな、と思っていたが後回しになった。
仕事と家庭の両立(ワーク・ライフ・バランス*)のために夫が就労時間を短縮し収入が月10万円減ると、妻の「夫婦関係満足度」は低下するが、それはどのように補えるか、というテーマで取組んだ研究結果が発表された。

*ワーク・ライフ・バランス—1990年代初頭に不景気にあったアメリカで考え出された取り組みで、一般に「仕事と私生活をバランスよく両立させること」を云う。

シカゴ大学社会学部教授の山口一男・経済産業研究所客員研究員が、仕事と家庭の両立と、夫婦関係満足度の関連を分析したところ、「平日の夫婦の会話時間を16分増やすこと」は妻にとって夫の収入が10万円増えるのと同じで、それが夫婦関係を円滑に営む対策の一つになるとの結果になった、というものだ。

この分析は、財団法人家計経済研究所の「消費生活に関するパネル調査」を基にしたものだ。調査は初回の93年当時に24〜34歳だった女性らに対し、家計や資産、夫婦間系の満足度、家事・育児や仕事などの時間を継続的に尋ねたもの。山口教授は01年までのデータを使い、妻の夫婦関係満足度に影響する要因とその度合いを調べた。

<妻の夫婦関係満足度に影響する要因とその関係>
  要因(影響度の大きい順)    影響
 夫婦の共有生活活動数の増加   上がる
 結婚継続年数の経過       下がる
 最初の子どもの誕生       下がる
 夫婦の平日の会話時間の増加   上がる
 夫婦の休日の共有時間の増加   上がる
 夫の失業            下がる
 夫の育児分担割合の増加     上がる
 世帯の預貯金・有価証券の増加  上がる
 夫の収入増           上がる

マイナス(下がる)の影響度が最も大きいのは結婚継続年数で、結婚期間が長くなるほど、妻の満足度が低下することがわかった。これに対し、プラス(上がる)の影響度が最も大きいのは、山口教授が独自に、平日の「食事」「くつろぎ」と、休日の「くつろぎ」「家事・育児」「趣味・娯楽・スポーツ」の計5活動で構成されるとした夫婦の「共有主要生活活動数」。この活動が増えれば、満足度が高まるという結果が出た。

山口教授はまた、夫婦関係の満足度と各要因との関係について、数式モデルを作成した。仕事と家庭の両立のために夫の就業時間が短縮して、月収10万円が減った場合に、妻の夫婦関係満足度の低下分をどう補えるかをはじき出した。結果は
 1、夫婦の平日の会話時間を一日当たり平均で16分増やす
 2、休日に妻が夫と大切に過ごしていると思う生活時間を1日当たり平均で54分増やす
 3、夫の育児分担割合を3%増加させる
 4、世帯の預貯金・有価証券を約130万円増やす
などだった。
同教授は「月10万円の多寡は家庭によって異なるため、あくまでも統計上の平均的な結果」と付け加えている。なお、妻の夫婦関係満足度は第1子出生時に大きく低下するものの、第2子以降は影響が見られなかったという。同時に第1子出生時の満足度の低下は、仕事を持っている妻よりも専業主婦の方が大きく表れたという。

同教授は毎月10万円の収入減になる生活について、その多寡を家庭によって異なる統計上の平均、と言い訳のような説明をしているが、夫との毎日の16分の会話、毎週1、2度の小1時間の共に過ごせる時間が共有出来ることで、生活必需品や、交友関係、近所付合いの範囲で欲しいものや垂涎のブランドものを諦めて、夫婦一緒にいることで満足する女性がどれだけいるのだろう。反対に、コマーシャルでも流れた多くの主婦の本音とも言える「亭主元気で留守がいい」の逆を行くようなもので、一緒の時間が増えるのは息が詰まるという夫婦もいるだろう。そして、例えば夫婦関係の満足度が低くなることは、昨今のように離婚が増え続けることの原因にもなるだろう。

妻の満足度が下がる第1子の誕生は、育児の仕事が増えることで十分考えられることであり、それはまた、第2子出生の主な障害となって少子化の要因の1つにもなるだろう。生活の基盤が夫だけの収入によるものなのか、共働き家庭なのかでも違ってくる。夫の10万円の収入減が、妻の収入との逆転現象を生むことも珍しいことではなくなる。そうなれば熟年離婚ばやりの現在のような世相からは、年金の分割も妻から夫へ行くケースが多くなることも考えられる。

結局はこの研究、フェミニズムを下敷きに中流以上の家庭を対象に、アメリカ生まれの分析・手法を使って世間受けする内容にまとめただけのものに見える。

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2007年6月28日 (木)

テレビも大騒ぎしなくなった 北朝鮮のミサイル発射

毎日新聞(6/28)の小さな小さな記事になった。タイトル「ミサイル2発北朝鮮が発射」の他に、たった8行。日本政府に27日入った連絡に拠ると、北朝鮮が同日午前と午後に短距離ミサイルを1発ずつ日本海に向けて発射した。政府筋は「日本の安全保障に影響はない」と話している、と。

まるで他人事の話になって来た。撃った数が少ないからか、日本海が日本を意味するものではないことがやっと理解できたのか、もう北朝鮮のミサイルには馴れたのか、それとも専守防衛で日本各地に自衛のための防衛基地が確立できる目安があるからか。

一方、参議院拉致問題特別委員会は28日午前、北朝鮮人権法改正案を自民、民主、公明3党の賛成多数で可決した。明日29日の本会議で成立する見通しだ。同法案は、北朝鮮の拉致問題が進展するまで、新たな支援を実施しないよう政府に歯止めをかける規定を追加するものだ、という。

片方では、国際原子力機関(IAEA)は27日、北朝鮮を訪朝中のハイノネン事務次長(査察担当)が、28日から2日間の日程で寧辺核施設を訪問することで、北朝鮮と合意したと明らかにした。本日午前、滞在先の平壌市内のホテルを出発したハイノネンは、寧辺の核施設視察に向かっている。2月13日の6カ国協議で合意した、同核施設の停止・封印作業を実施するための現状把握が狙いだ。IAEA当局者が寧辺を訪れるのは、02年12月、北朝鮮が常駐していた査察官を国外追放してから4年半ぶりになる。

日本が介入できないところで北朝鮮の核施設の停止・廃棄に向けた作業が着々と進行しており、北朝鮮の受け入れの動きに連れて各国の支援態勢も徐々に整えられて行こうとしている。拉致被害者たちがますます日本から遠く離されていこうとしているかに見えるのは私だけだろうか。

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2007年6月27日 (水)

破れかぶれの 安倍「私の内閣」

日本が拉致、拉致と唱え、具体的には何一つ手を打てない間に北朝鮮は、凍結されていた資金約30億円を確保した。早々と韓国は30日にも北朝鮮に向けてコメ40万トンを支援する。アメリカは6カ国協議の合意に基づく核廃棄に向けた初期措置を履行する場合、200万ドル相当の経済・エネルギー・人道的支援を行うことを報道した。日本は拉致問題の進展がない限り、北朝鮮への支援はしない方針だ。しかし、日本が拉致問題を持ち出さないところで北朝鮮の核廃棄は着々と進められている。日本を除く6カ国協議国が目的とする北朝鮮の核廃棄問題は、日本が持ち出す拉致問題によって、核問題の交渉を停滞させることになる危険性の方が極めて高い。

日本としては、拉致問題を6カ国協議の場に持ち込むのはどのようにすればいいのか、頭の痛いところだが、今日のアメリカ議会では、安倍の発言(広義の強制とか、軍隊が直接家の中にあがり、強制して女性を徴発したわけではないなど)から一層強ばらせた慰安婦問題が多数決で日本に謝罪を求めるよう議決された。

安倍にとっては泣きっ面に蜂の状態だ。国内的には年金問題を抱え、会期を延長してまで今国会で、何が何でも通過させたい法案がまだまだ数残ったままだ。そして遂に何をしていのか見失った結果、むちゃくちゃな結論で誤魔化すことを思い付いた。ちょうど62年前、第二次世界大戦に敗れた日本は、その戦争責任が取りざたされていた時の総理・東久邇の宮稔彦内閣<1945・8・17〜10・9>(皇族で陸軍大将=明治天皇の女婿・皇太后の叔父)がその責任を国民に向け、「一億国民総懺悔」を口にしたのと全く同じ、社会保険庁の全職員1万7000人を悪者にして、その彼らの責任として、賞与の一部返済を迫った。これでは国民の怒りの感情を逆撫でするようなもので、責任の所在を有耶無耶にして終わらせようとの魂胆が見え見えだ。

毎日新聞(6/27)も書いているように、近づいた選挙向けのパフォーマンスに心を砕くより、政府が今やらなければならないことは、はっきりしている。として次のことを挙げる。
 ♦保険料を払ったはずなのに年金記録が残っていない人をいかにして救済するか
 ♦誰に帰属するか分かっていない宙に浮いた記録を早急に統合させる
 ♦原因の究明と責任の所在を明らかにする
ことだ、ボーナスの返納よりこちらの方が優先度が高いし、国民もそう望んでいるはずだ、と。

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2007年6月26日 (火)

アル中三笠宮殿下 入院

各紙が報じている。ひげの殿下(61)が3月から宮内庁病院で重度の不眠や食べ物が喉を通らないなどの治療のため入退院を繰り返していたが、宮邸での静養では改善が見込まれないと判断した。22日宮内庁は彼がアルコール依存症であることを発表し、今後少なくとも1カ月以上宮内庁病院に入院、国立病院機構久里浜アルコール症センター(神奈川県横須賀市)の樋口進副院長を中心とした医療チームが治療に当ると述べた。

61歳にもなって己を律することもできず、若い頃よりの酒浸りで日を過ごすなど呆れるばかりだ。私の世代には依存症などと云うハイカラな病名はなかった。いわく、アル中(慢性アルコール中毒)そのものだ。なぜ、アル中という言葉がなくなったかというと、酒浸りを侮蔑したり酒飲み自身が自己卑下して使う差別的表現と看做されるようになったからに過ぎない。そのために現在では依存症と中毒とは別、ということにしようということになった。中毒とは所謂酒盛りシーズン(入学・卒業、入社、花見、年末、年始など)になるとばか騒ぎで行う一気飲みにのような短時間の飲酒によって起る症状を中毒とする、ということらしい。いかにも酒飲み天国日本の酒飲みに甘い考え方だ。

酒はドラッグであることを、世界保健機構が分りやすく説いている。参照「酒とタバコ」その三

そう云えば酒飲み殿下が酔った頭で考えたのが、例の女性天皇容認論への反対論だ。「万世一系、125代の天子様の皇統が貴重な理由は、神話の時代から初代神武天皇*から連綿として1度の例外もなく、「男系」で続いて来ているという厳然たる事実」などと、時代錯誤の言辞を弄し、独自の歴史観を披露してみせた。歴史の見方は拠って立つ思想や知識、学閥派閥、或いは出自によって千差万別だ、彼がどのように考えようと、憲法で認める表現の自由というものだ。そして自己の主張から「国民1人1人が、我が国を形成する「民草」**の一員として、2665年***の歴史と伝統に対しきちんと意見を持ち発言して戴かなければ、いつの日か、「天皇」はいらないという議論にまで発展するでしょう」と結んでいる。(福祉団体、「柏朋会」の会報「ざ・とど」、Wikipediaより)

*神武天皇・日本古代の初代天皇とされる。紀元前660年。

**民草で思い出すのは小学校で習った聖徳太子(574年〜)が高殿から村を眺め、民草の竈から立ちのぼる煙りを眺めて詠んだうたのことだ。民草(たみくさ)とはお上から見た平民のことで、民(人民)の増えるのを草に例えて云う語である。太子は次のように詠んだ。
「高き屋に上りて見れば煙り立つ 民の竈(かまど)は賑わいにけり」と。

***2665(皇紀)年・神武天皇が即位の式をあげてからの年数。

また、太子を遡ること261年、第16代天皇仁徳(313年〜)も同じく竈の煙りから民草を詠んでいるようだが、こちらは竈の煙りがちらほらで、乏しいことから民草が疲弊していることを思いやり、租税の取り立てを免除し、宮殿の屋根の葺き替えさえしなかった、と慈悲深いことを教えた。

アル中殿下は日本が戦争に負けたことも、憲法が新しくつくられ、主権在民になったことも理解できていないらしい。今でもお上には平身低頭、土下座することを求める彼にとっては古き良き時代で時間が止まったままを生きているようだ。

《現在、聖徳太子が非実在の人物である、との学説で日本歴史に一石を投じている大山教授という人がいる。彼は天皇家の万世一系にも疑問を呈している。》

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2007年6月25日 (月)

日本 ますます蚊帳の外に

今日6月25日、夕飯どきのテレビニュースで北朝鮮の朝鮮中央通信が、「資金問題は解決した」と表明したことを伝えた。
 マカオの銀行で凍結されていた2500万ドル(約30億円)の北朝鮮関連の資金について25日、北朝鮮側が初めて、「問題は解決した」と表明した。北朝鮮外務省の報道官は25日、マカオの銀行バンコ・デルタ・アジアで凍結されていた北朝鮮関連資金について、「われわれの要求どおり送金されたことで、資金問題が解決した」と言明した。さらに、われわれも行動対行動の原則に従い、2月の6カ国協議の合意履行に入るだろう」と述べ、「その一環として、26日からピョンヤンでIAEA*の実務代表団と、核施設の稼動制止・監視に関連した協議を行う」と表明した。

*IAEA・International Atomic Energy Agency(国際原子力機関)
 原子力の平和利用を促進し、軍事転用されないための保障措置の実施をする国際機関。

これを受けて安倍が早速テレビで「北朝鮮はなお、拉致問題を解決してこそ国際社会の一員として復帰することが可能なのだ」と語ったが、全く精彩を欠いた表情に見えた。

それもそのはずだ、アメリカ頼みの伝言外交で、こう云って、ああ云っての言づてを運んでもらう以上のことをしたことがない。そのことでアメリカは結果はどうあれ、言づてを運べば責任は果たしたことになる。そのような日本をしり目に北朝鮮核問題をめぐる6カ国協議で合意した「初期段階措置」としての北朝鮮核施設の停止・封印が実施される可能性が高くなったのだ。これで日本が拘(こだ)わる拉致問題の解決はますます遠退くことは必至だろう。

毎日新聞(6/25夕刊)から
6カ国協議で合意した北朝鮮の停止・封印される寧辺核施設は、5000キロワット黒鉛減速炉と放射化学研究所(核燃料再処理施設)の2施設となる可能性が高いことが25日分かった。寧辺には2施設の他核燃料加工施設や核廃棄物貯蔵施設などもあり、どの施設が停止・封印されるかが焦点の一つになている。北朝鮮を除く6カ国協議参加国は「黒鉛減速炉と再処理施設の停止・封印が最優先」(協議筋)との認識で一致しており、最終調整を続けている。

両施設の停止・封印が実施されれば、北朝鮮が核兵器の製造に使用したプルトニウムの増産は不可能になる。しかし、寧辺の核施設は事実上、軍が管理しており、外交当局と軍の見解は必ずしも一致しないとの見方もあって北朝鮮の対応はなお不透明だとも云われる。

停止・封印対象となる核施設やその手法は、26日に平壌入りするIAEA実務代表団と北朝鮮当局の協議で決まることになる。
 94年の米朝枠組合意が下敷きになるとみられ、同合意では両施設の他
 ♦核燃料加工施設
 ♦建設中の5万キロワット黒鉛減速炉
 ♦泰川で建設中の20万キロワット黒鉛減速炉
の計5施設が稼動・建設凍結の対象になった。うち、黒鉛減速炉2ケ所は94年以後に建設が中断されている。

北朝鮮を除く5カ国にとって5000キロワット黒鉛減速炉と核燃料再処理施設の停止・封印は譲れない一線だが、核燃料加工施設については「扱う核物質の量が多く、停止・封印の作業量が増えるほか、北朝鮮との調整に時間がかかる可能性もある」と分析している。もし、核燃料加工施設も停止・封印されれば、黒鉛減速炉への新たな燃料供給が不可能となり、プルトニウムの増産阻止がより確実なものになる。米韓両国には、北朝鮮が受け入れ可能な施設だけを停止・封印して実績を作り、施設の無能力化に向けた次の段階の協議に入りたいとの思惑もある。IAEAは北朝鮮との協議結果をIAEA理事会に報告する。承認が得られれば改めて停止・封印作業のために査察団を派遣し、7月中に停止・封印作業を終える方針だ。

だが、北朝鮮には他にも多数の核施設があり、次回6カ国協議では、「次の段階」の中身が焦点となる。

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2007年6月24日 (日)

第2期 日韓歴史共同研究

毎日新聞(6/23)から
日韓両国の学識経験者による第2期「日韓歴史共同研究」の初の全体会合が23日、東京都内のホテルで開かれた。原則2年後をめどに研究成果をまとめる「努力目標」を確認したが、韓国側の求めで新設した「教科書小グループ」など各分科会での研究テーマを決めることはできなかった。次回は11月24日にソウルで開くことも決めた。

日本側座長の鳥海靖東大名誉教授は取材に対し「目標は原則2年だが、拙速を避けるため、もう少しかかるかもしれない」と語った。

日韓歴史共同研究は02年、歴史認識問題の解消を目指して第1期がスタート。1910年の日韓併合条約が有効か無効かをめぐり意見がまとまらず、05年にまとめた報告書では双方の歴史認識に対する相違点が併記されたものになった。さらに、教科書を研究対象にしなかったことに韓国側で不満が出たため、05年の日韓首脳会談で、第2期共同研究で教科書を取り上げることになった。

23日は教科書小グループの初会合も開かれ、2009年夏をめどに報告書をまとめることなどを決めた。読売によると、日韓双方から17名ずつのメンバーが出席し
 ♦古代史、中近代史、近現代史の3分科会と研究テーマの早急な決定
 ♦次回全体会議は11月にソウルで開催することでも合意した。

歴史共同研究は日中間でも進められるが、例えば従軍慰安婦問題をめぐる安倍晋三首相発言について、中国側が改善しつつある日中政治対話の影響で冷静な姿勢を保つのに対し韓国側は強く反発するなど、政治関係が色濃く反映しがちになる。また、日本が‘朝鮮’を植民地とした時、朝鮮総督府からごっそり持ち出した「朝鮮王朝実録」を収蔵していた東京大学は、関東大震災で大部分を消失させ、僅かに残った部数を昨年‘韓国’へ『寄贈』する、と発表した。事実は略奪したものの『返還』でなければならないはずだが、韓国側は折れて寄贈を受けることで受け取った。これも通史の中ではどのように認識され、書かれることになるのだろうか。

先に4月、10年がかりで日韓両国の歴史研究者や教員が編集した「日韓歴史共通教材-先史から現代まで」(日本語版元・明石書店)についてはブログで取り上げた。併せて参照されたい。

参照「朝鮮王朝実録」寄贈か返還か 06/06/12

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2007年6月23日 (土)

沖縄戦

昨年はただの1行の記事も書くことなく無視した「特別な一日」(沖縄戦戦没者慰霊の日)のことを毎日新聞が、今年は社説まで書いている。題して〈「沖縄戦」捨て石の無念と不信は今も消えない〉と。文部科学省の教科書問題、「集団自決は日本軍の命令ではなかった」で取り上げられなければ、今年も無視する予定であったろう。

教科書検定の日本軍の「強制」削除は「明治は遠くなりにけり」で歴史を遠くへ追いやり「昭和の日」を設けては、忌わしい戦争の歴史を有耶無耶にしようとした上に、唯一地上戦の被害を受けた沖縄の実態までも、ねじ曲げようとする為政者の作意を感じる。戦争を知らない世代の安倍が狙う戦争への回帰だ。私の世代には‘昭和’は‘戦争’と同義語にも似た他国への侵略に明け暮れた時代であった。その傷跡は、北方に、南方に、まだ還らぬ遺骨が数多く眠ったままだ。もっと若い世代にはそれら南の島々は、単なる楽園の島となっていて、浜辺にも埋もれる日本兵の遺骸があることに思いを馳せることもなく、その上で戯れているのが実情だ。その一番近い南の島が沖縄だ。今日、安倍は慰霊の行事に参加するため沖縄入りしている。

戦争を指揮した戦犯が間違って祀られている靖国、そこに頭を垂れに行くことに躊躇しない安倍に、戦争の被害者である沖縄の人たちの慰霊祭で同じ頭を垂れて、心が通じると考えるのだろうか。落ち目になった安倍の悪あがきのジェスチャーでしかない。

日本人であれば誰でも知っていよう。沖縄といえば出てくるのは現代では日本最大の米軍基地、それにひめゆり部隊(ひめゆり学徒隊)の名だ。ひめゆり*に隠れているが、同じく戦争の犠牲になった沖縄師範学校男子部と県立第一、第二、第三中学校を始めとする戦死者890人(動員数1780人)にのぼる9校の男子生徒たちで構成された鉄血勤皇隊**がある。

 *ひめゆり・・沖縄県立第一高等女学校(一高女)の広報誌「乙姫」と沖縄師範学校女子部の広報誌「白百合」を併せて「姫百合」となったものである。

よく知られているように、両校の女子生徒222人と引率教師18名の合計240名からなる学徒隊は沖縄陸軍病院の看護要員として3月23日、動員された。硫黄島を占領した勢いの米軍が上陸(3月26日、慶良間諸島に上陸開始)する直前のことだ。その後4カ月余りで原子爆弾は落ち、日本は敗戦を迎える。敗色濃くなった日本軍は、行く場所さえない彼女たちを6月18日、軍命令で解散させる。軍から見放され、行き場を探して逃げ惑う彼女たちは、火焔放射器で洞窟を焼き払って(49人が洞窟内で自決)進む米軍の餌食になって死んで行く。日本軍が見放してからの数日間に(19〜ほぼ一週間)80%のものが死亡し、教師、生徒併せて136人が尊い命を落としている。

現在の中高生たちにはぴんと来ないかも知れないが、当時の高等女学校は、小学校から受験して入学する制度になっていた。現在で云う受験のある中学校だ。そして師範学校はその高等女学校(中学)卒から入れる3年制(予科)と2年制(本科)とがあった。

これで少しは理解できるだろう、ひめゆり部隊の女生徒たちの年齢と、学徒動員されて戦に加わった挙げ句、見放されて逃げ惑うことが如何に悲惨な現実であったかということが。

 **同じように「鉄血勤皇隊」の男子生徒たちの年齢も思春期真っ盛りだ。徴兵年齢を引き下げる義勇兵役法が発布(6月23日)される以前の3月31日、13〜19歳の彼らは日本軍に編入される。伝令、通信、切り込み、爆雷(急造の木箱に火薬を詰め、背中にしょって)の特攻を行った。《いま、中東で頻りに行われている少年が混じる自爆テロと同じだ。》
           動員数    戦死者
  沖縄師範学校   386     224
  県立第一中学校  371     210
  県立第二中学校  144     127
  県立第三中学校  363      37
  県立工業学校    94      85
  県立農林学校   173      41
  県立水産学校    49      23
  那覇私立商業学校  99      72
  開南中学校     81      70
  県立八重山中学校  20      1
   合 計     1780(人) 890(人)
 (当時の旧制中学校だからすべて受験があった)

こうして女児男児を巻き込んだ沖縄戦は6月23日、日本軍の全滅で終わった。

蛇足のようだが毎日新聞の社説を見てみよう。
「国の中央がかじ取りを失ったような無責任の連鎖状態の中で、沖縄は文字どおり「捨て石」として放棄された。現地でも軍には住民の保護、安全確保という発想や態勢が極めて乏しかった。62年前に沖縄の人々が味わった絶望と孤立無援の恐怖、死地へ押し出される無念。それを想像、実感することはたやすくないが、今生きる私たちがそれに鈍感であってはならない。23日の式典に参列する安倍晋三首相はそのことを霊と県民に語りかけてほしい。」

《昨年は一顧(いっこ)だにしなかった新聞社、思い出したような社説を書いてみても説得力はない。日本を危ない方向へ舵を切っている安倍、彼の言葉の裏、頭の中に隠されている好戦的な思想をあぶり出すようなもっと力強い反権力の論調を日頃から途切れないように書いてほしいものだ。》

参照 特別な1日 06/06/23
参照 「昭和の日」って? 07/04/29

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2007年6月22日 (金)

やっぱり? 離婚増加

毎日新聞(6/21)から
厚生労働省が20日公表した4月の人口動態統計速報によると、4月を含めた過去1年分(06年5〜07年4月)の累積離婚件数は、3月(06年4〜07年3月)に比べ、1349件増の25万9064件となり、1年ぶりに増加に転じた。厚労省は「今年4月にスタートした厚生年金の離婚時分割以外に原因は考えにくい」と分析している。

離婚件数の推移(平成18年、人口動態統計より)

  年次   離婚件数
 1975   11万9135
 1985   16万6640
 1995   19万9016
 1996   20万6955
 1997   22万2635
 1998   24万3183
 1999   25万0529
 2000   26万5246
 2001   28万5911
 2002   28万9836
 2003   28万3854
 2004   27万0804
 2005   26万1917
 2006   25万7484*(概数)

過去1年分の年間離婚件数は06年3月26万7027件に達したあと減少に転じていた。とりわけ06年8月以降減少幅が大きくなり、07年3月は25万7715件にまで減っていた。理由について厚労省は「昨年8月に『社会保険超庁が年金の離婚時分割額の通知を始める』と報道され、離婚を先延ばしした人が多かったことが考えられる」と云う。

単月でみると、今年4月は前年同月日1349件増の2万3355件となったものの、3月(2万6485件)に比べれば減っている。元来3月は離婚の多い時期で、厚労省は「季節変動の影響を排除できる過去1年の累積値で4月分の離婚数が増えた以上、年金分割の影響以外考えもくい」と説明している。

また、4月の出生数は前年同月比で3カ月連続減の8万8758人。ただ1〜4月の累計出生数は前年同月比0・3%減とほぼ横這いで、厚労省は「出産年齢層の女性数が出生数より減っていることを考えると、女性1人が産む子ども数を示す合計特殊出生率は上昇しているはずだ」と見ている。

《離婚後の年金需給は専業主婦には不利ということで、妻が専業主婦であった場合でも、夫が安心して働くことができ、厚生年金を納付できたのは妻の内助の功、つまり夫婦共同で年金を納付した、という考え方が考慮されたのが4月1日からスタートした今回の制度だが、続いて二段階で2008(平成20)年4月から「離婚時の第3号被保険者期間についての厚生年金の分割制度」が導入されることになった。

これは「被扶養配偶者(3号)*を有する第2号被保険者**が負担した年金保険料については、夫婦が共同して負担したものであることを基本的認識とする」とする法律である。

*「被扶養配偶者(3号)」とはサラリーマンや公務員・教職員に扶養されている家族、ここでいうのは専業主婦のこと
**「第2号被保険者」とは、民間企業のサラリーマンや公務員・私立学校教職員などの、給与所得者をいう

2008(平成20)年4月以降の婚姻期間中にサラリーマンの妻であった場合、厚生年金保険料は夫婦共同で負担し納付したものと看做されるようになった。そしてこの場合、離婚時に夫婦間の合意がなくても、一方からの請求によって自動的に夫婦の厚生年金が2分の1になり、本人名義の年金として受給できることになるものだ。

そかし、この年金分割制度が適用されるのは厚生年金の分割制度が施行された後の離婚であっても、「2008(平成20)年4月以降の婚姻期間」のみで、4月以前の婚姻期間に遡って自動的に分割されるものではない。

今回の制度のスタートに当って、想定外に、思ったよりも分割が少なく、がっかりする人もいるようだし、そのつもりでの離婚後の生活設計に、しまった、と戸惑っている人もいるだろう。そして、次の第2段階の分割制度まで何となく気まずい気分でずるずると、損得の金銭のためだけの婚姻関係を続ける人もいることだろう。親の決めた結婚で、無理に夫婦になった世代ではない人たちが多い中、なぜ、こうも離婚に走りたがるのだろう。》

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2007年6月21日 (木)

蚊帳の外の日本外交

毎日新聞(6/21)から
北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議で米主席代表を務めるヒル国務次官補は21日午前、訪問中の日本から北朝鮮に向かった。ライス米国務長官は同日朝、麻生外相に電話でヒル次官補の訪朝を伝えるとともに、訪朝後に再度日本を訪問し、結果を説明する考えを明らかにした。

ライス長官は電話協議で、ヒル次官補の訪朝を「6カ国協議について議論するため、短期間訪問する」と説明した。麻生は、ヒル次官補が今回の訪朝で
 ♦日本は02年の日朝平壌宣言にのっとり国交正常化を実現する用意がある
 ♦北朝鮮が拉致問題を含む日朝関係に正面から取り組むことを期待している
との日本の立場を北朝鮮に十分伝えるよう要請した。ライス長官は「間違いなく日朝関係に付いても提起する」と応じたという。

塩崎長官は会見で「日米間で北朝鮮問題の取り組みに付いて緊密に連携してきたが、今回の訪朝に関しても事前に調整を行った」と述べ、日米の連携がとれていることを強調している。

《2月合意では、北朝鮮の初期段階措置の履行に対し、他の5カ国が重油5万トン相当の支援を行うと規定。これに関しては早々と韓国が単独で支援することが決まった。米国は北朝鮮が核施設の稼働停止・封印など「初期段階措置」を履行した場合、米政府は見返りとして200万ドル(約2億4000万円)相当の緊急人道支援を行う方針であることが18日、分かった。米国は当初、重油5万トン相当の支援の一部として人道支援を行う考えであったが、「韓国は米国がこれほど迅速に支援に乗り出せるとは思わず、決めた単独支援であった」ため、2月合意の枠外で、独自に支援を行うことになったものだ。

一歩先へ出た韓国を見据え、同紙6月19日では、計画の検討に拘わった元米政府高官は「初期段階で支援を行うのは、米国の2月合意への関与を示すことが目的だ」と説明する。米国には支援により北朝鮮に核放棄への取り組み強化を促したい思惑がある。米国は3月の6カ国協議の経済・エネルギー支援作業部会で「非政府組織(NGO)を通じて北朝鮮の病院などに小型発電機を贈ることを検討している」と表明した。

一方、日本は独自の交渉ルートを持たないまま、「拉致問題は解決済み」とする北朝鮮に真正面から拉致問題をぶつけて火花を散らすだけだ。日本は解決能力がないままに、北朝鮮を訪問するヒル次官補に「なんとか取り次いで欲しい」と頼み込んだ。日本国内は相変わらず数を頼みの衆愚政治が続いているが、6カ国協議が今後前進した場合、積極的な支援に転じた米国と拉致問題の進展がない限り支援に参加しない方針の日本との溝は一層鮮明になりそうだ。

このまま無為無策でずっと蚊帳の外で時が過ぎるだけなのか(この場合、拉致にあった人たちは永久に日本には帰れまい)、「牛に引かれて善光寺参り」よろしく、アメリカさんの尻についてご利益を期待するのみか。》

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2007年6月20日 (水)

北朝鮮ミサイル発射

毎日新聞(6/20)から
日本政府に19日入った連絡によると、北朝鮮が同日、東海岸から日本海に向けてミサイル1発を発射した。近海に着弾したとみられる。防衛省主脳は記者団に「地対艦ミサイルを発射したとの報告を受けている」と述べており、射程距離100キロ未満の地対艦ミサイル「シルクワーム」かその改良型とみられる。政府は通常の軍事訓練とみて静観する構えだ。

《昨年の7月5日北朝鮮が打ち上げた7発の線香花火のようなミサイルの時もそうであったが、今回も活字は「日本海に向けて」と書く。その活字を目にする人は、どうしても「日本に向けて」と勝手に想像して読み取る。政府が仮想敵北朝鮮に対して国民の反北朝鮮感情を煽るには格好の見出しになる。早速声高に“危ない、危ない”を連発し、即座に集団的自衛権を勝ち取り、手っ取り早い防衛基地化を始めた。ところがその実は、すべて北朝鮮の打ち上げたミサイルは、日本に向けて打ったものは1発もない。すべてが自国北朝鮮の沿岸か、届いてソビエト沿岸の海中に沈んでいる。先日の黄海に向けて1発自国沿岸に2、3発の時も「日本海に向けて」と書いた。そして昨日19日、1発の花火が北朝鮮沿岸に沈んだ。

今回の政府の静まり返った対応は異様だ。昨年7月の国を上げて気狂い騒ぎになった狙いは、どう考えても、戦争をしたい連中の集団的自衛権の獲得でしかなかったとみる。すでに迎撃ミサイル基地として埼玉県の自衛隊入間基地にPAC3を装備する迎撃ミサイル基地を設置、22年までには日本国内に10ケ所の迎撃ミサイルを配備する計画だ。その後の北朝鮮のポン、ポンと打ち上げる花火には、安倍もあの麻生も久間(彼は庁の省への格上げで長官から初代大臣になった)も何も云わない。「静観する」だけだ。云う必要もないことを承知しているからだ。これからは、自衛隊の基地にどんどんPAC3を配備するだけで念願は叶う。昨年7発を打ち上げてから後のものは、北朝鮮自身、屑鉄程度の処理に困った不良品の海洋投棄であって、軍事訓練にも当らないものだろう。》

参照 迎撃ミサイル配備 07/04/09

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2007年6月19日 (火)

レジ袋削減で

毎日新聞(6/19)から
「改正容器包装リサイクル法」
レジ袋などの削減に向け、年間50トン以上を使う小売業者に削減目標と実施の報告を義務づける法律。進捗状況が遅い場合、勧告を出し、従わなければ企業名を公表する。それでも従わない時は是正命令を出し、命令違反には50万円以下の罰金を科す。

施行から2カ月半が経ち、スーパーを中心に、削減の取組みが広がっている。レジ袋の有料化や、レジ袋を辞退した顧客への割引きサービスなどが広がりつつあり、各スーパーが発売する買物袋「マイバッグ」も人気のようだ。一方で、有料化が売上げに響いた店鋪もあり、課題も浮き彫りになっている。

1月に大手スーパーで初めて一部店鋪のレジ袋有料化に踏み切ったのは、年間11億枚を超えるレジ袋を使うイオン。京都市内のジャスコ一店鋪で1枚5円にしたところ、辞退率が22%から80%に跳ね上がった。6月からは京都、仙台など5店鋪に広げ、今後も順次増やす。関西が中心のイズミヤも2店鋪で有料化し、辞退率が9割に達するなど、効果が確認された。

スーパー82社が加盟する日本チェーンストア協会の調べでは、5月末までに有料化が実施されたのは全国で計7店鋪のみ。6月以降は、イトーヨーカ堂などの計9店鋪が加わり、徐々に増えている。

ただ、有料化の悪影響が出たケースもある。首都圏中心のサミットは1月から都内の1店鋪で実施したが、主に米や酒類の販売が落ち、僅かだが客数も減った。最近になっても導入前の水準にもどらず、「店だけが旗を振っても難しい」と悩んでいる。現状のままでどこまで取り組みが広がるか未知数で、チェーンストア協会は、レジ袋有料化を義務づけるよう国に要望している。

一方、レジ袋削減を後押ししようと、大手スーパー各社は使い勝手のよい買物袋を相次いで発売し、人気を集めている。また、レジ袋を辞退すれば、2円を割り引くサービスを始めた西友は、1枚20円で買物袋を発売。簡単な作りのため20回程度しか使えないが、傷めば無料で新しいものと交感してくれる。

わが家で利用するのはイトーヨーカ堂、ダイエー、COOPが殆どだが、何度もブログでレジ近辺のことは書いてきた。もう何年も前からわが家はレジ袋は辞退してきた客になるが、イトーヨーカ堂とダイエーは買い物一回の精算時にスタンプを1個捺してくれて、カード1枚20個分が埋まると100円の値引きがある。各フロア、各店のレジでスタンプをくれるから、フロア、店を移って買い物をする日は何個も増える。

両店鋪で目立つ風景も何度も触れた。レジを通過して、持帰るための整理の段階で、備え付けてある小袋の使い方は常規を逸している。買った商品を一品ごとに小袋に詰める人、トイレットペーパーよろしくゴロゴロと引っ張り出す人、ボクシングのグラブの下に巻き付ける包帯(?)のように何重にも手に巻き付け、一度ならず繰り返してごっそりと戦利品のように持帰る人、只で使えるものは使わないと損、とでも見える不様な客(年齢、性別を問わず)たちは後を断たない。

また、こちらも書いてきた。わが町のCOOPではレジを通過した後の持帰りの整理のデスクには袋が積まれてあり、3、4年前から利用する人には、1枚分「5円を投入して下さい」と書いて箱が備え付けてある。わが家は専用のものを用意して行くから備え付けを利用することは殆どない。殆どない、とはたまにある、ということだ。思わずかさばったものを買ってしまって袋が足りなくなってしまうときだ。たまに利用するから枚数も少なく、抵抗もなく支払う。行くたびにCOOPに行く人を見ていても、一人で何枚も利用する、何十回、何百人のその風景を目にしてきたが、5円を投入する人を見かけたことは未だ且つてただの一度もない。

このようなモラルの欠如した人間と同じ町で生活している我が身が情けなく感じる。スタートはサービスで始まったものだが、今となっては過剰サービスになる。レジ袋の削減は店側だけの問題じゃない。各自が自分の袋を用意すれば何も不自由しないで快適な買い物ができるはずだ。

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2007年6月18日 (月)

赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」にさらに男児が

毎日新聞(6/17)から
熊本市の慈恵病院(蓮田太二理事長)が設置した「こうのとりのゆりかご」に今月15日、生後数カ月の男の乳児が預けられていたことが関係者の話で分かった。ポストに預けられた子供は、運用開始以来3人目となった。今月12日にも乳児が預けられており、いずれも男児で、いずれも健康状態に問題はないという。12日に預けられた男児は、おもちゃも一緒に置かれていたという。

今回の預け入れについても、病院や熊本県、市などは事実関係を公表していない。親が名乗り出ない場合、男児は児童相談所を通じて乳児院で保護される。理事長は「報道で子供が特定されると、その子が差別の目で見られる」と公表しない理由を説明したが、熊本市にあわせ「年一回、件数のみ」としている情報公開の基準については、再検討も含め考える方針を示した。今後の運用についても「続ける価値はある。スタートしたばかりで結論を出す段階ではなく、最低一年は見守りたい」と述べた。

《一カ月あまりで3人の乳幼児が預けられたが、いずれも男児だ。女性の生涯出生率が下がると同時に、産むなら育てやすく家の手伝いをしてくれる女の子、との男女産み分けの考えも強い。憶測になるが、これからも捨てられるのは手のかかる男の子が中心になるだろう。遊び半分で性交渉をもち、未成年で妊娠、経済的困窮では育てられるわけがない。特定できない父親、行方の知れない男性など。或いは再婚を焦って子づくりしたが、男に逃げられる。ポストの運用開始以来、「先ず、相談を」とはいうものの、今月の7日までに慈恵病院にかかった電話は100件近くもあったという。

理事長がいうように、まだスタートしたばかりだ。しかし、開設してすぐ想定外の幼児が入れられるような育児責任放棄の問題を提起された。このところ毎日のように親の子殺し、遺棄、虐待が報道される。最近の虐待で多いのは男と分かれた女性が次の男と同棲を始め、自分達の生活に子供が邪魔になり、男が、或いは実の母までがわが子を虐めるケースが目立つ。余りに気軽に次の伴侶を求める傾向があるのではないか。現在の世の中は、離婚した女性に極端に同情を寄せる。原因はすべて男の側に存在したかのような錯覚から、離婚に到った結婚生活から何も学んでいないようだ。そして前よりもさらに悲劇の度を増すような男と住むようになる。

今どきの人間、男も女も辛抱することを知らないが、結婚生活に辛抱や我慢は当たり前のことだ。それを乗り越える手前で、ああ嫌だ、となっている。確かに今の日本には男が余っている。それでも、選り取り見どりで一緒になったのでは同じ失敗を繰り返すだけだ。そして、何よりも遊び半分で捨てることになる子供は作らないことだ。》

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2007年6月17日 (日)

公衆の面前でキスは いい? よくない?

毎日新聞(6/15)石田衣良の白黒つけます、から。
先ず、昭和一桁の世代には、このような問いかけが出来ることすら驚きだ。先の大戦時をドラマにして見せることがあるが、男女の語らいを現在の感覚で簡単にシーンとして挿入する。しかし、当時は人知れず逢うことはあったろうが、路上で、或いは街中で立ち止まってする会話など殆ど許されなかった。それほど自由な男女交際は御法度であった。それでも通学時など、好意を抱く異性とすれ違えば胸をときめかせて青春を味わっていた。ましてキス(当時、この行為の表現としての日本語は接吻、或いは口づけ)は普通の日本人の生活の中にはないも同然だった。勿論浮世絵に代表されるように、事実は存在していても(浮き世絵師が活躍していた時代には、おおらかな性を楽しむ世情があり、厳しい取締りは幕藩体制の維持のための治安が図られるようになってからだ)戯画化され、誇張された痴態として描かれるだけだった。

1945年、日本は敗戦を味わった。西洋の生活習慣としての軽い朝夕の挨拶から、親子、恋人たちが交わすキスが映画館の大きなスクリーンに写し出されることが多くなった。当時のアメリカ映画でも、キスは倫理規制の対象であり、唇をあわせる時間にも確か10秒以上のものは禁止されていた(一説にはフィルムの長さ30センチまで、と記したものがあるが、当時は35ミリフィルムで1秒間に24コマ(1コマ約19ミリ)で映写されていたから、30センチではキスシーンは瞬きをする瞬間程度になり、こんな規制はあり得ない)。

だまって指を咥えるだけではすまない日本映画人たちも、真似をした。1946(昭和21)年、松竹が日本映画初となるキスシーン(?)のある映画「はたちの青春」を作った。?印をつけたのは、真実は不明だからだ。2人が唇を将に合わせようとした時、手にしていた傘で2人のその行為を隠し、スクリーンに見入っていた観客には肝心のキスシーンは想像しなければならなかったのだ。次いで1950年、東宝が名作「また逢う日まで」で有名な窓ガラスを挿んで学徒出陣する男との悲しい別れのキスシーンを撮った。日本映画はまだ純情だった。

アメリカ映画は規制が甘くなり、キスシーンは殆ど規制の枠がないかのようだ。口をあわせる時間はお構いなしの状態だ。普通人前では見せないような唾液が糸を引く欲情むき出しのものなど、キスシーンもますます激しいものになっている。石田衣良のアンケートにはわざわざキス(ディープキス)と断わっている。ディープキスという言葉はいつごろから使われ出したのだろう。私の世代にはフレンチキスの方が分りやすい。口中で舌先を絡ませ合うものだ。

ではアンケートの結果をみてみよう。《内は私見》
<有効投票数>3731(男:1396 女:2335)
        いい    よくない
  全体    29・8%   70・2%
     男  35・9%   64・1%
     女  26・2%   73・8%
 10代以下男 44・1%   55・9%
      女 29・7%   70・3%
 20代  男 42・3%   57・7%
      女 29・8%   70・2%
 30代  男 35・0%   65・0%
      女 26・4%   73・6%
 40代  男 34・6%   65・4%
      女 24・3%   75・7%
 50代  男 32・1%   67・9%
      女 15・9%   84・1%
 60代  男 22・5%   77・5%
      女 22・2%   77・8%
 70代以上男 28・6%   71・4%
      女 33・3%   66・7%

石田がいうようにモラルの問題は、教科書にも載っていないし、法律でも決められていない。早速 いい派 から見てみよう。「どんだけやめておこうと思っても、好きすぎてとめられない!」(兵庫県川西市・恵)。「彼女に路上でキスを求められ、よろこぶ自分に気づいた。未経験のとき『世も末だ、バカップルめ!』と毒づいていたのは、うらやましさの裏返しだった」(茨城県守谷市・さと)。「戦争中じゃあるまいし、別に人まえでキスしたっていいじゃないですか。TPOをわきまえて、おおいに愛情の発露をすればよろしい」(京都市西京区・頑固爺)。《頑固爺は77歳、戦争中じゃあるまいし、は関係ないこと、戦争しようがしまいがキスは何も関わりはないと思う。集計で気がつくが、女性によくない派が多いのに、電車内や路上で見かけるのはどうしてだろう。女性にくらべると肯定派の多い男に迫られてか、上の女性のように自ら求める女性もいるのだろうか。》

よくない派の意見は
「電車の中で化粧をする、コンビニまえでカップ麺をすする・・。もう恥さらしな習慣は増やさないでいただきたい。秘すれば花という日本の美徳を思いだしてほしい」(仙台市・M・A)。「完全に主観なのですが、もてない(と思われる)人ほど他人のまえでむやみにいちゃつきます。見せられる側としては、うらやましくもないし目ざわりです」(大阪府八尾市・立地骨炎)。「日本ってキスの習慣がないから、美しくない場合が多い。フランスに行ったがあちこちでキスする若者を見かけた。きれいでつい写真に撮った。《確かにパリではセーヌ河畔はアベックの溜まり場だ。膝枕に抱擁のベーゼ。私には決してキレイとは映らなかったのだが・・》キスってうまくなるには、どうすればいいんでしょうね」(愛知県豊橋市・らぶ)。「ノーです。道徳的にどうこうより、ディープキスはふたりきりで、あまーくゆっくりとたのしみたいからです」(札幌市中央区・ペイ)。「ノーです。でもイ・ビョンホン様とそんなことになったら、家庭を捨ててしまうかも」(東京都足立区・匿名)。《イって男?女?どっちでもいいか、イは多分男で、それに多分現(うつつ)を抜かしているのはおばちゃんだろう。この人はディープキスを理解しているようだ。ディープキスにはっきりと欲情を想像しているようだ。石田がコメントしているのだが、外国人のキスを美しいと見る意見が多かったという。これも文化の差、容姿の差だろうし、日本人はもともと性に関しては秘め事として人前で表現する文化、方法を作り上げて来なかった。ちんちくりんの日本人には仙台市のM・Aさんが言うように、秘すれば花の奥ゆかしさが似合うのだ。》

《地下鉄を利用して通勤をしていた頃、満員の人混みを利用して抱き合っている高校生カップルがいた。揺れてぶつかる体を周りの人たちが迷惑げに避けていたが、いつまで経っても止めそうにない。以心伝心とはその時の満員電車に乗り合わせた乗客のことだ。幾つ目かの駅で電車が大きく揺れて停車した。今まで我慢していた乗客が倒れてくる2人の体が倒れるに任せた。女子高生を抱いたままの格好で男が上になり、床にぶっ倒れた。誰も手を差し伸べなかった。人前の不作法は周りの顰蹙を買うことになる。心して行うことだ。もう15年以上も前の車内風景だが、その頃から若い男女の性意識はおかしかった。》

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2007年6月16日 (土)

うなぎが食べられなくなるかも

捕鯨再開が不認可、マグロの漁獲制限、生きた蟹が締め出され、遂に今度は日本人の好きなうなぎが槍玉に上がった。

オランダのハーグで開かれていた稀少動物の保護に関するワシントン条約*締約国会議で欧州産うなぎ(ヨーロッパうなぎ)を規制対象にするよう欧州連合(EU)からの提案があり、11日、賛成多数で可決した。この規制案には日本政府も「反対する合理的な理由がない」として賛成をした。この結果、うなぎの供給量が大幅に減るのは確実で、日本の食卓への影響は避けられない情勢になった。

*ワシントン条約・・正式の名称は「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」という。英文表記のConvention on International Trade in Endangered Species of Wild Fauna and Floraの頭文字をとって、CITES(サイテス)とも呼ばれている。
 野生動植物の国際取引が乱獲を招き、種の存続が脅かされることがないよう、取引の規制を図る条約である。

欧州産うなぎは稚魚が中国に輸出されて養殖され、蒲焼きなどの「調製品」として日本に輸出されている。水産庁栽培養殖課によると、うなぎの国内消費約10万トンの約半分が中国から輸入される調製品で、その約1割が欧州産うなぎと推測されている。

ヨーロッパうなぎは欧州でも古くから漁が行われてきたが、現在の年約200トン程度の漁獲高は70年代に比べるとおよそ1パーセント程度まで減少したとみられている。EUでは「うなぎの激減は中国や日本への輸出が原因」と名指しで批判。

一方、ニホンうなぎは卵からの完全養殖は難しく、少ない稚魚を捕獲して養殖しているが、1960年代から減り始めた漁獲量はここ数年、70年代の約10分の1(20〜30トン)まで激減している。また、ニホンうなぎの稚魚を日本に年間約5トン輸出している台湾でも、漁獲量減少のため、対日輸出を制限する方針のようだ。5月21日に開かれた日台鰻魚貿易会議に出席した組合員からも「この冬にも輸出規制に踏み切るだろう」と見ており、日本のうなぎ業界は対応に頭を痛めている。

今日6月16日の毎日新聞の「余禄」に面白い記事を見い出した。うなぎがどうやって生まれるのか、につて何も知らなかったことを知らされた。
 ヨーロッパうなぎについて、『ヨーロッパ人はよほど不思議に思っていたらしい。古代ローマの博物史家のプリニウスは、岩に体をこすりつけ削げた体の一部から生まれるといい、17世紀のオランダの化学者は5月の露から生まれると説いた」(荒俣宏著「世界大博物図鑑」平凡社)。この積年の謎が解かれたのはなんと、20世紀になってからだ、という。デンマークのシュミット博士が、その産卵場所を大西洋のバミューダ島近くの海底だということを突き止めた、というのだ。
 次いでニホンうなぎはというと、これまた驚きだった。遡れば万葉の昔から日本人の舌を堪能させてきたうなぎの生まれでる場所の特定が、つい最近まで確認されていなかったとは。そのニホンうなぎのそれが、太平洋のマリアナ西方海域と確認されたのは一昨年のことだという。

くじらにまぐろにうなぎ。くじらは私たちの世代には敗戦直後の食べるものがなかった時代、ポテトチップのように薄くスライスした脂身100パーセントのくじらベーコンは、コロッケ並みの安い食料品だった。捕鯨が禁止されて今では高級料亭で出される食べ物の仲間入りをして、その稀少価値の味だけで味わっているようだ。同じようにマグロも必要以上に高級もののイメージが付きまとう。そしてうなぎまでが庶民の食卓から姿を消しそうな雲行きになった。

くじらは私たち世代には他に食べるものがなかったから食べたようなもので、まして現代の美味な牛肉、豚肉に馴れた口には捕鯨解禁されて食卓に上っても、すぐに飽きられるだろう。日本の食文化とはいいながら、今では西洋に慣らされた肉食文化になっている。すでに1988年に日本が商業捕鯨を中止してから19年が経つ。

今年も夏の*土用の丑の日が近づいてくる。
 *わざわざ夏の、と断わるのは、土用は1年に4回あり、それぞれ立春(2/4ごろ)、立夏(5/6ごろ)、立秋(8/7ごろ)、立冬(11/7ごろ)の前の18日間を指す期間のことだ。この期間にある十二支の丑の日にうなぎを食べることが習慣になった。

  因に2007年は7月30日
    2008年は7月24日と8月5日
    2009年は7月19日と7月31日

騒ぐほどに個人的には痛くも痒くもない。生涯でうなぎを食したことはただの一度きり。関東に来たてで新宿の名のある店だった。20代だった、大変な食中りを起した。それ以来うなぎには全く食欲は湧かない。うなぎを食べなくても夏ばてなんかしたこともない。また、くじらには余りにも貧しかった頃の旨くもなかった味のマイナスイメージが付きまとう。くじら?、あ、そう、食べたい人はどーぞ、以上のものではなくなっている。まぐろも同じだ、以前ブログでも取り上げた。日本海の魚で育った口にはまぐろより旨い魚は幾らでもある。宣伝に踊らされて何も高級ぶったまぐろなど食べなくても残念とは思わない。

<追記>
農林水産省の小林芳雄事務次官は、国際捕鯨委員会(IWC)総会で日本政府代表団が脱退の可能性に言及したことについて「反捕鯨国がIWCの資源管理機関としての役割を放棄し、IWC正常化の可能性が見込めないことが明らかになった」と説明した。(6/4毎日新聞)


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2007年6月15日 (金)

増え過ぎた鹿

毎日新聞(6/5)から
神奈川県の丹沢山地の稜線で、4月に餓死したとみられるニホンジカ*の死骸が相次いで見つかった。現在、丹沢には推計3700〜4500頭の鹿が棲息し、自然の許容範囲を超えていると指摘されている。増え過ぎた鹿が笹類を食べ尽くして山が荒れ、慢性的な飢餓状態に追い込まれ、力尽きたためと見られている。

 *ニホンジカ・・北海道から九州まで分布して棲息している。縄張りを持たず、繁殖力が旺盛で、条件に恵まれると限度なく増えるため、生態系に強い影響を与える。天敵であるニホンオオカミが絶滅している上に、降雪が少なくなったこともあって、知床(北海道)、奥多摩(東京)、大台ヶ原(奈良)、屋久島(鹿児島)などで増え過ぎが問題となっている。

丹沢の最高峰・蛭ヶ岳(1673メートル)にある蛭ヶ岳山荘周辺で4月下旬になって7頭の鹿の死骸が見つかっている(山荘管理人の話)。5月下旬になっても登山道まん中には、ひずめのついた鹿の足の骨が転がっており、白や茶色の鹿の毛が散乱していた。登山道から5メートルほど入った場所にも、白骨化した鹿の死骸が横たわり、周辺の樹木の皮は大きく食い剥がされていた。

山荘管理人の話では「季節外れの雪が降った4月下旬に死んでいた。野生動物は人間の目につかないところで死ぬ。登山道で見つかるのはそれだけ、山全体で多くの鹿が餓死したのではないか」と見ている。丹沢自然保護協会の中村道也理事長によると、東丹沢の林道周辺でも3〜4月に10頭の鹿の死骸が見つかったという。

神奈川県内の鹿は戦後の乱獲で激減し、県は1955年に狩猟を禁じた。その頃はちょうど国が杉や桧の植林を進めた時期で、鹿は植林された苗木を食べて爆発的に増加した。県では人工林の周囲に柵を巡らせて鹿を追い出し狩猟を解禁した。追われた鹿はより高い場所に移動した。現在では山頂付近で稀少植物まで食べ荒らしている状態だ。

羽澄俊裕・野生動物保護管理事務所代表は「山も鹿も極限状態だ。鹿の数を減らすと同時に、山の中腹に鹿が住める環境を取り戻さなければ、山も鹿も守れない」と警告している。

《先日開かれた捕鯨委員会で、日本の捕鯨が世界から認められなかったことがある。食文化の違いは難しい問題があるが、日本代表は委員会からの脱退も辞さない覚悟を訴えて帰国している。鹿もいざ捕獲して屠殺するとなると黙っておられない人たちが騒ぎはじめる。しかし、その人たちも、動物の肉を何のてらいもなく食して舌鼓を打つ。牛も、豚も、鶏も、クジラも、胃袋に納まるまでには幾多の人の手を経て形を変えたものだから。それがスーパーに並んだ途端に、動物が人間のために自分の命をくれているのだという感動を持つ人がどれだけいるだろうか。

鹿肉から作ったソーセージをタレントたちが旨い旨いと頬張る風景をテレビが報じていた。いっそのこと、鹿の牧場でも作って飼育することを考えればいい。食肉用に駝鳥の飼育も試みられているようだし、鹿を山の上に追い込むことを考えるくらいなら、麓に招いて繁殖力旺盛な鹿なら手厚い飼育で上質の鹿肉への改良を研究すればいい。西洋人並みに肉食に馴らされた日本人だ。殺すところを見なければ口に入るとなれば何の肉でも喜んで食するだろう。》

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2007年6月14日 (木)

「運転できないほど酔っちゃいない」

毎日新聞(6/12)から
福岡市東区の「海の中道大橋」で昨年8月25日、一家5人の乗った車に飲酒運転で追突して海中に転落させ、1〜4歳の幼児3人を死亡させたなどとして、危険運転致死傷と道交法違反(ひき逃げ)の罪に問われた元市職員、今林大被告(22)の初公判が12日、福岡地裁(川口宰護裁判長)で開かれた。被告は「飲酒運転は間違いないが、正常な運転が困難になるほど飲酒していない」などと危険運転致死傷罪を否認。検察側は冒頭陳述で「事前の飲酒で被告は相当程度酩酊していた」と指摘した。

裁判は事前の飲酒が今林被告の運転に及ぼした影響が最大の争点になる。公判は今後週1回のペースで開かれ、事故前後の関係者の証言や、車輌の鑑定結果などが審理される見通しだ。

被告はひき逃げの事実を認める一方で「申し訳ないが、(被害車輌が)海に落ちたことにまったく気がつかなかった」と釈明する一方、「いかに愚かで許されない行為だったか悔やんでも悔やみきれない。一生かけても足りないが、できる償いを誠心誠意やりた」と謝罪した、という。

《何を言っても言い訳だ。追突した事実もその場を逸早く逃げ出した事実も認識しているのだ。どんなに深酔いしていても、追突の衝撃は一瞬酔いを覚ましたであろう。先ず逃げることを判断し、救助を呼ぶでもなく、被害車輌を気遣うこともなくその場を去っているのだ。被告が言う「海に落ちたことにまったく気がつかなかった」のは当然で、その場から逃げ出すことだけで被害者への配慮など微塵もない。現場から逃走を図った自分の車も大破しており、途中で乗り捨て、友人の隠蔽工作で大量の水を飲んでいるのだ。そして逮捕されたのが翌日の26日の早朝だ。これが何の釈明になるのか解らない。また、「一生かけて誠心誠意償いたい」は裁判用に心証のための心境で、口先だけならどのような美辞麗句でも並べられる、作文するのは役所勤めで仕事柄お手のものだ。何年になるか判らないが、刑期を終えて世の中に出ることがあれば、兇器を野に放つようなものだ。またすぐに酔っ払うのは想像にかたくない。》

検察側の冒頭陳述によると、被告は事故直前、交差点を大回りして左折し、時速100キロまで急に加速した。不安になった同乗者が「いつもこんなに飛ばすんですか」と尋ねると、「いいや、飛ばさん」と答えた、という。飲酒検知では複数回に分けて呼気を吹き込んでいたほか、職業を尋ねた警官に歌うような節をつけて「サーラリーマン」と答えた。

一方、弁護人は鑑定結果などを基に「飲酒の影響は微酔レベルで運転困難ではなかった。事故前後、被告に深酔い状態を示すような行動もなかったなどと説明した上、最高刑が懲役20年の危険運転致死傷罪でなく、同5年の業務上過失致死傷罪に当るとした。

《出し過ぎるスピードを注意され、いつもは「いいや、飛ばさん」と答えているのは語るに落ちた会話で100キロのスピードの感覚もないほど酩酊していたことだ。恐らく5、60キロの感覚しかなかったことだろう。弁護人が話した事故前後の深酔い状態を示す行動がなかったという、確証はどのように得たものか、必死に水を飲ませて酒気の希釈を図った友人大学生の行為を何と説明するのか。周りは酒飲みの集まりだ、ちょっとやそっとの酒で目立つわけもないだろう。殺人者のこの酒のみ被告に、5年で出所が許されることなどあってはならないことだ。》

そして今日、飲酒運転の罰則を強化する、改正道交法が衆議院本会議で可決、成立した。
 酒よい運転 現行3年以下の懲役又は50万円以下の罰金を改正後は5年以下、100万円に
 酒気帯び  現行1年、30万円から 3年、50万円
 ひき逃げ  現行5年、50万円から 10年、100万円に
 飲酒ひき逃げした場合の併合罪の上限を7年6月から15年に。

 他には 75歳以上の高齢ドライバーが対象の認知機能検査の導入、自転車の歩道通行の一部解禁や後部座席シートベルトの着用義務化。
  又、酒類提供は酒酔い運転の場合3年、50万円
         酒気帯び    2年、30万円
    同乗罪(酒酔い運転)   3年、50万円
     〃 (酒気帯び運転)  2年、30万円など。
 これでも酒飲みにはたいして利き目はなく、一ときのものだろうが。

福岡にしても、飲酒運転をし、摘発を逃れようとする悪質なドライバーは後を断たないようだ。九州全体(九州管区警察局などによると沖縄・山口を含む9県では昨年9月〜今年4月(3児の死亡後のことになる)の間に飲酒運転の摘発は計1万2000件。前年同月比33%(5833件)減少している。が、福岡県では人身事故を起したり、検問を逃れようとして逮捕されたのは今年1〜4月で152人に昇り、前年同期よりも49人も増えているのだ。大事故が発生した当座の一時的な減少は見えるが、依然として酒の怖さを自覚しないドラーバー、自分の運転を過信するドラーバー(これこそが酒飲みの酒飲みたる所以なのだが)が蔓延(はびこ)っている。

全国に知られる勇壮な博多どんたくの九州男児も、ただの蛮勇のそしりを受けないよう、飲んだ酒なら逃げ隠れしないで罪を認める潔ぎよさぐらい持ち合わせて欲しいものだ。私は関西から関東で生きてきたが、両親は九州人だ、私にも切れば迸る赤い血が流れているんだよ、悲しませないでくれ。》

参照 続 飲酒運転はなくならない 06/09/14


    

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2007年6月13日 (水)

バルトーク指揮者コンと日本の指揮者たち

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 白百合



バルトーク(Bela Bartok:1881.3.25-1945.9.26:ハンガリー)の曲はクラシックでもまだクラシック(古典)にはなり切れない現代の作曲家で、私には若い頃はどうしても馴染めない分野の音楽だった。

日本海側の軍港町舞鶴で(生まれは兵庫県姫路)敗戦を迎えた。趣味がクラシックの愛好家が隠し持っていた蒐集品(日本の楽曲以外は捨てることを強要されていた)のレコードコンサートを開き、惹き付けられたのが切っ掛けで、常連になった。勿論無料だった。それ以前、4年も続かなかった大平洋戦争が始まる(1941年12月8日)以前の低学年のころ、小学校の蓄音機(レコードプレーヤー)で小曲は聴いていた。お決まりのドナウ川のさざ波や、森の鍛冶屋や多くのシュトラウスのワルツ曲だった。

公会堂の一室で、初日のレコードコンサート、ベートーヴェンの交響曲第五番ハ短調「運命」(トスカニーニ、ニューヨークフィル)を初めて聴いた。私は13歳を過ぎていた、物凄いショック、カルチャーショックだった。何日間も耳鳴りが続いた。この頃のことは当ブログを始めたころにも書いた。その後は多くの作曲家の音楽を聴き、フルトヴェングラーを知るやその虜になり、自分自身にもライブラリーが増え続けた。1961〜1962年に亙ってアルバム7分冊全29枚、収納用木製キャビネットつきで東芝が当時手持ちのマスターから予約購入で、フルトヴェングラー大全集を出した。例のほこりシャットアウトの赤色のLP、エヴァークリーンレコードだ。まだ薄給の中から分割購入で揃えて行った。

61年の暮に6分冊目のバルトークのヴァイオリン協奏曲第2番(メニューインのヴィオリン、オーケストラはフィルハーモニア)のカッティングを含むアルバムを手にした。20代のころは現代音楽は近寄れないジャンルだった。それにまだまだ古典には知らない曲が溢れていた。自分の好みは古いところでモーツアルト、バッハはまだ縁遠い存在だった。一方、近代はR・シュトラウス、やシベリウス止まり。バルトークにはまだ距離があった。そしてメニューインで、繰り返し聴く機会が訪れた。他のバルトークの曲も聴いてみたくなって銀座の山野楽器に通った。当時ハンガリーのHungarotonがバルトークの全てを網羅して全曲をプレスしていた。一枚一枚と聴き集めて全曲揃えた。少しだけ聴く範囲が広がった。

今でもバルトークから近い年代の作曲家の音楽はあまり聴かない。あまりというのは全く聴かないわけではないからだ。ショスタコービッチ、テオドラキス、ヴァンゲリス、武満徹などよく聴く。古典はおもったよりも遡った。近寄り難かったバッハを聴くようになったのは、カザルス(無伴奏チェロ組曲全6曲)のお陰だ。モノーラルの古い録音のLPだったがプレーヤーに掛け、音が流れ出した途端に胸に溢れるものが込み上げてきた。私は、40歳を過ぎていた。音楽を心で聴くものと改めて実感したひとときだった。

これを機にバロックにまで古典を広げた。テレマン、ヘンデル、ヴィヴァルディ、コレッリとどんどん遡った。そして、生活とともにあったのが音楽であり、踊りながら、食事をしながら、ワインを飲みながら共に聴くのが古典の音楽であることを知った。それが(教会音楽は別としても)いつの間にか一目置く咳一つできないようなタキシードに夜会服の堅苦しいものに変わって行った。日本でいえば、河原乞食の女歌舞伎が上流階級の人間たちのお見合いの場所にもなったような様変わりだ。

そろそろバルトーク指揮者コンクールのことに触れないといけない。
今月8日、ルーマニアで行われた「第2回バルトーク国際オペラ指揮者コンクール」で日本人が2人(1位、3位)入賞した。1位の橘直貴(38)は札幌市出身で現在は首都圏で活躍している指揮者。3歳からピアノを始め、指揮者の道を志し、桐朋学園大(東京都調布市)に進学。01年に若手の登竜門として知られる「第47回ブザンソン国際指揮者コンクール」(フランス)で2位に入賞している期待の指揮者だ。3位の菅野宏一郎(35)は現在ルーマニアに在住する。

ブザンソンで思い出すのは1959年、パリ在住中にチャレンジしてブザンソンの「第一回」のコンクールに優勝した橘にとっては桐朋学園の先輩、小沢征爾がいる。小沢は次いでカラヤンコンクールでも優勝。現在ではウイーン国立歌劇場の音楽監督に就いている。
ブザンソン国際指揮者コンクールには日本人指揮者が過去何人かが入賞している。目立つところでは1982年、女性では世界初となる小沢に次ぐ日本人2人目の優勝者、松尾葉子(東京在住)がおり、1989年には佐藤裕(パリ在住)が優勝、1993年は曽我大介(大阪在住)が第1位大賞を、そして橘の01年2位となっている。
この中から今後の世界の指揮者となる人材を期待したいものだが、小沢が師事したカラヤンのような頭抜けたマエストロ(好き嫌いがはっきり別れるが)がいない現在のクラシック界だ。抜きん出た指揮者がいない世界でどこまで伸びていけるか、ドングリの背比べで終わらないように研鑽してほしいものだ。

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2007年6月12日 (火)

親対策に弁護士

Dscfmimoza ギンヨウアカシアの種
莢の中に綺麗に並んだ種子が見える。
発芽させてみようと考えた。
面白いことに前準備に
種子を℃100のお湯で
15〜20分煮るらしい。
 普通、自然にはない環境だが、自然界で莢から落ちた種子は発芽せずに死滅するのだろうか。これから熱湯処理が終わり次第、その様子をブログ上に写真をまじえて育成記録をレポートして行こうと思う。

  ***********************

「うちの子を色眼鏡で見ている」「なぜうちの子だけを悪者にするのか」「チャイムがうるさい、慰謝料を払え」。校庭に落ちている石を拾って教室の窓ガラスを割る。補償を要求すると、「石が落ちているのが悪い」と逆切れする。箱入り娘を入学させるんだから、「他の子と遊ばせるな、誓約書を書け」、親同士が仲が悪いから「子どもを同じクラスにするな」、今も小中学校で日常茶飯事のように起きている学校トラブルだ。

ほんの少し前までは、子どもを学校にあずけるに当って家庭では、先生の話を落ち着いて聞けるように、そしてよその子の邪魔をしないように躾けておくのは常識であった。いわゆる家庭教育だ。今の親たちは、それは学校でするものと勘違いしている。このような親に見放されたどうにもならないガキどもが、入学するや学級崩壊を招き、小一プロブレムなる新語をつくり出させる。

『「先生が面白い授業をすれば、ちゃんと座ってくれるんじゃないですか」これら開き直る親の態度からは、教師と一緒になって子どもを育んでいこうという気概が読み取れない。都内の中学校で新学期にあたり、保護者会を開いたところ、クラス約30人いる中で親たちが集まったのは僅か2人、「信じられますか」と教師は嘆く。』(サンデー毎日2007.6.17.から)

毎日新聞(6/12)から
東京都港区は今月から、区立の幼稚園、小中学校に対する保護者や住民からのクレームやトラブルの解決法を教員に助言する専門弁護士を配置した。文部科学省は「学校トラブル専門の法律相談は聞いたことがない」といい、同区教育委員会は「今は苦情も複雑多岐で現場は頭を抱えている。弁護士配置は全国でも初の試みで、教員にはクレーム対応よりも教育にしっかりと時間を取らせたい」と話している。

学校には、両親の離婚の相談や同級生の親同士のかんかの仲裁など、住民の苦情や多様なトラブルが寄せられている。対応を誤って事態を悪化させることもあり、法律的見地から教育現場の専門アドバイザーとして、弁護士の相談窓口設置を決めた、という。

区内の5ケ所の総合支所ごとに1人ずつ担当弁護士を決め、管内の区立校からの相談に随時応じる。担当には、保護者からの相談を受けた経験もある教育問題に詳しい弁護士が選ばれている。相談内容には、全国的にも問題になっている給食費を滞納する家庭への集金の注意事項まで含むことを想定している。区教委は「専門相談を有効に使い、円満解決してほしい」と話している。

《文科省は「学校トラブル専門の法律相談は聞いたことがない」というが、一応有識者と呼ばれる人たちの「教育再生会議」は何をしたのか。区は今、現実に起きている問題に具体的に対処するために取り組もうとしているのだ。

60年前、日本は戦争に負けて、多くの日本人には何のことか、考えたことも聞いたこともない民主主義なるものを与えられた。古いものはすべてが悪いものとして捨て去られ、教育勅語が代表していた教育理念に代わって新しい教育制度6・3・3制が導入され、日本人は義務(自由と表裏一体のものなのに)を置いてけぼりにして自由と権利を学んできた。いまその62年間の悪弊が噴き出しているのだ。

付焼刃でも仕方ない、即応性のある対応が必要だ。国が百年の計で取り組んでも、62年かけて弛んでしまった箍(たが)を元に戻すには最低でもその倍は必要だろう。》


 
 

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2007年6月11日 (月)

ミンダナオ問題

4月3日の朝、ソロモン地震のニュースを聞いた時もそうだった。私の世代はどうしても日本軍が南方で戦(いくさ)にならない戦いをしていた頃の事が、心を突き刺すような思い出で蘇ってくる。南太平洋の島々の名はどこもかしこも激戦の地の名として焼付いている。まして今日取り上げるフィリピン東方ミンダナオ海上で死闘を繰り広げた日本海軍が、潰滅に近い打撃を受けた数次に亙る海戦で、身内を失った身にはその名を耳にするだけで痛みを伴って思い出す。

ミンダナオ問題を語る上でどうしても、日本も深く関わっているため、その歴史を多少知っておく必要がある。

ミンダナオ島はフィリピンでルソン島に次いで2番目に大きな島だ。ミンダナオ群島はミンダナオ島とその南西のスールー諸島などから構成され、6つの地方と25の州からなっている。南方から来るマレー系人の間にイスラム教が伝わり、その後フィリピン諸島各地に広がっていった。特に1457年にスールー諸島に成立したイスラム教国・スールー王国は最盛期にはミンダナオ島・パラワン島・ボルネオ島北部までを統治していた。その後、次に記すように、フィリピン諸島のほとんどの領土をスペインに奪われることになったが、ボルネオ北部をイギリスに獲得される19世紀末まで王国は存続していた。

1521年にマゼランに率いられたスペイン艦隊が寄港してから17世紀にかけて相次いでスペイン人航海士や兵士、宣教師らが来航し、1565年、ミゲル・ロペス・デ・レガスピがセブ島を征服した直後にはミンダナオ島北部もスペインの植民地支配下に入ったが、ミンダナオ島南部はイスラム教勢力が強くスペインの力が及ばなかった。現在のコタバト州周辺に築かれたマギンダナオ王国は17世紀になって、ミンダナオ島全土と周辺の島々も征服し、スペイン人植民者も手を出せない存在となっていた。しかし、スールー王国も、マギンダナオ王国も徐々に衰え19世紀には滅亡すると、入れ替わるようにミンダナオ南部もスペインのフィリピン植民政府によってゆっくりと征服されて行った。スペイン人の下、アニミズムを信じる住民のキリスト教への改宗が進んだが、古くかイスラム教が定着していた南部では、スペイン人による制服も進まず、イスラム教が勢力を保ち続け、現在に至っている。

ミンダナオ島は、フィリピン国民の5%を占めているイスラム教徒「モロ人」の拠点となっている。モロ人は民族的には、島の中部ラナオ湖周辺のマラナオ人、マレーシア・サバ州とまたがって住むタウスグ人などに分かれている。またキリスト教徒でもイスラム教徒でもない複数の部族に分かれた先住民、ルマドも存在する。

しかしミンダナオ島の圧倒的多数はキリスト教徒で、特に島の北部に住むブトゥアン人はイスラム教の影響を受けず、アニミズム(あらゆる自然物に霊魂があると考える説:精霊信仰)から直接キリスト教に改宗している。また、第2次大戦後地主と農園労働者との対立が激しく、農地を求めて農民が移民・入植しているが、かれれはキリスト教徒であり、言語ももとからのミンダナオ島民とは異なるため摩擦も起っている。

さまざまなイスラム勢力が、スペイン・アメリカ合衆国・日本・フィリピン政府などに対して数世紀に亙る独立闘争を行ってきたが、キリスト教徒が多数を占める国から独立する願いは失敗し続けている。1946年のフィリピン独立後、数十年のあいだ行われた国土統一維持政策やミンダナオ島への国内移民の流入により、ミンダナオの人口の大多数をキリスト教徒が占めることになった。この結果、貧しい上に社会の主導権を取って代わられたイスラムの怒りや、数百年に亙る分離独立運動に火がつき、モロ・イスラム解放戦線(MIFL)や新人民軍(NPA)などさまざまな反政府グループとフィリピン国軍との内戦が頻発し、ミンダナオ西部は危険地帯と化した。

ミンダナオ島、特にダバオ市は日本との関係が深い。19世紀にアメリカ人によって開拓されたマニラ麻の農園作業に日本から応募した移民が切っかけだ。1903年ごろのルソン島のバギオへ至る高速道路の建設には数千人の日本人労働者が従事し、工事後はミンダナオ島へチャンスを求めて多くの人が移動した。日本人の中から農園経営者が現れ、彼らは農場から工場までを一貫する施設を建設したため、ダバオは大都市へと飛躍的に発展する。第2次世界大戦までは東南アジア最大の日本人コミュニティを形成していた。

しかし、戦争末期のミンダナオ島の戦いで兵士のみならず日本人移民も含む数万人が戦闘や病死、餓死で犠牲になった。現在もダバオを始めミンダナオ島には多くの日系人がいるが、戦後の反日感情の強い時期にその証拠を破棄してしまったために、日系人であることを証明できない者も多くいるという。さらにイスラム勢力との紛争長期化と米同時多発テロ事件以降の米軍支援によるイスラム過激派掃討作戦の影響で、ミンダナオには「貧困とテロ」のイメージが染み付いた。日本人にとってミンダナオは、より遠い島になった。

毎日新聞(5/14)から
昨年7月、日本政府は「ミンダナオ和平プロセス」支援を表明した。日本は同プロセスを監視する「国際モニタリングチーム」への専門家派遣とミンダナオへの集中的経済支援を約束した。戦中・戦後の厳しい時代を生き抜いたフィリピン日系人は「戦前、フィリピン建設に貢献した勤勉な日本人は誰からも尊敬された。しかし、日本軍がやって来てすべてがおかしくなった」と歴史を振り返る。

同(6/6)から
今月5日、南部ミンダナオ島で反政府闘争を続ける「モロ・イスラム解放戦線」(MIFL)のナンバー2、ガザリ・ジャファール政治担当副議長がインタビューに応じ、日本政府に対して、ミンダナオ和平に向け、より積極的な役割を果たすよう求めた。

「日本政府の参加はモニタリングチームの国際的な地位を向上させた。問題再発を抑える力をチームが持つことができる」と述べ、日本の参加により、和平達成に向けモニタリングチームの役割が拡大することの見通しを示した。米同時多発テロ以降、MILFと、国際テロ組織「アルカイダ」や、イスラム地下組織(02年バリ島爆弾テロを起した)ジェマー・イスラミア(JI)との関係が取りざたされている。

ジャファール副議長は「アルカイダやJIの活動には一切、関心を持っていない。我々には(組織成立以前から)40年間という十分なゲリラ活動の経験がある。支援者から経済的支援を受けており、JIによる訓練もいらないしビンラディンからの資金支援も必要ない」と述べ、国際テロ組織などとの関係を強く否定した、と伝えている。

【ミンダナオ問題】
ミンダナオ独立を訴えるイスラム急進派が70年代に「モロ民族解放戦線」(MNLF)を結成した。MNLFは96年に政府と和平合意したが路線対立で弱体化。 MILFが分離して武装闘争を続けた。 MILFは03年、政府と停戦合意し、「国際モニタリングチーム」の監視下、和平協議の実現を目指している。

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2007年6月10日 (日)

「特急内で強姦」見て見ぬふり - 2 -

引き続き毎日新聞(6/4)から
同新聞「開かれた新聞」委員会*の月例報告(5月度)では、JR北陸線の特急車内で起きた女性への強姦事件を取り上げた。一連の記事に対して読者からも賛否の意見が多数寄せられ、記事の扱い方などについて委員の見解を尋ねている。(見解は主に東京本社発行の最終版に基づく)

*「開かれた新聞」委員会は社外の第三者機関で(1)人権侵害の監視-記事によって当事者から人権侵害の苦情や意見が社に寄せられた際、社の対応に対する見解を示す(2)紙面への意見-報道に問題があると考えた場合、意見を表明する(3)メディアのあり方への提言-より良い報道を目指すための課題を提言するなどの役割を担っている、としている。
今回の委員は、記事掲載順に、
 玉木明(フリージャーナリスト)、吉永晴子(テレビプロデューサー)、田島泰彦(上智大教授)、柳田邦男(作家)である。

各委員には、新聞社が書いた記事を対象に意見を聞いているので、ある意味では言いたいことを言うだけのものになっている。「あなたならどうしましたか」の設問なら違った文言も並んだかも知れないが、そこを訊ねられた訳ではないから気楽なものだ。正義の味方を装っていれば無難な文章は綴れる。レスラーや、力士、それにひょっとして懐に銃器を所有していた人間でも乗り合わせていれば、未然に防げたかも知れないが、普通の男女40人ではただの烏合の衆、無力の塊だ。これから先は非難を覚悟で書くが、私自身、正義感は持ち合わせているが、立ち向かう勇気はない。被害にあっている女性がわが娘、妻ならば、命を引き換えにすることも厭わないが、そうでなければとても立ち向かえない。

今までには電車の中、人混みの中、映画館の中、スーパーの中などで、散々大声で人を怒鳴り付けてきた。それこそ見るに見かねてだ。しかし、たまたま何度か一緒にいた妻は、歳なんだから、今に殺される羽目になる、止めて欲しい、と言われてからは、確かに昨今の世情を見ても、簡単に殺されることになる可能性が極めて高いことに気がついた。それからのち現在では、そのような場に遭遇しても極力気持ちを抑えることに努めているし、見ないで済むところに避難する。所謂識者に言わせれば卑怯者の立場を取っている。

【閑話休題】(《内は私見》)
♢玉木委員
 乗客が傍観するしかなかったのは、男が怖かっただけじゃないだろう。子どもが溺れている、駅のホームから人が線路に落ちたような場合と違って、今回はとっさに事件性を見抜き、事の全体を把握することの難しさがあったのではないか。<勘違いだったら>という躊躇の気持ちもなかったとは言えない。
 それでもなお、車掌に連絡することぐらいのことはできたはずだという思いは残る。悪を抑止する社会の力が衰退してきていると思わざるを得ない、という。毎日新聞だけが一面で報じた。社会に警鐘を鳴らす必要性を感じてのことだろう、と。
 「特急内で強姦」という見出しには、胸を射抜くような衝撃力があった。被害者への配慮を欠いているという意見もあるだろうが、「暴行」と表現して被害者に配慮したことになるのか。ありのままの現実にしっかりと向き合うことからしか、悪を抑止する社会の力は生まれてこないように見える。《おっしゃる通りです。》

♢吉永委員
 「強姦」というグロテスクな犯罪を思い起こさせる強烈な見出しの文字に吸い込まれるように記事を読んだ。特急車内という公共の場所での恥ずべき犯行だが、記事は淡々と事実を書き込んでいた。読者の反響の大半は、同じ車輌に乗り合わせた乗客の態度に関するものだった。犯人に凄まれたとはいえ、なぜ車掌らに知らせなかったのか、手段はあったのではないかというものだ。
 結果として、乗客が見て見ぬふりだったことでいえば、プライバシーを重視し、われ関せずを決め込む最近の社会的風潮が影響しているかとも思うが、それだけではない。見て見ぬふりは人間の本性として昔からある。被害者への配慮が必要なのは言うまでもないが、あえて「強姦」という言葉を使って目立たせたのは、読者に自分の身に置き換えて考えてもらいたいからだろう。ただし、タイトルに負ける記事内容では意味がないが、読者に我が身を顧みることへの効果としては、今回の毎日新聞の扱いと内容は、他紙と比べてもよかったと思う。《新聞社もこれだけヨイショ記事を書いてもらえれば有り難い限りであろう。》

田島委員(概略)
 特急車内で女性が暴行、強姦されるという前代未聞の事件である。約40人の乗客全員が気づいていたわけではないにしても、電車内での卑劣な犯罪を乗客が制止、通報できなかったことは、私たちの社会の深刻な病理を示すものとして重大であり、毎日新聞が一面(東京朝刊)で掲載したのはもっともだ。毎日新聞は、社説や特集記事も組み、防犯対策の問題や見て見ぬふりを決め込む土壌を含め、原因や背景を探る努力を試みてきたのは評価できる。
 今後も検証や議論を重ね、見て見ぬふりを決め込む土壌や、正義感・連帯感の劣化がなぜ生み出されたかなどについても掘り下げて欲しい。性犯罪においては、被害者の匿名など適切な配慮が欠かせないが、暴行などの表現で曖昧にしないで、犯罪の事実をきちんと「強姦」として示すことも必要である。今回の事件では、他紙と異なり、毎日が強姦と表記したのは、けだし当然である。《各委員共通のことだがヨイショ、ヨイショするのに、他紙と比較することもなかろう。他を貶さなければ己の主張が認められないのは論拠がひ弱いからだ。それとも毎日新聞を購読している読者が景品に引きずられて他紙へ浮気されないための予防線か。》

♢柳田委員
 この事件は、背景に最近の日本人に見られる「自己中心主義」「他者への不感症・非介入」「個人情報“過保護”」などの影響が感じられる特異なものだったから、一面で取り上げる価値はあった。初報段階としては、事件の問題点を考える上で必要な要素をほぼ揃えていたと思う。
 ただ、座席での行為が約1時間、トイレに女性を連れ込んでからの犯行が約30分もあったという点をもっと強調すれば、乗客たちが何の行動も起さなかった異常さをリアルに伝えられた。とりわけ誰1人として携帯電話で110番通報しなかったことは、もっと強調されるべきだった。
 強姦事件は被害女性の一生を破壊しかねないにも拘わらず、加害者側にはその万分の一の罪意識もない。新聞はその凶悪性を強調し、撲滅への努力をするべきだ。一方、報道で受ける被害者への心の傷とケアの問題がある。犯罪の撲滅に必要な報道の積極性と被害者の心の傷のケアというジレンマをどう克服するか、ということで柳田は次のような提案を示している。
 ①性犯罪の罰則強化のキャンペーンに取り組む
 ②被害者の社会的立場と人生を温かく見守るような論調の記事を機会あるごとに載せる
 ③被害者救済やカウンセリグ支援の基金づくりの先頭に立つ、と。
《とくべつ毎日新聞に阿(おも)ねた書き方はしていない。事件の背景も適格に捉えているが、何せ限られた小さなスペースでは話の展開は不可能だ。世間では長屋のおつき合いは遠い昔。井戸端会議はしたくても井戸は消えた。気心知れたおつき合いは今では少ない。人々はマンションに入り、隣は何をする人ぞ、で生活する都会人になった。おのずと自己中心になるのは自然の成りゆきだ。》

〈事件のその後〉
 事件が起きたのと同じJR北陸線の富山発大阪行き最終特急「サンダーバード50号」に毎日新聞の記者が乗り、レポートしている。5月29日午後7時51分に富山出発。女性が被害に遭った自由席の6両目には、入れ替わりで20〜30人が乗車していた。大半は中高年のサラリーマンで、女性は2人だけ。2人掛け座席に荷物を置き1人で座る乗客が多く、あまり周囲を気にする様子はない。毎日通勤で利用するという女性会社員(28)は「以前は安心して1人で眠っていたが、事件後はなるべく別の女性客の近くに座る」と話した。

 強姦罪で起訴された男が女性を脅していた2列目の座席から3メートルほど前に非常ボタンが見える。JR西日本は事件発覚後、ボタンの位置を示すシールやポスターを張り、深夜に限り警備員を導入した。沿線の警察も車内警戒を強化している。

当時、約40人の乗客の一部は男に凄まれ、犯行を看過したという。29日夜には、警備員が6回も巡回していたが、眼界はある。過剰な「監視」も息苦しい。一人一人が他者への共感とほんの少しの正義感を持つことでしか再発は防げないと感じた、と結んでいる。

《事件が過ぎ去ると、喉元過ぎると何とやら、で今度は鬱陶しい巡回をプライベートの侵害だ、落ち着いて休むこともできないともの申す人間が出てくることが予想される。個人情報保護の風潮は、電話帳、名簿、登録などへの過剰反応を惹起させ、犯罪における聞き込み捜査の難しさをも生んでいる。東京本社編集局次長・河野俊史も編集局から、で書いている「触らぬ神に祟りなし」の風潮が加速しているように感じます、と。》

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2007年6月 9日 (土)

「特急内で強姦」見て見ぬふり

JR北陸線の特急車内で昨年8月に女性会社員に暴行したとして、今年4月、大阪府淀川署は滋賀県の解体工の男を強姦容疑で再逮捕したことを毎日新聞は22日に報じた。異変に気づいた一部の乗客が男に怒鳴られ通報できなかったことも併せて書いた。

その後各方面から識者や一般市民からも、数多く意見や投書が寄せられた。そのいずれもが、男の理不尽を責め、沈黙したままだった乗客を半ば責めている。皆一様に正論でものを言っているが、最終的には現在の世の中の風潮を嘆くだけだ。
毎日新聞(5/14)から
先ず、◆中央大学法学部教授・猪口孝の意見。(子どものいじめがテーマ)
アジア諸国を対象に毎年、「アジア・バロメーター」という世論調査を行ってきた。03年の調査で、「道に迷っている人を見かけた時、助けるか」と尋ねたところ、「必ず助ける」と答えた人の割合が、調査した10カ国の中で最も低かったのが、日本で36%だった。一方、高かったのはミャンマーで80%、それから順にインド74%、中国68%、ウズベキスタン65%だった、という。日本人は他人の面倒にかかわることを好まず「見て見ぬふり」をすると当時の新聞でも報道された。その後の調査(06年)では日本人の「必ず助ける」の割合は53%になってはいる。

また、日本人の生活とくらべ、毎日の生活が信仰に結びついているヒンズー教、イスラム教、小乗仏教の国で「助ける」ことは、具体的な善行を重ねることで幸福につながるという価値観のためと思われる。親が子どもを育てる上で、重点的な徳目にしていることは、中国、韓国、ベトナムでは「自立、勤勉、正直」の3つが重視されている。

一方、日本の親は圧倒的に「思いやり」だが、その対象は顔見知りに限られ、知らない人にまで広がっていなように見える。特急電車での強姦事件と、学校に広がるいじめ問題には、共通の背景がある。権力と、秩序の不在だと猪口教授はいう。教室で「見て見ぬふり」をやめて行動を起したくても、自分が巻き込まれ、いじめ被害に遭うかもしれない。先生がいじめを解決してくれる保証もない。先生だっていじめを「見て見ぬふり」する時代だから。

特急電車の強姦事件も同じ。巻き込まれるのが怖い、面倒だ、時間がない・・・。周囲が通報すらできなかった理由はさまざまでしょう。プライバシーを重んじる時代に「勘違いで通報したら大変」という危惧もあったはず。今、多くの市民がこのような事態を前に立ちすくみ、行動できずにいるのではないでしょうか。正義感や連帯感も著しく劣化している。「見て見ぬふり」は犯罪を容認する行為ですから、結果的に、社会の犯罪を増やしてしまうのです。

この教授の結論は、やはり警察が犯罪を厳しく取り締り、市民が正義感を発揮しやすい社会にしなければいけないという。そして、アメリカはニューヨーク礼讃だ。ジュリアーニ市長が就任するまでは、年間2000件のマフィア同士の抗争があったのが、今ではほとんどゼロ。軽微な犯罪まで徹底的に取り締った結果だ、と。

《学者らしい全くの建前論だ。警察権力によるマフィアの抗争がほとんどゼロと、一般犯罪がゼロとは全く異なる。ブログで何度か取り上げた学園内の銃乱射事件一つ見ても、婦女誘拐にしても、殺人にしても、犯罪は日常茶飯事のように起っている。日本の警察以上にマフィアとの癒着もひどい。アメリカから犯罪がなくなれば、活劇、ギャング、犯罪映画が消え、映画館が寂しくなるだろう。》

◆作家の雨宮処凛の話(プロフィールでは32歳のはずだが、ベビー帽のようなものを顎で結んで妙な写真だ)
私自信も、見て見ぬふりをしてしまうことはあります。面倒に係わりたくない時、自分を守りたい時。でも、みんなそうじゃないでしょうか。例えば道ばたのホームレス。視界に入っているのに、見なかったことにしているでしょう?

中学校ではいじめられていた。でも、いじめっ子が支配する教室という空間で、次のターゲットを恐れ、見て見ぬふりをしたクラスメートも、被害者だと思っている。だって助けたくても見て見ぬふりをすることは、自分の弱さを認めることだがらその人たちも辛いはずです。

電車内の強姦事件についても乗り合わせた人はいろいろだったでしょう。「あの電車に乗った」と自慢話をした人もいただろうし、何もしなかった自分に今もなお苦しんでいる人もいるはずです。

私たちが《どうして「私が」じゃないの?何故、他人をわが陣地に引き入れて論理を展開して行こうとするの?そして結論を社会が悪い、とする。》、見て見ぬふりをしてしまうのは、社会への信頼がないからだと思う。見て見ぬふりをやめて、思い切って行動した時、周囲の皆が賛同したり、応援してくれると信じられないから。

それでも自分として誰かの命に係わること、もう一つは、社会を変えて行けば救える命がある時には見て見ぬふりはしたくないという。それはホームレスにいじめの問題だと。その行動の原動力は「怒り」だと思う。でも今の社会は普通に生きていると、怒れないようにできている。自己責任論が広がり、フリーターもひきこもりも、みな「自分が悪い」と思わされているから。家庭内暴力も、自分や家族に怒りをぶつけているわけで、怒る先を間違えているんだと思う。

派遣社員やフリーターなど、不安定な労働条件を強いられた労働者が「非正社員を使い捨てするな」「時給を上げろ」などとデモをしたが、これに対して「怒る暇があったら自分でスキルしろ」などと批判する人もまだ多いんです。弱い相手には怒り、強い相手の前では見て見ぬふり、そういう人が多すぎます。見て見ぬふりをしないために、私はもっと怒ろうと思う。怒りを感じられるようになるため、もっと学ぼうと思う。だって、情報や知識がなければ、怒れないから。

《社会から「自分が悪い」と思わされているから、よくならないんだなんて滑稽な理論だ。社会が悪いことにしておけば、考えることをしないでもよいし、責任を取る必要もない。自分自身をみつめることもない。反省もないし、進歩も生まれない。》
                    -- つづく -- 

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2007年6月 8日 (金)

飛行機買いたいなあ

毎日新聞(6/5)から
政府内で新たな政府専用機の購入構想が持ち上がっているらしい。現行の2機のジャンボ機(B747)とは別に、
緊急時に機動的に運行可能な中型機が必要だというのが理由。しかし、財政難の折、「税金の無駄遣い」との厳しい目もあるということで思案中らしい。

新たな専用機の購入構想は、4月25日のエリツィン・ロシア前大統領の葬儀に日本が特使を派遣できなかった問題を機に持ち上がったものだ。
 政府専用機所有の目的は、
  ♦天皇・皇族・要人(主に内閣総理大臣)の輸送
   ♦首相の外遊の場合、各メディアの記者団も同行し、機内で記者会見が行われる場合がある。他の閣僚の輸送には、一般の定期便が利用されることが多い。 
  ♦緊急時における在外邦人の輸送
  ♦国際緊急援助活動
  ♦有事における自衛官の緊急輸送(特に、軽武装の陸上自衛隊北部方面隊普通科隊員の緊急輸送)
 となっている。

閣僚の使用が認められたのは、05年の自衛隊法施行令改定の時だが、出身省庁の経費負担(欧州往復で一行30人で約6000万円)がかさむため、昨年1月に農相、経済産業相が一緒に使用した他は使われたことがない。

では、なぜ3機目なのか。外務省幹部は「アフリカなどで隣国に行く場合、民間路線だと、わざわざパリやロンドンに戻らなくてはならない。専用の中型機なら直接行ける」と、起動力の高さを強調する。政府内では「外交好きの安倍首相なら導入できるかも」(外務省幹部)との期待感も広がっている。自民党の「外交力強化に関する匿名委員会」(委員長.森嘉朗元首相)も昨年11月、利便性の高い中型機の予算化を提言した。

本当に必要なのかどうか、政府は内角総務官室を中心に新たな専用機導入の是非を検討している。「(欧州往復で)民間のチャーター便は約1億円かかる。一般の商用機は約2500万円で済むが機動性で劣る」などを理由に専用機の支持があるが、首相官邸では「維持費の問題もある」との慎重論も根強いという。

政府専用機は航空自衛隊千歳基地(北海道)を拠点に、特別航空輸送隊が運行・管理している。秘匿通話装置のほか、インターネット接続環境も整っており、随行員らの座席(177席)はビジネスシート仕様になっている。ただ、装備充実のため、今年に入って63億円(2機分)を投じた改修を終えたばかりだ。新たな専用機は購入に120億円程度かかるうえ、維持管理のコスト負担も必要になる。

因に、主要国の政府専用機は
  米国   約140機
  英国     7機
  フランス   6機
  ドイツ    8機
  イタリア   10機
  カナダ    6機
  ロシア    2機*
       *他に大型ヘリ

《問題は今になって機動性を云々することについてだが、製造国であるアメリカでこそ大型ジャンボB747を所有しているが、アメリカ以外で同じB747を政府専用機として所有しているのは日本だけだ。日本は自ら望んで購入したのか、買わされたのかは分からないが、2機ともにこれだ。滑走路もほぼ4000メートル近い距離を必要とし、外国でこの距離の滑走路が整っていない国もあると聞く。回り道して不自由するのは当然だろう。無用の長物になるようなものを購入しておいて、不便だから他にもう一つ欲しいんだけどは、子どものおねだりだ。最初の計画からしてお粗末というものだったのだ。今までにも散々無駄遣いしてきているんだ、少しは反省する気持ちはないのだろうか、ないかも知れないな、税来使えば買えるんだものな。・・・でも、国民は痩せて行くだけなのに。》

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2007年6月 7日 (木)

はにかみ

ハンカチ王子に、はにかみ王子。女性には関係のないスポーツだった野球の世界に女性のファンの黄色い声が混じり、人気選手の後を追い掛ける風潮が生まれた。今では野球に限らずいろんなところで黄色い声が目立つ。中には女子バレーの会場で声変わりも未だのような少年たちが、女子選手を応援する姿も見ることがあるが。今回は誰が名付けたのかは知らないが、はみかみ王子と呼ばれる15歳のゴルフ好きの少年の話。

最初に私のゴルフへの見方を書いておく。私はゴルフを決してスポーツとは考えない、スポーツの要素はどこにも見出せない、単なるゲームとして捉えている。そして好き嫌いで言えば嫌いなゲームに入る。芝生の上に置かれたボールを打つだけの遊びだ。一つ打った後はだらだらとボールの落ちた地点まで歩く。自分の使う大事な道具は人様に持たせて連れて歩く。何故自分で運ばない。ゴルフ以外に己の商売道具をプレー中に人様に運ばせるゲームやスポーツがあるか。老人のゲートボール以上のものではない。ゴルフもその意味では70歳、80歳以上になってやる分にはスポーツと呼べるだろう。その年になれば歩くことさえ大変なんだから。

或いは別の見方もできる。ゴルフがスポーツなら逐うの昔にオリンピック種目になっている。新しく種目入りしたカーリングも氷の上を帚で掃くだけのもの、何か間違ってスポーツに混入されたとしか考えられない。ゴルフがオリンピックに入らないのはボーリングと同じゲームだからだ。人によっては発祥の国をおいて、今ではアメリカが男女とも他に類を見ない強剛を揃え、ヨーロッパ勢が太刀打ちできない、メダルが取れないからと、その説を理由に唱える人もいるが、無理に探して見つけた屁理屈だ。要はスポーツに絞っての(古代には詩や音楽などの芸術も競った)オリンピックにゴルフが入ることはこの先もないだろう。

ゴルフ好きは言う、イギリスで始められたマナーのスポーツだと。イギリスのマナーこそゲテモノだ。日本で普及しているゴルフのどこにもマナーなど伝わっていない。イギリスで始められたものには他にもテニスがある。テニスのサーブはサービスが始まりだ。相手が打ち返しやすいボールを打つことがサーブなのに、兎に角手も出せないようなボールを打ち込むこともある(この延長には卓球のサーブがある)。まるでコペルニクス的転回そのものだ。

さて、ここからだ。
男子ゴルフの関東アマチュア選手権決勝競技は6日、千葉県野田市の千葉カントリークラブ梅郷コース(7085ヤード・パー72)で第3ラウンドを行った。5月の国内ツアーに優勝した15歳の石川遼(東京・杉並学院高1年)は、1バーディー、3ボギーで回り、通算221の5オーバー。スコアは落としたものの、順位は7位に上げ、7日の最終ラウンドに臨む。

プレーの記事の他に、囲み記事で「目に余るマナー無視」として、はにかみの後を追い掛ける色めきたった女性陣のシャッター音や、目線の先をうろうろしたり、はにかみのプレーが終わると他の選手がプレー中でも一斉にぞろぞろと後をつけるなど、ギャラリーのマナー無視が書かれている。

シャッター音や、咳、足音、鼻息さえも邪魔になるものにはドミノのようなものがあるが、ゴルフに何故それが邪魔になるのか。例えば野球を、バレーボールを、テニスを、サッカーを、マラソンを、体操を、陸上を、水泳を、スケートを見れば分かるだろう。騒々しいほどの轟音を見方にするのがスポーツだ。何故それほどにゴルフにマナーが五月蝿く言われるのか。集中の邪魔になるというのは嘘だ。千変万化するボールを叩く野球に比べれば、止まって動かないボールを叩くだけなら100分の1の集中力も必要ない。あの贔屓チームへの賑やかな応援に比べれば、シャッター音など静寂に等しい。

TBSが取材に当って、石川の声を拾うためのマイクを一緒にラウンドする組の選手に付けてほしいと依頼して断わられたり、彼のゴルフバッグにマイクを付けられないか主催者に打診し、断わられていたりしていたことも書かれている。これなどは取材の行き過ぎで理解できる、しかし、同局の報道番組「イブニング」が4日と5日の2回、主催者に無断でコース上空にヘリを飛ばしていたことも判明したという。が、ヘリコプターが頭上を飛ぶことがプレーの邪魔になるとは理由にならない。飛行音や風の影響など判断してプレーして当たり前だ。ドームのない野球場の風の動きも常に流れている、渦巻いている。

ゲームを離れたところで、通常の社会生活で、碌にマナーが守れない人間に、ゴルフ場でマナーが守れるなど期待する方がおかしい。プレーする側も、見る側もだ。
 ただ感心するのは、こ生意気な女子プロの藍に比べ、テレビでしか知らないはみかみ君の15歳の年齢に似合わない、落ち着いた言動は見習う方がよい。

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2007年6月 6日 (水)

先の見えた安倍内閣

今朝のテレビで自民党衆議院議員・片山さつきが民主党菅直人の厚生大臣当時に行った施策を論(あげつら)うビラを得意げに指差すポーズを写した。

先に国会で菅の追求を受けた安倍が、一国を代表する総理にありながら、恥も外聞もなく口にしてしまった、「基は現在口を極めて自民党を攻撃する菅代表が厚生大臣当時に作ったものだ云々・・」を受け、民主党攻撃のために刷り上げたビラだ。ことは幼稚園児や小学生たちの口論ではあるまい。菅が厚生大臣(第一次橋本龍太郎内閣、1996年1月11日から約10カ月間、因に第2次橋本内閣1996、11、7発足の厚生大臣は小泉純一郎)であったから、責任は菅にある、という論理だ。それでは安倍が総理である期間に成立する法ははそれぞれ所轄大臣の責任で、総理である安倍にはその責任はないということか。日頃「私の内閣」というのはどう言う意味なんだろう。

毎日新聞(6/6)から
5日の自民党の副幹事長会議で、同党が年金記録洩れ問題に関し「基礎年金番号導入時の厚生大臣は菅直人民主党代表代行」などとする宣伝ビラを配布していることに「菅氏1人を攻撃することに意味があるのか」「泥試合をやってもしょうがない」などの批判が相次いだという。

ビラは、同問題への政府・与党の対策を説明することを目的に、自民党が10万部作製した。先週末から都道府県連などに配布している。しかし、菅氏や民主党を批判する記述には、自民党内からも「責任を押し付けている」との声が噴出している。森嘉朗元首相も4日の講演で「みっともない」と苦言を呈していた、という。
 これに関し、中川秀直幹事長は5日の記者会見で「政府・与党だけの責任だというのは違うと申し上げている」と釈明に追われた。自民党では既に60万部を増刷中だが、今後、記述を改めるかどうか検討するとしている。

内閣支持率が急落して黄信号が点る中、安倍がこだわる憲法や、美しい国などの「理念」から、自民党が5日に決定した7月の参院選の公約を、年金問題や医師不足対策など、民主党が重視してきた「生活」へのシフトへ急旋回したことは、取りも直さず自民党の危機感を表わしている。

一方、民主党は自民党が同じ土俵に乗ってきたとし、攻めの姿勢を強める構えだが、民主党の主張が政府・与党よりもどうのように優れているか説得力のある説明が求められることになる。

国民は低次元の幼稚な泥試合を見たくない。民主党のマニフェストの柱♢年金抜本改革♢天下り・官製談合根絶♢格差是正の三つ。中でも「年金は圧倒的に民主党の方が認識が深い」(松本剛明政調会長)と言われるように、自信を持つ。一方新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)は5日、夏の参院選を「政権審判の選挙」と位置づけ、連立与党としてのマニフェストの早急提示と、与党が過半数を得られない場合は速やかに衆議院を解散することを求める緊急提言を発表した。

大上段に憲法改正を振りかぶってスタートした安倍だが、次から次の強行採決という数の論理だけの衆愚政治に危険を感じ始めた国民からそっぽを向かれ、思ってもいなかった支持率の急落に、サミットへ向かう飛行機の中でも「私の内閣」の短命におわることを予感していたかも知れない。

【追記】6月7日
子どもの喧嘩並のことをやった直後の恥の上塗りに気がついたか、政府自民党は昨日製作した広報用ビラの内容から、菅批判の部分を削除して、新たに作り直すことを決めたようだ。余りにもみっともない先走りの行動を恥じたのか「自民党から泥試合を仕掛けているように見える」と党内からも批判や疑問が上がり、作り直しを迫られたものだ。あの髪の鬱陶しい片山さつきは「最初のビラは見切り発車、対策がまとまったので第2弾をつくる」と宣うた。新しいビラは10万枚程度にして今月中旬には配布を始める予定なそうな。

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2007年6月 5日 (火)

東京のタクシー値上げ先送りに

毎日新聞(6/1)から
6月実施が見込まれていた東京地区(23区と武蔵野・三鷹市)のタクシー運賃値上げが、8月以降に先送りされる方向になった。経済財政担当相・大田弘子らが「デフレ経済が続いているのに値上げを認めるのはおかしい」と反対しているほか、首相官邸などには7月の参院選を控えて「票を減らす値上げは極力避けたい」という思惑がある。ただ、参院選が終われば値上げのハードルはぐっと低くなりそうで、秋口には値上げが待ち受けているる。

「タクシー事業者には経営努力の余地がある」「最近業績は上向いている。何年か様子をみるべきだ」とは、東京地区のタクシー運賃値上げの是非を議論するため5月31日に開かれた政府の物価政策安定会議での発言だ。

《国民の税金を湯水のように使い、政策改善などお構いなしに浪費するお偉方たち、よそ様の会社のことになると、何かとケチをつけなさる。民間会社がどれだけの努力を重ねているかを想像する能力もないようだ。自分達は血税意識など持ち合わさず、何不自由なく湧いてくる税金を無駄遣いし、巨額の負債を生じさせても責任はお取りにならない。どうしてこのような無責任発言が出てくるのだろう。》

4月の会合でメンバーの有識者から運賃値上げに対する異論が噴出したため再度開かれた会合であったが、反対論は収まるどころか、むしろ強まった。内閣府の担当者も「反対意見が多く、調整に時間を要する。数カ月かかることもあり得る」と話す。通常は1回で済ます同会議が2回目の開催となった背景には「7月の参院選を控え、余計な国民の反発を招きたくないという首相官邸の強い意向があった」(政府筋)という。

《勝手なものだ、選挙のためにはお得意の数を頼みのゴリ押しで通過させることを見送ったのだ。それも仕方ないことだが、早くも内閣支持率はやっと30%台を保っている状態まで冷え込んでいるのだ。28日には松岡が自殺する、安倍の引責まで聞こえては、何がなんでも通すことも諦めざるを得なくなった、というのが本音だろう。ここはじっと我慢の子で行こう、7月の参院選ではどうせ、自民の勝利は動かないだろう。何といっても日本人は波風を好まない、保守が好きなんだから、とでも考えての決定と見た。》

会議を所管する大田経済相は値上げに反対する理由を「業界の努力が不明。運転手の収入減を消費者負担で(埋める)というのは納得できない」と説明した。塩崎官房長官も「消費者のために一番よい答えを出す」と、参院選前の値上げを強く牽制した。当初は6月値上げを認可する方針だった国土交通省は、航空自由化や成田国際空港社長人事に続き、再び首相官邸から横やりを入れられた格好で「政治的な判断だろう」(幹部)と多くを語らない。

《無駄遣いの上、予算が足りないとなると、あらゆるものの値上げを図り、そのしわ寄せを国民の納税で賄う自分達の無能を棚に上げて、タクシー業界に問題なしとは言わないが、よくも白々しく、と言いたくなる。》

そして、参院選が終われば「値上げ反対」も風当たりも弱まるとの見込みから、国交省は値上げに向け検討を進める構えだ。物価安定政策会議の反対論を受けて、実際の値上げ幅は業者が申請している平均18・7%を下回る見通しだが、秋口の値上げは避けられそうにないようだ。

タクシー業界が運賃値上げの最大の理由に挙げているのが「運転手の労働条件の改善」だ。都内のタクシー運転手の平均年収は431万円(06年)と全産業平均より248万円も低い。逆に、年間平均労働時間は2400時間と全産業平均よりも264時間長い。「東京乗用旅客自動車協会」は「10万人のタクシー労働者をワーキングプアーのまま放置しないでほしい」と値上げの認可を要請した。冬柴鉄三国交相も「現状を改めないと事故も増えるし、運転手が生活できなくなる」と理解を示している。

値上げが認められれば運転手の待遇改善につながるかといえば、そうも行かない。02年の規制緩和でタクシー業界が行ってきた安易な増車と歩合制が、運転手の労働条件を構造的に悪くしているところがあるからだ。増えないパイを増えた車で奪い合うことになり、一台当たりの収入は分散して減り、歩合制の運転手の給料は下がる、という構造だ。

そこで増える台数に歯止めをかけるため、一時的に参入を規制する案もあるが、「緩和した規制を後戻りさせるようなことはしたくない」(国交省幹部)と慎重姿勢だ。

タクシー業界は走行しながら客を見つける「流し営業」が9割を占める東京では、業者は手っ取り早い台数勝負で総売上を確保する経営に走りがちだ。一方で、楽でない経営を「年間3000万円の赤字。不動産管理などで赤字を埋めている」というところもある。値上げをしても運転手にまで回らない可能性もあるようだ。

《いずれにしても、人を大事にしない企業は消える運命にある。必要なら値上げは賛成だ。もともとタクシーは公共の乗り物ではない。いくら高くしても乗れる人が乗ればよいことだ。話は別だが、たばこ好きが一箱幾らに値上がりした時、禁煙しようと考えるか、との問いに、大勢は800円、と出たそうだ。タクシーも初乗り660円が1000円でも乗りたい人が乗ればよい。或いは別の対策を考える人も出ても来るだろう。よく言う「朝令暮改」は良からぬこととして使われるが、目まぐるしく世情の動く現代、状況によって「臨機応変」で対応できなければ何にもならない。国交省幹部のいう後戻りも含めて、朝令暮改ができなれば、おいてけぼりになることだってあるのだ。経営者たるもの会社の宝は社員とその彼らを支える家族であることを、いつも忘れないでほしいものだ。》

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2007年6月 4日 (月)

日本の象牙輸入許可

先月31日、ワシントン条約で取引が禁止されている象牙を輸入したとし、撞球(ビリヤード)のキュー(cue、球を撞く棒状の道具)を製造する、岡山県総社市の業者が関税法違反の疑いで逮捕された報道があったばかりだ。彼らはキューのバット(球を撞く時プレーヤーが握る部分)の装飾用に使用していた。

その象牙が、今日の報道では日本向けに60トンの輸出することになったことを知らせている。オランダのハーグで2日に開かれたワシントン条約の常設委員会で、南部アフリカ3カ国(ポツワナ、ナミビア、南アフリカ)が在庫として持つものからの輸出を認める決定だ。これら対象になる象牙は3カ国の政府が自然死した象などから採取したものだという。

輸入については日中両国が希望していた。昨年10月の常設委員会でも協議されたが、輸出国側の密猟監視体制が不十分として結論が持ち越されていたものだ。中国は、国内での流通監視体制が整っていないとして輸入が認められなかった。

常設委員会に続き3日から開かれる締約国会議では、今回のような取引を認める手続きを簡素化するべきだという南アなどアフリカ4カ国の提案と、今後20年間は取引を全面禁止すべきだというケニア、マリ両国の提案も協議される見込みだ。象牙は89年に国際取引が禁止されたが、99年に一度、日本向け輸出50トンが認められてから、今回が2回目の輸出許可となる。象牙の取引自体に強硬な反対姿勢を示す国もあり、今後の恒常的な取引の解禁につながる見通しは少ないと見られる。

今回の決定を受けて日本政府は「条件を整えたのだから当然」との立場だ。環境省野生生物課は「輸入が承認された象牙はすべて自然死したもの。3カ国の収益は、すべて象の保全や地域住民のために使われることになっている」とその意義を強調している。

全国の印章の約半分を生産する日本一のはんこの町、山梨県の旧六郷町(現市川三郷町)では、製造・小売業者が決定を歓迎しているという。「品薄の象牙が輸入再開によって価額が安くなり、発注が増えれば朗報だ」と。現在では象牙の代用にオノオレカンバの木などが開発されているが、やはり細かい加工は象牙が優るという。

国内では、牙の形を維持している「全形象牙」を取引する場合は1本ごとに登録し、国から「登録票」の発行を受けるよう義務づけている。だが、加工しやすいように全形象牙を数個に切断すると、それぞれの「カットピース」については登録義務がない。また、登録象牙から作られた印鑑や装飾品などには「正規品」を示す環境省・経済産業省発行のシール(標章)を張ることができるが、義務とはされていない。

今回の会議では同じアフリカ諸国でもケニアなどから、取引開始によって、密猟の増加に対する強い懸念が出された。同会議に参加したNGO「野生生物保全論研究会」の坂元雅行事務局長は「国内の管理体制はまだ不十分にもかかわらず、輸出を認めた今回の意思決定には大きな疑問がある。大変残念な結果だ」との見解を公表した。

《NGOが、兎や角言うこともないだろう。輸出を認めるのは自然死の象が対象ということだが、中に密猟で死亡した象のものが混じっていることの可能性があっても、その選別は難しい。輸出3カ国の収益は象を保護するため、当然密猟に対する監視体制を充実させることに使われ、また地域住民の生活のために使用される。今後恒常的に行うことでもないようだ。どんなに厳しい密輸監視体制も、現実には役に立たない。それよりは、今回のように8年目、或いは10年の歳月を限っての取引があってもいいのではないだろうか。》

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2007年6月 3日 (日)

生体移植と謝礼の是非

毎日新聞(5/29)から
WHO(世界保健機関)によると、脳死、心停止後の提供は慢性的に不足し、世界で実施されている臓器移植の約半数は生体からの提供となっている。また、先進国から途上国への渡航移植が増加する傾向にある。フィリピンでは生体ドナーからの腎臓移植に関し、事実上売買を公的に認める制度を検討している。

このため、国際移植学会は生体移植に関する会議の開催を決定した。同学会は現在は臓器売買を禁止しているが、今後、ドナーの人間の尊厳を侵害しない範囲での経済的支援が可能かどうかから検討し、世界の生体移植の標準化(ドナーへの謝礼の是非も含めたルール作り)を図る方向であることが、29日の同日の日本移植学会理事会で報告された。

アジア地域では、今年12月にドバイで生体移植に関する会議を開き検討を始める予定だ。脳死、心停止後の臓器提供が伸び悩み、臓器売買や渡航移植が問題となっているため、生体ドナーの確保と保護の両立を目指すということのようだ。

《人の命を神からの授かりものとして生きていた頃には、怪我や病気で死ぬことはその人のさだめ、寿命として受け入れ、そのためにこそ、神や佛への篤い信仰心を持つことで、病を得ることも、死をも受け止めることができた。医学の進歩は他人の命を金で買う(尊厳や、いのちを口にしたところで)ことのできるものとして、臓器を取り替えることで神を頼る必要がなくなった。》

会議では、ドナーに経済的支援をする場合の容認される範囲などが協議のテーマとして想定されるという。また、フィリピンの新制度案のように、特定の地域でドナーに対する経済的支援を導入した場合、近隣国への影響があるかどうかも検討することになる。

日本移植学会を代表して参加する小林英司・自治医科大教授は「(臓器売買が禁止されていないフィリピンなど)アジア各国の国情を考慮しなければならないが、生体移植は健康な人の体にメスを入れる行為。(ドナーへの経済的支援の導入など)安易に拡大の方向にならないよう討議していきたい」としている。

《移植の対象が腎臓だけなら、一対あるものから一つを切り離しても、普通に健康な人間なら生きて行くのに不都合はない。若しも生体移植が制度化されようものなら、今でも金さえあればアメリカくんだりまでも渡航して手術を受ける人間が後を断たない状況だ。今度は生体移植となれば、世界中からフィリピンへ流れが移動することだろう。生きるためには腎臓を売るしかないフィリピンの人たちの気持ちなど、哀れむものもいまい、お構いなしに金を積むことだろう。金が無いと生きていけない人、金を出して命を永らえたい人、需給バランスがつり合うことは到底無いだろうが。

それに、何をどう取り締ろうと、抜け駆けや、隠れてする行為がなくなることはないだろう。》

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2007年6月 2日 (土)

教育再生2次報告

毎日新聞(6/2)から
政府の教育再生会議(野依良治座長)は1日、首相官邸で総会を開き、第2次報告「公教育再生に向けた更なる一歩と『教育新時代』のための基盤の再構築」を正式決定した。土曜授業の復活と「徳育」の新設に向け、学習指導要領の改定など今年度中に行うよう提言した。大学の9月入学も、今年度中に学校教育法施行規則を改正し「全国立大学での入学枠」を設定するよう求めた。土曜授業と9月入学は、早ければ来年度から実施する可能性があるが、拙速な報告に対する懸念の声もでている。

新聞社のまとめた第2次報告のポイントを借りる。
♦「授業時間数10%増」確保のための土曜授業を実施するため、07年度中に学習指導要領を改定する。
♦道徳教育に代わり「徳育」を「新たな教科」として創設。多様な教科書と副教材で指導するが、点数評価はしない。こちらも07年度中に学習指導要領を改定する。
♦小学校での集団宿泊体験、自然体験、農業漁業体験活動を、中学校では職場体験活動を各1週間実施。こちらも07年度中に学習指導要領を改定する。
♦全国学力テストの成績不振校に改善計画書を提出させ、予算や教員定数、人事面で支援する。
♦テレビ視聴の抑制など「子育てにかかわる科学的知見」を情報提供する。

学力の低下が懸念され、「ゆとり教育」の見直しを打ち出した第1次報告に具体的要素をいくぶん加えたものになった。それぞれに現実問題として抱えている要素があり、根拠のない項目はない、といえる。特に反発の大きかった「親学」にしても、親による虐待や殺人、給食費不払いの実態などを踏まえたものだ。

上のそれぞれの項目について逐条的に取り上げることは手に余る。5月26、27日の毎日新聞による全国世論調査で、親に向けた子育ての指針(親学)を政府が提言することについてのアンケートがあるので、それについて述べてみたい。
 ♢政府の教育再生会議は、赤ちゃんを母乳で育てたり、子守唄を聞かせることを勧めるなど、子育ての手引きとなる「親学」の提言を検討してきました。政府がこのような提言を示すことに賛成ですか、反対ですか。
      全体  男性  女性
  賛成  47   48   46
  反対  44   44   44
 ♢教育再生会議は公立小中学校の道徳教育をさらに推し進めることを考えています。道徳教育の強化に賛成ですか。
      全体  男性  女性
  賛成  75   74   75
  反対  19   21   18
  (数字は%、小数点以下四捨五入)
 第2次報告では子育ての指針は打ち出す一方、親学という表現は盛り込まなかった。アンケートの詳しい内容は書かれていないが、20代は賛成が68%で反対の28%を大きく上回った。30代、60代、70代以上も賛成が反対よりも多かった。逆に40代、50代はいずれも賛成が約4割で反対が約5割。これから子育てが本格化する世代と、子育てを終えた世代で賛成が多く、思春期の子どもを抱える世代で抵抗感が強い傾向が出た、と分析している。

小中学校の道徳教育が圧倒的な支持で賛成票を集めている。その支持は誰がしているのか。本来が生まれ落ちて物心がつく前から家庭でしなければならない躾や道徳心の涵養を、家庭で行わずに放任したままで、すべてを学校に預けてからの丸投げにしている親たちが求めての賛成だ。学校に上がってからでは手遅れであることに誰も気がついていない。親なら厳しく躾けられることでも、同じことを他人の教師がやると、阿呆な保護者の苦情が殺到することになる。道徳を教えなければならないのは、子どもではなくて、親、大人にだ。それに公金を無駄遣いする役人や官僚だ。それには母乳、子守唄で後込みしたようだが、親学こそ最も重要な問題でなければならない。
 

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2007年6月 1日 (金)

出来ちゃった婚、いい? だめ?

例の石田衣良の白黒つけます から。
石田が驚いたように、提起された質問には多くの人たちが反応したようだ。日本の政治に関する質問にはそっぽを向いたが、ことセックス絡みになると老いも若きも目の色が変わるようだ。人間と雖(いえど)も動物本来の種の保存のための交わりは当然の事としてあるわけだ。ただ人間には厄介なことに種の保存以外に快楽という止めどない習慣性に陥る落し穴があるのだ。そのことが延(ひ)いては性犯罪という良からぬ方向に人間を導いても行くことにもなり、売買春や風俗紊乱の原因ともなっていくのだ。

そうでなくても現在ずっと続いている婚姻中の不倫による300日以内の子の問題などは、性の問題と切り離しては語れない、というよりセックスそのものだ。

早速アンケートを見てみよう。
まずは強力なダメ派からのメール。「結婚と子育てが短い期間に一気に来るので、出来ちゃった婚で幸せになるには夫婦の絆が強くないと大変。私も出来ちゃった婚した身ですが、2年前にあっさり離婚しました」(札幌市.いく)。短く「順番が逆だろう!!」(埼玉県栗橋町・恵)。ウェディングプランナーをしている人からは、「個人的にはダメ。やっぱり結婚してからが理想です。父さんを悲しませたくないのもあるし、きちんと準備を整えてから授かりたい。お金の心配をしながら育てるのは子どもに影響がある気が・・・」(北九州市・樹里)。「今どき、でき婚がダメなんて時代遅れ? でも、あえて言います。わたしの友だちでもでき婚組はいます。離婚しています。いいわけは、できちゃったから、しょうがないから結婚した。なにか責任感や社会意識が欠落しているような気がしてしかたありません。結婚と子育てには体力・気力・忍耐力が必要です」(京都府八幡市・ゆか)。

《北九州市の樹里さんのいうように「・・・父さんを悲しませたくないのもあるし・・・」は、父である私には、嬉しい言葉だ。一人っ子の長男はまだ独身だが、相手のお嬢さんを妊娠させたとあれば、断じて許さない。出来たから結婚、飽きたから離婚。これじゃ単なるゲームか遊びだ。交際中は古くから言われる言葉だが「アバタもエクボ」だろう。それに加えて「男は狼」だ。現在の性風俗から推察して出来ちゃった婚は自然な流れなのだろう。耳学問は男女とも豊富なようだから。》

男女の年代別に賛否を見よう。
 〈有効投票数〉3703(男:1546、女:2157)
          いい     ダメ
   全体     51・2%   48・8%
      男   53・3%   46・7%
      女   49・7%   50・3%
 10代以下男   41・5%   58・5%
 10代以下女   39・2%   60・8%
 20代  男   53・2%   46・8%
 20代  女   47・4%   52・6%
 30代  男   54・2%   45・8%
 30代  女   52・3%   47・7%
 40代  男   50・5%   49・5%
 40代  女   48・6%   51・4%
 50代  男   60・3%   39・7%
 50代  女   51・6%   48・4%
 60代  男   61・1%   38・9%
 60代  女   46・7%   53・3%
 70代以上男   45・0%   55・0%
 70代以上女   33・3%   66・7%

《総じて男性が性に能動的なのは理解できるが、現在では女性にもほぼ半数の行動的な人がいることに驚いた。しかし、何かの折に触れたが、意外に若い女性の性モラルがしっかりしているのが心強い。問題は30代に入るとその性モラルは1度に崩れ、容認派が一気に増加するようだ。70代以上の女性にやはり固い貞操観念が残っているのは、夫を、恋人を、家族を戦場に送りだし、そのまま還らぬ人となり、中には再婚した人もいるが、多くは後の人生を独り身で過ごし、子どもを育て上げたり、家族を守ることを強要された世代だからだ。反面、男は勝手だ、60、70になって畠もないくせに種を蒔くことしか考えない。》

次いで出来ちゃった婚、いい派の意見。(《》内は私見)
「いいもなにも生殖→結婚って順番は動物学的にも正しいのです」(東京都多摩市・シマウマ)。《看護師というが、野生の世界で生きているだけの人のようだ》。「晩婚化が進む中、結婚するまでセックスするなとはいえないし、避妊しても妊娠はあります。生涯生まない決心をしているのではないなら、結婚に踏み切るきっかけにもなるし、いんじゃないですか」(愛知県阿久比町・知多っ子)。《子どもが結婚のきっかけになるのなら、初めから結婚して置けばいいのでは?やはり遊び半分の気分があるからだろう》。「出来ちゃったから急いで結婚しなければならない理由は、そうしなければその子が婚外子になってしまうから。できちゃった婚の慣行は、日本の社会がいまだに婚外子差別を克服していないためです」(東京都板橋区・奈穂子)。《出来ちゃった婚は慣行ではありません。ただの乱れた世相です。それに日本は法治国家です。それに文句は筋違いですよ。》

「できちゃったんで、結婚しますと父母に報告したとき、父は、そうかでかした、よくやったと、ほめてくれました。そのとき初めて父を尊敬しました。4半世紀まえの亡き父との思い出です」(西東京市・俊二)。《孕ませた相手の女性、女性の両親に思いを馳せることのできない両親だったのだろうか。もしも女性の父親が、私のような人間だったら、ただでは済まさなかっただろう。それを又単純に尊敬、とは・・。そして石田はこのメールに『うん、いい話だ。』と、驚きのコメントを付けている。》

石田が選んだ最後のメール。「心底からふたりが、将来子どもたちが遭遇する諸事情を納得して、子をもつのであれば、形式にこだわらなくてもよいと思う。ちなみにわたしは、できちゃった婚の娘をもつ『父親』であり、『おじいちゃん』であり、さらに生まれた孫(男6歳)を養子として引き受けざるを得なかった『人』です」(東京都江東区・匿名)。《無責任なことは言えないが、育てられなくなって(?)祖父の養子にする。メールではこの複雑な事情が説明されているのだろうか。》

《戯れに性を享受し、成りゆきで同棲し妊娠する。仕方なく結婚しては続くわけもない。育児は遊び半分でできる仕事ではない。不満が募れば子どもに当る、世の中に転がっているいじめ、虐待、子殺しにつながる前に離婚となる。1人で生きられないから次の連れ合いを探す、これはとなって733条を無視しては妊娠するのも早い。結果は772条(離婚後300日)で法律が悪い、となる。今、日本には父母子家庭が急増している。過去最高だった05年度を約5万人上回る98万7450人となり、1999年以降の過去最高を更新するのは確実とみられている。

往時の実家に戻り、ひっそりと生活していた「出戻り」からは想像もできない明るさで皆それぞれに離婚をする。中にはDVの悲惨なケースもあるが、特に分かれた後の女性には働くための手厚い支援策が施され、考えようでは離婚がステータスででもあるかのようにさえ見える。結婚前に性経験をすることも、妊娠することも当たり前のようになり、離婚さえも軽々とやってのける。あれもこれも経験よ、とでも言っているようだ。

アンケートにもあるように、若い人たちは、大人のように性を快楽で捉えることができない分、男女間のことは覗きたいものがある反面、教室で教えられる美しい「愛」で理解しようとしているのだろう。その実は、確かにどろどろしたものであっても、そこに理性や分別が人間を“らしく”律していることで性道徳の社会が保たれていることになるのだが。

出来ちゃった婚。欲情に任せて出来てしまった子への責任が取れるのならそれもいいが、今では100万人近い人たちが離婚をして子への責任は中途半端なままだ。全部が出来ちゃった婚から別れることになった人たちではないのだろうが、幼い頃から辛抱することを知らない世代が、就職先の仕事が嫌になって辞めるように、何かと理由を見つけて離れて行く。しかし諍(いさか)い、喧嘩して解りあえることもあるのだが、お互いの人間形成も出来ておらず、勢いだけの出来ちゃった婚ではそこまで解りあえることも不可能か。やはり挙式するまでは、たとえ交わってもお互いに妊娠しない(させない)ことを誠実に約束事とし、守り抜くべきだ。

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