小1プロブレム
毎日新聞(5/21)から
新聞は「問題」という日本語があるのにわざわざ「プロブレム」とカナ文字で書く。何か違いでもあるのだろうか。日本語では解決できないハイカラな解決法でもあるのだろうか?新聞の用法は、プロブレムを「問題行動」と訳して「・・による問題行動「小1プロブレム」に、」と勝手に重複させて使用する。
問題は、以前から取り上げられている学級崩壊がテーマになっていることだ。授業中にウロウロ歩き回る、ロッカーに物をしまえない、おしゃべりが絶えないなどなど、こらえ性のない小学一年生の問題行動に、教師たちが手を焼いている。これらはすべて、家庭教育の不在がもたらす結果であることが明白であるのに、改善の兆しは少しも見えない。
話は横道に逸れるが、去る日曜日、改装開店した家電量販店に顔を出した。いつも行きつけの馴染みの店だ。今まで味わったこともない人数でごった返していた。商品を見て廻るうちに、繰り返し叫びあう子どもの甲高い声に思わず首が竦(すく)んだ。しばらくして大きな冷蔵庫の並ぶ後ろから、ふざけ合いながら2、3歳だろう兄妹と若い両親が店員と顔を出した。店員に案内される親は移動する、騒ぐ子を振返ることもない。ぎゃーぎゃー喚きながら子は後を追う。100台そこそこの駐車場に入るのに、30分も並んでやっと入った店だったが、5分と店内に居られずにほうほうの体で逃げ出した。この子たちが入学するまでにはまだ数年懸かるのだろうが、現在の小学校にはこのような親に育てられた子どもたちが入って来るのだ。
次は新聞の投書(5/20)から。神奈川県在住の主婦(58歳)、父親同伴の男児小学生の兄弟。混んでいた電車内に空席が見つからず、優先席前の吊り革に手を掛けた目の前に座っていたのがこの親子。男児は荷物を抱える投書の女性をちらちら気にするが、目が合うと逸らしてしまう。小さい頃から親が躾けていれば、自然に席を譲ることもできたしょうに。「混んできたら子どもは立つ」、ごく当たり前のことなんです。心して下さい、とある。
《電車内の子どものことについては、私も、何度かグログに書いた。我田引水のわが子(男)の例も上げた。子どもは小さい頃から聞かせておけば、大人に席を譲ることに誇りを持って繰り返し進んで行動する。後になって聞いてみたことがある。「うん、偉くなった気分だった」と胸を張った。子どもに誇りを持たせられるような家庭教育、躾がされないどころか、並んでいる人をかき分け、我先に走り込んで席を取らせる親の多いことにも何度も触れた。躾がされていないどころではない、逆に躾など無視することの方を教えられていることが背景にあるのだ。親はまた、子どもに輪を掛けて常識を逸していることが多い。給食費未納の問題など代表的なものだ。》
話を戻して、
このような状態に、独自の対策に乗り出す自治体や学校も増えてきている。どう指導すればよいのか一つの小学校を取材した。神奈川県相模原市の富士見小学校の例。
この春入学したての頃は「おしっこ」と叫んでいた女児児童は「トイレ行きます」と授業中に呟いて教室を飛び出し、廊下に消える。断わりなくトイレに立っていた頃とくらべると大きな前進だという。02年に開校したこの小学校では、開校直後から一年生が授業中に、勝手に席を立ったり、友だちとふざけて騒ぐ子もいて、授業の成立に苦労したからだ。
新入生のクラスでは4月いっぱい毎朝、先生を囲んで本の読み聞かせ、これは幼稚園や保育園がやっていることで、大里校長は言う「先生の話に“耳を済ましてもらう”には」《なんという表現だろう、“耳を済まさせる”と言えないのだ。まるで腫れ物に対するようだ》「絵本読みが効果的です」と。
先生に抱っこをせがんだり、ロッカーに物がしまえず騒ぎ出したりする子に対応するために、高学年の親や大学生ら25人のボランティアがいる。「生活習慣を身につけ授業に集中できるように手助けするのが私たちの役割」と語る。
この小学校では、新一年生をまず、生まれた月別に4クラスに編成する。担任を決めず、複数の先生とボランティアが児童たちを観察する。5月初め、子どもの特徴や成長の度合いに応じ、再度クラス分けして、担任を決める。
《これは理解されやすい。幼い児童で、4月生まれと3月生まれとの差(まる1年)は大きい。今に始まったことではないが、2世代3世代が同居していて躾けのできていた昔と、そうでない今とではそのまま成長差、経験差として出てしまうからだろう。しかし、それも学校に通ううちには縮まるし、なくなり、逆転することだって当然のように起きる。》
1年生のクラスでは、「机の上には筆箱だけにしましょう」と声を掛けるだけでは指示は伝わりにくく、黒板にも書いてある。休み時間に済ませておくことを、書いて口と文字で確認させる。整理が苦手な子がいるため、壁にはロッカーへの収納法を図示してランドセルの位置、教科書の位置、粘土など、図を見れば片づけも手間取らないでできるようにしてある。など細かいところまでの心配りができているようだ。
富士見小学校には全国の小学校が視察に訪れ、相模原市の別の小学校が、富士見小式のクラス編成を取り入れている。
《本来親がしておかなければならなかった躾まで、学校にまる投げにし、学校は家庭や親のし足りなかったものまで背負い込んで苦労しているのが実態だ。なぜこのような幼児に近い1年生が目立つようになったのか。東京学芸大の小林宏己教授は「少子化と地域の教育力の低下で、人と係わる体験の少ない子が増えている。保護者の養育態度も多様化し、生活リズムの乱れも珍しくない。学校ではきちんと振る舞うべきだという規範も薄れ、複合的な要因で小1問題が起きている」と話す。
後は学者たちや教育委員も似たり寄ったりのことを言うだけだ。
家庭教育の質の低下もある。「家で我慢したり譲ったりする経験が少なく、欲望を抑えられない」
「授業参観中に大声で他の親とおしゃべりするような親の子どもは自制心がないまま育っている」
乳幼児の発達に詳しい名古屋大大学院の氏家達夫教授は「祖父母が躾けに手を貸していた昔と違い、今は子を見守る目が少ない。親だけに責任を負わせず、地域と学校が積極的に手助けすべきだ」と語る。
《学校が手厚い態勢を作れば作るほど、ますます家庭教育や躾を疎かにし、学校にまる投げする保護者を増やすことになる。反面学校への言い掛かりや注文は声高になって行く。子育ての責任は親にある。地域やボランティアには協力を要請しても彼らには直接的な責任はない。小学校に上がって先生の話が行儀よく聞けるような子どもが入学する時代は、親が変らない限り悲しいことだが、まだまだ何百年も先になるだろう。》
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