壱岐で子守唄フォーラム
竹田の子守唄 1971年
竹田の地が京都であることは
後に分かることになる。
唄)赤い鳥
(EPレコード)
ブログの殆どに3番の歌詞の
間違いのままの転用が目立つ
(唯一 mufuan.comさんは例外)
誤:守も一日 やせるやら
正:守も一日 くれるやら
5月19、20日の両日、「日本子守唄フォーラムin壱岐」が長崎県の離島「壱岐」で開催された。実行委員会主催で、NPO法人日本子守唄協会共催となっている。
大会委員長、西舘好子は「神話の故郷「壱岐」は母なる大地、懐かしい日本の心の原点に位置します。歴史の深く眠る自然の懐に抱かれたこの地からもっとも人間の心を育てる「親子の愛の唄 子守唄」を発信したいと思います。子守唄は人々がその風土や日々の暮らしの中から自然発生したもので、その唄はその土地でしか味わえない心情や風景、生活が盛り込まれて今に唄い継がれてきたものです。いわば日本の生活、暮らしの記録であり、貴重な歴史の一ページ、今となれば文化財とも呼べるものです。」といい「親子の愛の特質である日本を感じ体験していただけることを願い、この会が日本再生の一歩となることを確信する」と語っている。
先に出すなり叩かれた「親学」にもいう、母乳、子守唄、朝ご飯の中の子守唄である。子育てに子守唄がセットのように言われるのはさして珍しくもないが、子守唄とは「親学」や西舘が言うような、親子の温もりを感じるものだけではないことを知っておく必要がある。各地の子守唄を幾つか知っていれば、子守唄には日本人には特に、甘いノスタルジーのように耳に残る“ねんねんよ おころりよ”に代表される、親が子どもを守りするものの他に、食い扶持を稼ぐために奉公に出され、他家の赤子の子守りをする女児(貧しい生活を助けるため、幼い少女が)たちがいたことは、貧しい時代の日本には決して珍しいことではなかったことが分かる。絵本の挿し絵にも、少女が手拭いを頭に捲き、大きなねんねこにくるんだ赤ちゃんを背中におぶった絵を見かけたことがあるだろう。姉が背負うこともあるだろうが、絵本の挿し絵は大抵守っこ少女を描いたものと見てよい。
子守唄は親が唄うものと、それら子守りをしていた守っ子たちが口ずさんだ労働歌とがあったことになる。民謡にも木挽き唄や、馬子唄、土搗き唄など労働歌があるが、この子守唄も働く少女たちが口ずさむことで民謡化していった労働歌でもあった。これらは少女たちが自分の仕事の辛さを唄ったものとして、歌詞も曲調もどうしても暗いものになりがちだ。中には世間を辛辣に皮肉り、嘆き、恨みをぶちまけたものなども幾つもある。
写真の竹田の子守唄も、1971年発売から3年間で100万枚を売り上げたシングル盤だが、初めて耳にした時の感動は今でも忘れられない。今も手元から離せない愛聴盤になっている。売れるほどに地域の特定に興味が移り、4番の歌詞にある「在所」が、ある特定の地域をさすことが話題になり、テレビ局も放送をしたがらなくなり、いつの間にか忘れられて行った。(このいきさつを詳しく書くことが今日の本意ではない)
幼くして親元や故郷を離れ、奉公先で守っこ娘たちが唄った子守唄の歌詞を幾つか紹介しておく。
五木の子守唄(熊本県)
ねんね一ペンいうて
眠らぬやつは
頭たたいて 臀ねずむ
ねんねこさっしゃりませ(岡山県)
つらのにくい子を 俎(まないた)に乗せてさ
青菜切るよに ねんころろん
じょきじょきと
ねんころろん ねんころろん
宇目の唄げんか(大分県)
あん子のつら見よ 目は猿まなこ
口はわに口 えんま顔
(元唄になるともっと激しく恨みや嘆きが口に上る)
ねんねねんねと寝る子は可愛い
起きち泣く子は面憎い
面ん憎い子は 田んぼに蹴こめ
上がるそばから 又蹴こめ ヨイヨイ
子守りゃ辛いもんじゃ 子にゃいがまれち
人にゃ楽なように思われち ヨイヨイ
奉公すりゃこそ 吾んような奴う
お主さまじゃと たてまつる ヨイヨイ
私しゃ唄いとうて 唄うのじゃないよ
余りに辛さに 泣くかわり ヨイヨイ
越後の子守唄(新潟県)
守っ子というもの つらいもの
おかかにゃ叱られ 子にゃ泣かれ
泣くな 泣くな 泣くなよ
奉公先の女主人のことを子守りを命じられた少女たちは、どのような目で観察していたか、
博多子守唄(福岡県)
家の御寮さんな がらがら柿よ
みかきゃ良けれど しぶござる
ヨーイヨイ
家の御寮さんの 行儀の悪さ
おひつ踏んまえて 棚さがす
ヨーイヨイ
御寮よく聞け 旦那も聞けよ
守に悪すりゃ 子にあたる
ヨーイヨイ
家の御寮さんは 手利きでござる
夜着も蒲団も 丸洗い
ヨーイヨイ
現在も、泣き止まない子を巡っての大人がする虐待や殺人が後を断たない。遊びたい盛りの幼い少女たちが仕事とはいえ、ひとさまの子を守りするのだ。大人でもいらいらすることのある乳幼児の守は、小銭を稼いで帰る娘の帰りを待つ親のことを考えれば、諦めてはいても泣きじゃくる背中の子を疎ましく思うこともあっただろう。
子守唄にはわが子を愛おしむ親の立場から唄ったものばかりではなく、悲しい裏の面があったことを忘れるわけにはいかない。
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コメント
>誤:守も一日 やせるやら
>正:守も一日 くれるやら
についてですが私の通っているカルチャースクールでちょっと話題になりました。そこでいろいろ調べた結果、以下の結論に達しました。
正しくは、「やせるやら」で「くれるやら」は誤植だったと推測されます。
根拠は、(1)赤い鳥は「やせるやら」と唄っています。また元歌とされる歌詞も「やせるやら」となっています。(wikipedia調べ)(2)実際、ジャケットの歌詞が「くれ」->「やせ」と訂正されたレコード持っているというブログを発見しました。なんと訂正は万年筆でしてあるとか。
(3)また、「やせるやら」と印刷されているジャケットも存在するようです。(改訂版と思われます)
私自身は、赤い鳥の唄「やせるやら」版を聞いていましたので「くれるやら」がどうも腑に落ちなくてしらべた次第です。
投稿: 迷える羊のももひき | 2012年12月 8日 (土) 03時07分