浅草、三社祭の神輿乗り逮捕
古いアルバムから
探しだしてみた。
どうみても何人も
乗れる大きさの
神輿ではないのだが。
東京都台東区の浅草神社の三社祭で、警官の制止を聞かずに神輿に乗ったなどとして、警視庁浅草署は20日、神輿の担ぎ手の男3人を東京都迷惑防止条例(粗暴行為の禁止)違反や、公務執行妨害容疑で現行犯逮捕した。
私が毎年のように三社祭を見たのは遠い昔だが、その頃はまだ担ぎ手には女性の姿が混じることのない時代だった。その後華やかな芸者衆の乗り物が加わったり、担ぎ手の中に威勢のいい女性の姿が少しずつ増えて行って、現在のような賑わいを見せる大祭となった。それでも日本に昔からある喧嘩祭のような荒々しい気配はなかった。しばらく前から三社祭には行かなくなったが、それまでの間、神輿の上に若衆が乗って囃し立てる姿を見たことは1度もなかった。新聞(毎日5/22)によると、昨年の祭で神輿の1部が壊れる事故が発生したことから、神社側が神輿に乗らないよう厳しく監視し、乗った場合には来年の「宮出し」を中止する姿勢を示していたという。
神社の心配も理解できるが、日本には古来から“血湧き肉踊る”と形容される男衆が我を忘れる祭が全国に点在している。毎年中継が出る300年引き継がれている大阪岸和田の「だんじり」、平安時代以前が起源とされる7年ごとに行われる信州諏訪大社の「御柱祭」(4社をそれぞれに囲む御神体の大木計16本を伐り出し、山出しで100メートルもある急坂を落とす。若衆が死を厭わずその大木に乗ろうとしがみつく)や、神輿をぶつけあって競う名高い「灘の喧嘩祭り」(兵庫県姫路市)などがある。これらの祭には善し悪しを別にして死人が出ることは珍しくはなかった。それでも祭は途絶えずに残ってきた。誤解を恐れずに言えば、祭での「死」は若者の勲章とも言えたのだろう。
しかし、都市部では(都)市電が走り始め、京都や高山、秩父、福岡などには辛うじて残る山車はまち中を走るが、多くの市街で山車が神輿に変り、岸和田のような引き回しは次々に姿を消して行くと同時に、祭は大人しい行事に変質して行かざるを得なくなった。
浅草の騒ぎでは、3人のうち1人は20日午後3時ごろ、台東区千束3の路上で警官の警告を無視して神輿に乗り、混乱を誘発する行為をした疑い。他の2人は千束1で同日正午ごろ、神輿に乗っている担ぎ手を逮捕しようとした警官に体当たりした疑い。他にも10人以上が神輿に乗っていたといい、浅草署は特定を急いでいる。昨年も都条例違反で5人が逮捕されているという。
ワーキングプアーなる新語が生まれ、働けど少しも楽な生活が持てず、ほど近いところには貧しい人たちの溜まり場のような山谷がある。ネットカフェの寝泊まりを強いられるものもいる。担ぎ手が少なくなってからは、在のものでなくても女性でも参加できるようになった。貧しい政治への怒りの持って行き場のない若者が、祭の場に加わり我を忘れたとしても攻められない一面がある。岸和田のだんじりの上で颯爽と扇子を振る若者や、諏訪の山出しを見せられては同じ若者として山車に乗りたくなる心理は健康でさえある。その結果が自分や祭の当事者だけの災害として命を落とすことになっても本望だろうし、警察権力を使ってまで取り締ることもなかろうというものだ。
浅草神社や警察署の心配は、祭に吸い寄せられて集まってくる見物人への被害だ。行ってみればわかる。大袈裟に表現すれば、進むことも退くこともできない程の人混みだ。この中を練り歩くのだから怪我人ぐらいは出ても不思議はないのだが、不思議と怪我人はあまり出ない。意外に浅草の三社祭は統制が取れているのだ。昨年も逮捕者は出ているが、怪我人が出たとは聞かない。周りの見物人が心配なら、神輿に近づかないように、こちらを遠巻きにさせればよい。祭はもともとその土地の者たちのものだ。当事者たちはどうなっても自己責任で羽目を外すことなのだから。
【7月25日 追記】5月22日に書いた「浅草、三社祭の神輿乗り逮捕」について、沢山の人が寄り道して下さった。
その時に願った来年の祭での宮出しが中止にならないように、との思いが届かなかった。三社祭を主催する浅草神社と同神社奉賛会は24日、来年の祭で本社神輿の宮出しから宮入りまでを中止することを決めた。今年の祭で、禁止されていたのに神輿に担ぎ手が乗ったためで、同会によると、中止は初めて。主催者側は「原点に戻った。決断しないと崩れた祭は正しい道に戻らない」と決意表明した。各町の神輿は通常どおり担ぐことができる。全国の祭で祭の興を壊すような行為を繰り返す輩が多い。浅草神社の毅然とした態度が参考になるのではないだろうか。
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